嫉妬から来る無自覚な
仕事が終わったのは、日付の変わる直後。終電を逃した斎賀有也は、安いビジネスホテルで一晩過ごした。安心して眠れる寝室さえあればよかったので、鍵だけは厳重だったところを選んだ。さっさと事務所に帰りたかった。充分な睡眠をとったら、すぐにホテルを出て始発に乗る。普段は好き勝手に生きているが、仕事の時はきちんと始業時間に仕事ができる状態になっている。それは、斎賀も彼の相棒も同じである。
(もう起きてるかな)
電車を降りて、斎賀は事務所を目指す。ただでさえ寒い季節なのにこうも風まで吹かれてはやりきれない。結構厚着したつもりなのだが、それでも冷たい風は自分をここまで責めさいなむ。北風がいくら風を強く吹かしても旅人が決して上着を手放さなかった気持ちが、今なら分かる。
ようやく事務所に到着した。さびた階段が、上っていく度にかんかんと虚しく音を響かせる。階段を上りきる途中、斎賀は見覚えのある少年とすれ違った。確か、斎賀のかつて通っていた高校に通う留学生だったか。
「おはようございます」
留学生・エミリオは流ちょうな言葉で礼儀正しく斎賀に挨拶する。斎賀は、それを「うん」と軽くあしらった。この留学生は、確かやたらと男を引っかけて寝ているとか聞いた気がしなかったか? こんな朝早くに仕事の依頼なわけがない。だとしたら、昨晩は、寝たのだろう。
「何。キミはあんなのでもいいわけ?」
「気持ちよければ何でもいいので」
エミリオはそう言って、階段を下りていく。仕事上の相棒であることに何の否定もしないが、だからといって、それ以上の関係があるわけでもない。斎賀の人間関係は、結構冷えている。
「どうでもいいけど、浩輔の体目当てであんまり出入りしないでよね。仕事に支障が出たらたまんないから」
本来、こんなことを言う義理などないのに。斎賀は思わず口走ってしまった。
鍵のかかっていないドアを開ける。すでに、東理浩輔が仕事に取りかかっていた。
「……ただいま」
「んー」
東理はパソコン画面から目を離さず返事した。
「依頼は?」
「まだない」
「ごはんは?」
「冷蔵庫」
この問答間、東理は一度も斎賀に目を向けなかった。斎賀もそれには何の不満もなく、むしろ密接な人間関係はわずらわしいとさえ思っていた。
それなのに、斎賀は落ち着かない。朝食をさっさと食べて、自分も仕事の準備に取りかかる。愛用の武器の手入れをしていたが、うまくいかなかった。
「浩輔」
「なに」
「さっき、事務所の前で、エミリオとすれ違った」
「ふーん」
「寝たの?」
「寝たよ」
「それは、依頼?」
「別に」
依頼ではないというなら、おそらくそれは東理も同意の上での交渉なんだろう。自分たちも多少大人になったとは言え、時として盛るのも否めない。東理がそういう行為に及ぶのも、理解できる。共に相棒として仕事を始めた時から、それはお互いに分かっていたはずだ。
それなのに、斎賀の心は落ち着かなかった。
「浩輔」
「今度はなに」
「たまってたの?」
「まあ、少しは」
「なんで、エミリオなの?」
「他にいないから。自慰だけじゃ足りないし」
「僕は候補外ってわけ?」
ふいに、東理のキーボードを叩く両手が、止まった。ゆったりとした動作で、目前の斎賀に初めて目を向ける。
「お前もたまってたって?」
「そうじゃない」
「じゃ、男に抱かれたい願望でもあるわけ?」
「そんなんじゃない……」
ただ、東理が自分以外の誰かと、密接な関係を持ったことに、納得ができないだけだ。東理は斎賀の所有物ではないし、斎賀もまた、東理の所有物ではない。だからこんなことを感じるのは、身勝手極まりないわけで、要するにこれは斎賀のわがままなわけで。
「眠いから寝る。お昼になったら起こして」
「はいはい」
斎賀はずかずかと寝室に踏み込んだ。
綺麗に整っているベッドに、ばふんと勢いよく沈んだ。毛布にぐるんぐるんとくるまって、眠くもないのに目を閉じる。最近、自分は何だかおかしかった。先週、同級生だった黒河ナナが事務所へ来て食事を作ってくれたことがあった。その時、自分を差し置いて二人が仲よく話していたのを見て、食欲が一気に失せた。空腹で死にそうだったはずなのに、食べたくなくなった。
(……そんなわけない)
この気持ちに心当たりがないわけではない。むしろ考え直すと、当てはまりすぎてうんざりするほどだ。
しかし、斎賀はそれを認めたくはなかった。自分は東理が大嫌いなはずなのに、その正反対の感情を抱くなんて、末代までの恥だ。少なくとも、自分からこの気持ちに折れて素直になるという恥知らずになるのはどうしても避けたかった。
(ぜったいに、認めてやるもんか)
東理は、書類を作成していたのだが、そのタイプミスが多すぎてすこし呆れた。今までは、会話しながらノーミスで書類作成などお手の物だったはずなのだが、いつの間に自分はスキルダウンしたのやら。
エミリオと寝たのは、事実である。エミリオに迫られたのもあるが、何より自分の猛った欲が斎賀に降りかかってしまうのが嫌だったのだ。
斎賀を誰の手にも汚されないようにさりげなく気配りするが、一方で斎賀を自分の手で汚して壊し尽くしたいと感じる本能があるのも確かだった。
斎賀の全てを奪って、自分なしではいられないように壊してやりたい。同時に、そうはさせないと理性が抑制する。どちらが本音なのかわからない。きっと、どちらも本音なんだろう。
(俺が必死こいて守ってることに、ユウは気づいてないんだろうなあ)
東理は、いつの間にか芽生えた本能と理性が何者なのか分かっている。ただ、それを自分から認めるのがしゃくなだけだ。
(絶対に、ユウには言ってやんない)
東理は、タイプミスを直し始めた。
「快楽の中の純愛」の別サイドのお話です。二人とも意地っ張りだとなかなか進展せず、うだうだしちゃう。東理と斎賀はそんな奴です。でも認め合ったら、結構強く繋がると思うんですよねえ。