#3 完全アウト!
「ほのか!」
一之瀬が指導室の入口に佇んでいる彼女のことをそう呼ぶと、彼女の元へ早足で駆け寄って行った。
「約束通り、ちゃんと来たわよ。あさひ」
「うん。でも今日は来ないのかと思ったよ」
「さっき言ったでしょ? 用が済み次第、すぐ行くって」
昔からの友人なのだろうか、仲睦まじそうなふたりの会話が続いている。
ほのかと呼ばれた彼女は、身長が一之瀬よりも低く百五十に届くか届かないくらいの高さに鼻や口の大きさも控えめで、幼さが残る。が、その容姿とは裏腹に落ち着いき払った物腰とツリ目がどことなく大人びているような気がした。しっかりと手入れがしてあるのか、流れるようなストレートロングヘアは一之瀬と同じでツヤがあり背中まで掛っていることが特徴的で、背後から彼女を判別するのには苦労し無さそうだ。
彼女を知りもしない俺が話に割って入る必要もない。とりあえず今は、このまま一之瀬に任せておくことにしよう。
和馬が肘で俺を軽く突いて小声で話し掛けてきた。
「なあ、あの女子知ってるか」
奴は視線を一之瀬と話している彼女に向けて訊いてきた。
「知らない。ただ一之瀬が言ってた新入部員ってのは彼女のことみたいだな」
和馬は二、三度頷いて、
「ああ。イチノセにしてみれば待望の女子部員だな」
と言って腕を組む。
「それもそうだな。新聞部は顧問含め野郎ばっかりで、むさ苦しいからな」
「ちょっと待った! ユート、それは聞き捨てならんな」
声は相変わらず小さいままで、セリフほど迫力はない。
「オレはともかくとして、ユートもまあ――親友としてギリギリセーフにしておいてやるよ。でもな、これだけは、これだけは譲れない――」
徐々に声量が大きくなっていく。奴は意を決したのか、組んでいた腕を解放し、そのまま机の両端にガシっと手を突いて素早く立ち上がった。
「マツシマは完全にアウトだぁぁぁ!」
今まで小さな声で喋っていた鬱憤が堪っていたのか、盛大に声を出して、内に秘めていた思いを曝け出したように見えた。
一之瀬とほのかと呼ばれた女生徒は、何事かと眼を丸くして、こちらを見ていた。シーンとした教室はなんだか気まずい空気が流れている。だけど、ここで和馬になにか言ってやらなければ奴は初対面の彼女に変なレッテルを貼られてしまうのではないだろうか。もし、彼女がこの部に在籍をするのなら三年間、奴は冷たい視線を背筋で感じながら活動しなければならなくなる。それは、和馬が不憫過ぎやしないだろうか。
固まっている和馬に目をやる。考えている時間は無い。早く奴をフォローしなければ。俺は頭の中でとっさに出てきたものをそのまま伝えた。
「ごめん和馬、意味がさっぱり分からん。それと、あんまりバカデカい声出すと、職員室から教諭が飛び出して来るぞ!」
なんとなくだが、空気がさらに悪い方へと悪化したような気がした。和馬に至っては、憐みのような視線を向けられる始末。なんて仕打ちだ、せめて和馬だけでも俺のフォローのミスに同情してくれると思ったのだが、世の中そう甘くはなかった。
「それなら、多分問題無いわ」
涼やかな声がぽつりと言った。彼女はそのままこちらに歩いてきて、一之瀬も後に続いた。
「私、さっき入部届を提出しに松島先生のいる職員室へ行ったんだけ、先生は誰も居なかったわ」
彼女から話を掛けてくるとは思わなかったので思わず、はあ、と生返事してしまう。
彼女は俺のことをジッと見て、
「私は咲本穂香。よろしく」
と律儀に自己紹介をしてきた。
「ほのかはね、D組なんだよ」
一之瀬は咲本の背後から彼女の両肩を掴んでそう言った。その様子からふたりは仲がいいのだろう。
「俺は小柄結人。一之瀬や隣で固まってる和馬と同じB組だ。よろしく」
咲本は興味が無さそうに、ええ、とだけ言って頷くと再びジッと視線を向けてきた。
「えっと、なにか」
俺が訊くと、彼女はやはり興味が無さそうに、
「なんでもないわ」
と答えた。俺が苦笑すると、咲本の背後に居る一之瀬と視線が合う。彼女はにっこりと微笑んで相変わらずの笑顔で彼女はそこにいた。なんか気を遣われているような気がする。
「それよりも――」
次に咲本が視線を送ったのは和馬だった。和馬は自分に指を指して、オレか? と寝ぼけたことを訊いてくる。和馬が今まで黙っていたのは、空気を悪くしたことを反省していたということだろう。妙なところで律儀な奴だ。そんな和馬にようやく話す権利が舞い降りてきたというのだから、奴は破顔して言った。
「ようやくオレの出番だな。オレは仲栄和馬だ! よろしく頼むぜ!」
意気込んだ割には普通の自己紹介で、和馬ならまたなにか仕出かすのではないかと内心では期待していたのだが。
「よろしく」
彼女がそう言った直後だった。
「全員いるか」
またしても教室の入り口から、それも今度は渋い声が室内に響いた。松島だ。彼はカーキー色のネクタイを締めながらこちらに向かってきてきた。
「活動日じゃないのに、わざわざご苦労。非常に頼もしい部員たちだ」
部活のときの松島は授業中の顔も持たなければ、学年主任の顔も持たない。部活中は終始笑顔なのだ。
「先生、こんにちは」
ぺこりと頭を下げた咲本は、ブレザーのポケットから折りたたまれた一枚の紙を取り出して松島に渡した。それを受け取った松島は、眼鏡に手をやって、その内容を真剣な表情で見る。
「今日から、新聞部に入部したいんですけど」
どうやら入部届だったらしい。松島はそれを折りたたむと、首を縦に振って了承したようだ。
「ようこそ、我が新聞部へ。これでまた、新たな希望の星が生まれてたと思うと嬉しくてたまらない」
松島の眼に少し光るようなものが見えた。これで部員が四人、松島も少しは安心したのかもしれない。
「ところで、オレはまだ希望の星って言われてないんすけど」
その発言に衝撃を受けたのか、う、とよく分からない言葉を吐いて、
「言ってなかったか?」
と和馬に確認を取るが、「言われてませんね」と溜息をつきながら和馬は言った。
「も、もちろん、仲栄も部員だし、私は言ったと思ったんだけど。どうやら私の勘違いってことだったらしい。すまなかった仲栄。仲栄も希望の星だ」
言われることが目的ではなく、言わせることが目的だったのだろう。奴はその言葉に満足した様子だった。
「それじゃあ部活頑張ってくれ。私は席を外すから、何かあったら職員室に顔を出してくれ。それと、あんまりこの教室で燥いではダメだからな。あまり酷いと見て見ぬふりは出来なくなるからな」
ニヤっと含み笑いをしながら語る松島が、意味深な言葉を吐いて退出していった。