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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。

薄情者に生まれて

作者: 暁サトル
掲載日:2026/09/14

私には、感謝という感情が備わっていないように思います。


夕方のニュースで、ノーベル医学賞を受賞した髙橋博士の訃報が報道された。

遺書のようなものは見つからなかったと報じられたが、SNSでは、髙橋博士の友人を名乗るアカウントから彼の遺書がリークされる――

第一章 訃報

 夕方のニュース番組が、ある人物の訃報を伝えていた。

 今年、ノーベル医学賞を受賞した髙橋博士。

 ニュースの画面には、ぎこちない笑顔でメダルを持つ、授賞式で撮られた髙橋博士の写真が表示されていた。


「今日、十六時頃、ノーベル医学賞受賞の髙橋博士が、自宅で首を吊って亡くなっている状態で発見されました」

「連絡がつかないことを心配した知人が自宅を訪れ、発見したということです」

「警察によりますと、遺書のようなものは見つかっていないということです」


第二章 インタビュー

 ニュースの後、髙橋博士の追悼番組が始まった。

 授賞式の映像の後、放送されたのは、授賞式後に行われた独自インタビューの映像だった。


「髙橋博士。ノーベル医学賞受賞、どんな気持ちですか」

「良かったと思います。ALSが治せる病気になったのは嬉しいです」

「ええ、本当に。沢山の人が感謝していますよ」

「……そうみたいですね」


「それでは、こちらで質問を用意しておりますので、順番にお聞きしていきたいと思います」

「はい」


「まず、一つ目。この研究を始めたきっかけというのは、どんな感じでしょうか?」

「そうですね。大学院に進学して間もない頃、ALSの患者さんにお会いして、『治せない病気だなんて残酷だ』と思ったことですかね」

「なるほど。では、その患者さんのために、ということなんですね」

「……ええ、まあ、後は、ALSに関する論文を読んだりなんかして、『これ治せるんじゃないか?』と思ったので、研究を始めました」

「なるほど。それが多くの患者さんに希望を与える研究になったと。素晴らしいです」

「いえ……」


「では、二つ目。ALSは長年治療法がありませんでした。諦めそうになったこともあったと思うのですが、研究を続けられた原動力は何だったのでしょうか?」

「そうですね……。この研究を完成させることが自分の使命だと思っていたので、それでしょうか」

「使命、ですか」

「治せそうだと思ったので、やらなきゃな、と」

「なるほど。先生は夢中になるとのめり込むタイプなんですね」

「ああ……。確かにそうかも知れません」


「三つ目行きます。受賞して一番嬉しかったことはなんでしょうか?」

「ええと、先程言ってしまったんですが、ALSが治せる病気になったことですね」

「ああ、そうでしたね(笑) 他には何かありますか?」

「ええと……」

「患者さんの笑顔が見られるとか」

「ああ、そうですね。ALSで苦しんでいる患者さんを救えるのは嬉しいです」

「ええ、ええ」

「受賞後、患者さんから感謝の手紙をいくつもいただいたので……」

「それは嬉しいですね」

「はい」


「では四つ目。受賞にあたって感謝を伝えたい方はいますか?」

「ああー……。ええと」

「ゆっくりで構いませんよ」

「はい。ええと、研究室の仲間たちでしょうか」

「長年支えてくださった皆さんですね」

「はい」

「ご家族はいかがでしょう」

「そうですね……。両親は私のことをよく『なんかよくわからん研究をしてる』と言うのですが」

「……ほう」

「えっと、それでも止めたりはされなかったので、良かったです」


「ええでは、最後に一言、なにかありましたら」

