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灰羽  作者: 学無
第五章
22/36

5-3

「にし、貴……? 何で、……お前がここに?」

 私が困惑したまま口を開くと、相変わらず歯を見せて笑う西貴は、何でもないことのように話す。

「いやま、外をランニングしてっとき、下から笹本が生徒会室なんかにいるのが見えたから、何してんだって気になってさ」

「いやそうじゃなく……、部活は、部活はどうしたんだよ。それか体育祭の練習、は……? というかここ四階だろ、私はさっきまでソファーで寝てたのに、下から見えるわけが」

「バスケも練習もさぼり、つーか生徒会室って一回入ってみたかったんだ。興味あったからさ」


『何であんたは、そんな暗い顔してんのか興味あってさ』


 不意に昔の記憶がよみがえって、私は表情を濁した。

「本当に何しに」

「そーいや、あのおっさん捕まったんだってな。献金問題とか、いまいちよくわかんねえけどって親父や母さんがぼやいてた」

 私は言いかけた言葉を喉に詰まらせる。西貴に悪気はないのかもしれないが、今の私には最悪の話題だった。

「ほら、この前駅前で演説してたおっさん」

「あ、ああ……らしいな。うちも父さんがニュース見て驚いてた」

「ついてねえよな」

 うそぶく西貴は、曇る私の顔をまるで見ようともしない。窓から外の様子を眺めて、ランニング中の仲間を見つけたのか適当に手を振ったりしていた。こいつは、……二年前もこんな感じだった。自分本位というか、薄っぺらいというか。

 底が見えなくて、時々どうしようもなく怖くなる。

 そっと腕を戻した。飄々とした西貴に背を押され、たたらを踏まないように手を握りしめる。

「気づいてねえの?」

 落ち着いた声が続ける。私は「何が?」とは言わなかった。西貴がどこまで見えているか、私には判らなくて、口にした瞬間脆く崩れていくのが怖いから。

 何が……崩れるというのだろうか。

 さっきまで頬に当たっていた西日がなくなって、急に部屋の中が肌寒くなった気がした。

「はあ……、お前らってさ、見ててもどかしんだよ。しょーじき、見てらんねえっつの」

 西貴は何か諦めるように溜め息をついて、私の方を振り返った。残光がまばゆく、影になる西貴の輪郭を曖昧に浮かび上がらせていた。

 西貴の表情は、いつになく引き締まっている。つりあがった目が私だけに注がれる。

「あんた《・・・》はまた、昔みたいに閉じこもんのか?」

 感情をそぎ落とした簡素な声。西貴は睨むでも、悼むでもなく、無感動に私を見ていた。

「お前は基本冷めてるけどさ、何だかんだいって案外中心にいるんだ。歩や日野が……まあ、あいつらは露骨だけどさ……、河内かないや丈智とか他の連中もこぞって輪作って、かごめかごめってさ、お前は中心でうずくまってやがる。周囲が気になって神経尖らせてんのに、お前自身は輪に加わろうとしない。ほんとは解ってんだろ? 変わってないのはどっちなのか」

 百合香や須磨の名前まで出てきて、私は腕の下で奥歯を噛み締めた。どこまでも中立で、誰よりもゆがみ泣く私を見続ける西貴の言葉は、胸深くに突き刺さる。

「お前自身がどう思ってるかは知らんけど、お前の不器用で引っ込み思案の優しさはさ、ちゃんと周囲に届いてる。だから、誰もお前を責めたりも、せかしもしない」

 私はそうじゃないと首を振った。

「そんなんじゃあ、……ない。私は、ただ……」

 蚊の泣くような弱々しい反論は、途中で噛み潰れてしまった。私は優しくなんかない。私は弱虫なだけ。人から嫌われるのが怖くて自分から壁を作って、変化が怖いから曖昧な返事を繰り返す。

 私は、昔壊してしまったから……

 正直に打ち明けたら、西貴ならどう反応するだろう。歯を見せて冗談だと笑うか、それとも今まで見たことないくらい剣呑な顔になるか。

 どちらにしても、西貴が相手なら傷が浅いのかもしれない。そんなふうに考えてしまう自分もいて。私は震えるほど手を握り締める。

「…………判らないんだ」

 噛み締めた歯の隙間から、ようやく私はそれだけ答えた。

 羽根を黒くされたものはみんな不運に落ちる。財布落としたとか、靴の紐が切れたとか、そんな些細なものもあれば、その人の大事に至るようなものもある。あるいは、白い羽根が生んだ幸福の代償に命を落とすことだってある…………自分以外を巻き込んで。

 けど、そんなものは所詮程度の違いに過ぎない。本当に怖いのは、

「判らないんだ、……何が私で、何が私じゃないのか……」

 壊れるから怖いんじゃない。いつ《・・》壊れるか判らないから、怖いんだ。

 今までの『当たり前』は本物なのか。逆境の選挙で連勝したことが、それとも今まで献金問題が明るみにならなかったことが、あくまで白い羽根が見せた幸福なのかどうなのか。それとも自身の行いのよさだったのか。……本人でさえ判らない。

