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灰羽  作者: 学無
第六章
27/36

6-4

私は彼女の表情を見て、肩をはねあげ思わずあとずさる。けど地面が柔らかくて、足を取られて態勢を崩した。視線を落とすと、細切れになった何かがちらかっていた。白く薄いものがあれば、布キレのようなものもある。

 カッターの刃が、窓から差し込む光を反射する。

「もうっ、今時手紙とか私びっくりしちゃった。でも、アキくんから話があるっていうから、もう嬉しくって、私ずっと待ってたのっ! アキはいつくるのかな、まだ来ないのかなーって、髪とか袖の端とかずっと整えてね、ずっと待ってたんだよ、アキ?」

 息を呑む私を前に、待ちわびた恋人を迎えるように、彼女は弾んだ声を上げる。

 ……女は決して笑ってはいない。

 際限なく見開いた目が焦点を失ったように瞳を揺れていて、薄い唇は赤々と歪んでいる。だらりと両手をたらし、まるでカラクリ人形のような、記号的でぎこちない微笑みがゆっくりと近づいてくる。歩くたびに黒い髪が左右にゆれ、そのたびに白い光が垣間見えた。

 彼女がクロハネだと、体が理解する。怖い……私は身の危険を感じて震えた。

矢島空やじまあきはここに来ない」

 おののく私ではなく、透き通るアルトの声が彼女を迎えた。決して好意的ではない、冷たく簡素な声に、眼前の女は歩みをとめた。

 私はそれが葵の声だと気付くのに一瞬遅れた。

「――、葵っ、なにをっ」

 我に返って、慌てて口をはさんだが一歩遅い。私の声も、伸ばしかけた左手も、葵は後ろ手で制して、一歩女に近づく。

「貴女を呼び出したのは私。私が全ての原因。私が貴女の白い羽根(こうふく)を堕とした」

 葵は何を言っている……? 縮み上がった理性が追いつかない。原因は葵? 相手は誰? あれは……誰……?

 私の目の前で女から表情が暗転した。開かれていた目は閉じ、上がった口角は下がって、白い肌が闇に飲み込まれる。冷めた鉄のような、無感情な瞳が葵を見るでもなく見詰めていて……その奥の方に稲光のような怪しい瞬きが――

「私が貴女から」

 散らばった紙切れが音を立てて、強い白光が弧を描きながら葵に迫る!

「ばかっ、よけろ!」

 恐怖に縫い付けられた体は、はじかれるように動いた。

 私は踏み出すより早く上半身を投げ出し、細い肩から前側に腕を回す。それから体重を後ろに引いて、葵を倒すように無理やり引き寄せた。

 葵の体は思ってた以上に軽くて、私は抱きとめるようにして後ろに倒れた。

「――いっ」

 勢い余って床に腰を打ちつけた。女二人分を受けとめた痛みは、喉元まで込み上げて一瞬息が詰まって。空気の塊を吐き出すと、全身が心臓にでもなったかのように、ぼんやりとした熱が体を覆うように振動し始めた。

「葵っ、平気か……?」

「…………」

 葵は私の腕の中で呆然と前を見ているようだった。女の姿はどこにも見えない……。消えた……と考えるのは甘いか。私はとにかく葵の様子を確認しようと態勢を起こし――不意に鉄の臭いが鼻を掠める!

 私は身を乗り出して、やや乱暴に葵の頬や体を触っていく。ガラスのように滑り、触れた先から壊れてしまいそうな細い体だった。人形のような黒い瞳がじっと私を見つめる。

 ……、とりあえず怪我はなさそうだった。私は安心して、急に体から力が抜けていった。少し神経が鋭敏すぎたのかもしれない。

 私が溜め息をつくのに合わせるように、背後で物音が響いた。

「どこ……?」

 濡れたようなさびしい女の声が、部屋の奥から聞こえた。 

 私は荒い呼吸をとめて振り返る。目の前にある暗闇は密度を増したようで、しかし、人の気配を飲み込んだように気味悪く静かだった。

「ここはどこ……、アキは? いないっ。……だれよ? ミナコ……、サツキ、リョウ、シンナ……あいつらが、アキを奪ったの? 私とアキが付き合うのを、笑って祝福する振りしてっ、ああした方がいい、こうしたほうがいいって、私があれこれ思い悩んでるのをほくそえんで!! あざ笑って! 影から馬鹿にしたいだけでしょっっ」

