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「ほんとに今更で……、でもまあ、こんな機会でもないと聞く機会がねえって思うんだけどさ」
志刀はやたらと歯切れが悪かった。態度は曖昧で、不透明。次の言葉を言ってしまえば私が傷つくとでも思っているのだろうか。
私の中の何かが、その暗さを増した。二人の距離が暗闇のせいでつかめない。
けど次の瞬間、その感傷が勘違いだと気付かされた。
「お前ってさ、何でそんな男口調なんだ?」
志刀は気まずそうに顔を歪めて、そんなくだらないことを聞いてきた。
私は思わず噴き出して。久方ぶりに声を出した笑いは、すがすがしく闇を晴らしていった。
「んなに笑うことかよ! お、俺は、何つうか、深い訳とかあるんじゃないかってきぃつかって、だってさ……お前、――のにさ」
「はは、悪いって」
謝りながら、目元の拭う。息を整えると、それこそ肩に背負っていたものが羽を生やして飛んでいったように思えた。
「深刻ぶって何を言うかと思ってさ……志刀には言ってなかったんだなーって。そう考えるとなんか笑えてきて、くふふ……」
もう半年は付き合いがあるというのにな。と、また笑う。私の口調の事なんて、陽子は当然として、命斗も西貴も百合香も、何なら須磨だって知ってるはずだ。
志刀が半ば本気で怒ったように睨んできて、私は視線を外しながら笑いの潮が引くのを待った。
別に愉快なものでもないが、散策にも飽きたことだし、丁度いいか。
「あまり面白いものじゃあないぞ」
そう前置きすると、目の前の顔からおふざけの色が消えた。表情を引き締めた志刀が瞳の中に映りこんで、私も笑みを苦笑の形に変えた。
「昔さ――といっても小学生の時だけどさ」
また小学生かと思って、苦笑が深くなった。今思い出しても笑えない。
それでも志刀は目に強い光を灯していて。頬を引き締めたまっすぐすぎる表情に、私の頬が不思議と緩んでいった。
「そのころさ、私は自分に向けられる『可愛い』って褒め言葉が、どうにも信じられなかったんだ」
うちにはすでに『可愛い』と呼ばれる人たちがいた。童顔で、私とさえ姉妹に見られる母と、中学の頃からドクモの勧誘やスカウトを、月に十数回は断っていた姉。
二人とも、系統が違うとはいえ非の打ち所のない美人だ。そんな人たちの身近にいて、自分の容姿に自身を持てるやつがいたらすごいと思う。
……実際私は、自分が『可愛い』なんて思えなかった。
「小学生とはいえさ、周囲の大人の反応って敏感だったんだよ。口そろえて『可愛い』なんていうけど、それってほんとに私を見てるのか、てな感じに考えてた。子供だから可愛いってってるのかとか、隣にいる姉や、いつまでも若い母さんの面影を、ありもしない私の中に見てるんじゃないかって、私は卑屈に思うようになったんだ」
ある意味、この時すでに、『自分の目に映らないもの』を信じてなかったのかもしれない。
私はまず髪を切った。背中に伸びた黒髪は、姉の小さい頃に似ていたから。
でも駄目だった。『長い髪も可愛かったのにね』と子供のいたずらを見るような目で言われた。
次に言葉遣いを変えた。クラスメイトの男子とつるむようにして、態度も性格も、ざっくりとしたものにした。もともとずぼらな私には気が楽だったが、――これも駄目。
他にもいろいろした。目つきを鋭くしたり、母が買ってくる可愛い服を全部捨てたり、見せ付けるように傷をつけたり泥だらけにしたり……ほんと子供っぽい反抗期だ。
けど、そこまで徹底すれば少しは効果もあった。
隣近所の奥様たちも、学校の先生も、『私がぐれた』とか『気が変になった』とか噂して、将来を心配するようになった。私を露骨に避けて、自分のとこの子供が同じようにならないかと陰口を漏らすようにもなった。
いつだったか、リビングのテーブルに病院の案内状が置きっぱなしになってるのを見て、私の中のむなしさはさらに深くなった。
「でも結局さ。無駄だった。私のやってたこと全部、無駄」
私は、純粋に私を見てほしかっただけ。そのせいで懐疑心が抑えきれなくなって、周囲の大人たちに反抗したってだけの、本当につまらない話。
「だってさ、そんな存在って案外近くにいるもんだ。クラスの友達や、それこそ母さんや姉さん。みんな、私が無理して自分を変えようとしても、以前と変わらなかった。またバカやってんなって、軽く笑い飛ばして。今日は何して遊ぶかなんてしゃべりあって……なんかさ、ほんと、馬鹿らしくなった」
姉さんは私が雑に切った髪を、手が掛かる子ねとぼやきながらそろえてくれた。母さんなんか、自分の娘が精神障害者扱いされたのに、『お医者さん紹介されちゃったっ』って。まるでお見合い相手でも紹介されたみたいに笑ってた。
「家族や友達は、誰も私が悪いと責めたりしなかった。勝手にやきもち焼いて、癇癪おこしてたっていうのにな。むしろ『今度は何するんだ』、って、笑いながら訊かれたよ」
本当に見かえしたかった二人の態度が変わらなくて。無理して反抗するのはもう止めた。
「だってさ、そんなことしなくたって、私を認めてくれるやつらがいるから」
無性に鼻の頭が痒くなって、照れ隠しに笑った。
つい最近まで、そんな自分の根幹にあった当たり前を忘れていた。気付かせてくれたのは、……言うまでもないことだ。
「おかげ様で、男扱いも女扱いも受けるようになって。言葉遣いや目つきの悪さも残ってこの有様。性格は……多分、素でこんなんだろうと思う。くふ、笑えるでしょ?」
私は最後に、自分に呆れるよう弱く笑った。
「笑わねえ」
けれど志刀は私を一途に見つめて、重々しい声で一蹴した。体の心からあふれるような強い光に、私は彼の精悍な顔を唖然と見つめていた。
二年前、夕焼けと暗闇の境目から連れ出した陽子の、冷たくこわばった手のように。志刀の瞳はまっすぐ私の中心をうがっていた。
その視線が――赤くなって逸れた。
「な、なんつうかさ……笑えねえよ。笹本は笹本だし。た、確かに小学生が何言っちゃってんだって思うし……、けどそんなこといったら俺なんか毎日ボール蹴ってればいいなんて、のんきなもんだったし……。だ、だから……、笹本はバカじゃあねえって言うか、可愛いだけじゃないていうか」
目の前にあったのはいつも通りの、しどろもどろな情けない顔で。相変わらず、何が言いたいのか要領は得ないのに、思いが伝わるというか。安堵が心に響いてくる。
私は今度こそ、素直に笑みを浮かべた。
「ありがと」
お、おう。と志刀はこっちも見ずに頷いていた。
細めた目に映るのは、耳まで赤くなったし志刀と、廊下の先に黒く浮かぶ――
「――悪い、志刀っ。先に行くっ」
言うより早く、私は志刀を押しのけて走り出した。