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灰羽  作者: 学無
第二章
6/36

2-2

 私は基本的に、自分が見てないものを信じない。感想は個人ものだし、私の感性とは異なるものだ。例えば有名な映画だって、実際見たら駄作に思えることなんて少なくない。

 けど、相手の感情や感想も否定しない。その人にとっては、それこそが真実だ。

 いくら自分に受け入れがたい現実だとして、それは、他の誰かが否定していいものではないと思うから。

 その考えは今も変わってない。たとえ私自身の行いだとしても、……曲げられない。

「やっぱ、六組の黒羽くろはなんじゃねぇの」

「さすがにな……、来週には準備にしなきゃいけねえのに」

 そんな話し声が聞こえて私は教室を見回した。

 今は昼休み。みんなパンや弁当を食べながら、他愛のないおしゃべりで盛り上がっていた。あちこちで机をくっつけて、肌寒さも忘れてるようだ。

「手が止まってるよ? アキ」

 隣から陽子に指摘されて、箸を口に運ぶ。……どこだろう。箸をくわえながら、さっきの会話を目で追っていた。

「けど『クロハネ』って、なんかネタっぽいよな。だって、あそこって元々」

 あっちか……。視線を声のするほうに向けて。

 いきなり目の前に陽子が現れた。猫のような目をつり上げて、鼻を膨らませて荒々しく息を吐き出している。

「アキっ、話聞いてるっ!」

「うおっ」 

 危うく箸を落とすところだった。

「き、聞いてるって」

 降参と手を挙げながら答えながら、何の話だっけと考える。さっきから陽子が一人で話してた気がするんだけど。何だっけ……?

「…………」

「……ごめん。聞いてなかった」

 無言の圧力を前にして、私は率直に折れた。陽子は溜め息混じりに修羅顔をひいてくれたけど、眉間の皺はいっそう深くなる。

「もう、アキったら、さっきから心ここにあらずって感じ。まあいいけど……、それでね――お父さんがひどいのよ」

 と陽子はぐちぐちと話し始めた。

 ……そうだ。そういえば朝から躁太さんの悪口ばかり聞かされてる。

 娘との約束を齟齬にするなんて信じられないとか、他に女作ったとか、会社つぶれちゃえとか…………ここ数日で躁太さんの株が下がる噂ばかりが広まっていた。発信元は実の娘の嫉妬。

 つまり陽子があれこれ言うことは、事実無根だということで……

 二日前こそ、突然の仕事でデートが流れて気落ちしてたのに…………。女子って生き物こわ……

「落ち着け、陽子。躁太さんだって、最後まで上司に掛け合ってたんだろ? 二日間は開けてくれって」

「アキは躁太に肩入れする気?」

 いや、そうじゃないけど。私は歯切れ悪く言葉を切った。呼び方も変わってるし、陽子はそうとう気が立ってるようだ。

「だいたいさー、躁太は会えない日が多すぎて、半ば意識しないようにしてるの。なのになのに、帰ってくるなんてぬか喜びさせて、信じられる! 娘がこんなに寂しがってるのに!」

