魔王ソージア
デスパレス、魔王の間。
正方形の室内は、高さが成人の人間六人分ほどの大きさで、四隅には灯がともっている。玉座から見て左の壁には、歴代の魔王の肖像画が掲げられていた。
いや、一枚を除いてというのが正しい。
なぜなら、元魔王ラノスの肖像画があった位置には肖像画がなく、なにかで焼かれた痕が残るのみだからだ。
どうしてそんなことになっているのかレイノスにはわからない。しかし、少なくとも自分が魔王だった頃は、確かに父の肖像画はあった。
ならばソージアがやったのだろうか。しかし、ならばなぜそんなことを?
「レイノス、後ろだ!」
アリアの声が響く。レイノスは咄嗟に身をひるがえし、身体を大きくねじるようにしてソージアの魔法をかわした。
頭に残る小さな疑問を振り払い、レイノスはエルフの剣を構えなおす。剣の先端はソージアをとらえていた。
「フフフ、かわすか我の魔法を。しかしなぁ、レイノス。我はなにもお前を直接傷つける必要はないのだぞ?」
ソージアは口を邪悪に歪ませながら、魔法で作った一本の槍を自らの腹部につきさした。
「――ごふっ!? がは……っ!」
レイノスは喉元から這い上がる血をおさえようと、手を口に当てた。しかし吐き出された血の勢いは凄まじく、レイノスの手の隙間から溢れだす。口だけではなく腹部からも血は滲みだし、レイノスの身体はすでに真っ赤に染まっていた。
眼前にいるソージアは、腹部に槍を残したまま不敵に笑っている。
「レイノス、貴様は最後だ。そこでしばし、もがき苦しみ続けていろ。……さてエルフどもよ、一瞬でその長かった命を散らすがいい」
ソージアから放たれたのは十本のうねった大きく黒い縄。いや、それは先端に牙を持ち、相手を射殺そうとするかのような赤き目を持った十体の大蛇だった。
大蛇たちは恐るべき速度で地面を這い進む。血肉を喰らおうと涎のようなものをまきちらしながら。
しかし、大蛇たちはアリアたちに喰らいつくことはできなかった。
レイノスが大蛇たちの目の前に立ちふさがり、次々とその首を斬りおとしていったのだ。
「――お前の相手は、俺だ」
「まだ動けたのか。……レイノス、そこをどけ。我は後ろにいる穢らわしきエルフ二人の息の根を止めねばならん」
「ソージア、息の根が止まるのはお前だ――」
レイノスは駆け出した。不敵に笑っているソージアの姿が、レイノスの視界のなかでどんどんと大きくなっていく。
しかし、レイノスはソージアに辿りつくことはできなかった。
レイノスの視界にソージアの右足に突きささった短剣が映る。レイノスは自分の右足に襲いかかった痛みのために、その身体を地面に預けるように転んでしまったのだ。
「――お前の剣が我に届くことはない。まして、我が心臓にその剣をつきさすなど不可能だ」
ソージアは腹部の槍と右足の短剣を勢いよく抜いた。ソージアの身体から鮮やかな血が噴きだし、辺りを赤く染め上げる。
「この血が憎い。そして、この血を生み出した父と母が憎い。こんな人生を歩ませた世界が憎い。――そして、そんな憎さを抱える自分が憎い」
ソージアは玉座から立ち上がった。伏しているレイノスをちらりと見下ろし、すぐにその横を通り過ぎた。
「ま、まて……っ!」
レイノスも地面から起き上がる。自分の横を通り過ぎるソージアにエルフの剣をつきつけた。
「……なぁ、レイノスよ。お前は魔王だったころの哀しさを覚えているか?」
「魔王だったころの哀しさ、だと……? そんなものを抱いたことはないっ! あのころの俺はひたすらに、父を越える魔王となることにしか興味はなかった」
「そうだろう、そうだろうよレイノス。――お前は我であり、しかし今、最も我との距離が遠い。なぜなら、お前の中にある感情、記憶は我にはなく、我の中にある感情、記憶はお前にはないのだから」
「なにを……」
