#1 初めての部活動
高校生活が始まってから一カ月が過ぎた。高校という新たな環境に慣れてくるのは、大体がこの時期辺りが多いのではないだろうか。気が付けば一カ月、もう一カ月も経ったのだ。授業中は五十分という短い時間でさえ長く感じてたまらないのに、今から思い返すと高校生活はあっという間に過ぎている。
もう五月。仮入部期間は疾うに終わりを告げ、俺と和馬が本入部した部活は結局、新聞部だけだった。
季節も少しずつ変化をし始めて、桜が散り、路上に身を寄せ合うようにして残っていた花びらさえも姿を消していた。慣れてきた学校生活に一時の安堵を与えてくれるであろうゴールデンウィークも、もう終わった。これで一学期の祝日が海の日を残すだけということになる。つまり夏休み近くまでの約二カ月は祝日がお預け状態ということなのだ。それを思うと、なんとも辛い。祝日のありがたさが身に染みるのは夏休み前の七月までお預けとは……。
時に新聞部はというと、本入部の手続きを済ませてから、まだ一度も部活を行っていなかった。というのも、松島を訪ねて職員室に行っても「今日は会議があるから、また来週にする」と言われて先延ばしにされていたのだ。それも二週続けて。それなら、なぜ活動日が金曜日にしたのだろうかと思ったが、まあ今はそんなことはどうだっていい。今日は松島から部活があるからと放課後職員室に集まるよう言われたのだ。
「全員よく来てくれた」
今日も慌ただしい職員室。電話で応対する教諭に、パソコンに向かって仕事を熟す教諭。机は相変わらず積りに積もった書類の山で覆われている。ちらほらと空席もあるようだが、まあ仕事だろう。そんな中で松島は自分の席に腰を掛けたまま、和馬、一之瀬、俺の順に微笑みかけて出迎えきた。
「今日みんなを呼んだのは他でもない。先週と先々週は私の都合で申し訳ないことをしたが、今日から新聞部の活動を始めようと思う」
俺たちは顔を見合わせ、ほっと息を吐く。また会議で活動ができなかったらと言われたら、さすがにここに来るのが億劫になるところだった。
「それで場所なんだけど、ここじゃあ活動は出来ないから早速移動しよう」
そう言って掛けていた椅子から腰を上げ、背広のポケットから鍵を取り出した。
「マツシマ先生、どこに行くんすか」
和馬がそう尋ねると松島の顔はより一層笑みが増した。
「生徒指導室だ」
職員室の斜め前に位置する生徒指導室。その域は並大抵のことを仕出かさないと、入室することすら出来ない禁断の教室だ。というか真っ当に高校生活を送っていれば、まず縁の無い教室だ。まさか、こんな形で入室するハメになるとは。
松島は生徒指導室の鍵を開けて、そのまま入って行く。俺たちも松島の後を追うようにして入室する。生徒指導室というからには他の教室となにか変わりがあるのかもしれないと思ったが、なんてことはない、ただの教室と同じだった。室内の広さも同じで、そこに機械的に並べられている椅子と机は使用者が少ないせいかきっちりと整えられていた。使用した形跡がほとんど見られない黒板は入学当時を思い出させる。その黒板の前にある教卓も教室と同じく鉄製で作られているものだった。
「教卓前のここの三列。この列に座ってくれ。あ、出来るだけ前で。じゃないと話しにくいからな」
そう言って、松島は既に教卓で腰を下ろしていた。指定された三列、それの廊下側から一之瀬、俺、和馬のという並びでそれぞれ着席。教諭にひとりに対して生徒三人という人数は、やたらと違和感を感じる。
「こんな場所で申し訳ないけど、しばらくはここで活動することになる。だから、部活のある日や活動を行いたい日は、職員室に居る先生に許可を得てからにしてほしい。滅多に使用されることのない教室だけど、一応そうしてくれ」
俺たちと一之瀬が頷くと、それを見た松島もなぜだか頷く。一方で和馬は、愛想笑いをしながら言った。
「でも、この教室を使用するってことは廊下からここを見たときに指導を受けてるって勘違いされません?」
まあ確かに、それは言えている。ましてや松島が学年主任で、それもこの教室が生徒指導室なのだから、ほとんどの人がそう思うだろう。だけど、和馬がそんなことを気にするはずがない。むしろ目立ててラッキーぐらいに思っているんじゃないのか。そういう奴だ、和馬は。
和馬の言葉にも、松島は笑顔を絶やさないで、その表情のまま言った。
「大丈夫だ! そのことなら抜かりはない。ほら、そこにカーテンがあるだろ。あれを付けて使用すれば外から見られる心配もないし、新聞部が集めた情報を外に漏らすこともない。まさに一石二鳥だ」
室内に響く松島の快活な笑い声とその言葉の意味に、俺は呆気にとられてしまった。その考えはどうだろうか。逆に怪しまれる気がするのだが。一之瀬は少し困惑の表情を浮かべ、和馬は松島の調子に合わすように笑顔のまま「それはいいっすね」と松島の案に賛同していた。
「では、問題も解決したところで早速本題に入りたいと思う」
問題が解決したという言葉に、それでいいの? というような表情を一之瀬が向けてくるが、俺にも分からない。だから小声で「大丈夫なんじゃないか」と言っておいた。
松島は深く椅子を座り直して姿勢を正した。それを見て俺も気持ちだけ背筋を伸ばして話を訊く体制を取る。
「まずこの新聞部は基本的に生徒にほとんど任せて活動している。自主性を養うためでもあるし、積極性を学んでほしいと思っている。私は部活に関して言えば放任主義と言ってもいい」