「躁太さんへの執念はもう聞き飽きたよ」

 ヒートアップする陽子に反比例して、私は冷ややかになっていた。

 そう。私は事情を知っていて、何も言わず羽根を掠めたのだから。

 今思えば、あの多忙な人が休みは取れたのは奇跡。白い羽根は見せた、ささやかな褒美だったんだ。いつも父親と会えず、寂しさに耐えていた陽子の小さな願い……

「アキ…………? 大丈夫、顔色悪いけど」

 視線が落ちたところに、勢いのそがれた声が掛かる。顔を上げれば陽子が眉毛を下げ、気遣わしげに見つめていた。

 私は慌てて暗い考えを振り払う。

「何でもない。何でもないからさ、そんな泣きそうな顔しないで」

 それでも陽子は硬いものを飲み込むような顔になって、何か言いたげに口を開いては、拳を握るように押し黙る。それから口元だけ、無理やり笑った。

「父様のことは、ほんの冗談だから。アキまで気に病むことなんてないんからね」

 そうイタズラっぽく言うと、陽子は箸をすっと伸ばして、

「あ、おい」

 止める間もなく、私の弁当からミニバーグをぱくついた。

 目を両目とも瞑って、小首を傾けながらじっくり吟味する。こくりと可愛らしく呑み込んでから、丸い目を開いてことさら明るい表情で感想を口にした。

「おいしい~~、これはアキの手作りだねっ」

 私は目をしばたかせる。

「あ、ああ。そうだけど……、よく分かったな」

「だって、おばさんが作ったものより、アキの作った方が美味しいもん!」

「いや……、両手でガッツポーズしながら言われても…………」

 家庭の事情――母さんの気まぐれな性格のせい――で家事全般をやらされることが多いが、毎日の弁当まで作ってる訳ではない。割合は、……母さんの気分しだい。

 昨日だって、母さんに夕飯の支度を押し付けられた。しかもカレー。

『カレーなんて誰が作っても一緒でしょ』

 なんて私が呆れながら言ったものだから、

『アキちゃんが作ったほうが美味しいんだもの!?』

 とか頬を膨らまされて。ただでさえ小さい体を小さくして、横で野菜をちぎってた。

 いや普通に考えておかしいだろ……。向こうは主婦暦二十年近く、こっちは家事手伝い暦七年くらいだ。何で本人からして負けを認めてんだ……

 鬱蒼と溜め息を漏らしていたら、陽子は陽子でうっとりを頬を染めていた。

「アキは、やっぱりいいお嫁さんになれるよね~」

「一応、〝誰の″お嫁さんになのか、訊こうじゃないか」

 私は眉間を皺寄せて陽子を睨み、それから――溜め息と一緒に肩から力を抜いた。

 陽子は陽だまりのように笑っていた。それだけで十分。

「まったく、いい気なもんだ」

「笹本、ちょっといいか」

 肩をすくめるのと同じタイミングで呼ばれて、視線だけを上げた。

「今お弁当の途中」

 憮然と答えたのは陽子だった。わざと隔たりと作るような言い草に、声の主も眉毛を露骨に潜めた。お前には聞いてねえよ。と言いそうなところをぐっとこらえている感じだ。

 私は二人の険悪な様子に息をこぼしながら、闖入者、もとい志刀に向き直った。黒板の端のほうを一瞥してから、どこに行けばいいのかと尋ねる。

 すると、志刀は切れ長の目を少し丸め、驚いたような顔になる。

「何だ、その反応……。いくら周囲の人とか学校のこととかに興味がないからって、自分が日直の日や日直がクラス委員長の次につかいっぱだというくらい知ってる。何か文句が?」

「いや、ねえけど……」

 志刀はぐうの音も出ないって感じで、鼻の頭を掻いていた。

 この学校では、日直は男女ペアで日に二人。今日は私と志刀が日直で、朝から授業が終わるたびに黒板を消して、集めたプリント類を職員室に持っていった。日誌も朝担任から受け取って、放課後には書いて出さないといけない。

 時々命斗に生徒会の雑務を手伝わされてるが、それは別の話。

「まあ、それなら話は早い、か。次の世界史なんだが、さっき職員室の前を通った時ちょっと準備を頼まれてな……メシ食い終わってんなら手伝ってほしかったんだが……」

 慌てた様子で顛末を話した志刀は、そこで歯切れ悪く言葉を切り、視線を私の袂に向けた。私も釣られて視線を下にすると、丁度自分の弁当箱にがあった。

 明らかに食べかけの弁当箱。白いご飯が半分以上残ってて、おかずも大体それくらい。

 私の弁当を見て志刀は頷くと、あっさりきびすを返した。

「はあ、他を当たるわ。ここで無理強いしたって後味わりぃし。――とすると誰に頼むか……誰か手伝ってくれそうなやつは、……うっわぁ……、完全に視線はずしたぜ、あいつら……」

 そういうさっぱりとしたとこは、少しだけ男らしい。

 志刀は頭の天辺を掻きながら、どうすっかなあって感じで教室を見回す。誰しも面倒なことをやりたくないのは、当然と言えば当然で。誰もが目を背けるのを見て、志刀は適当に指名しようとして。

 その背中に一人、つぶやくように応じた。

「別に私なら構わんぞ」 

 弁当に蓋をしながら立ち上がる私に、

【 は? 】

 とクラス中の連中が手を止めて振り返った。

 全員、志刀や陽子までも口を半開きにして、『よりにもよってお前が?』という感じで唖然としていて。クラスの連中が、私をどれだけ駄々草と見てるかが嫌でも判る。

 …………まあ、実際そのとおりではあるんだけど。

「けど、飯の途中だろ? 気持ちは……まあ、嬉しいけど…………、あとで日野に何て嫌味言われるか分かったもんじゃねえし」

 まだ信じられないといった表情の志刀。いつまでも私と陽子の間を行きかう視線がじれったくて、近い方の腕を引く。

 それ以上意気地ないことを言わぬよう、私はからかうような視線を後ろに送った。

「ほら行くぞ。時間がもったいないし、ちょっと話したいこともあるんだ」

「へぇ? それ――って、や、待った待ったっ! 分かったから腕引っ張らないでくれっ、お落ち着けおお俺、何かのまちがいかも――背後に殺気が異常!? とにかく待ってくれっさもと!」

 志刀は何故か、嬉しそうな顔で涙を浮かべる。私はそんなおかしな顔に小さく笑いながら、教室を後にした。

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