「一言……そうですね」

「はい」

「……私は皆さんが思っているような人格者ではありません」

「……と、おっしゃいますと?」

「私は薄情者なんです」

「……あ、はは、ご謙遜を」

「いえ、謙遜ではなく」

「……はあ」

「これは私が小学生の時の話なんですが」

「そ、そろそろお時間です! 髙橋博士、本日はありがとうございました!」


第三章 遺書

 追悼番組が終わり、髙橋博士の話題で持ち切りだったニュース番組も、次第に普段の内容へと戻っていった。

 そんな中、SNSにあるポストが投稿された。


〈@75278jjkfpoaefのポスト〉

 髙橋博士の友人です。第一発見者の。

 警察が来る前に取っておいた、彼が残した遺書を公開します。

 本当はダメなことだとわかっていますが、こうしないといけないと思ったので。

 そして、もうやってしまったことなので。


 ◇


 ポストには、画像が複数枚添付されていた。

 一枚目の画像は封筒が写されており、大きな字で「遺書」と書かれていた。

 二枚目以降は、手紙の内容を撮影したものだった。


 ◇


 テレビのインタビューでも言いましたが、私は皆さんが思っているような人格者ではありません。私は薄情者なんです。

 私は、研究室の仲間たちにも両親にも、感謝などしていません。

 いくつも送られてくる感謝の声も手紙も、私は鬱陶しく感じます。


 私には、感謝という感情が備わっていないように思います。


 それは、小学四年生の時に初めて気がつきました。

 新年に祖母の家を訪れたときのことです。

 祖母からお年玉をもらいました。

 私が受け取った後、すぐ母に渡して保管してもらうのが習慣だったので、私は母にお年玉のポチ袋を渡しました。

 すると父に「ありがとうはないんか」と怒りのトーンで言われました。

 私はなんのことかわからず、ぽかんとしていました。

 すると父は続けて「お前には感謝が無いねん。お年玉返せ」と怒鳴りました。

 怒った父を止めることが至難の業だということは九歳にして既にわかっていたので、私は父の言うとおりにしました。

 父は「んん……そうじゃないやろ……。もうええわ」と言って静かになりました。

 大人になって振り返って初めて、これが「ありがとう」と言うべき場面だったことに気づきました。


 感謝されることにも違和感がありました。

 廊下でハンカチを落とした同級生に、ハンカチを拾って渡したら「ありがとう」と言われました。

 私は、このままハンカチが廊下に落ちているのはおかしいと思ったから、元の位置に戻しただけでした。

 私は秩序を守っただけ。なのに感謝される意味がわかりませんでした。

 ハンカチを拾ってもらったら、私なら「ありがとう」ではなく「(お手を煩わせて)すいません」と返します。


 中学生になって、感謝について考える出来事がありました。

 私は日番日誌に「五分前行動できるように、クラスのみんなに呼びかけました」と書きました。

 後日、日誌を見ると、担任の先生が「有難う」と赤ペンでコメントを書いていたのです。

 私は「ありがとう」を漢字にすると「有難う」と書くのだと気づきました。

 そして考えました。

 「有難い」わけだから、感謝は、〝滅多にないことに対してするもの〟だと。


 これで理解できた。そう安心しましたが、その理解は私を苦しめました。

 月が変わって、席替えをした日のことです。

 新しい席になって、帰りの会でプリントが配られました。

 前から配られるプリントを後ろに渡したら、後ろの席の子に「ありがとう」と言われました。

 〝感謝は滅多にないことに対してするもの〟のはず。プリントを後ろに渡すことは滅多にないことか?

 むしろ、「有り易い」ことではないか? なのになぜ感謝される?

 この子にとって、私がプリントを後ろに渡すことは「有難い」ことなのか?

