レイノスの隣に立つ者、それは仲間
コーネリアは現在、慌ただしい様子を見せていた。
敗者である魔族たちは鎖に繋がれて身動きがとれない状態になり、そのなかでも指導者と思われる数十名はコーネリア闘技場地下の牢に収監されていた。
人間に危害を加えようとする知性のない魔物はコーネリアの外にある森に移され、そこでその魔物たちは粛々と処刑されていた。
新たな魔王フェルメス人間の指導者ダニッシュにより人間との和解は相成ったわけだが、敗者の末路はこんなものだった。
しかしこれは一時的なものにすぎない。
明日になれば、徐々に魔族、魔物たちはその身体への拘束が解かれていき、戦争によって破壊されたコーネリアの修復に従事することになっている。
これはいわば戒めのようなものだった。戦争に負けたものへ対してやらなければならないことだ。
レイノスはコーネリアの高台から街を眺め、そんな風に思っていた。
「朝早くから熱心なことだね。元魔王さまは」
「……アリアか」
時刻はまだ早い。
しかし、こんな早い時間からコーネリアの街でこんなにも人が動いている。
やはりまだまだ戦争が完全に終わり、平穏が戻ったわけでは当然ないのだった。
「これから各地に伝令を飛ばすそうだよ。この戦争の結果をね」
「まだ知らずに争っている者たちがいるのだな」
「そりゃそうさ。昨日の今日だからね。自分の種族のためにまだ戦いが終わっていないと思っているものは大勢いる」
「……まだ戦いが終わっていない、か」
「どうしたんだいレイノス?」
そうだ、まだ戦いは終わっていない。
自分の戦いは終わっていないのだ。
「……今日にでもデスパレスへ向かう」
「こりゃまた急だね。……まぁ急ぐにこしたことはないだろうさ。あのソージアをとめることは」
レイノスは考える。
母は言っていた。自分とソージアが出会えば、あいつの世界を滅ぼそうとしている理由がわかると。
それが必要なことだと言うように。
「誰を連れていくんだい? まさか一人で行くわけでもあるまい」
「……母さんは連れていく。母さんの願いだ」
「まぁレイリアは行くだろうね。そして、もちろんわたしもいくよ。……この目で結末を見届ける。自分が引き起こした悲劇の、結末をね」
「……そうか、いいだろう」
「フェルメスはここに残って魔族を指揮しなければならないから無理だし、そうなるとあの男も同様だね。ダニッシュも連れてはいけない」
レイノスもそれはわかっていた。
ダニッシュを連れて行くことはできない。
人間の指導者として戦争を率いたダニッシュを、このタイミングでこのコーネリアから連れ出すのは得策ではない。
今は多少落ち着いてはいるが、いつなにが起きるかはわからないのだ。
そんなときにダニッシュがいないとなれば、混乱はますます広がるばかりだろうから。
「そうだな、あいつは連れてはいかない。昨日の二日酔いも収まっていないだろうしな」
「ははぁ、随分と寂しそうな顔をするじゃないか。昨日も二人でお楽しみだったようだしね。あんたも人間が板についてきたんじゃないかい?」
はっはははは! 口を大きく開けてと笑うアリアに、レイノスは苦笑いを返すしかなかった。
レイノスの中に寂しさがないといえば嘘になるからだ。
本当はダニッシュと共にソージアのもとに行き、アンナを助けに行きたかった。それを、ダニッシュが望むだろうこともわかっていた。
しかし――。
「賢明な判断だよ。ダニッシュをここで連れていくことが良いとはいえない。あの男にはまだやるべきことが残っているんだからね。この戦争を収束させるという大業が」
「ああ、だからあいつはここに残ってもらうさ――」
「――待ってください!」
突然響いた叫びに、レイノスとアリアはその声のほうへと顔を向ける。そこに立っていたのは、今まで話の中に出ていたダニッシュだった。
