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無力な魔王と能天気娘  作者: 青空の約束
ダニッシュ編
68/82

ダニッシュの最後の戦い

 交差した魔法は互いに互いを弾き、自らを地面へと打ちつけた。

 あと少し時が進めば、ダニッシュたちを照らしている太陽がその姿を地に沈めようかという頃。

 ダニッシュとラミアの戦いは始まった。

「アハハハハッ! やっぱり戦いはこうでないとねぇ。相手の息遣いを耳にしながら、死を目前に感じながら、それでも生きようとするのが戦いだ! そもそも命のやり取りってのは、大人数でやるもんじゃないのさ!」

「わたしはいま恐怖でいっぱいですよ。いつラミアさんの魔法で我が身がなくなってしまうのか考えると、震えがとまりません。でも……あなたとこうして戦えることが純粋に嬉しい!」

 言葉を交わす間も二人は魔法で相手を牽制している。ダニッシュは炎の球を飛ばし、ラミアは相反するように水の球を撃ちだしていた。

 二人の表情に陰りはない。それどころか口元は緩み、笑みを浮かべるほどだった。

「私も嬉しいよ、ダニッシュっ! アンタが約束を守る男で本当によかった」

 そういいながらもラミアは攻撃の手を緩めない。

 次々と水の球を撃ちだしていたかと思えば、ダニッシュの姿を追うように空から雷の雨を降らせていた。

「もし私がアンタに勝てば、この戦争は魔族の勝ちだねぇ。フフ、最初からこうすることができていればどんなに楽で、どんなに楽しかったことか」

 溢すようにラミアは言った。それは後悔でもなく、諦めでもない。純粋に落胆していた。

 ラミアもわかっているのだ。たとえ自分がダニッシュにこの場で勝とうとも、魔族の敗北は覆らないのだと。

 魔族は人間に負けた。いずれは人間に多くの魔物が殺されその数を減らし、この世界から姿を消してしまうかもしれない。

 その前にラミアは決着をつけたかった。自分と自分が決めた信念、そして思うように生きることができなかった人生に、はっきりとした形で終わりを迎えたかったのだ。

「ほらほら、どうしたんだい? 攻撃の手が緩んできてるよ! そんなんじゃ私が勝つのも時間の問題だねぇ!」

「そう簡単には……やられませんよっ!」

 ダニッシュが炎の獅子を召喚した。それに加え、ダニッシュはラミアの周りを旋回するように駆けながら、炎の剣をラミアに向けて放った。

 それだけではない。

 ダニッシュはラミアの逃げ道を塞ぐように、空中にその姿を躍らせると特大の火球を放つ。同時にダニッシュは呟く。

「大地を貫き敵を焼く柱を我に見せよ。――フレイムポールッ!」

 ラミアの足下から炎の柱が噴きだそうとするのがラミアにはわかった。

 ラミアはダニッシュに感心していた。

 一瞬でダニッシュはラミアの四方を囲むように魔法を放ったのだ。

 上からは火球、下からは炎の柱、周囲には炎の剣。もしそれらを全てかわしたとしても、炎獅子にこの身を食い殺されてしまうだろう。

 普通の者ならばこれで終わるはずだった。なにせ逃げ道がないのだ、どうしようもないはずだった。

 しかし、

「私には力がある。この右手に宿る力が」

 瞬間、ラミアは舞うように宙へとその姿を放った。眼前には火球が迫る。

 ラミアはその火球を右手で吸い込むと、すぐに身体を捻らせ、噴きあがった炎の柱にそれをぶつけるように放った。

 炎の柱と人一人を軽く飲み込んでしまうほどの火球はお互いに打ち消しあい、それによって生じた風圧で炎の剣はその身を消した。

 炎獅子は風圧で少し身体をよろけさせたが、すぐに体勢を立て直しラミアにその牙を向ける。

 しかし、それはもう遅かった。

 一瞬の時間を稼げれば、ラミアにとっては十分すぎるほどだったのだ。

「対する弱者を飲み込む闇よ、我を守護せよ。――ダークホール!」

 炎獅子の前に黒いカーテンのようなものが現われ、その巨体を包み込むように飲み込んでいった。