 女は呪詛のように感情を振り回して、私は言葉が出なかった。まるで言葉の一つ一つが、私の体を締め上げるように、息が詰まる。

「彼が長い髪のモデルの話で盛り上がっていたから髪も伸ばした……。派手めが、好きだって言うから化粧だって毎日少しずつ勉強、して……、恥ずかしかったけどデートの時は露出の多い服を着た! 学校でだって、部活で苦悩してる彼の少しでも役に立とうと、毎日のようにお弁当を作ったり、かげながら応援したり、こっそりと励ましメールを送ったり……私はっ、彼のために何でもした! 彼が求める彼女になるために努力したっっ!! 彼だって、けなげに支える私を愛でた瞳で見つめてくれてた!! 彼が望むから! 私は、……私はっ、……」

 あふれ出す感情を、どうにか片手で覆うようにして。荒々しく吐き出す吐息は、もはや理性すら飛んでいて。

「なのにっ、アキは、どこにいるのぉぉ!!」

 絹を引き裂くような叫び声に呼応して、部屋中の空気が震えた。長い髪が、黒い翼のように広がり、完全に光を遮った。床に積もる切れ端に何度か足を取られ、幽鬼のようにゆらゆらとあちこちに体をぶつける。

 そんな危うい彼女は、急に何かに気づいたように顔を上げた。表情はつき物が取れたように明るく、けどうつろな瞳が何かを探すようにあやしく光る。

「そうか、あいつ」

 視線がまっすぐ入り口の方に向けられた。仇を見るような、血走った目。

「私に生意気言ったあの女が、アキをかくまってるんだ。そうよ……私とアキがこんなに幸せだから、疎ましく思って、私とアキを引き裂いて、私から何もかも奪ってっ」

 目の奥の光が、稲妻のような激しいものに変わる。喉がひりひりと痛み出した。

「死ねばいい……。みんな死ねばいいのよ! 何もいらない。私はアキだけでいい! 私を拒むものも、あざ笑うものも、同情してる振りして私を馬鹿にするあいつらも、死ねばいい!! 私はアキがいればいいのっっ。私とアキの中に入ってくるものは、全てっ、邪魔なのよ!! もう私たちの幸せを、邪魔しないでよ!」

 女が言葉を発するたび、胸の奥が疼く。古傷というにも新しい、鮮烈なまでに生々しい傷が、どくどくと痛み出す。内側から込み上げる息苦しさに、私は平衡感覚まで失いそうだった。

 一度壊れてしまって、何もかも拒絶するしか自分を保てない。向けられる好意にも、差しのべられる手の暖かさにも気付けずに。ただ、今にも壊れそうな自分を守るために……

「…………いや……」

 今更、自分の体が震えてることに気付いた。

 女は壊れた人形のように体を折りながら、乱暴に腕を振った。壁際の棚にぶつけても、窓枠に手を取られても、体中の骨から奇妙な音を立てても一切構うことなく。触れるもの全てを傷つけて、自分の負った傷を隠してしまおうとする。

 髪の間にのぞいた、激しい光が不気味な何かに置き換わった。

 狂い踊る黒髪は、まさしくクロハネ。……いや、そんな怪談に便乗したような生易しいものではない。もっと生々しくて、醜いっ……壊れてしまった人の姿! 腕を折られ、中身を垂れ流して、私の生をむさぼるように這い上がろうと迫る。

 ……違う。それは夢。彼女を壊したのは私じゃない! 私はっ、何も! 視線をそのままに奥歯を思い切り噛み締めた。ジワリと鉄の臭いが舌に当たる。

「全部、お前のせい。お前さえいなければ、私は、私たちはっっ!!!」

 暗闇が振動する。動け、動けよ私の足! けど無常にも、女はまっすぐ私のほうに向かって歩み寄ってくる。私は目をそらすことすら忘れていた。

「そうよ……、そうよ、そうよそうよそうヨそウヨそうよソウよ!!!」

 黄色ががった歯を剥き出しにして、獲物を見る獣のように顔の皮膚が引き破れんほどに表情を尖らせる。

「お前が壊したの……だから――」

 ひどく静かな声に、時間がやけにゆっくり流れていく。

「オ前ダケハ、許サ、ナイ!」

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