#2 新入部員
広々とした空間、ゆったりと落ち着いた雰囲気。所々に置いてある花瓶には色鮮やかな薔薇の花が活けてあり、この雰囲気を作り出しているようにも思える。教諭は皆、忙しそうに仕事を熟しているのに、どことなく余裕が感じられた。とても同じ職員室だとは思えない。分からん、なぜここまで違う。
「はい、確かに受け取ったわよ」
眼鏡を掛けて少しふっくらとした四十代半ばと思われる女性教諭が、手渡しで渡した新聞部専用の原稿用紙を一枚受け取って微笑んだ。
「それでは、よろしくお願いします」
軽く頭を下げて職員室を後にする。と言っても、今訪ねたのは六号館の職員室ではなく三号館の四階にある職員室、中等部の方だ。今日ここに来たのは、今年の夏に発行する新聞に載せる予定の記事『非常勤教師から見た光高光中の印象は?』というものを書いてもらうためにここまで来たのだ。文字数も百文字程度と多くないので、快く引き受けてくれた。ちなみに一之瀬と和馬も別の号館に同じようなことをしに行っている。
今日は部活の活動日ではないのだが、三人で話し合った結果、活動をすることになった。というのも、松島の説明を訊く限り、活動日が金曜日だけでは、今からどう頑張っても、夏に発行する学園新聞に間に合わないような気がしてならないのだ。これには、一之瀬も和馬も同じことを思ったらしく、それならと放課後活動しようということになった。拠点はもちろん生徒指導室。ちゃんと教諭の許可は取ったので、その辺は抜かりがない。
生徒指導室に戻ると、和馬がひとりぽつんと室内の真ん中の席に座っていた。奴は机と向き合っては、なにやら難しい表情で首を傾げて、なにかを考えているところのようだった。俺はなにをしているのかと声を掛けようとしたが、和馬が先に俺の存在に気が付いて、こちらを見てニタっと笑みを浮かべた。
「遅かったな、ユート」
身体の半身をこちらに向けると足を組み始めた。
「ここから一番遠いところに行けば、遅くなるのは道理だ」
この学校の建物は、鳥瞰して見ればL字の形をしているのだが校門の近くから順番に、一、二、六、五、四、三号館というふうに建てられている。ここから、他の建物に向かうなら渡り廊下を通って移動するか、一旦中庭まで降りて各建物に移動するかしかない。ここから移動するのなら明らかに前者の方が速いため、俺たち三人は渡り廊下を使って移動したのだ。つまり、何が言いたいのかと言うと建物の順番からして、俺が一番遠い三号館まで足を運んだのだ。
「道理なのは認めるが、場所を決めるときにジャンケンで負けたユートが悪いぜ!」
ぐっ、正論過ぎる。そう言われると言い返せない。
どの号館に行くのかを決めたのはジャンケンだったのだが、ものの見事に惨敗。ここぞという場面でジャケンが弱いのは、全く持って情けない。
和馬が組んでいた足を解放して、身体をこちらに向けてくると前屈みになりながら訊いてきた。
「で、ユート。お前の方はどうだったんだ。ちゃんと原稿用紙は渡せたのかよ」
奴の隣の席に腰を下ろして答えた。
「大丈夫、ちゃんと受け取ってもらった。和馬はどうだった?」
和馬は表情が緩み勝利のVサインを作ると、どうやら奴も交渉に成功したらしい。それなら良かったと一安心。
「余裕だぜ!」
とご満悦のようだ。それならよかった。だけど、これで終わりではない。新聞部は全員で三人、さっきから姿が見えない一之瀬は、まだ帰って来てはいないのだろうか。
「ところでさっきから気になっていたんだけど、一之瀬はどうした」
和馬はかぶりを振って肩をすくめた。
「いんや、見てねぇ。オレは隣の五号館担当だから、四号館まで行ってねぇし」
「まあ、それもそうか」
五号館の担当が和馬で、四号館が一之瀬だから、順番的に俺が一番遅くなると思ったんだけど。
「ユートよりも帰って来るのが遅いってことは、イチノセのやつ、もしかしたら交渉に難航しているのかもしれないぜ」
「人当たりのいい一之瀬が教諭に交渉しに行って難航しているとしたら、それは相手が悪い」
そんなのが学校に居たら俺なんかじゃ到底無理な相手だな。交渉決裂したあげく、和馬にバカにされて終わりだ。
「だけどよぉユート。この学校なら充分に考えられるぜ。生徒の人数が多いんだから、教師だって人数が多くなるに決まってる。それこそ変な教師のひとりやふたり居たってなんら不思議じゃないしな」
ごもっともで。和馬みたいな変人と仲がいい身としてはその言葉の意味がより理解できる。
「まっ、そうなったら、尻拭いはユートに任せた! そして思いっきり咬まして来い!」
と親指を立てて、決めゼリフを咬ましてきた。そして奴は満足したのか、身体を机に向き直して、よしっと一声上げて、両腕を突き上げる。
「さあて、次の案でも練ろうぜ。ユート手伝ってくれ」
俺たちは活動を再開した。そして、一之瀬がここに来たのはそれから十分後だった。
「遅くなってごめん!」
室内に入って来ては、一之瀬が開口一番にそう言って両手を合わせる。
「気にしなくていいって」
と俺が一声掛けると、和馬はその場で立ち上がり、
「そうだ気にしなくていいぜ。ユートも帰って来るのは遅かったんだからな」
俺は奴の言った言葉に頷いて、肯定の意を示した。それを見た一之瀬が「そう?」と微笑むと「ありがと」となぜだか礼を言われた。
和馬は椅子にどさっと人形のように力無く座り込むとそのまま和馬は机に突っ伏せて、
「オレは、どれだけふたりを待ったことか。思い出すだけで泣けてくるぜ」
と曇った声で言ってきた。場を更に和ませようとしているのかもしれないが、このままでは例の『コントという名の演劇』をやらされる気がしたので、とりあえずほっとく。
「それで、どうだった」
一之瀬にそう訊ねると、彼女は人差し指と親指で丸を作り笑顔で「大丈夫だったよ」と言って、俺たちが座っている前の椅子に座った。
「それでね、実はふたりに訊きたいことがあるんだけど」
彼女の言葉に反応したのか、机に伏せていた和馬が素早く上体を起こして言った。
「言ってみろ、イチノセ!」
その行動に驚いたのか一之瀬はビクっと身体を震わせると、そのまま苦笑した。
「う、うん」
和馬、微妙に退かれてるぞ。
「あのね、この部活に入りたいって人が居るんだけど」
「本当か? それは助かる。なぁ」
と和馬に賛同を得ようとすると、奴は手にコブシをガシっと当てて、
「ああ、いいぜ! かかってこいや!」
と無駄に力強く言い放った。いつものことだけどテンション高いな。
「あらそう? それなら遠慮なく入部させてもらうわ」
室内に涼やかな声が響いた。俺たちは視線をそちらに向けると、指導室の入口にひとりの女生徒が佇んでいた――。