「はぁはぁっ! ど、どういうことですか、レイノス君! どうしてわたしを連れていってはくれないんですか!?」
アリアははぁ、とため息をついて言った。
「ダニッシュ、お前もわからないわけではないはずだ。ここで、お前がいなくなればどうなるのか」
「そ、それは……! でもっ!」
「でも、ではない。やっとここまできたのだろう。いつしか言っていたな。自分は強くはない、と。そのなかった強さを身につけて、大切なものを守り抜いて、お前が手に入れた結末だろう。それをこんなところで捨ててしまうのか?」
「……そ、それでもっ! わたしはレイノス君の力になると決めたんです。アンナさんを救って、また三人で過ごすとそう決めたんです!」
「……わからんやつだな。お前は――」
「――アリア、ここからは俺が話す」
「レイノス……」
「レ、レイノス君……?」
レイノスはアリアの言葉を遮り、ダニッシュのほうへと歩いていく。
レイノスは思った、決意しなければならない、と。
覚悟を決めた上で、ダニッシュに話そう、と。
「――ダニッシュ、お前はここに残ってくれ」
「嫌です! ここまできたんですよわたしは! レイノス君の隣に立って、一緒に歩けるぐらいに! 最後の最後で、置いてけぼりにされるなんて絶対に……レイノス君の言葉であっても聞くことはできません!」
「ダニッシュよ、よく聞いてくれ」
レイノスは一旦目を閉じた。
決意を、ダニッシュに伝えるために。今からする約束を必ず果たすと、信じさせるために。
「お前には――俺が持つ二つの生きる意味の一つ……人間と魔族の共存を叶えてほしいんだ。この戦争を本当に終わらせて、人間と魔族が共に楽しく、幸せに生きていける世界を作ってほしいんだ」
「レイノス君の――もう一つの願い、ですか?」
「ああ、そうだ。俺の隣に立って歩いていけるのはお前だ。だから、ダニッシュに俺の願いを一つ託す。……これは絶対に言わないでおこうと、昨日決めたばかりなんだが。お、お前は、俺の……な、仲間なんだから」
「な、かま……?」
「ああっ! くそ、恥ずかしい! なんで俺はこんなことを言っているんだ。ここまで言うつもりはなかったのにっ!」
「は、はははっ……れ、レイノス、くんっ……わたしは、わたしは……っ!」
ダニッシュは涙を溢れさせていた。それは端から見れば、何をいい年したおっさんが本気で泣いているんだと思われるだろう。
レイノスだってそう、思った。
英雄になったって? 強くなったって?
何を言っているんだ、こいつはこんなにもまだ弱いじゃないか。
こいつはまだまだ仮初めの英雄だ。
ああ、そうさ、こいつにはまだ――。
「――お、おまえに、えいゆうなんてものはまだはやいっ! ほんとうのえいゆうになりたいのだったら――おれがたくしたねがいをかなえてみせろ……っ!」
「はい……っ。がんばります――絶対に叶えてみせます!」
レイノスは泣いてなんかいない。目から汗のようなものは流れだしているけれど、絶対に泣いてなんかいない。
「このおれが! ダニッシュなんかでなくものか……っ!」
「素直じゃないねぇレイノス、あんたは」
くっくっく、と声を押し殺すようにアリアは笑う。しかしレイノスは今、アリアなんて気にしていられない。
だって、まだ約束しなければいけないから。
信じて待たせることになるダニッシュに、伝えなければ。
「――お前は俺の願いを叶えろ! そのかわり俺はお前の、いや俺たちの願いを叶える! アンナを救い、必ずあのころのように三人で過ごすという願いを!」
レイノスはこぶしを強く握りしめる。自分の決意を絶対に逃がさないように。
もう迷ってはならない。
――ソージアを倒し、アンナを連れ戻す。アンナの闇を晴らしてみせる!
