母との邂逅、そして――
「私があなたの父――ラノスと出会ったのは十五年前の戦争が終結して間もないころです。あなたが共にきたアリアから話は聞いたと思いますが……私はあのアリアから生まれた存在、いわば分身なのです。そんな私に課せられたものとは、魔族のいる地に赴き事態の収拾をつけることでした」
静かに語る自分の母の姿を、レイノスもまた静かに口を挟まずに見つめていた。
「あの方の姿を見て、一目でわかりました。ああ、私はこの方と一緒に歩んでいく人生なのだな、と。それは今思えば当然のことだったのです。なぜなら、私という存在はアリアの持っていたラノスへの想いから生まれたのですから」
目をふせる母の姿を見て、レイノスは複雑な気持ちに囚われた。自分の存在が作られたものだとわかっていて、それを受け止めるのは簡単なことではないだろう、と。
「そんな私がラノスに惹かれていくのは早かった。私はいつもあの方と共に過ごし、そしてあなたが生まれた」
レイリアはそこで目をふせた。レイノスが母の手を見ると、その手は真っ赤になるほどにきつく握られていた。
「……その頃、ラノスは魔族と人間が共存できる世界を目指して奮闘していました。周囲の魔族たちに反対され、エルフと子を作って気が狂ったのではないかと陰で言われながらも懸命に頑張っていました。――しかし、世界を変えることなど一人の魔族には荷が重すぎたのです」
ふせていた目をゆっくりと開き、レイリアはレイノスを見つめる。
「魔族には理解されず、人間には恐怖の目で見られ……ラノスは、理想が現実によってうちのめされていくのを受け入れるしかありませんでした。いつしか疲れ、誰とも話をしなくなりました。それが周囲の者たちにとっては都合が良かったのでしょう。いつしかラノスがしらないところで魔族と人間の小競り合いは激しさを増し、それが結果としてラノス
の魔王としての威厳を高めていきました」
レイノスはふと、自分の記憶を手繰りよせた。しかし、そこには自分と父との親子らしい会話などなく、いつも父は無表情で自分を見つめてくれてはいなかった。
「……私はそんなラノスを見てはいられませんでした。愛する者が日々自分を責めて傷ついていく様を放ってはおけなかった。――私はこう思いました。少しラノスを休ませてあげよう。今のままの状況ではラノスの理想は叶えられない、と」
思い返せば思い返すほどにレイノスは両親との記憶がないことがわかった。それは普通であればとても哀しいことのはずなのに、レイノスの中にはそれに対する悲しみや怒り、悔しさなどが微塵もなかった。今ここで母が話していることを、しかたがなかったのだな、と受け入れていたのだ。
「――ごめんなさい。私はそのとき母として間違った選択をしてしまいました」
レイリアが頭を下げる。床にはぽたぽたと何滴もの雫が零れ落ちていた。
「やめてくれ。あなたのそんな姿を俺は見たいとは思っていない。……最後まで話を聞かせてくれ」
「わかりました……しかし、私は死ぬまであなたに謝り続けなければいけないのです。許しを求めているわけではなく、それが私に課せられた唯一の償いなのですから」
レイリアは頭を上げないままそう口にする。それはとてもつらい姿のようにレイノスの瞳には映った。
「頭を上げてくれないか。そんなことをされてもどうしていいのかわからないのだ」
「……ごめんなさい。そうですよね、あなたにはまだ全てを話していないのですから意味がわからないでしょうね」
「ああ、だから話を続けてくれ」
レイリアはそこでやっと頭を上げた。目は赤く腫れ、凛々しい姿はなりをひそめていた。
「……エルフに伝わる魔法にこんなものがあります。エルフを介して、一方の者からもう一方の身体の中に意思を封じる、というものです。端的に言いましょう。――私はラノスの意識をレイノス、あなたの中へと封じ込めたのです」
レイノスは意味が理解できなかった。そんなことをしてどうなるのか、と思った。
「なぜそんなことを……?」
レイリアはぐっと唇に力をこめた。この先は言葉にするのが憚られるような、今にもまた涙が溢れてきそうな表情をしていた。
「……俺はあなたを責めたいわけではない。事実をちゃんと知りたいだけだ。――だから、そんな顔をしないでくれ」
「……覚悟をきめます」
すぅーと息を吸い込み、レイリアは言葉を放つ。
「――あなたが死んだとき、ラノスを再び生き返らせるためです」
「なっ……!」
「あなたを次期魔王にしてもし世界が混沌に陥ったなら、そのときはあなたをフェルメスに殺させる……そしてエルフの魔法によって封じ込められたラノスが復活する。そういう、算段でした」
