5-1
放課後になっても、結局命斗からのメールには返事しなかった。文句を言っても無駄なことをこの半年で学んだ。いつものように渋々と生徒会室に出頭する。陽子や志刀が怪訝そうにしたけど、命斗の名前を出したら妙に納得していた。
「しょーじき、気が進まないな……」
どうせ体育会の準備かなんかだろうと思いながら、向かう足は重かった。
それで、いざ南棟四階の生徒会室に来てみると、
「だれも、いないじゃないか……」
はあ、と溜め息をつく。
南側と西側が窓に面する部屋は、傾き始めた日によって光が満ちていた。入口そばの受付みたいな長い机の上に閉じたノートパソコンがあるだけで、向かって左側に広がる空間にも久しく人のいた気配がない。奥にある命斗の机も、手前の低いテーブルや向かい合うソファーも淡く黄金色に染まっていた。
それらに目を細めてから、私はスカートのポケットから携帯を取り出した。几帳面な命斗のこと、きっと何か事情があるなら連絡もしてるだろうと思ったからだ。
「……あった、……し」
受信時刻と今の時間を見て愕然とする。メールが来たのは十分前で、完全な無駄骨という訳だ。私はソファーに腰かけながらメールを開き、そのまま横に倒れこむ。
「都合が悪くなったので、生徒会の手伝いはまた今度頼みます……、ね……、だったら最初から呼ぶなっつーの」
私は携帯をぶら下げるように腕で顔を覆った。
「まぶし……」
西から差し込む陽光に照らされて、チリが目の前でちらちらと揺れる。それが私の内側にうごめくものまで、洗い流してくれてるような感じがして、どうせならこのまま霧散してしまえばいいのにと投げやりなことを想った。
「何やってんだろ……、いや……何もしてないのか…………サイテー」
ぼやけていく視界の中、私は少し自虐的になった。
自分で見たものしか信じないとか、他人の趣向を認めるとか。適当なことを自負して、私はまた見えてるものから逃げている。夜の学校で見た黒い羽からも、須磨からも、『クロハネ』からも、祭に向けてはしゃぐ日常からも。
目の前に広がるものに、私はただ手を伸ばす勇気すらもてないでいた。伸ばして触れることでそれが壊れてしまうとか、曖昧な恐怖を言い訳にして身をすくませている。
「志刀のこと、……いえない、なぁ……」
ははと弱々しく笑う口からこぼれたのは、志刀の名前だった。
私を送っていった夜、あいつは悪いのは自分だと言った。自分がよかれと思って提案して、実際にやったのが間違っていた、とあいつは謝ってきた。私が何を思って、傷ついたかも聞かないで。言わない私を責めるではなくて、言えない私を許容してくれた。
それで、次の日にはけろっとしていた。私が変なふうに考え込まないよう……陽子のように、志刀もまたしたたかで、優しすぎる。
だから私は志刀や陽子に甘えて、今にしがみついている。知らないフリを続けていた。
「さいてー、だ」
陽子の気遣いも、須磨のよそよそしさも多分、――いや絶対私が招いたことだ。だから、私がまず歩きださなきゃ、何も終わらないし、始まらない。
そこまで自覚していて、私はしばらく無気力のままソファーに寝そべっていた。
視界が濡れたようにぼやけて、意識も次第に薄れていく。
見えてきたのはいつかのバスの光景だった。わいわいとした老人たちの集団、二人だけの世界に落ちるカップル、子供の寝顔に目を細める母親……。秋の紅葉のような柔らかな旅の終わり。隣に座っていた少女が無言でいなくなり、そしてその後は――
「……ん…………」
何度か寝返りして落ちそうになったころ、私を包む日が遮られた感じがして、その続きを打ち切られた。うすぼけた視界に、だんだんと部屋の光景が戻ってくる。目の前に大きな人影があった。
「誰か、……命斗でも、……戻ってきた……?」
大きな影は私の声に体ごと振り返る。
「お、起きた――な。―っ、――長補佐っ。んなとこでサボっててもいいのかよ?」
飄々とした男子の声がはっきりと聞こえるまで、数秒かかった。ニヤニヤとした雰囲気が醸し出された声は、けれど鼻に付くという感じではなく、今の楽しんでるという明るさに満ちたものだ。
腕を少しどけ、日の光に焼かれながらも目を凝らす。
「にし、貴……? 何で、……お前がここに?」
その先には――すらりと背が高い影に浮かぶ、はにかんだ顔と芝生のような短髪がいた。