 私が行き着いた結論は「私はプリントを後ろに渡すことすらできないだろうと思われている」でした。

 それから、感謝されることが怖くなりました。

 感謝されると「お前は無能だ」と言われている気がしてなりませんでした。


 中学時代は、「ありがとう」に怯えて過ごしました。

 何が感謝されて、何が感謝されないのかもわからなかった私は、隣の席の子が消しゴムを落としたのを拾って渡してしまいました。

 そして、また「ありがとう」と言われてしまいました。

 それで、お年玉とプリントの件と併せて、〝何かを渡した時は感謝されることが多い〟と気づいた私は、何かを渡すことを避けるようになりました。

 落とし物は無視するようにしていましたし、プリントは乱雑に投げて渡すようにしていました。

 今思えば、本当に変なやつだったと思います。


 高校の合格者説明会の帰り、母と一緒にバスで帰りました。

 そして、最寄りのバス停で降りる時、母が「ありがとう~」と運転手に言いました。

 それは、何かを渡されたからではありませんでした。

 「有難い」ことでもありませんでした。運転手は仕事でバスを運転しているだけです。

 母は優しい人なので、運転手に「こんなこともできない」と思っているとは思えませんでした。

 なので、バスを降りて、家まで歩く時間に聞いてみました。

「なんで『ありがとう』ってゆうたん?」と。

 母は「何を当たり前のことを聞いているの」という顔で答えました。

「そう言う場面やったやろ」と。

 それから、私は「有難いから感謝する」のではなく、「感謝する場面だから感謝する」のだと考えるようになりました。

 おかげで、「ありがとう」に怯えることも無くなりました。


 しかし、「どういう場面が感謝する場面なのか」は、まだわかりませんでした。

 だから、高校時代は、観察に徹しました。

 人はどういう場面で「ありがとう」と言うのか。

 それは高校生活を捧げた個人的な自由研究でした。


 体育の授業で跳び箱を運ぶとき。

 一人が片方を持っていたので、私がもう片方を持ちました。

 すると、「ありがとう」。

 これは協力した時のありがとうです。


 昼休み。

 隣の席の子に消しゴムを貸したら「ありがとう」と言われました。

 これは、物を借りた時のありがとうです。


 家庭科の授業。

 ミシンの使い方を教えてもらった子が、「ありがとう」と言っていました。

 これは、教えてもらった時のありがとうです。


 遡ると、母がバスを降りるときに言った「ありがとう~」は、仕事をしてもらった時のありがとうだと分析しました。

 そして、日番で呼びかけしたことへの「ありがとう」も、同じです。

 また、プリントを渡された時とハンカチを拾ってもらった時、お年玉をもらった時の「ありがとう」は、物を受け取った時のありがとうだと分析しました。


 高校時代は、そうやって「ありがとう」が使われる場面を記録し続けました。

 詳しくは、押し入れのダンボールの中に「人はどういう場面で『ありがとう』と言うのか」と書かれたノートがあるはずなので、興味があれば読んでみてください。

 おそらく百ページは超えているので、読むのが大変かもしれませんが。


 この研究のおかげで、大学では「感謝がない」と叱られることはなくなりました。

 最初はノートを肌見放さず持っていましたが、二年生になる頃には全て頭に入っていました。

 サークルにも入れて、友人もできました。


 そして、大学四年生になり、ALSを研究している研究室に配属されました。

 そこで初めてALSの患者さんにお会いしました。

「治せない病気だなんて残酷だ」

 そう思ったのが、この研究を始めたきっかけです。

 これはテレビのインタビューでも言いましたね。

 それから、ALSの研究に没頭しました。

 大学院への進学を決めたのも、もっとこの研究を続けたいと思ったからです。

 この頃が、私が人生で一番輝いていた時だと思います。


 しかし、それも束の間でした。

 大学院の入試を受けました。

 筆記試験も無事に終わり、最後は面接でした。

 研究内容や志望理由。それらは練習通りに答えられました。

 しかし、最後に予想していなかった質問が来ました。

「人生で一番感謝したことは何ですか?」

 感謝する場面はわかる。でも、それに大小があるというのは盲点でした。

「コンビニで会計をしてもらったことです」

 咄嗟に出た答えは、どうも正解ではなかったようで。

「ほう、どういう理由で一番感謝したことなんでしょうか?」

「……仕事をしてもらったからです」

「なるほど。君は謙虚なんですね」

 面接はそれで終わりました。

 後日、合格通知が届きました。

 あの質問が合否に影響したのかはわかりません。

 ですが、「人生で一番感謝したことは?」という質問は、私の頭から離れませんでした。

 私は、「ありがとう」を言う場面は覚えました。

 ですが、「一番感謝したこと」は判断できませんでした。

 その時、ようやく気づきました。

 私は感謝がある人間を演じているだけで、本当は感謝がないのだと。


 それから、また「ありがとう」に怯える日々に戻りました。

 「ありがとう」を聞くたび、「貴方にはないでしょう。私にはあるけどね」と言われている気がしてならないのです。

 唯一、研究しているときだけが癒しでした。

 テレビのインタビューでも言いましたが、可能性を追いかけるのは楽しくて、夢中でした。

 博士課程へ進学し、研究は順調に進みました。

 論文を書き、学会で発表し、研究費もいただけるようになりました。

 そして、ALSの治療法を確立しました。


 しかし、その平穏は、ノーベル医学賞の受賞で終わりました。

 授賞式の後の会見で、ALS患者さんのご家族から感謝の言葉をもらいました。

 それが終わると、今度は感謝の手紙やメールが届くようになりました。

 普通の人ならこの上ない喜びを感じるはずです。

 でも私にとっては、ただただ恐怖でしかありませんでした。


 それから、眠れない夜が続きました。

 布団に入っても、体は眠ろうとしてくれませんでした。

 そして、もらった手紙の内容を思い出しては、自分に感謝が無いことを思い知らされる。それを繰り返していました。

 

