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灰羽  作者: 学無
第一章
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1-1

 私は変化の乏しい、退屈なくらいの日常がわりと好きだった。今も……好き。

 幸運なんて自分には不相応だと思うし、そのせいで不運に落ちるというなら、私は波風立たない事に越したことはない。

 決して高みを目指さず、ゆえに地に落ちることもない。

 高校に進学してから早半年が過ぎた。進学したのは三流公立。いけるとこなんて腐るほどあったし、ここを受けるくらいなら県外を受験して玉砕する。そんな考えが主流だったらしい。

 例えば駅一つ分東に行けば、制服がかわいいと人気の高校があった。……女子高だが。

 私はここでいい。ここには私の居場所を作ってくれた人がいた。そしていつまでもそばで支えてくれる。おかげで少しは事故の記憶が薄れている気がした。

 不器用で何もできない自分を、私は今でも疎ましい。

 けど入学してすぐ生徒会長に捕まって、悲観的になってる暇がなかったし。教室で露骨に避けられることもなくて、雰囲気になじむよう促してくれる存在もできていった。

 どうも……私の周りにはお節介が集まってくるようだ。

 朝も早い廊下は人の気配が薄い。けれど香る秋に誘われて、時々生徒たちがクスクス笑っていた。

 澄んだ陽だまりの中を一人廊下を歩いていると、いきなり後ろから押された。

「うおっ」

「おっはよ、アキ」

 はつらつとした声は容赦なく私の態勢を崩す。変な悲鳴と、声高らかに笑ってもいた。

 私は仏頂面で振り返る。そこには朝日よりまばゆい笑顔があった。

 猫のようなまん丸い目、ニカっと笑みを浮かべる口元。肩口でそろえた髪は後ろでまとめ、ピンかなにかで上向きに留めていた。彼女の名前が現したような爽快な表情をしてる。

「陽子、朝から元気だな……」

 げんなりとする私とは逆に、そいつは弾んだ声を上げる。

「だって、朝からアキにあえたからっ」

 と、陽子は表情をほころばせ腕を絡めてくる……て、胸が当たってるから。

 飽きない幼馴染を見て溜め息。それから思い出したようにあくび。

 本名は日野陽子ひのようこ。小学校からの付き合いで、高校もさも当然のように同じだった。

 中学の時、周囲の暖かさを拒絶した私を、それでも見捨てなかった親友。自分が罵倒され傷つくのも省みず、いつも私をそばで支えてくれた。私の事をどこまでも一途に思ってくれる、今でも大切な存在だ。

