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中学二年の夏、私はバスの中にいた。
宿題を早めに片付けて日がなだらけてた夏休みは、姉さんや母さんに「精気がない」を説教されたからだ。二人して毎日言うので、渋々と外出することにした。
熱いし、人ごみは嫌い。だからお盆がすぎて、帰宅ラッシュの終わりを狙って隣の街に出かけた。人は思ったよりも多くて、見てるだけでも肩が下がった。
けれども、人が集まってるところを歩いていると、不思議と自分の足が弾んでいった。祭りの熱気と、日中の街中の熱気を取り違えたみたいに、私の足は行くあてもなく人波の中を泳いでいった。行列の先に何があるのか見に行ったり、涼みに入った店で趣味じゃない服を勧められたり、笑ってる親子三代を目で追ったりとかしてるうちに日が暮れた。
気付けば足は棒のようだった。もともと体力がないせいで立ってるのがやっと。
けど歩き続けて疲れた体とは裏腹に、心はまだそこら辺を漂ってるような、でもやっぱり疲れてるって感じだった。
おとなしく帰ろうと私はそのバスに乗った。
山間を通る路線バス。下手に電車にのって、三十分と立ちっぱなしなのよりましかなって、それだけの理由で。
バスにはおばさんおじさんの集団や、手をつなぎ合うカップル、受験を控えたって感じの学生とかいたが、二人掛けの席の半分くらいはまだ残っていた。
にわかに騒ぐバスの中で、一人だけ同じくらいの年の子がいた。
年はおそらく中学生くらい。おそらくというのは目利きに自信がなかったから。
愁いう瞳は大人びていて、雪のようにきめ細かい肌も、黒くつやのあるショートヘアも、そこらの人形よりきれいだった。私の体は、彼女の長い髪に囚われたかのように止まっていた。
動き出したバスに揺られるようにその隣に座ってしまって、間近に迫ったきれいな顔は、もはや直視するのもはばかられるくらいだった。
服装は、自分で言うのもなんだが、男みたいなラフな感じ。けどそれらはぴっちりと彼女の華奢な体躯をなぞって、触れたら壊れてしまいそうだと思った。
気まずい、というか恐れ多い。沈黙に耐えられず、あーう―とかみっともなく唸りながらどうにか声をかけてみると、年が近かったせいか、意外と話はかみ合った。
比較的おばさんおじさんの多い車内で、氷の彫刻のようにたたずむ女の子。けれども、すっと目を細めるような笑みは、少しだけ子供じみたもので。雪解けを待つ山のように、次第に緊張もほどけていった。
それから、周囲が山間だけという単調なものに代わって。少女は急に黒い瞳を潤ませ、夜に吸い込まれてしまいそうな声で切り出した。
白い羽根のこと、黒い羽根のこと。幸運は人の命の代価であること。そして、自分が死神と呼ばれる役割を負っていること……
『私には白い羽根が見える。私は、それを黒く堕とさないといけないから……』
言ったそばから、闇に連れ込まれてしまうのではないかと心配するほど弱々しく。けれども黒く大きな瞳はまっすぐ私を見つめて、嘘ではないと訴えていた。
よく見れば、肩や腕も震えていて。凍えるように顔をこわばらせていた。
けれど私は疲れていたせいもあって、ろくに考えもめぐらさず正直な感想を口にしていた。
『信じられないな』
私がぼんやりと答えた瞬間、ピクリと彼女が数ミリほど身を引いた。
二人の間のかすかなヒビ。その反応ひとつが答えだった
先ほどの笑い顔が嘘とは言わないまでも、彼女はどこかで、自分を押し殺してしまうのだろう。今の、雪に落ちる黒い影のような容姿は、そんな積み重ねの上に出来上がった副産物でしかない。
それなのに、私の言葉足らずは無意識のうちに彼女を傷つけた。あるいはようやく信頼できると思った人間が、結局うわべしか見れない人だったと思って愕然としたのかもしれない。
やば、……多分彼女が受け取った意味とは違う。と私もあせった。
とにかくフォローしないと! 考えて、結局無骨な私には都合のいい台詞は見つけられない。だからせめて、彼女に言葉を伝えようとした。
『だったら、私は灰色でいい』
どんな慰めも励ましも届きそうにない彼女の心に、伸びた私の影が少しでも届くように。
『身に余る幸せなんかいらない。私は今の平凡・平坦な生活が続けばいい――』
暗闇の中で声を消して泣く、決して強くもない女の子に私は精一杯微笑みかけた。
『だって平凡で平坦でも、こうして葵と話すことができた』
私の思いはどこまで届いただろう。
彼女は何も言わず消えて、私についていた羽根は黒くけがれたのだった。