 また、食事が喉を通らなくなりました。

 最初は好物のハンバーガーなら食べることができました。

 しかし、そのうち、それすら喉に詰まるようになりました。

 空腹でお腹が鳴っても、食欲が湧きませんでした。

 戻してしまいそうになるまで無理やり押し込んでも、お腹の音は鳴り止みませんでした。

 しまいには、歩いているだけで吐き気に襲われて、何度も立ち止まってしまうようになりました。


 毎日家に帰る度、郵便受けを無視して部屋に帰りました。

 郵便受けが手紙でいっぱいになっていることは知っていました。

 でも、受け取るのが怖かったのです。

 しかし、何週間か経つと、マンションの管理人さんが「郵便受けがいっぱいになっていますよ」と伝えに来ました。

 仕方なく郵便受けを開けて、手紙を持って帰りました。

 手紙は、両手で抱えなければならないほどありました。

 私はもう手紙を読むことができませんでした。

 読んだ手紙を入れている引き出しに、その大量の手紙をそのまましまいました。


 スマホに溜まっていたメールの通知もスワイプして全て消してしまいました。

 すると、下からチャットアプリの通知が現れました。

 メッセージは大学の友人からでした。

「お前はいつかなんかすごいこと成し遂げると思ってたけど、ノーベル賞って! すごすぎ!」

「ニュース見てびっくりしたわ! 最初、同姓同名かと思った(笑)」

「今度の日曜、お祝いに焼肉でも奢らせてよ!」

「最近お互い忙しくて会えなかったから、積もる話もあるしさ!」

 最初は断ろうかと思いましたが、久々に友人に会いたくなりました。

 友人が、聞き上手なことを思い出したからです。

 大学時代も、たくさん悩み相談を受けてくれました。


 日曜日、久しぶりに会った友人は、記憶に残っているあの頃の友人と少しも変わっていませんでした。

 私はほっとしました。

 しかし、私の方は

「お前、隈すごくね? 大丈夫か?」

 と心配されるほど、変わっていたようでした。


「とりま入ろうぜ。席はもう予約してるから」

 そう言われて、店に入りました。

 席に着くなり、友人は、タブレットで注文しながら、

「最近寝てないのか? 研究がまだ忙しいのか?」

 と聞いてきました。

「研究は一段落したんやけど……」

 話すつもりではいましたが、躊躇いました。

 話せば、友人は私を薄情者だと罵るのではないだろうか。

 でも、

「なんかあったのか。お前はいつも一人で抱え込むからな。話していいんだぞ。いつもみたいに」

 そう言われて、話すことにしました。

 注文した塩タンが届いてから、口を開きました。

「感謝されるのが……怖いねん」

 私の声は震えていました。

「感謝されるのが……?」

 冷や汗が出ました。

 やっぱり理解されないんじゃないかと。

「そう、俺、実は、感謝ってわからんくて。今までも、感謝する場面やからしてただけで。ホンマは感謝なんて全然してなくて」

「……こんなん言われても、裏切られた気分よな」

 いつの間にか涙が顎まで伝っていました。

「大丈夫、大丈夫。むしろそんな抱えてたんだな。ほら、塩タン」

 友人が焼いてくれた塩タンを口に含んで、旨味と同時に優しさを感じました。

「それで、感謝されるのが怖いってのは?」

「……なんか、『お前には無いけど、俺にはあるで』って言われてるみたいで」

「あー、そういうことか」

「ノーベル賞のせいで、ありがとう、ありがとうって、みんな」

「そうか……それは辛いな」

「俺ってやっぱ薄情モンなんかな」

 どう返してほしいのか、自分でもわかりませんでした。

 しかし、

「そんなことないよ。本当に感謝して言ってる人って意外と少ないよ。普通、普通」

 そう言われて、驚きました。

「そうなん……?」

「そうだよ。お前は考えすぎてるだけだって」

「そうなんか……」

 安心しました。

「なんか、話したら落ち着いてきたわ、ありがとう」

「うん。それでいいよ」

 それから、食べ放題の二時間いっぱい焼肉を食べて、

「またご飯行こうな」

 そう言って帰りました。


 家に帰ると、ちょうど電話が掛かってきました。

 母からでした。

「ああ、よかった。出たわ。メールの返信全然来うへんから心配しとってん」

「ああ、ごめん。メールいっぱい来とったから埋もれとったわ」

「そうか。まあ元気でよかったわ」

「まあ……」

「ニュース見たで。ノーベル賞やってな」

「うん」

「まさか聡《さとし》がノーベル賞取るなんてな。お母さん、誇らしいわ(笑)」

「そう?」

「そりゃそうよ。自分の息子やで」