 陽子がいつもそばにいてくれることが嬉しくて、だからこそ素直になれなくて。

 私は指で目元を拭って、振り向きざまに羽根を掠めとる。

「ん? アキ、どこ行くの? 教室逆だよ?」

「ちょっと、顔洗ってくる」

 怪訝そうに呼び止める陽子に、私はあくびの余韻を残した声で返した。

「そっか」

 ひらひら振った手を引っ込めて。握り締めて目を隠し、

「んじゃ、美顔をよりひきしめてきんしゃい!」

 意地悪っぽく送り出す陽子に、聞かれないようにごめんとつぶやいた。

 焦げたように変色する羽根を握りつぶす。人肉を焼いたような、嫌な臭いが鼻をついて離れない。

 陽子は何もなかったかのように教室に入っていった。



 昔、私がまだ小学四年生の頃、父さんの書斎で見つけた本があった。

 人には三種類いて、それぞれ死神、天使、羽なしと仮に呼ぶ。

 筆者によれば人の吉凶には周期があるのだと。それらをつかさどるのは、人間が生まれ持っているエネルギーだ。つまるところ、幸運は身を削って生み出すもの。

 やけに宗教的な言葉が並んでて、数行読むごとに目を回していた。

 確かあの時、頭痛と知恵熱で半日寝込んだんだったっけ……。そしたら母さんに、

『アキは体が弱いんだから、無理するんだったら事前にお母さんに言ってっ』

 とか無茶を言われた気がする。

 結局、あの本に何がかかれてたなんて覚えてない。学術的だった気がするけど、著者が何を訴えたかったのか知らない。

 天使は白い羽を片方に持ち、気まぐれに幸運を呼ぶ。

 死神は黒い羽を片方に持ち、幸福すぎる人に不運を呼ぶ。

 羽なしは羽をもたないただの人間。

 そして天使や死神が関わった羽なしには印がつけられる。

 天使が落とす、幸せの白い羽根。死神が汚す、負に落ちる黒い羽根。

 白い羽根はその人に些細な幸福を呼ぶけれど、それは長く続くことはない。幸福が続いてしまえばその人は死に近づいてしまうから。

 そして私は知ってしまった。あの日、死を覚悟した私が生き残った代償。

 不運の前には幸福がある。私にとってそれは変わらず続く日常だったというわけだ。心のそこから望み、無意識のうちに自分の命を削って幸運にしがみついてた。

 白い羽根は小さな幸福を運んでいく。

 黒い羽根が人を不運に突き落とす。

 だったら、今の幸せは果たして、〝ホンモノ〟なのだろうか。



「――さん、ちょ――」

 夢から覚めるよう前のように、ぼんやりとした女の声が聞こえた。女の声は徐々に近づいてきてる……、けど私は、ずっと手を擦り合わせていた。

「笹本さん!」

「――!」

 耳元で叫ぶ声に、はっとなって手を止めた。

 女の声は明らかに、呆れたように頭を抱えていた。

「笹本さん……、あなた、何でこんな気持ちのいい朝から、親の敵のような険しい顔で手を洗ってるの?」

 蛇口から噴き出す水が私の両手を包んでる。冬の立とうとするこの時期、けど水の冷たさは感じない。頭もぼんやりとしてて、特に左手の感覚がなかった。

「……ぃっ……」

 じわりと熱さが皮膚を伝う。見れば肉が剥き出したように、左手が赤々と腫れていた。

 何やってんだ、私……。確か顔を洗おうと洗い場に来て、蛇口をひねって。それで……

 隣で大きい溜め息が聞こえた。

「なにやっての……、ほんと。人が少なかったのが幸いね。声かけるのが私じゃあなかったら、完全に通報されていたわよ」

「あ……、ああ、悪い」

 私はおもむろに蛇口を捻って顔を上げた。

 予想通りの顔が出迎えた。花が恥らうどころか、こうべを下げて敬ってしまうほどの顔が、今は疲れたふうに呆れている。けれどそれは、雲間の月明かりのようにみるものが吸い込まれるものだった。

 細く整った眉にすっと通る鼻、薄く膨らむ唇。起伏に富んだ体のラインを、紺のブレザーと波打つレンガ色の髪が縁取る。

 そして何より。彼女の背後には淡い朝日を吸い込みまばゆく光り輝く――真白の片翼。それは霞に映る幻影のようで、目を細める間に視界から消えてしまった。

「冷やした方がいいんじゃないの?」

『何があった』と訊くのではなく、私の手のことを気遣う。些細な気遣いが少しだけ嬉しかった。

「水だろうが空気だろうが、これじゃあ染みるだけだろ。だったら水がもったいない」

「まあ、そうかもね」

 私は左手に刺激しないようシャツで拭ってから、命斗に向き合った。少し布が当たるだけでも、じくじくと内側へと痛みが染みこんでくる。

「それにしても……、朝からお勤めご苦労なことだな、命斗」

「ええ……」

 労いの声に命斗は歯切れ悪く答えた。朝から巡回してることから、どうせまた生徒間の問題だろう。ろくでもないことだろうと考えていたが、反応を見て確信した。

 もうすぐ秋も深まって、いろいろ行事が立て込しな。

 この白為命斗しらいめいとはこの学校の生徒会長で、教師にも生徒にも支持されている。

 特に、『美』であるとか『秀』を使った熟語は全てこいつを指す、といって過言ではなく、嫌味なほど欠点がない。各方面に秀でていて、物腰も柔らかで。分け隔てなくて……それが鼻に付かなくて。男女ともに好かれる美少女も珍しい。

「どうして、お前がこの高校にいるのか。いまだに訳が分からん」

「あら、そんなことどうでもいいでしょ?」

 私の呟きに気を悪くするそぶりもなく、命斗は胸に手を当てそっと目を閉じた。

 うっすらと目を開きこんなことを言う。まばゆい光を自ら発すように、どこまでも優しく、吐息に舞う羽根のように軽く。

「私がここで会長をしいてたから、あなたに会うことができた……その偶然に、私は感謝してるもの」

 そして、恥じらいに頬を染めながら笑みを深くするのだ。

 思わず見とれてしまった。嫉妬や劣情も放り出して、陽光をまとう彼女の微笑みに引き込まれていく。

 ――っ。こいつは~~、……はぁあ。左手で顔を覆って、ようやく命斗から視線をはずす。

「お前は、その不自覚に誤解を振りまく癖をどうにかしてくれ。……私をたぶらかしたって何もでてこないからな」

 険しい目で睨むと、透き通る指を口元にあてて、小さく笑う。

「あら、ざんねん」

 ころころと笑ってるとこを見ると、少しは年が近く感じられた。

「でも、……そうね」

 命斗の声からおふざけが消える。

 目じりや口元に疲れが滲み出し、らしくない弱音が命斗の口からこぼれる。

「今はまだたいした問題じゃないけど、そのうち笹本さんにもお願いするかもしれない」

 ブレザーの懐からケース取り出し、中の眼鏡をかけながら歩き出す。

「そのときは頼りにしてるから、左手お大事にね?」

 手折られた花のようにしおらかに微笑んで、すっと脇を通り過ぎた。

 私が振りかえる頃には、髪を一つにまとめて気合を入れた後姿があった。まばらな人通りにも、一人一人笑顔で挨拶していく。

「だから、……何で私にふるんだ、っつの……」

 強めの溜め息が左手を直撃して――、

「いっつぅぅ――――」

 痛みが神経にまでとどいて、私はその場で悶絶した。

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