表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。

祓い屋先輩シリーズ

嵐と旅館と女子高生

作者: 千夜みぞれ

「まさか、こんなことになるなんて」


 窓に叩きつける雨音と、時おり響く雷鳴を聞きながら、私は一人、旅館の部屋で小さく呟いた。

 就職して初めての有給を取って一人旅にやって来たのに、台風が急に進路をこちらに変えてしまったせいで、この(ざま)だ。天気予報の嘘つき。


 外に出られないから、旅館に(こも)るしかない

 まあ昼御飯も美味しかったし、露天風呂にもゆっくり浸かれた。

 古いけれど(おもむき)のあるこの旅館には、どこか懐かしい温もりがあって、私はすっかり(くつろ)いではいる。

 でも、一晩でこんなにも状況が変わってしまうとは。


 まさかこれほど激しい嵐になるとは思わなかった。

 旅館の人は申し訳なさそうに、「この天気だとバスも出ないです」と言った。まあ、仕方ないか、と私も思った。思うしかないのだけれど。

 むしろ、もう一泊ゆっくりできるなら、それも悪くないかもしれない。


「ポジティブに考えよっか」


 そんな風に呟く。

 しかし夜が更けるにつれて、旅館の様子がおかしくなってきた。

 最初に気がついたのは、廊下の音だった。木造りの廊下は、歩くたびに特徴的な音を立てる。

 それなのに誰も歩いているはずのない時間でも、遠くに、誰かがゆっくりと歩いているような音が聞こえるのだ。

 風の音だろうか、と思ったけれど、窓の外の雨音の方がずっと大きい。

 雨音にかき消されるはずの足音が、やけに鮮明に聞こえるのは何故だろう。


 それから、廊下に出ると奇妙な匂いが漂ってきた。

 何かの腐敗臭のような、生臭いような、形容しがたい不快な匂い。

 耐えられないほどじゃない。でも鼻をつく。換気をしようと窓を開けても、入ってくるのは湿った空気と雨の匂いばかりで、一向に奇妙な匂いは消えない。


 そして、一番奇妙だったのは、隣の部屋の音だった。

 私の部屋の隣は空室のはずだ。チェックインの時に、そう聞いた記憶がある。なのに、夜中になると、壁の向こうから微かな音が聞こえてくる。

 最初は勘違いだと思った。けれど、それはひそひそと誰かが話しているような……。


 疲れているのかもしれない。それか、嵐のせいで神経が高ぶっているのだろう。

 私は布団を深く被って気にしないことにした。


 朝になると、昨夜の嵐が嘘のように晴れていた

 しばらくすると若女将(わかおかみ)が食事を届けてくれて、柔らかな笑顔で、「おはようございます。よく眠れましたか?」と声をかけてくれる。


「ええ、まあ……」


 曖昧に答える私に、若女将は小さく首を傾げた。


「あら、少しお顔色が優れないようですね。昨夜の嵐の音で、お疲れになられましたか?」


 どうやら他のお客も、私と同じように顔色が優れない人がちらほらといるらしい。

 若女将の言葉に、私は少しだけ安堵した。やはり私が感じたことは、特別おかしなことではなく、ただの嵐のせいだったのだろう。

 しかし、安堵と同時に、ある疑問が胸の内に広がった。


「あの、隣の部屋なんですけど……」


 私は意を決して尋ねてみた。


「昨夜、少し物音がしたような気がして」


 若女将は一瞬だけ、本当に一瞬だけ、表情を硬くしたように見えた。でも、すぐに柔らかな笑顔に戻り、こう言った。


「隣の部屋ですか? あそこは、物置として使っているんですよ。物音……もしかすると、従業員の誰かが荷物を運んでいたのかもしれません。お休みを邪魔してしまったなら、申し訳ありません」