「そういうもんか」

「そう。あー、久々に顔見たいわ。今度実家帰ってき」

「じゃあ……明日予定ないし、行くわ」

「そう、じゃあ明日ねー」

「はーい」

 そう言って電話を切りました。


 久々に実家に帰ると、母は私の好きなワクドナルドを人数分買ってきてくれていました。

 私はビッグワック、母はベーコンレタスバーガー、父はテリヤキバーガー。

 お決まりのメニューでした。

「今日はワクドパーティやで。お祝いやからな~。さて、テレビはなんか面白いのやっとるかな」

 母はそう言って、テレビをつけました。

「うーん、これくらいしかないな。『冷え性を治す』は気になるなあ。でもこういう気になるのって最後なんよな」

 そう言って母が変えたチャンネルでは、まだ冷え性ではなく老老介護についての特集が放送されていました。

「介護か~。俺らの介護は聡にやってもらわなな(笑)」

 父は冗談で言ったのかもしれません。

 しかし、私は、

「老人ホームでええんちゃう。お金なら俺が出せるし」

 と返してしまいました。

 それを聞いた父は、いつかのように怒りのトーンになりました。

「老人ホームなんて馬鹿にしとるやろ! 誰が育ててやったと思っとんねん! 子どもがやるんが当たり前やろ! この薄情者!」

 プロに任せたほうが良い。誰のせいで私を育てないといけなくなったと思ってるんだ。

 そこまで考えて、気づいてしまいました。

 私は当たり前ではなく、普通は、やっぱり、感謝できるものなのだと。

 私は、父の言う通り、薄情者だったのです。

「ごめん。わかった。俺がやるから」

 そう言って、その場を収めました。

 その後食べたビッグワックは、味がしませんでした。

 また食べきれなくなってしまったので、持って帰ることになりました。


 次の日の朝、残りのビッグワックを食べながらスマホを開くと、またメールの通知が溜まっていました。

 またか、と思いスワイプして消そうとした時、一番上の通知の内容が目に入りました。

「【リマインド】テレビインタビューのご依頼」

 確認すると、JHKからのインタビュー依頼でした。

 インタビューは私のことを知ってもらうためのもの。

 そう考えた時、思いつきました。

 インタビューで全て告白すれば、もう誰も私に感謝しなくなるのではないか。

 そうすれば、この苦しみから解放されるのではないか、と。


 インタビュー当日、私は全てを話そうとしました。

 しかし、その作戦は失敗しました。

 テレビは私を人格者に仕立て上げたいようでした。

 なにせ貴重な日本人ノーベル賞受賞者ですし、その気持ちもわかりました。

 じゃあ、私はどうすればいいのか。

 人格者の貴重な日本人ノーベル賞受賞者の本音が報道される方法とは。

 思いつきませんでした。

 なら、このまま何も食べれなくなって死んでいくのだろうか。

 そこで、思いついてしまいました。

 遺書ならば。


〈ツリーの最後のポスト〉

 彼を理解してあげられなかったことを悔やんでいます。

 私は彼を理解している気になっていました。

 せめて、この遺書だけは読まれてほしいです。


最終章 コメント

〈@75278jjkfpoaefのポストへのリプライ〉

 @mikan_0918

 髙橋博士、ご冥福をお祈りします。


 @rain_451

 ご冥福をお祈りします。


 @kansai_ojisan

 死なんでもええやん

 自分でここに投稿すればよかったやん


 @haru_4g

 @kansai_ojisan 髙橋博士はアカウント無いっぽいし、ネットには疎い人なんじゃない?


 @n3ko_117

 @kansai_ojisan 暴露したところで今度は薄情者扱いで叩かれるだけやろ。だから博士は死しか選べなかったんだよ。


 @yakiudon77

 ワイは元から人格者やなんて思ってなかったで


 @moka_moka2

 いや普通に父親毒親やん


 @pfqonpgqn

 @moka_moka2 いやあれくらい普通やろ。手上げてるわけでもないし。それに怒鳴るくらいせんと子どもはわからんねん。


 @ALS_family_2022

 ALS患者の家族です。

 博士がいなければ、父はもっと早く亡くなっていました。

 私たち家族は、一生博士に感謝し続けます。


 @tokumei_05

 @ALS_family_2022 だからそういう「感謝」が博士は嫌だったんだろ。遺書ちゃんと読んだか?

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