「――まっています、レイノスくん。きみがアンナさんを救ってわたしの前に戻ってきてくれると信じています。だからお互いに諦めないようにしましょう。そうすればきっと、叶う。絶対に叶います。だってわたしたちは英雄と魔王なんですから」
「フフッ、仮初めの英雄と魔王だろうが。だがそうだな。俺たちならばできる。俺もそう信じている」
ダニッシュはレイノスに向かって手を差しだした。
それは互いを認めあったものにしかできないこと。
レイノスはダニッシュの手をがっちりと握る。
「ありがとう、レイノス君。わたしは――君と出会えてよかった」
「やめろ、恥ずかしい。また出会えるのだからそんなことを言う必要はない」
「ふふっ、アリアさんの言うようにレイノス君は素直じゃないですね」
気持ちの良い空だった。どこまでも青に塗られ、世界の果てまで続いているのではないか、いや世界の果てなんてないのではないかと思わせるほどに綺麗に広がるこの空は、レイノスとダニッシュを見守っているようだった。
もうすぐ出発する。
ソージアがいるデスパレスへ向かい、最後の戦いを始める。
しかし――。
今だけは、目の前にいる一人の男との時間を大切にしよう、そう思うレイノスだった。
「レイノスはあんなにも成長していたんですね。私が知らないうちにいつのまにか大人になっていた」
「ああそうさ、わたしも一緒にいた時間は本当に少ないが、それより前から見守ってきた。……わたしはね、時々思うんだよレイリア。わたしのした選択は間違っていたのかもしれない。あんたのした選択も間違っていたのかもしれない。でも、その選択があったからこそレイノスは成長できた。レイノスは人の心を知り、誰かのために行動できるようになった。誰かとああやって涙を流し、笑えるようになった。ちゃんとした心を取り戻せたんだと思うんだよ」
「ええ、そうですね。私も母として、今のレイノスを誇らしく思います」
「だからこそ、わたしたちはけじめをつけなければいけない。……あの魔法を使い、レイノスとソージアを繋げなければいけない。レイノスにあの剣で、ソージアの心の臓をつらぬいてもらわなければいけない。その役目は――」
「――その役目は私がやります。母として、その役目を譲ることはできません。自らの子を繋げるのは母がやることです。――だってどちらも私の子供なのですから。子供がはぐれたら、導くのが母の役目でしょう?」
「いいんだね? それはあんたにとってはつらいことだろう」
「いいのです。私はそのつらさを受け入れます。あなたがラノスへ惹かれる心として生まれた私は、ラノスが死んだとき共に死ぬべきだったのです。だから――生きすぎた代償を支払うときです。レイノスのためになるのなら、この心がいくら悲鳴をあげようと本望ですよ」
「我が子に我が子を殺させることになってもかい?」
「ええ、そうなってもです」
「――わたしももし母になれていたなら、あんたのようになっていたのかな」
「ええ、なりますよ。だってわたしはあなたなのですよアリア。それに――」
「――母は子のことを世界なんかよりも一番に愛するべきなのですから」
「……それは自分への皮肉か? 後悔はなくなることはないということか」
「それは当たり前です。この後悔は死んでもなくなることはない。なくなってはいけない。私が母として犯した罪を背負い、来世へと向かうと覚悟してます」
「――ならその覚悟を見せてもらうのを楽しみにしているぞ。失敗は許されない」
「わかってますよ。一度大きな失敗をしたのです、二度目はありません」
「……わかった」
「さぁ、そろそろいきましょう。レイノスが待っています」
「ちょっとまて、レイリア」
「なんですか?」
「わたしは……おまえを生んだことを後悔していない。そのことで世界は混沌に陥ってしまったけれど、わたしは後悔していない。それだけはわかっていてくれ」
「……ふふっ、あなたも母なのかもしれませんね。私とアイリの」
「な、なにを」
「本当にいきますよ、そして――ありがとう、お母さん」
「レイリア……」
「私たちの戦いはこれからだ、そうですよね」
「……ああ、そうだ。――いくぞレイリア!」
コーネリア平野にレイノスは立っていた。
