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暗がりでもはっきりとわかるほど、驚愕し、わなわなと唇を揺らす。私は最後に辛辣な言葉を投げた。
「私が背負うのは醜い過去の私だけだ。お前は、自分の気持ちから、逃げるべきではなかったんだ。純真な部分も、醜悪な部分も抱えて、お前は前を向いてなきゃいけなかったんだっ」
「うるさい!! 全部全部全部、お前のせいなんでしょう! 自分のことを棚にあげて、えらそうにお説教しないでっ」
まとわりつく想いと振り落とすように、女は髪を乱して体をくねらせる。
「お前が、責任、……とってよ」
追い詰められ、許しを高揚に濡れた目で女は見ていた。すっと腰を落とした。
「お前なんて死ねばいいのよ!」
先までとは違い、今度は――狙いを定めてくる。
「そうかもな」
白い刃を向けられてるというのに、私は情けない顔で笑っていた。
「アキ……?」
葵をかばってやれるほど私は体力にも動体視力にも自信はない。……護身術は姉のせいでみっちりしみついてるが、暗闇でまともに使えるとは思えない。
だったら。私は左手を盾にするように構える。痛そうだなと、心終えそうになりながら、静かに覚悟を決める。相手の出方だけに集中する。
女の細い体が、一歩踏み出そうとした。その瞬間。
部屋の中がパッと明るくなって、後ろから誰かが手を打ち鳴らした。
「その辺にしてくれないかしら? 桐森さん。これ以上は、さすがに生徒会でもかばいきれないから」
物腰柔らかく、けれど芯の通った声。睨み合う場に不釣合いな、優雅で、自信ではなく自負からくる凛とした響きに、私も桐森と呼ばれた女もしばらく目を点にした。
かつかつと、靴音が聞こえそうなほど確かな足取りで、そいつは私と桐森の間に立ちふさがった。
雄々しい真白の翼が私をかばうように広がる。ふわりと甘い匂いが鼻腔をつき、尾を引く亜麻色の髪が悠然とたなびく。
「笹本さん、ご協力ありがと。……ここからは生徒会長である私が請け負います」
再び目を焼くような後光をまとった命斗が肩越しに笑いかけていた。
やわらかそうな長髪を簡単に束ねて、下半分がフレームのダテ眼鏡をかけて。寒いのかブレザーの上に白いコートまで羽織っている。闇を裂いた純白が、こいつにはぴったりだなと、私は茫然としていた。
「会、ちょう……?」
桐森の瞳に迷いがちらつく。こちらに向けられたカッターの刃が細かく揺れていた。
「どう、して……どうして会長まで、私の……邪魔、を」
わなわなと震える唇が、信じられないと訴えかける。私たちを罵倒し尽くした威勢が、見る見るうちに崩れて形を失っていく。
「会長まで、私をあざ笑ってた……の……? 相談ならいつでも乗るって、この前も、今日だってっ! 親身になって私の話を聞いてくれたのに、あれも、小馬鹿にしてたっていうの!」
桐森の悲痛な叫びが空しく響く。命斗は痛ましげに目の端を下げながら、誤解だと淡く笑みかけたようだった。
「いいえ、……それらを踏まえて、彼に来てもらったの。……入ってきて?」
濡れた声が、私たちの後ろにいる誰かにかけられる。間をおかず、消沈した男の声が入ってきた。
「ああ。迷惑掛けたな、白為。それと……そっちの子もな」
「――っ!!」
私の背後に現れた足音に、桐森が暗闇でも判るほど驚愕した。足音は一途にと近づいてきて、やがて私や葵、命斗さえも過ぎ去って桐森の前に立った。
浅黒く焼けた首筋、肩甲骨が張り出したたくましい背中。見たことない人だった。
「アキっ、……どうし、て……」
「おいおい。さっきまでは何で俺がいなんだって、可愛らしく叫んでたのに、それはないだろうよ」
アキと呼ばれたその人は、口調こそ昼間のように飄々としていたが、声は窓の外と同じくらい暗かった。桐森も焦りの色を濃くした。桐森が信じられないものを見るような目で、一歩二歩とあとずさる。
「――、ちがっ、ちがうの……私はっ、ただアキに振り向いてほしくて」
「…………」
たどたどしく身をくねらせる桐森に対して、その人は、そっと手を伸ばした。剥き出しのカッターナイフの刃を握りしめ、『うぐ』と痛みをこらえる。赤い血がやけに滑らかに手首に伝っていく。
「っ――アキ、」
「悪かった」
声の低い謝罪に、桐森は息を詰まらせる。今にも泣き出しそうな顔で、その人の顔と、止め通り泣く流れてく血を交互に見つめる。けど、その人はへらへらと笑うように、桐森からカッターナイフを取り上げて、床に捨てた。
「アキ、手っ」
「はは、んな泣きそうな顔すんな。大したことはない。俺ピッチャーでもないしな。それよか……、お前の方だ。俺が言えないばかりに負わせちまったお前の傷の方が、重症だ。ほんとに悪いと思ってる」
アキ……多分矢島アキは少しだけ声色の和らげて、それから命斗の方を一瞥した。
「白為、悪いが……」
「ええ、どうぞ。私はもとより部外者ですから? 二人の間に割って入るつもりは一切ありません。それに男のやせ我慢に付き合うくらいには寛容だと思うわよ?」
からかうような命斗の視線を、矢島先輩は苦い顔で受け止めて。小さく「悪いな」と謝ると桐森の手をとって半ば強引に引っ張っていった。
両目ともにまるくして、足元もおぼつかない桐森。そんな少女に戻った彼女を、矢島先輩の角ばった大きな手がしっかり握ってるのが、二人が脇を通り過ぎる時に見えた。
二人が廊下の影に消えるのを見送って。
「はあ、これで一つやっかみ事も終わりね。本当に、これから忙しく――」
足がぐらついて、命斗の小言も白くぼやけた視界の向こうに聞こえた。
「アキ!?」「笹本さんっ!?」
膝から崩れた私は、上から下からと、命斗と葵に支えられていて。どうにか倒れなったものの、二人はまるで死体でも見たかのように青ざめた顔をしていた。
「はは、緊張が解けたら、なんか一気に疲れが……」
6章完!