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結局『クロハネ』の手がかりはなかったが、用もない生徒がどうして〝第三〟の周囲をうろついているのか。……理由がない。志刀や西貴によれば、『クロハネ』の影響か、放課後遅くまで残る生徒も少なくなってるらしいしな。
「『クロハネ』は本当に、葵……だったのかな……?」
違うというのは簡単だ。私が見たのは羽のような何かだったから。
けど、本当に葵だとして、私に何ができるわけでもない。志刀は私ならどうにかなるような言い草だったが……それは買いかぶりすぎというものだ。
一人膝を抱えて、思考は堂々巡りし始める。病的な白い顔、黒い羽のような髪、命斗が関わってるという事実……それにふと耳にした噂。
「……ん? けど、最近は葵がどうのって話を聞かないな」
そこまできて違和感に気がついた。そもそも私は須磨たちに付き合ったのは、葵がこの件に関わってる、という懸念を晴らしたかったからじゃないのか? 今日小耳にはさんだのも、結局のところ葵が体育祭に参加してくれるかどうか、だった。
「だったら、……これでよかった、のか……?」
確かに須磨の様子が気がかりだったが、きっかけに過ぎない気がする。
私は葵が『クロハネ』じゃない確信が欲しいかっただけ。そして、実際にも葵が『クロハネ』だと卑下する生徒は見かけない。なら、私は心配するようなことは何も……私が首突っ込むことは何もない。
『私には白い羽根が見える。私は、それを黒く堕とさないといけないから……』
けどなぜか、二年前の葵の顔がよみがえる。
「なにがどうなってるんだ……」
自分の気持ちが解らない。『クロハネ』は実在して、須磨の知り合いを襲った。先日見かけた葵は半年前声をかけたときのまま、凛とした背筋で一人影を背負っているように見えた。周囲を突き放して、けど私の知る葵は他人を傷つけるようなやつじゃない。だというのに、私は葵が『クロハネ』でないと確証を持てない。
それが……許せないのか……?
考えれば考えるほど、こんがらがる思考の中、私は一人の男子が目にとまった。
「……須磨は、何か分かったのかな」
リレーの練習をしている須磨は、冷めきった目で前の走者を見据えていた。
あいつは、知り合いを『クロハネ』に襲われて、それを防げなかった責任を取りたがっているらしかった。
けど須磨は、数日前からずっと大人しかった。私が何が見たのか、あるいは何かあったか問い詰めるでもなく、自分で調べてるそぶりもない。それどころか私に不遜な態度を表すことすらなくなった。宿題とか、授業中の質問に対する答えとか、それこそ毎日のように言われた嫌味もぱったりとやんでる。
教室には平然といて、私との距離だけが二ヶ月くらい逆戻った感じだった。須磨の変化だけが、当たり前になった日常の中で唯一違う……わけ、……でもないか。
「……自分勝手だな、私」
その、嫌味ったらしいほどの須磨がおとなしくなった原因も、自分が靄も感じている原因も結局は――
と考え込んでいるうちに、須磨の元へ志刀は歩み寄っていった。眼鏡をかけなおす須磨に、志刀が何か話しかけ、須磨が神妙に頷く――と、
「アキ、やっぱり顔色悪いよ。それも最近、ずっと……。具合、悪いなら、……保健室行こ?」
目の前に陽子の顔が現れて、私は慌てて俯いた。もう遅いとは思ったが、陽子には暗い表情は見られたくて、両手で表情を揉んで顔を上げる。
「ううん。一人体を動かしてないから少し寒いだけ。……だから、平気。だいたい陽子は心配しすぎなんだって」
「それはアキは、自分を大事にしなさすぎ……まあ、今更だけど」
陽子は溜め息をつく。ちょうど今来たところなのか、頬が上気していて、額や首筋には汗が浮かんでいる。息も少し上がっていた。
眉間に皺を寄せているのは、しかし、疲労感が原因じゃないだろう。
「疲れたぁ、私もアキみたくサボってようかな」
陽子はわざとらしく愚痴って、勢い付けて私の横に――というよりも、半分くらい私を押しのけて座った。
「……ちょ、あのなぁ陽子。私を見学にしたのはいったい誰だよ?」
頭をおさえる私をよそに、陽子は寄り添うように肩に頬を乗せてきた。目まで閉じて、早くも吐息を細くし始める。練習で汗ばむ陽子の体は熱くて、ずっしりとした存在感が肩からのしかかっていた。
汗で黒の濃くなった前髪が風にちらちら揺れ、すっと目を閉じた表情をより健やかで。私はそんな陽子を見て何も言えなくなって、代わりに溜め息をついた。
「聞く耳は持たないですか…………、まったく……」
寝呆けてるはずの隣がかすかに反応する。私は結滞だと思いながら、気付かないフリをした。
何も訊かず、何も言わず。だけど離れたりしない、と陽子は私に寄り添ったままだった。それがとてもありがたくて、どうしようもなく後ろめたかった。
「……ありがと」
だからふがいなさを謝る代わりに、感謝の気持ちを呟いて目をつぶった。
更衣室で着替えて、少し急ぎ足ながら教室に向かう。
「あっつ~~、結構きついんですけど」
「アツコは飛ばしすぎ、あんなの適当にならしとけば、後は男子がやってくれるのに」
「そうそうっ、西貴くんとか村上くんとかカッコ良かった~、もう、何ていうの、額に汗かく姿が、きゃ~~」
「はいはい、熱いしだるいんだから。テンション無駄にあげんなー、うざい」
雑談に花を咲かせる女子に中。ふとスカートが揺れてると陽子が指摘した。
「アキ、携帯なってるんじゃない?」
「え、……ああ、うん」
言われて気づいて、今だに慣れない手つきで携帯を開く。
送り主は、……命斗だった。
「あれ、会長のメアドなんていつ手に入れたの?」
「ああ……、うっかり携帯を持ってることがばれたときにな、……嬉々として勝手に入れられた」
すご。とか、うらやましい。とかいう黄色い声が聞こえる中、私は眉を寄せた。
命斗が私を呼びつける時は、大抵用事を押しつけてくる。今の時期なら体育祭、文化祭関係だろうが、頭の中には先日の命斗の疲れた笑みと、夜の闇の中に見た黒い羽……『そのうちお願いするかも』という不吉な言葉が心臓を締め付ける。
いざメールを開き、……眉間のしわが三センチくらい深くなった気がした。
『先日発見された大量の寝袋について』
という文で始まるメールは、ダラダラとした報告書がつづられていた。早朝大量の寝袋がグランドに捨ててあっって、どう対処したかというもの。パソコンで打ったものらしく、改行もデタラメだった。
「……て、何で表示が命斗になってんだ……?」
知らず呟いて……身構えていた肩から力が抜けていった。
意図の分からないメールに目が鋭くなった頃、最後の文章が目に入った。
『今日の放課後、生徒会室に来てね(>人<)』
「…………はあ?」
どこからそんな話が出て来たのかわからず、私は思わず足を止めてしまった。後ろを歩いてた子が背中にぶつかって、私は慌てて道を譲る。
「わ、悪い」
「いーよ。いっつも間をはずしてるもんね、あっきーは」
その子は髪を三つあみにしながら、あははと笑って自分の席に歩いていった。
私はいつから『あっきー』って呼ばれるように……でなく。私は目を凝らしてもう一度メールを読み直し――半分くらい読んでやめた。
「授業始めんぞ―。おらおら、何で男子どものほうが席についてないんだよ!」
教師のやる気があるようなないような声が聞こえて、遅れるようにチャイムも鳴る。
私はもやもやしたものを抱えたまま着席した。