7-4
「――ごめんなさい。本当は、桐森さんのこと、貴女に頼るつもりはなかったの」
いきなり命斗が謝罪してきて、私には理解できなかった。隣にあったはずの陽だまりはいつの間にか冷たい影に覆われて、命斗の顔も萎れてるように見えた。
「もともと矢島君とこのことで私がお節介を焼いたの……、桐森さんが一生懸命なのに、但馬君は素直に想いを受け取れなくて、もどかしくてつい背中を押したの。……けど、桐森さんの想いは彼女が制御しきれるキャパシティを超えていたわ。だんだんと矢島君の方が付き合うのがつらくなって、……ギクシャクして……けど多分私の羽根のせいで空回りしたまま関係は続いてしまった。だから、これは私の責任なの」
桐森をどうにかなだめようとしたが、逆効果だった。だんだんと友人にも当たるようになって、終いには関係のない生徒を襲って、生徒会として動くしかなかった。と命斗はとぼとぼと言う。
「……それで、なんで謝るんだ?」
私は話が見えなくて口を挟む。率直な疑問に、命斗は少し間をおいた。
「桐森さんが昔のあなたによく似てるような気がしたから」
白いコートの上から腕を押さえ、体の震え手に耐えるようにして唇を上げる。けどはかなさが増すばかりで、私は命斗の顔を見ないよう包帯の結び目に視線を合わせた。
命斗が思い浮かべてるのは、入学当時の私だろうか……それとも、もう少し前、オープンスクールで会った私だろうか。……どちらにしろ、あまり思い出したくもない光景、かな。
半年前までの私は、確かに桐森と同じ、追い詰められた眼をしていた。周囲を拒絶することでしか自分が保てず、目に見える全てに絶望したように瞳から光を消していた。
けど今更だ、と半年後の私は呆れたふうに息を吐いた。
「私はてっきり、ここ最近の顛末は全部お前の差し金だと思ってたんだがな」
先日の『そのうち笹本さんにもお願いするかもしれない』や、今日の呼び出し、『クロハネ』の現場に都合よく命斗がいたこと。その全てが、私には一本の線でつながっているように気がしたのだ。放課後気乗りしなかったのも、葵のことで直面したくない『クロハネ』への対処がついに私に回って来たのかと思ったからだ。西貴が出てきたことさえ、命斗がけしかけたのではないかとさえ考えていた。
挑発するように上目を向けたのに、命斗は頭を振って答えた。
「ふふ、そんなに私を買いかぶらないで」
いつも妙に自信過剰なこいつが凹んでいると……かなり調子が狂う。私が二の句をためらってるうちに命との独白は続いた。
「私は桐森さんを直前で止めるのが精いっぱいだったわ。本人は知らないとはいえ、私が後押しして、そのうえ最近は積極的に話を聞かせてもらってたのに、彼女が見知らぬ人に逆恨みして、襲いかかるほど追い詰められていたなんて……、完全に私の想像力不足が招いた結果だわ。せめて彼女がさらに追い込まれないよう『クロハネ』って噂にして、久那辺さん、えっと、桐森さんに襲われた子ね、……あの子にも口外しないでほしいって、お願いしたの。生徒会の方で対処するからって……その結果、黒羽さんや貴女にまで迷惑かけたわ。ごめんなさい」
自分の羽根をつけた子が、いつまでも幻想にしがみついたばかりに不運に見舞われる。命斗はそんな自業自得まで責任を持とうとする。自分の安易な好意のせいで、桐森が、それに葵が傷つくことを快しとできない。
なるほど、誰より生徒の平穏を望む命斗らしい。私が陽子の羽根を掠め取った日、自分の無力を悔やんでいたのは命斗も同じだったのかもしれないな。
「けど、……そうね。もしかしたら、始めから笹本さんに頼んでおけば、もっと早く、それにもっと穏便に済んでたのかもしれない」
命斗は方のコリをほぐすように背を伸ばして、そのまま倒れ込むように後ろ手をベッドに下ろした。
それでも命斗は凛と背筋を伸ばしたままで、強い意志を込めた瞳で前を見据えていた。
この話はもう終わり、と言外に伝えるように、命斗は眼鏡と髪留めを外した。
「それこそ、買いかぶりすぎだ」
だから、私もいつもみたいに溜め息を漏らした。命斗は「そうかしら?」と唇の端をあげる。
「あの時矢島君が最後の一歩の踏み出したのは誰のおかげかしらね? ……ま、あなたが謙遜するならそういうことにしとこうかしら。あ、いいこと思いついたわ。とりあえずこっちは明日までに……それで笹本さん、今日の放課後言えなかったんだけど」
「何も聞いてない、何も聞こえない」
私は、いつまでも包帯の巻き目を確認しながら不穏な単語から目を逸らした。……それくらいはいいだろ。と桐森に言った言葉は早くも棚上げした。
命斗はしばらく妄想に没頭して。私に聞かせるかのようにぶつぶつ独り言を続けた後、家まで送ると立ち上がった。
「いや、お前の家の方が遠いだろ? 私の方はいいから、気にせず帰ればいいよ」
「あら、そう? じゃあ駅まで行きましょうか」
……なぜか、私が送る側になった。
駅までの少しの道。
ネオンの光でにぎやかな中央通りは何となく避けて、薄暗い路地を二人並んで歩く。
冷たくなった風が、車が通るたびに頬を刺し、そのたびに命斗はコートに顔をうずめていた。それからまた、明るい声で去年の体育祭や文化祭のことを話し始める。
私は相槌を打つばかりだったけど、肌を刺す冷たさがあまり苦ではなかった。
駅の明かりが中央通まで照らし、自分の影がどこまでも後ろに長く。後ろ髪を引かれるように、帰り道を急ぐ雑踏に目をこらす私に命斗が声をかけた。
「また明日、学校で」
天照のように笑いかけられ、私の中のもやもやまで晴れた気がした。
「ああ、明日は仮病で休みます」
軽口も叩けるくらいには、わだかまりは収まっていた。
クロハネの一件落着
あと2回くらい続きます