レイノスの中に電流のようなものが走る。ゲルブ村で見たあの父の記憶の意味がやっとわかったのだ。
「死んだはずである魔王がもう一度蘇れば、ラノスは不死の魔王として畏れられる。畏怖の対象として君臨し、人間をそして魔族を支配できると考えたのです。しかし、現実はそうはならなかった……私とラノスは一つ重大なことを見落としていたのです。それはあなたが――魔族とエルフの子だということ」
そうだった。確かにあの始まりの村でレイノスは殺されたはずだった。フェルメスに背後から刺され、ダニッシュの光の魔法によって焼かれたのだ。
しかし、レイノスはこうして人間となって生きている。しかもラノスは復活せず、自分の分身であるソージアが新たな魔王となって君臨している。
「フェルメスに渡しておいたエルフの薬……それによってあなたとラノスの魔力は分離され、あなたとラノスの二つの身体が生まれるはずだった。……あなたの身体は致命傷を負っているため助からないとわかっていた上で、です。しかし現実、あなたは人間となり、ラノスではなくソージアが生まれた」
「なぜ、俺は人間になったのか……わかるか」
「……推測ですが、あなたの中の魔族とエルフの魔力が中和して人間になったのだと思います。それ以外に原因が考えつきません。そして、どうしてあなたが人間になったあと、殺された場所に留まらず、アンナ……さんでしたか。その子の家の近くに飛ばされたのかはわかりません」
「アンナを……知っているのか」
「ええ、あのこはもう一人の私――アイリと勇者の間に生まれた子供なのですから」
「あ、あいつも俺と同じ、エルフとの間に生まれた混血だと……?」
「そうです。あのこもまたあなたと同じように世界を揺るがすものです。現にアンナさんは今、暗黒の闇の中に堕ちようとしている。世界を滅ぼそうとしている。……そこの窓の縁につけられている長い筒を覗いてみなさい。今サウスリアで何が起きようとしているのかがわかります」
レイノスは言われるがままに窓に近づいていき、設置されている筒を覗きこんだ。
「あれは……なんだ? 平野に魔族の軍勢が……はっ! まさか」
「そうです、あなたの想像しているとおり。いまサウスリアで戦争が起きようとしています。再びあの意味のなかった争いが繰り返されようとしている。私が、いや私という存在が引き起こしてしまった戦争がまた……っ」
レイノスは筒をさまざまな方へ向ける。争いの準備をしている人間たち。人間の小さな村が魔族によって蹂躙される様子。そこには平穏などという言葉は当てはまらない。
「あ、あれは……」
そしてレイノスの目に飛び込んできたのは、コーネリア平原の丘の上に立つ一人の少女。
「アンナ……」
その少女の表情はレイノスが知るものではなかった。快活で笑顔を絶やさずにいたあのアンナの顔ではなかったのだ。
側には血まみれになった一体の魔物と複数の人間の遺体が散らばっていた。
「あれを……アンナが」
レイノスは後悔した。あのゲルブ村でのアンナとの別れのとき、無理やりにでもしっかりと向き合うべきだった。それで殺されてしまったとしても、そうするべきだった。
山神のときの記憶で見た父と母の想い、そして――
――勇者の記憶で見たアンナを救うという、レイノスの願いを叶えるために。
レイノスは父と母の理想だけを叶えるためにゲルブ村で蘇ったわけではなかった。父と母の理想を叶えるのは、それを託された息子としての生きる意味だと考えていた。
そして、もう一つ。
勇者アッシュの記憶を見たとき、レイノスは思ったのだ。この娘を――自分の仲間であるアンナを救うという償いをしなければならない、と。
自分はたくさんの罪を犯し、多くの人たちを傷つけてきた。もちろんアンナもそのなかの一人だ。
しかしレイノスはアンナと深く関わってしまっていた。長く共に旅をし、アンナの苦しみをその目で直接見た。
そして、勇者の記憶を見ることでアンナへの気持ちは特別なものになってしまっていた。
アンナだけは自分の手で救わなければならない。深い憎しみの鎖に縛られているアンナから、その鎖を引きちぎってやらなければいけない。
魔族と人間の間にある憎しみに包まれた世界を救い、魔王に対する憎しみに縛られたアンナを助けたい。
これはレイノスが、生きていて初めて自分がやりたいと思えたことだった。
レイノスの生きる意味なのだ。
