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準備物を全部志刀が持ち、教室に帰るまで話は続いていた。
「――と、そんなことだ」
一息ついて、志刀は荷物を持ち直す。
「つまり、部活終わりの女子が〝第三″の前を通った時に、大きく広がる翼を見た――と?」
「だいたい、そんなとこ。後は、裂かれた布切れが廊下に落ちてたんだと。これから体育祭や文化祭の準備か始まるのに、ちっと不吉だなって話」
志刀は滑る持ち物を落とさないよう、膝で支えるなどして苦闘していた。
まあ、何で部活終わりに第三倉庫の前を通ったのかとか、『第三の噂』と関係ないだろとか、些細な疑問はさりとて、
「胡散臭い」
私が半眼になると志刀も苦笑した。
「大方、部活で夜遅くなったからって、面白半分で〝第三〟に行って、物音かなんかにびびって変なもの見たとか言ったんだろって、俺は思う。廊下の落ちてったていう布きれも、すでに文化祭の準備を始めてる連中が落としたとか、そんなもんだろな」
体育祭は二週間後、文化祭は更にその二週間後。体育はもう体育祭用のそれに切り替わっていたし、文化祭の出し物を決めたのはもう一ヶ月以上も前の話だった。
「まあ、なんにしても、もう怪談って時期でもないからなぁ」
一息つくように返しながら、脇に抱えた地図や昔の風景画の写しなどを持ち直す。
「やっぱり半分持つか? 重いだろ」
「いい、いいって。大きさが中途半端で持ちにくいってだけだし、力仕事は男に任せてろって。伊達にサッカーで鍛えてねえからな」
そう胸を張って笑う志刀は、西貴までとは言わないまでも細い体をしている。筋肉があるというより、無駄な肉がないといった風貌だ。到底力があるとは思えない。
けど厚意は素直に受け取っておくことにした。
「それより鍵を職員室に頼むわ。持ってた後に返しに行くのって面倒だろ? それに……俺が行ったら、また別の厄介を押し付けられそうな気がするしな……」
さわやかなスポーツ少年という顔が、パシリをさせられる後輩みたいな、疲れたものに変わった。確かにこいつは頼みごとしやすそうな顔している。
それにむやみやたらと断ったりしない――まあ、そんな情に厚いとこが、結構好きだった。
「分かった。じゃあ、そっちはよろしく」
「おう。任された」
私は中央棟の階段で志刀と分かれた。
秋の空気の中で、ほのかに熱を帯びる鍵を握り締め、階段を一階分降りていく。
一階の廊下に足を下ろす時、私は白昼に帳が落ちたような錯覚を受けた。
目の前を通り過ぎるは月の光を反射する黒く艶やかな河。熱をさらう風が一瞬にして凍りつき、服の上から皮膚をさすような、圧倒的な冷たさが身に降りかかる。
その中をどこまでも無表情で、熱を忘れた瞳で、凛と背筋の伸びた女子学生が屹然と歩いていた。
彼女の周囲に一瞬だけ黒い羽根が舞い上がった。光を反射し、白く見えるほどの漆黒の片翼が背中から伸びていて、影が光に溶けるよう瞬く間に見えなくなる。
「一年の黒羽だ……、こんなとこで何してんだ」
「うっはぁ、いつ見てもきれ~。あれほんとに同じ女の子なの?」
「――ていうか、カッコいいって感じだよな。あ~、付き合うならあんなのがいいよな。隣にいるだけで自慢になる」
「止めとけ止めとけ。性格きついって噂だしよ、相手にされねえって。……だいいち、お前じゃつりあわねえって」
「あ、こっち向いた! ねえねえ見た見た? 葵さんがこっち向いたよ~~。今日はぜっっっったいついてるっ」
廊下にいた生徒たちからそんな感嘆の声が上がった。彼女によって冷めた熱が戻ってくるように、その場の空気が淡く沸き立つ。
他にもいたな……、男女ともに目を引く奴。
「もっとも、こっちは――」
「あ~あ、いつ見ても生意気な顔~。何あいつ、自分以外はカスだとでも言いたいのかしら?」
「ッチ。感じワリイ。憮然としやがって、こっちまでテンションさがるっつの。ちょっと顔がいいからってさ――」
「さっさと行こうぜー。ったく、あんなのの何がいいのかわかんねえ」
命斗と違って、批判非難の声も少なくない。
私は陰口を叩く連中に顔を顰めながら、一人ぼやく。
「だったらお前らは、葵の何を知ってるって言うんだ……」
バス事故の日に偶然出会い、気付いた頃には消えていた女の子。
雪のような白い肌に、エナメルのような長い黒髪。感情を削ぎとったようで、ひそやかに愁いを帯びる表情をした黒羽葵。
一度話をしただけの私が、彼女の全てを知るはずもなかった。