 終わりは確実に、無情にやってくる。私はまた、無意識のうちに壊してしまうんじゃないか。周囲の人を、親友を、家族を……本当になくしたくない人たちまで巻き込んで。また私だけ、日常を平然と過ごしているかもしれない。

「そんなのは、もう…………耐えられない、んだ」

「…………」

 結論だけの言葉に、西貴も押し黙る。


【 ありがとうございましたっっ!! 】


 今日の練習に感謝をする合唱が、どこか遠くから流浪してきた。

 男くさい後ろ髪を引かれるように、西貴は視線を外へと向ける。

「丈智はさ、とっつきにくいところだらけだけどよ、笹本の事は本気で心配してる。ホントは、あの日何があったのか問いただしたいのに、しない。あいつ言ってたわ、自分が不甲斐ないばっかりにまた友人を傷つけて、我を通すわけには行かない。だから自分には笹本に詰め寄る資格はない、だと。志刀や日野だって似たようなもんだ。誰かさんがあまりにも暗い顔してっから、自分の意思まで曲げて、影ではすげぇ悔しがってんの。自分は情けないってさ……。けど誰かさんは何も言わないから、俺らはできるだけ〝いつも〟を守るしかできない」

 西貴が沈み始めた空の向こうに向かって、何か一人呟いていた。……須磨が私を気遣っていてるなんて思いもしなかった。

「だからよ、判らないなんて、寂しいこと言うなって。俺らはお前がお前だから集まってんだぜ?」

 西貴は、夕陽のように弱々しくはにかんだ。

「――ちがう。ちがうんだっ! 私を、そんな出来た人間みたいに言うな!」

 私は、冷めたフリをしてるだけだ。傷つくのが嫌で、傷ついて俯く姿を見られたくなくて、片意地張ってるだけ。そうやって今にしがみついて、平凡であることがどれだけ幸福かも知らずっ、私は……私は、自分勝手に塞ぎこんでいるだけなんだ!

「葵も、陽子もっ、志刀も須磨も悪くないっ! 悪いのは、あいつらが自分を責める原因は全てっ、私なんだよ!! 私さえいなければっ」

 乱暴に振り払った左腕が、何かに収まった。細くて角ばっていて、けど力強く私の腕を受け止めたもの。

 泣きはらすように熱い目が見たのは、困惑顔で見つめる西貴だった。

「ほら、届いた……だろ?」

「あ……、…………」

 私は握りしめられた腕を振り払えなかった。はにかむ西貴の表情が、茜色の光が重なって、ひどく繊細な細工物に見えた。カッコいい……と無意識に呟いて、不意に志刀の顔がよぎった。

「少し、意地が悪かったか?」

 掴んだ腕をそっとおろしながら西貴は笑う。

「……まあけど、笹本って見た目以上に頑固っぽいからな。俺みたいな、枠ぎりぎりくらいなやつの方が気楽だろと思ってさ」

 私は今更ながら、頬を朱にして顔をそらした。な、なんなんだ、このもやもやした感覚は……。……そうか、子供みたいな癇癪を見られたからか……、多分、そうだ。それで西貴に訳の解らない八つ当たりを……

「……わ」

「と、こんなとこであやまんなよ? 俺はただ、見てらんねえから口出ししただけ。ちゅーこくはした。それ以上は突っ込むきも、背負い込む気もない。そんな面倒な役は他の誰かさんに任せるわ」

 ひらひらと手を振って、心からの謝罪に先手を打たれた。西貴を嫌味っぽく目を細めて最後だけ、中立を保ってるふりをする。

 そんなことされて、どの面下げて謝ればいいって言うんだ……。ほんと、私って駄目人間だ。周囲のやつらの心配を煽るばかりで……、お節介ばかりなんだよ、私の周りは。

「ありがと……、お前には面倒な役を買わせたな」

 だから、器用貧乏な優しさに私は礼を返した。

「たまにはいいんさ。志刀や日野は過保護すぎっから……それに」

 西貴はそこで言葉を切って、何かを期待する視線を向けてきた。無知な子供みたいに、雄飛をバックにして無邪気に微笑みかけてくる。お前がこれから何するんだと、好奇心旺盛な顔だ。私は憮然とするのを忘れず、西貴から顔をそらした。

 何をするか決まれば、あとは決意が鈍る前に行動するだけ。自分が原因だというなら、私が動かなければ何も始まらない。

 どうやら、西貴たちのことを偉そうに言えないくらいには、私は苦労性らしい。 

「そーいや、もう一つ気になることあんだよな」

 次の行動を決めた私を見て安心したのか、西貴が力を抜いた声で話しかけてきた。私も何の気なしに、「なんだ?」と先を促した。

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