「憎しみはそう簡単に消えるものではありません。私たちエルフは、その筒で長い間世界を見てきました。多くの人間、魔族、獣人の世界を見守ってきたのです。そして、ソージアが世界を滅ぼそうとしているのもわかりました。その理由についても……」
「ソージアが世界を滅ぼそうとしている理由? そんなことがわかったというのか!」
「ええ。その理由は世界から見れば本当にちっぽけなもの。しかし、私はそれを知ったとき、後悔の気持ちが溢れだしました。どうして私はもっと母として過ごすことができなかったのだろう。人間と魔族を共存させることなんかよりも遥かに大切なことがあったのに……っ!」
「なんなんだ、それは! 教えてくれ、その理由を!」
「……ソージアはエルフの薬によって分離したレイノスの魔力。いってしまえばそれは、レイノス自身の心といったものです。エルフと魔族の混血の力によって、ラノスの魔力が分離されず、レイノスの中の眠っていた膨大な魔力が分離されてしまった。それがソージアが生まれた原因。そしてレイノス、あなたが人間として生まれた理由なのです」
「何を言っているんだ。そんなことがソージアが抱える理由に何の関係があるというんだ!」
「関係があります。いえ、それが答えなのです。あなたはソージアと直接対面し、その理由を取り戻すのです。そうすれば自然とわかるでしょう」
「意味のわからないことを言って煙に巻くのはやめろ! サウスリアの危機が迫っているんだぞ、そんなことを言っている場合か!」
レイノスはここではぐらかすレイリアに対し怒りがわきあがっていた。それはアンナのあんな姿を見てしまった焦りもあったのだろう。
しかし、レイリアは頑なに理由を話そうとはしなかった。
「レイノス、あなたがソージアと会い全てを理解したとき、私は母としてあなたと向きあいます。これは母としての頼みです。……いえ、わがままなのかもしれませんね。でも私は本当のあなたに会って全てを受け止めたい。母としての役割を少しでも果たしたい。だから、もう少し待ってはくれませんか」
レイリアの強い意志のこもった瞳に、レイノスは何も言うことができなかった。その願いを聞いてあげなければいけないと思ったのだ。それが今の自分がすることだと。
「……時がきたらちゃんとわかるんだな?」
「ええ、わかります。それはおそらく決められていることでしょうから……」
しばしの沈黙が訪れる。
その沈黙は、これまで自分の母が話してくれた内容をまとめるには十分な時間だった。
そして、父と母が自分のことを裏切るような行為をしていたことをあらためて理解した。
不思議と憤りはない。
これはレイノスが父と母の記憶を前もって見ていたからだろうか。いや、それだけではないだろう。
レイノスがこれまでの旅で様々な事情を抱えた人たちを見てきたからだろう。
魔族と人間が共存する村では、そのしがらみから孫を助けられないでいる村の長がいた。
ただひたすらに魔王に仕える姉を待っている少女もいた。
獣人と人間が対立する村では、二つの種のわだかまりをなくすことと父への思いの間でで葛藤する青年がいた。
妻への思いのため、獣人への復讐の業火にその身を焦がした男もいた。
聡明なゆえに周囲と隔たりをつくり、自分の生き様を他者に委ねてしまう魔族の男もいた。
――自分の過去から逃れられず、仮初めの英雄としてこれまでを歩み、嘘で自分を取り繕ってしまう仲間の男がいた。
――自分の過去から逃れられず、魔王への復讐だけを糧にこれまでを歩み、自分の本当の幸せを掴むことができない仲間の少女がいた。
――そして、一度死ぬまで他者の気持ちを理解せず、人間も魔族も自分すらもないがしろにして多くの罪を重ねてきた元魔王が、ここにいる。
だから目の前にいる母のことを責めることはできない。確かに母と父のやったことは、自分に対する裏切りだ。
しかし、レイノスは記憶の中にある唯一の記憶――父と母と自分が三人で過ごした時間の中にある、父と母の愛情は本物だとレイノスはわかる。
責められない。どうして責めることができようか。
山神の記憶で見た父と母の涙本物だろうから。
母はもう十分に苦しんだ――いや今も苦しんでいるのだから。
「――なぁ、母さん」
だからこそ、レイノスは今自分の母に尋ねておきたかった。
「――今でも俺のこと愛してくれていますか」
レイリアは驚いたように口を開けた。その唇は振るえ、今日何回涙をこぼしたのかわからないその目には、今までとは比べられないほどの雫がたまっている。
声にならないのだろう。口をぱくぱくと開閉させながら息を漏らす様子がわかる。
そして、やっとレイリアはその言葉を口にできたのだ。
