デスパレスで待つソージア
しっとりとした風がレイノスたちの頬をなでる。目の前にそびえたつ黒き城はレイノスたちを今にも呑みこまんとするかのように、その巨大な門を開け放っていた。
「俺たちは歓迎されているようだな」
レイノスが微かに口を歪ませそういった。
「わかってはいましたが、やはり私のいた頃とは随分様変わりしていますね」
「ん、そうなのか? 俺が魔王だったときと少し変わってはいるが、基本の形はそのままだぞ」
レイリアはそれを聞いて、唇を噛む様子を見せた。これはまた自分の罪とやらを悔いている様子だ。
「ごめんなさい……」
やはりな、とレイノスは心の中で苦笑した。自分でも今、この城の姿を見れば母が申し訳なく思うのも納得するがな、と考えながら。
「謝らないでくれ。今の俺がこの城を見ても、いかに自分の心が屈折していたのかがよくわかる。父の頃とは違うといわれても、納得してしまうな」
「レイノス……」
黒き城、その外壁には多くの絵が描かれていた。そのどれもが人間の無残な姿を描きだし、そこに喜び、希望などといった明るい表現を見て取ることはできない。
見せしめに使われたのだろうか、城の壁の上にある槍のように尖った突起にはたくさんの魔物や人間の死体が刺さっており、それらの血が黒い壁面を装飾のように彩っていた。
「こんなものを異常だと思うことすらなかったんだ、あのときの俺は。まぁ、いまさら善人面をするつもりはないが、このことは心にしっかりと刻んでおかねばなるまい」
「レイノス、レイリア、そろそろアイツがお待ちかねだろうさ。進むとしよう」
アリアがデスパレスへの一歩を踏み出した。レイノスとレイリアは続くように歩き出す。
「ソージアは魔王の間で私たちを待ってるだろうね。この通路をまっすぐ進めばすぐに着くだろうが……いつ、どんな攻撃をされるかわからない。用心するんだよ」
赤い絨毯がひかれた通路を歩きながら、アリアはそう二人に注意する。
そんなとき――
『我はそのような興を殺ぐような真似はせんさ。アリアの言うように我は魔王の間で待ちかねている。早く姿を見せてくれよ――レイノス』
「……だそうだ、レイノス」
「フッ、見せてやろうじゃないか」
レイノスはそういうと、アリアを追い越しいて先へと進んでいく。ソージアが望むのなら自分が一番最初に姿を見せてやろうじゃないか、と思ったからだった。
――そして辿りついた。魔王の間入り口、不気味な装飾がほどこされた扉の前に。
その扉にはソージア――いやレイノスが頂点に描かれており、その下には多くの魔族と人間が描かれている。一見すると、魔族に頭を垂れている人間を侮蔑する意味での絵に思える。しかし、そうではないことが今のレイノスにはわかる。
なぜなら、頂点に描かれているレイノスはその様子を見下ろしているにも関わらず表情がないのだ。無機質で生気がなく、目の前で起きていることになど興味がないとでもいうかのように。
人間と魔族がどうであれどうでもいいというかのように。
「この扉が全てを現しているのかもしれませんね」
レイリアが小さく呟いた。
「……開けるぞ」
レイノスはそのおぞましい扉に手をかける。
ゆっくりと開かれていく扉の隙間から、次第に魔王の間の様子がレイノスの目に入り込んでくる。
そして、いた。
魔王の椅子に座り、こちらを不敵に笑いながら見つめる視線が。
――魔王、いや自分の分身であるソージアが。
平穏を掴みかけていたコーネリアの上空には一点の黒き太陽が昇っていた。
コーネリア平野に現われたその黒き太陽はゆっくりと歩を進めたかと思うと、次第にその足を地面から離していき、コーネリアを見下ろすように空へと羽ばたいたのだ。
全てを憎むようなその瞳は、コーネリアにいる全ての人間、魔族、獣人たちに無条件に恐怖を与えた。
あるものはつぶやく。
――あんなモノが存在していいのか、と。
あるものはつぶやく。
――やっと戦いが終わったのに、と。
あるものはつぶやく。
――魔王はアレのことではないのか、と。
あるものはつぶやく。
「――あなたはそんな憎しみに満ちた瞳を持つようになってしまったのですか。あんなに朗らかに笑う表情を、黒き闇に塗りつぶしてしまったのですか……」
黒き太陽が、笑う。
ニタァ、と口元を裂けそうなほどに歪ませる。
これからの楽しいことをわくわくと待ち望む幼き子供のように、その表情には歓喜の色が浮かんでいた。