コーネリアのなかでエルフの転移魔法を使ってしまうと、関係のないものまで巻き込んでしまう危険があったからだ。
だから、レイノスはアリアに言われたとおりにここにきたのだが……。
「……おそい、いつまで待たせるのだ」
レイノスはかなりの時間待たされていた。すぐにくるとアリアはいっていたが、まったくすぐではない。昔のレイノスならば、これだけで辺りを焼き尽くしていただろう。
「俺も変わったのかもしれんな」
レイノスはエルフの島で手に入れた、ウォーレンソードを手に取った。フェルメスとの戦いで折ってしまったマジックソードの代わりとしてレイリアから渡されたものだった。
『この剣は自分の意志、そして相手の意志を伝達する能力があります。いってしまえば気持ちのパイプのようなものです。相手の気持ちがわかれば、戦いも有利になるでしょう。欠点は自分の気持ちも伝わってしまうということですが……この剣を持つことは、今のあなた以外にふさわしいものはいないでしょう』
「そうはいわれてもな」
この剣は相手を傷つけることに特化しているわけではない。どうしてこんな剣を自分に持たせたのか、最初はわからなかったが……。
「ソージアの理由とやらを知るためか?」
それ以外に考えられなかった。それならばなんともうってつけの武器だが、それだけの能力であのソージアに勝てるとはレイノスは思えなかった。
「おーーい、待たせたなレイノスよ!」
「……遅いぞ、何をしていたのだ」
「いやいや悪いな。レイリアと話していたら盛り上がってしまってなぁ」
「はぁ、これからあのソージアと戦いにいくのだぞ」
「わかっておるよ、まぁ最後の晩餐のようなものだ」
「ごめんなさいレイノス、待たせてしまいましたね」
「いや、母さんはいいんだ……」
「んー? なんだレイノス、母親に甘えたい年頃かぁ? あの塔の上でなにかあったなぁ?」
「う、うるさい! 気を引きしめろアリア! 何をふざけているのだ!」
アリアとレイリアは二人で見つめあい、ふふっと軽く笑いあったあと、レイノスを見た。
「レイノスの元気な姿が見られて母は嬉しく思いますよ。最後に良いものを見せてもらいました」
「レイノス! 最後の戦いだからこそ直前はふざけておいたほうがいいのだ。わたしも結構頑張っているのだぞ!」
「あ、やっぱり頑張ってたんだなアリア」
いつしかレイノスは気が楽になっていることに気づいた。
これもアリアたちの気配りだったのだろうか。
「さぁ、いきましょうレイノス、アリア。ソージアのいるデスパレスへ!」
レイノスとアリアは頷いた。
「いくからね二人とも。このアリア様の魔法に耐えるんだよ!」
アリアが魔法の詠唱を始める。地面に大きな魔方陣のようなものが浮かび上がり、光がレイノスたち三人をつつみこんでいく。
視界が次第にぼやけていき、レイノスの意識が飛びそうになる。
そして――レイノスはデスパレスへと転移した。
「いきましたね、レイノス君たちが」
「そのようだね。さて、あんたもこれからが頑張りどころだ」
「わかってますよ、キエラさん」
ダニッシュは微笑み、踵を返してコーネリアの街の中へと戻っていこうとする。
そのとき――。
「な、なんだいあれは。あの三人と入れ替わるように現われたあいつは誰なんだい」
「キエラさん……?」
「は、はやくダニッシュも見ておくれ! わたしはあんなにおぞましい人間を今まで見たことがないよ! なんなんだい、いったいなんなんだいあれは!」
「落ち着いてください、キエラさん!」
キエラはある程度の修羅場をくぐりぬけてきた人間だ。そんな人物が、目にしただけででここまで取り乱すものとはいったい……。
ダニッシュの頭に嫌な予感がよぎった。
――そして、ダニッシュは見た。一人、コーネリア平野からこちらにゆっくりと歩いてくるモノを。
「ああ……ああっ……!」
ダニッシュは声を漏らすことしかできなかった。
自分の身体のなかを無数の虫がはいずりまわっているかのような悪寒が走る。頭を鈍器で何回もうちつけられたようなそんなめまいが襲ってくる。立っていることすら困難になるほどに足は震えている。
ダニッシュをここまで追い詰めるモノが、コーネリアに迫っていた――。