「――あ、愛してっ! いるに、決まってます……っ!!」
レイノスはそれだけで心があたたかく満たされていった――。
レイノスは母との邂逅を終え、エルフたち住む村に戻った。もちろん母と共に。
村長やアリアはその二人の様子を見るやいなや、村人全員に二日後サウスリアに向かうことを告げた。
村人たちは最初からわかっていたかのように身支度をし始め、そしてすぐに出航のときはやってきた。
マストに取り付けられた帆が風に揺れているなか、船はエルフの島を出港した。
そんななか――。
「ぐ……っ! がはっ!」
レイノスの胸にとてつもない痛みが走った。なにかで強く心臓をえぐられているようなそんな痛みだ。
呼吸ができないほどのそれは、しばらく続いた。
近くにいた母が気づき、いたわるように背中をなでる。そんなふうにされていると、次第に痛みはひいていった。
「な、なんだったんだ、いまのは」
「疲れているのでしょう、レイノス。船内で休みなさい」
「すまない母さん。……たすかる」
「……いいのです。これぐらいさせてください」
そういって寂しそうに笑いかけてくる母を、レイノスは見続けることができない。
「さぁ、いきましょう。いまはなんともないとはいえ、早く横になったほうがいい」
「……ああ、そうだな」
そうして二人は船内へ入っていく。
そして、レイノスが船内で休んでいるうちに、船はサウスリアに着いたのだった。
ダニッシュは大声を出して泣いていた。テーブルには既に大きな水たまりができていて、それを見たレイノスは汚いぞ、と言いながら近くにあった布でテーブルを拭いている。
「だって、そんなつらい話はないじゃないですかぁ。何十年ぶりに再会できたんですよ、お母さまとっ! なのにそんな真実を聞かされて……でもお母さまを責められないレイノス君の気持ちを考えたら、そしてそうしなければいけなかった御両親の気持ちを考えたら、もう泣かずにいられますかこれがぁ!」
「お前呑みすぎだ、酔っぱらってるぞ。……あとお母さまとかやめろ、なんか気持ち悪い。せめて敬意を示したいならお母上とかにしてくれ。いや、これも気持ち悪いな。てかなんかダニッシュに何を言われても気持ち悪いな」
「今日は何を言われても許しますぅ! というかレイノス君に何をされても許しますぅ! だから、今夜はわたしの胸の中でいくらでも泣いてくださいっ!」
「……本当に気持ち悪いぞお前」
「いいんですぅ、気持ち悪くたっていいんですぅ。私はレイノス君に救われたんですからぁ。大切な人を守れたんですからぁ。だから今度はわたしがレイノス君を……むにゃむにゃ」
「……だから呑みすぎだと言っただろ」
レイノスは自分のグラスを手に取り、それを口につけ少量の酒を喉に流しこんだ。
「……レイノス君のために……アンナさんを助け……むにゃむにゃ」
「……この馬鹿。そういうことは起きているときに言え」
フッ、とレイノスは笑った。
自分のことでここまで泣いてくれるこいつは、正真正銘の馬鹿だ。
レイノスはそっと心の中でそう思いながらも、ダニッシュに感謝していた。
初めに出会ったときは敵同士といっても間違いではなかったような関係だったのに、いつからこんなふうになったのだろうか。
驕りだったのだろうが、最初レイノスはダニッシュのことを下に見ていた。弱気で魔物には立ち向かえなくて、なのに英雄なんて言われていて。
正直あまり好きではなかったのだろう。
でもそれは、同族嫌悪みたいなものだったのだ。
レイノスだって魔王と祭り上げられていても、周囲の魔族たちはこぞってラノスと比べた。能力的にはフェルメスのほうが適任ではないか、そんな声まで聞こえてくることもあった。
仮初めの英雄のダニッシュと同じ、力もない子供のレイノスは仮初めの魔王だったのだ。
「だからこそ、か」
嫌いだったからこそ、何かを乗り越えられたときにこういう関係になれるのかもしれない。
そうレイノスは思っている。いや、確信している。
「……絶対に知られたくないがな。こんな風に思っているなんてこと」
「……レイノス君は仲間です……アンナさんも……いつか三人でまた……」
ダニッシュがそう寝言を漏らしたあと、また何かをいうことはなかった。眠りの奥深くに潜ったようだった。
「仲間だよ。俺もお前も、そして――アンナも。だから――」
レイノスはグラスに残っていた酒を一気に飲み干す。
「――だから待っていろアンナ。必ずお前のところに辿りつく。そして絶対にお前をその闇から救いだしてやる」
そうして、二人の夜は更けていった――。