――コーネリアに戦慄が走る。
一人の人間の子供が、黒き太陽から放たれた一筋の線につらぬかれたのだ。
子供の左胸にはぽっかりと穴が生まれていた。子供はゆっくりと後ろに倒れ、側にいた母親がその様子をゆっくりと驚きで見開かれた目で追っていた。
母親は自分の震える手を地面に倒れている我が子へと伸ばす。なにかを確かめるように近づけられた手が子供の頬に触れそうになった瞬間。
母親の身体がビクン、と振るえると伸ばした手は我が子の頬に辿りつくことなく、無残にも地に落ちた。母親の身体にも、一つの穴が穿たれていた。
静まるコーネリア。
今起きた残酷な現実が、人々の思考の時間を奪う。
次に縛られた魔族の胸に穴は穿たれた。その魔族の瞳は一瞬で光を失い、何も言葉を発することなく、逝く。
誰かが声を漏らし、地面へと尻餅をつく音が聞こえた。
瞬間――。
堰が切れたように悲鳴が鳴り響く。コーネリアに恐怖が、嘆きが、悲しみが蔓延する。
一つの親子の残酷な死を見せつけられただけで、人々は戦う意志をへしおられた。
それを待っていたかのように、黒き太陽は無数のおぞましく濁った光線を放つ。空気の中をうねりながら進むその魔法は、人ならざるものが作り出した魔法としかいいようがなかった。
その魔法が、人々に迫ろうとしたとき――。
濁った光線は上空に生み出された燃え盛る炎の盾によって防がれた。黒き太陽が放った魔法は炎の盾を汚すかのように黒く塗りつぶしていくが、やがて勢いを失ったのか炎の盾とともに消えていく。
「――みなさん、落ち着いてっ! 全力で身を守ってください! 逃げてはなりません、最後まで――戦うのです!」
人間の指導者が声を張りあげた。
「――魔族の拘束を解け! 我ら魔族も人間とともに戦わねばならん!」
魔族の指導者が黒き太陽を睨みつけながら言い放った。
黒き太陽はその二人を見て不愉快そうに目を細め、自らの手を二人にそれぞれ向ける。その両手には黒い光が圧縮されていた。
おぞましき魔法が今にも発射されようとしていたとき――。
コーネリアの端から、小さな魔法が黒き太陽へ飛んでいく。その魔法は、まだ幼い少女が放ったものだった。
黒き太陽はわずらわしそうにその魔法を手で払い、目標をその少女に向ける。
しかし――おぞましい魔法が少女に放たれる前に、無数の魔法がコーネリア各所から黒き太陽に向かっていった。
おおおおおおおおおっ! と多くの声が重なりあい、コーネリア全体を包み込む。それは自分の弱い心を無理やり奮いたたせているかのようだった。
「――わたしはレイノス君との約束を果たす。ここで人間と魔族を殺させはしない。――だから、早く戻ってきてくださいレイノス君っ! 君が果たすべきものは、いまここにありますよ!」
黒き太陽――アンナは数え切れないほどの魔法に包まれながら、その顔に不気味な笑みをはりつけていた――。
「久しぶりだな、レイノスよ。最後に会ったのはゲルブ村で貴様が生き返り、我の前に姿を現したのが最後だったな」
「あのときのことが随分前のことのように思えるよ。あれから、俺を取り巻く状況は短いながら大分変わった」
「そうだなぁ、お前の後ろにくっついていた英雄気取りの男はすっかり変わった。我もまさか魔族が負けるとは予想していなかったよ。それならそれで種を植え付けようとしたのだが……存外人間とやらは強いらしい。偽の英雄は本当に英雄となったわけだ――フフフ、フハハハハハハッッッ!!」
ソージアは笑いをおさえることができない、とでもいうように高らかに笑った。その笑いにレイノスは不快感を覚える。
「……何がおかしいんだ」
「怒らないでくれよ我が分身、いや半身よ。我が笑うのは簡単なことだ。……絶望というのは、その前の希望が大きければ大きいほど膨れ上がる。一度勝利を掴み取った人間たちが再び絶望に落ちるさまを想像すると、自然と笑いをおさえることができぬのだ」
「何を言っている。人間は絶望に落ちたりなどしない。けしてお前の想像していることになどならない」
「随分とあの英雄気取りに御執心のようだなぁ。……我が半身として不甲斐ない。たかが人間ごときに希望を抱きおって」
ソージアは気持ちよさそうな笑いから一変、つまらなそうにレイノスを見つめながらそう吐き捨てた。
「……アンナはどこにいる」