それは素晴らしい。心の中で拍手喝采を送ろう。
「でも、今回は全員が初めての活動なので、出来るだけ私がフォローしたいと思っている」
松島が掛けている眼鏡を掛け直して、そのまま教卓に肘を乗せた。
「主な活動内容は全員把握していると思うけど、どうだろうか」
どうだろうか、というのは質問があるのかという意味だろうか。
「オレは大丈夫っす!」
開口一番に和馬。
「はい、大丈夫です」
元気がいい一之瀬。
「はい、なんとか」
と我ながら情けない返答。
「そうか、それなら話が早い。今日は色々と説明しようかと思っていたけど、優秀な部員たちのおかげで、いろいろと省くことが出来そうだ。思ったよりも早く済むだろう」
そう言うと松島は、これからの新聞部の活動の流れを淡々と説明していき、説明の節目にはちょっとした世間話を絡めて、俺たちとコミュニケーションを取っていた。
「以上で説明は終わりだけど、なにか質問はあるか? 無ければ今日はこれで終わりにするけど」
はい、と高々と挙手する和馬に視線が集まった。
「なんだ、仲栄」
「説明のことじゃないんすけど、いいっすか」
構わない、と頷く松島を見て和馬が言った。
「今後の部活の話も兼ねて、三人で話をしておきたいんすけど、もうしばらくここの教室を使用してもいいすか」
松島は口に手を当てて、少々深刻な面持ち。彼はゆっくりと口を開くと慎重に言った。
「まあ、いいだろう」
表情が浮かない松島から察するに、なにか事情があるのかもしれない。
「他に何かあるか? なんでもいいぞ」
と言うが、誰も質問はしなかった。
「それじゃあ、もう質問も無いみたいだし、今日はこれで部活を終わりにする。
鍵は教卓に置いておくから、下校するときは戸締りをして職員室に持って来てくれ」
松島は席を外して職員室に戻って行った。
それを見た和馬は肩をコキコキと鳴らして、
「終わった、終わったぁ」
と満足そうに言った。そんな和馬に、ひとつ訊いておきたいことがある。
「で、和馬。なにを企んでいる」
そういうと、和馬はニヤっと恵比須顔になって頬杖をつきながら答えた。
「流石に鋭いな、ユート」
一之瀬には分からないだろうが、付き合いの長い俺なら分かる。内容まで分からないけど。
「えっと、なんの話?」
一之瀬は俺たちの会話に入ってもいいのかと気を遣っているらしく、苦笑交じりに訊いてくる。
「ほら、さっき和馬が松島に質問してただろ。ここに残って話をしてもいいかって」
「うんうん」
「あれの本当の意味はなにかって思って」
「え、え? ほんとうの意味って言うと、どういうこと?」
うーん、伝わらなかったか。
「松島には話をするからこの教室を使わせてくれって和馬は頼んでいたけど、本心は別でなにか違うことをするためにこの教室に残ったってこと……意味分かった?」
確認のため訊くと、一之瀬は考えるように天を見上げて頷いた。
「じゃあ、なかえは、なにをしようとしているの?」
「さあ、そこまでは分からない」
俺と一之瀬は和馬に視線を送り、答えを促すと、和馬はそれに答えるように、腕まくりをして話し始めた。
「別に何かしようとか思っているわけじゃない。ただ、試したのさ」
相変わらず変なことを言う。試したってのは教室使用許可のことだと思うが。和馬は続けた。
「この教室がいつでも自由に使えるかどうかを確認するためにな」
言い終えて前髪をわざとらしく、さっと振り払った。が、その振り払った行為が妙な沈黙を生み出す。俺も一之瀬も、ただただ奴を見てるだけで一言も言葉を発さない。奴もまた、目を閉じて、その沈黙に耐えているようだった。次第に和馬は、邪念を振り払うように、椅子の上で胡坐をかいて両手を合わせるが、そう長くは続かなかった。すぐに椅子から足を下ろして、かっと力強く眼を見開き、何事もなかったかのように振舞うと、沈黙を打開して言った。
「結果的に学年主任が躊躇うくらい、この教室は使用しにくいってことが分かりました」
敬語になったのは、妙な沈黙を生み出してしまったせめてもの償いを表しているのだろう。
「でもでも、せんせは許可が取れれば、いつでも使用してもいいって言ってなかったけ」
と一之瀬。俺はその問いにすぐさま答えた。
「部活の活動なら大丈夫だとは思うけど、松島がさっき唸ったのは、部活の活動以外に使用されるのが困るからじゃないか」
部活が終わった後に松島が使用許可を出したのは、和馬が部活の話って言ったからではないどろうか。それは一応部活の部類に入り、指導室を貸す理由にもなる。そう考えれば辻褄が合う。
急に、だあ、と声を張り上げ地団駄を踏む和馬が、
「それじゃあ困る! 学園で俺の居場所をひとつでも多く増やさそうと思ったのに」
と駄々をこね始めた。
「あんまりうるさいと職員室に聞こえるぞ」
と言うと奴はすぐ収まり、ガクンと肩を落とす。しかし笑えるな、和馬は。あのままうるさかったら、この場に駆け付けた教諭にこの場所で指導されるなんて。全くヒドイ画だ。
「帰ろうぜ!」
とヤケになり和馬は立ち上がった。元々、部活が終わったら帰ろうと思っていたので、俺もそのまま立ち上がる。
「帰ろっか!」
と最後に一之瀬も立ち上がった。
今日は松島の説明を訊いただけの活動だったが、これで高校に来て初めての部活が終わった。やっぱり、説明だけでも時間が経つのが早く感じる。あっという間だった。
俺は教卓の上に置いてある指導室の鍵を手に取り、この教室を施錠して職員室に鍵を返却しに行った。