 そう言われてしまったら、私も何も言えなかった。

 朝食を終えてチェックアウトするために廊下に出ると、他の客がいた。彼らは「昨日、窓の外で」だとか「ドアの向こうで」、と場所こそ違うが同じような音を聞いたらしい。


 私は深く気にせずにチェックアウトして、旅館の前に停まっているバスに乗り込んだ。

 すると、昨夜の寝不足もあったのだろう。揺れる車内でうとうととしてしまった。


 そしてバスが目的地にたどり着いた。


 目を覚ましてバスを降りる。

 私はまた、あの旅館の前に立っていた。


 呆然と旅館の玄関を見上げる。

 あの夜に感じた、腐敗したような、生臭い不快な匂いがする。

 今度はあの時よりもはっきりと感じられた。以前よりも濃く、ねっとりとした匂い。


「いらっしゃいませ」


 若女将の声がした。旅館の玄関には柔らかな笑顔の若女将が立っている。

 しかしその顔色はどこか土気色で、目が、やけに奥まって見えた。


「お客さま、当旅館へようこそ、どうぞこちらへ」


 それから仲居さんが部屋へと案内してくれた。

 そこは、まさしく昨晩、私が宿泊していたあの部屋の前だった。

 隣にあるのは空室で今は物置になっているという部屋。私の足はすくんだ。さすがにおかしい。


「あの、えっ、いや……私、昨日もここに泊まりませんでしたか?」


 仲居さんは私の方を見て、わずかに首を傾げた。

 何を言っているんだろう、この人。そう言いたげな感情が見えそうだった。


「デジャブだっけ、あれかな」


 私は部屋に入ってテレビをつける。

 ちょうどニュース番組の天気予報コーナーが始まった。台風が急に進路をこちらに変えて進むという、昨日も見た内容だ。


「……え」


 私は落とすように荷物を置いて、廊下に出る。

 今朝、それとも昨日なのか、私と同じように奇妙な音を聞いたと言っていた他の宿泊客たちが、青白い顔で立ち、狼狽(うろた)えているのが見えた。


「おかしい、おかしい」


 困惑している中年の女性がそう呟いている。


「どうなってんだよ、これ。ドッキリか?」


 若い男性は辺りをきょろきょろと見ていた。


 どうやら私と同じような状況に陥っている人は、他にもいたらしい。

 彼らと廊下で話していると、私も俺も、とさらに仲間が増えた。

 だからといって、この状況が変わる訳じゃない。それでもわかったこともある。


 まずスマートフォンが使えない。外部と連絡しようとしても、電波が来ないのかなんなのか、できないのだ。

 そして昨日と同じことが起こっている。

 食事はまったく同じ物だった。異変を仲居さんや若女将に告げても、変なやつでも見ているように見られるだけ。

 外に出るにも、台風の風が強まっているのでと止められてしまう。


 夜になって、私は部屋に戻ることにした。

 他の宿泊客の大半はリラクゼーションルームに集まって寝ずに朝まで待つようだ。

 部屋の窓から見える景色は前と同じで、風は強いし雨も酷い。

 すると、これも同じで隣の部屋からひそひそと話しているような音が聞こえてくる。


 でも、ようやく違うことがあった。

 壁の向こうの音が、突然激しくなったのだ。

 バン、バン、と、何かが叩きつけられるような音。暴れまわるような音がする。

 私はさすがに怖くなって廊下に出ることにした。昨日のように布団を被っただけでは眠れる気がしない。


「あ」


 扉を開けると、隣の部屋の扉も同時に開いた。

 そこから女子高生くらいの年齢の女の子が廊下に出てきて、奥へと進んでいく。


「ちょっと待って」


 私は彼女を呼び止めた。

 彼女は振り向く。


「なんですか?」


 話を聞きたかったのに、どうしてお風呂なんかにいるのか。私はさっぱりわからなかった。

 彼女が「今からお風呂行くので」、と言うのについてきた結果なんだろうけど。

 露天風呂はさすがに暴風で立ち入りが禁止されていた。浴場の方も、窓に雨と風が叩きつけられて、まるで手で叩いているような音がして不気味だ。

 そんなだからか、他に宿泊客の姿は見えない。


「怖くないの……?」


 私もお湯に浸かった。それから聞いた。

 立っているのが無防備に感じたから。まあ、お湯に包まれているからって無防備だろうけど。


「何がです」

「この旅館、おかしくて。その、出ても戻って来るというか」

「へえ」


 信じていないような声だった。

 彼女はこの世の全てを諦めたような、あるいは全てを見透かしているような、そんな目をしている。

 そんな目が出来るから、何も怖くないのかもしれない。


「早く帰らなきゃ……」

「どうして?」

「どうしてって、仕事もあるし、家族も心配するだろうし……あなただって、学校があるんじゃないの?」


 彼女は目をわずかに細めた。

 顔の半分をお湯につけて、ブクブク、と子供みたいに息を吐く。

 しばらくして彼女は立ち上がった。火照った胸の間に、奇妙なものが見える。禍々しい見た目の、木彫りの人形のようなものだ。


「変なネックレス」


 無意識に口に出してしまった。

 こけしのような、変なもの。見た目が怖い。

 私の声にちらりと視線を向けてから、彼女は何もない方を見る。私もそちらを見た。積まれた桶があるだけだ。

 

 ザバッ


 桶の辺りから、まるで何かが水に飛び込んだような音がした。すると、これまで何度か感じた、腐敗したような、生臭い不快な匂いが強まった。

 そしてサメ映画か何かのように、お湯を掻き分けて黒いものが近づいてくる。


「動かないで」


 彼女が言った。

 たとえ言われてなくても、動けない。恐怖で足が震えてる。


 びしゃびしゃ、とプールでばた足でもしているように、彼女の周囲で水が舞う。

 黒いものが彼女にぶつかる瞬間、浴槽のお湯が火山の噴火みたいに噴き上がった。

 キラキラと降る水の奥、平然と立っている彼女の周囲に、茨のようなものが見えた気がした。


 私はその後の記憶(こと)が思い出せない。

 服を着て、部屋に戻って、眠って起きる。

 そしてチェックアウトしてバスに乗った。そんな普通で普通な、あまりにも普通な旅の終わりだったのだろう。

 バスはもう旅館へ戻らなかったし、電話は普通に繋がる。


 数日が経過していたから、あわてて電話で職場に謝った。視線を前に向ける。

 隣、窓際の席で、あの女子高生が窓枠に肘をついて頬杖をついているのが見えた。


 ループする旅館。

 隣の部屋での物音と浴場での出来事。

 何をやったのか聞きたかったけれど、聞いて、それを知ってどうなるというのか。

 でも、彼女には自分から、多忙で、それでも平穏な、この世界に戻りたいという意思があまり無かったように思う。

 私は彼女の美しい横顔を眺めた後、座席に身を沈めた。


 きっとこの奇妙な出来事は一生忘れることが出来ないだろう。

祓い屋先輩シリーズです。

良ければ他のも見てください。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