「アンナ、か。フフフ、すまぬレイノス。今言ったことは忘れてくれ。我も一人、御執心な人間がおった。希望に似たものを抱いた人間がいた。――たかが人間の身体を持ちながら無限に膨れ上がる憎しみの渦、世界を滅ぼしうる絶大な力をもつ人間、が」
「質問に答えろ! アンナがこの城にいることはわかってる。お前がなにをしようと、俺はあいつを助ける!」
「……助ける、か。フフ、本当に愚かなものだ」
レイノスのそんな叫びに興味などないというかのような表情をしながら、ソージアは指をくるりと回した。すると、空中にグラスが徐々に形作られていき、その中に鮮血のようにサラサラとした液体が注がれていく。
「いやはや我の期待を裏切るものが二人も現われるとは。一人は戦争を平和に終わらせ――もう一人は今、まさに世界の平和を終わらせようとしている。我が思い描いていたシナリオとは少し違うが、これは良い意味で裏切られた。おかげで我は、諦めていたもう一つの願いを叶えることができる。――貴様を、引きずりだすことができた」
ソージアはグラスを傾けながら液体を口の中に運び、同時に目線をある人物に向けた。それはレイノスの後ろ、両手を強く握り締めている女性。
「……やはり私のことを」
レイリアがゆっくりと噛みしめるようにつぶやいた。
そんなレイリアを冷めた瞳で眺めるソージア。それはレイノスが人間になってから見たことのないソージアの顔だった。ソージアはこれまで不遜な態度を取り続けてきた。魔王という肩書きのためなのか、それともそれ以外の理由があるのかはわからないが、意味深げな言葉を発し、その場に絶望と悲しみを残してきたソージアは本当の心を晒していないように、レイノスは思っていた。
そんなソージアの本当の顔を今、レイノスは垣間見ている気がする。
自分の母に向けるこの冷たい視線こそが全ての真実なのではないかと、そんな風に感じていた。
それは不思議な感覚だった。まるで自分とソージアの心が微かに繋がっているような、そんな違和感。
そんなことを思っていると、ソージアが不意にレイノスを見た。
「やっと身体だけではなく心も繋がりはじめたか。いずれ完全な融合も始まる。そのときに、どちらの意識が主人格として残るのだろうな」
「融合、だと……?」
レイノスは怪訝な顔をソージアに向ける。
「ま、まさか! い、いやそんなはずはない。私とレイリア、アイリにそんなことは起きなかった……」
そして、アリアが驚きの声を上げてソージアへと迫るように歩き出す。
「アリアよ、貴様はエルフと異種族の混血の力を知っているのではなかったのか? なぜエルフの血だけが流れる自分が大丈夫だったからといって、我らのこともそれに当てはめようとする」
「しかし、それではっ!」
「それでは、なんなのだ? なにか困ることでもあるのか、アリアよ」
アリアはソージアへの歩みを止め、唇を噛みしめていた。レイノスが後ろを見ると、レイリアもなぜか青ざめた顔をしている。
「……どうしたんだ、二人とも。なぜ、そんな顔をしている!」
「フフ、フハハハハ!! 我が教えてやろう。この身をもってな」
そういうとソージアは、詠唱を行い一本の槍を作り上げた。そして、それを頭上高くに浮かび上がらせる。
そして、ソージアはパチン、と指を鳴らした。
「やめてえええぇぇぇぇっっ!」
レイリアが叫ぶと同時――。
――ソージアの頭上にある槍が、目にも止まらぬ速さでソージアの右肩をつらぬいた。
「――ぐがああああぁぁぁぁああっっ!」
叫びがデスパレスに響き渡る。
しかし、それはソージアのものではない。
――地面に伏すようにして右肩をおさえ、額に玉のような汗をかくレイノスのものだった。
レイノスの右肩からは傷口が生まれて血が染み出ている。そして、同じようにソージアの右肩からも血が流れ出していた。
まさか――レイノスは思った。
「やっと気がついたか? ――そうだ、我とお前はいまやリンクしている」
「我が傷つけばお前も傷つき、お前が死ねば我も死ぬ。我と貴様がエルフの薬で別たれてから、我らは少しずつ融合率を上げていた。これは我らに流れる血がお互いを求めているのだろうなぁ」
「――これまでになかったか? なにもしていないのに身体が痛む、などということが」
レイノスは痛む右肩に意識を取られそうになりながらも、必死にこれまでを思い出す。
――あった。
ゲルブ村に向かう途中の戦いで、不意に右手が斬られたように痛かったこと。