ソージアは答えなかった。そしてゆっくりとアリアとレイリアに近づいていく。
「ソージアっ!」
レイノスはソージアの背中を斬りつけた。ソージアはその斬撃をよけず、なおも進む。
ダメージを受けたのはレイノスのほうだ。背中に走る激痛はレイノスの動きを大きく鈍らせ、意識を奪い取ろうとしてくる。
「な、なぜソージア、お前は」
「これまで何度融合率を確かめるために我が身体を傷つけたと思う。いまさらこの程度の痛みなど、痛みとも感じんわ」
レイノスは愕然とした。ソージアを傷つければ傷つけるほどに、自分が弱っていくだけという現状に。
そのとき――。
「レイノス、心臓です! 心臓以外を攻撃してはなりません!」
母の声が聞こえた。
「……何を企んでいるのか知らんが、無駄だ。今のレイノスの攻撃などかわすことは容易い。まして、攻撃される場所がわかっているのだからな」
「――そのためのわたしだろうさ!」
瞬間――アリアがソージアに迫り、頭に向かって素早く足を振りぬいた。
「愚かな」
ソージアがそうつぶやき、
「ぐはっ!」
次にレイノスの息が漏れる音が聞こえた。
ソージアはアリアの攻撃を頭で受け止め、瞬時にアリアのはらわたをひきずりだそうと、自らの右手をアリアの腹に向かわせる!
「――愚かだねぇ」
アリアの足から大きな魔方陣が描きだされ、その魔方陣から次々とまばゆいほどの光を放つ金色の鎖が出現し、ソージアの身体を縛り上げていく。
「な、なにっ!?」
「レイノス! いまだよっ!」
ソージアが焦りの表情を浮かべる。それを確認するやいなや、アリアがレイノスに呼びかけた。
「――ナメルナアアアアアアアア」
しかし、ソージアがただ黙っているはずもなく、はらわたから噴きあがったような咆哮をあげて、鎖をひきちぎろうとする。そして同時に、ソージアの身体から瘴気のようなまがまがしいものが流れだした。
ソージアの身体から放出されるその瘴気が光の鎖を浸食していく。
「させませんよ、ソージア」
しかし、それを阻止するかのようなレイリアの声が、室内につきささる。
そしてレイリアは呪文の詠唱を始めた。
「暗黒を覆う光の霧よ、穢れた闇をその身に取り込み全てを照らしたまえ! シャイニングミスト――!」
室内に無数の光の粒子が現われる。太陽のような輝きを放つ一つ一つの粒子が、魔王の間を包み込むように広がっていき、ソージアが放つ瘴気はその粒子に溶けるように霧散していった。
「――レイノス、たのみますっ……!」
――そして、レイリアの悲痛な声と同時にエルフの剣がソージアの心臓をつらぬいた。
どくんっ、と自分の心臓がひときわ大きな脈動をうったのがレイノスにはわかった。そしてそれ以降、自分の心臓が活動を止めたことも。
「――母さん」
その言葉をつぶやいたのはレイノスなのかソージアなのかはわからない。
しかし、レイリアはその言葉を聞いて、目からつぅーと一筋涙を流していた。
「――ごめんなさい、我が息子。そして、信じています。あなたなら必ず自分を助けることができる、と」
レイリアのそんな言葉がレイノスの耳に届いた。
視界がだんだんとぼやけ、全身の血の温度も下がってきたようにレイノスは感じていた。ジーンと頭が麻痺している感覚にも襲われる。
「――さまよえる魂たちよ、己の在り処を突きとめ正しき姿を現したまえ! スピリットリゲイン――!」
レイノスとソージアの身体に、淡い光を放つ無数の糸が巻きついていく。その糸はやがてからまりあっていき、そして二つの身体を包み込む繭へと変貌していった。
「――やり遂げるのですよ。あなたが目を覚ましたときに私はもういないけれど、私はいつもあなたを見守っていますからね――」
その言葉が微かにレイノスの聴覚を撫でたとき、レイノスの視界は真っ暗に染まり――。
レイノスの中にある心臓の活動が、止まった。