ゲルブ村で転んだときに地面に手をついていない左手が、異様に痛みを発していたこと。
そして、エルフの島から船でコーネリアに向かっている途中、呼吸が困難になるほど胸がえぐられるような痛みがあったこと。
レイノスのなかでこれらの謎が全て繋がった。
「はぁっ、はぁ……っ! 全ては貴様の仕業だったのか」
「我は確かめていただけよ。我と貴様がどれほどのつながりがあるのか。我とお前が完全に融合したとき、どちらかの人格が消えるという期限を計っていたにすぎない。まぁ、そこのエルフどもには予想外のことだったらしい」
レイノスは息を絶え絶えにしながらも、二人の様子を見る。
アリアは先ほどと変わらず、唇を噛みしめているだけだった。どうしようもできない、そんな諦めがまじった表情をして。
レイノスは後ろをゆっくりと振り返る。
そこには先ほどと同じように青ざめた表情をした母の姿が――。
――いなかった。母の瞳には強い意志が宿っており、なにかを決意した表情をしていた。
「――レイノス、私が渡した剣でソージアの心臓をつらぬきなさい」
「なっ、待てレイリア! そうすればソージアだけではなく、レイノスまで死ぬ! わたしたちが考えていたことは成功しない!」
「いいのです。ここまできたのですから、やるしかありません。それに――私は腹をすでにくくっています。こんなことで私の意志が負けるはずがない」
「ククククッ、いいのか? 我を殺せばレイノスも死ぬ。我がこれまでいかなる攻撃を受けても死ななかったのは、高い魔力をもっていたのもあるが、レイノスという別の身体があったからだ。融合が不完全な状態での我とレイノスは、身体がちぎれてももう一方の身体とリンクしようとし、ちぎれた身体は元に戻っていた。しかし――いまは違う。ほぼ既にリンクが完了している今は、片方が死ねばもう片方も死ぬ。取り返しはつかない」
「そうだ、レイリア! お前は母としての罪を償うのだろう! わたしにそういったではないか! お前がいま言っていることは、また世界のために我が子を見捨てるということなのだぞ!」
レイリアは視線を横にそらした。なにかを逡巡するように目線をさまよわせたあと、レイノスを見つめた。
「……私の意志は変わらない。――できますね、レイノス」
レイノスは母の視線を受け止めた。
母は自分に死ねと言っているのだ。世界を救うために死ねと。
レイノスにはわからない、どうしたらいいのかがわからない。
しかし――。
『――あ、愛してっ! いるに、決まってます……っ!!』
レイノスはあのときの母の言葉を思い出した。自分のことを本当に大切に思ってくれている、と感じたあの言葉を。
あのときの母に嘘偽りはない。レイノスはそう信じる事ができた。
だから――。
「わかった、あなたを信じよう母さん」
レイノスは、今の母の気持ちを信じた。
青ざめていた母が決意した意志を、母としての決断だと信じよう。
世界をとったのではなく、自分をとってくれたのだと信じよう。
それを信じさせてくれるだけの意志を、母から感じ取ることが今はできる。
――俺はソージアを殺す。そしてアンナを助け出す!
「いくぞ、ソージア。これが俺とお前の最後の戦いだ」
レイノスは強い視線をソージアに投げかける。
しかし、ソージアはいつのまにか俯いていた。その両手からは強く握りすぎたのか、血が流れ出していた。そう気づいたのは、レイノスの手からも血が流れていたからだ。
「ぐっ――!?」
黒き感情がレイノスの中に流れ込んでくる。それはソージアが抱いている殺意といってもいいほどの感情の奔流だった。
「――そう……かぁ。貴様は……た、我を見捨…………だな。……そうかぁ――ならば、三人まとめて死ぬがいいわあああああああああああああああ!!」
ソージアの身体から、今までとは発せられていなかったほどの邪悪な気が爆発するように流れ出す。それはレイノスが魔王だったときに、ずっと感じ所有していたものだった。
レイノスは剣を抜く。
そして、アリア、レイリアにちらりと視線を送ると、両者ともに頷いた。
やる、やってやる。
自分で自分に決着をつけてやる。
そうレイノスは決意した。
レイノスは足に力をこめて地面を力強く蹴りぬき、ソージアへと肉薄する――!
ソージアの身体にレイノスの剣筋が迫った。
――レイノスとソージアの間の戦いで最初の火花が散った瞬間だった。