 静かにラミアは地面に足をつける。

 舞が終わったのだ。

「フフ、今のは少し危なかったよ。危うく焼き殺されるところだった」

「今のをやりすごされてしまうとは思いませんでした。傷一つつけられないとは、悔しいですね」

 ラミアとダニッシュは互いに互いを讃えあっていた。それは相手を尊敬しているからこそできる会話だった。

「……まだ戦っていたいけれど、それは無理なようだね」

「どうして、ですか」

「アンタも知っているだろう。私が人間と魔族、二つの血を持っていることを。――魔法をあと一回でも吸い込めば、人間になっちまいそうなんだよ」

 自分に課せられた代償。そうラミアは思っている。

 人間になってしまえば力を失う。魔法も力もなにもかもが使えなくなってしまうのだ。

 それはそこらの人間よりも弱いこと意味する。

 だからラミアはその姿で死ぬことだけは嫌だった。

 死ぬのならばせめて、魔族の姿で逝きたかったのだ。

「次で最後だよ。いいね?」

「……ええ、わかりました」

 もう、言葉はいらないと感じた。ダニッシュに自分の思いは伝わっているだろう、と。

 この勝負、自分が負ける。

 それは抗いようのない定めのように感じられた。世界のルールがそうであるかのような、そんな錯覚におちいるまでに。

 だから、ラミアはそのルールを打ち破ってやろうかというほどに、次の攻撃に全てを注ぐ。

 それがラミアにとって、ラミアに過酷な宿命、人生を課してきた世界に対する、唯一の抵抗だと思ったのだ。

 二人は駆け出した。

 その一瞬に、互いの力が注がれ交差した。

 始まりも終わりも、この二人にとっては同じに思えた。

 魔法がぶつかりあい、そして、一方が消され、術者の身体を吹き飛ばす。

 ――決着がついた瞬間だった。




「勝った……」

 ダニッシュは呟いた。

 それが合図のように、人間達の歓声が辺りに響き渡る。

 ラミアは身体を横たわらせながら動かない。それはダニッシュが勝利したことを意味していた。

「わたしは勝ってしまった……」

 ダニッシュは再度呟く。その言葉には前向きな意味はこめられていない。

「ほら、なにをぼさっとしてるんだい、早くそいつを取り押さえな! 次は魔法ではなく普通の縄で縛るんだよ!」

 キエラがダニッシュの側で叫んだ。その叫びに押されるように、周りの兵士はラミアの腕を何重にも縄で縛っていった。

「よくやった、ダニッシュ。やっぱりあんたは英雄だ」

「……そうですね。わたしは、英雄だ」

「そうだ、あんたは英雄だよ。だから最後までしっかり、役目を果たさなきゃいけない」

 キエラはそういって、ダニッシュに剣を握らせる。

「さぁ、いきな!」

 ダニッシュは背中を押されるがままに、ラミアのもとへと歩き出す。

 ダニッシュが近づくと、ラミアの周囲にいた兵士はささっと後ろに下がった。

 ラミアは俯いたまま動かない。もう既に死んでしまっているのではないかと勘違いしてしまいそうになるほどだ。

 ダニッシュの歩みが止まる。ラミアのすぐ横まで来たためだ。

 下からは人間達の歓声。

 それは当たり前の光景なのだが、しかし、ダニッシュにとっては非現実的なものに思えた。

「……早くしな。そうしないと、アンタは英雄じゃなくなっちまうよ」

 それは、もたもたしていれば、覚悟のない者と判断されてしまうということだった。

 ダニッシュにとってもラミアにとっても、それは望むことではない。

 綺麗に終わるためには、どちらかが欠けてもだめなのだ。

 ダニッシュがラミアを殺さなければ、この戦いは綺麗に終われないのだ。

「しかたが、ないんですよね」

「そうだよ……そのためにアンタは立ちあがってくれたんだろう?」

 ダニッシュは頷いた。

 ラミアは口元に笑みを浮かべ、

「――楽しかったよ、最期にアンタと戦えて満足だ」

 と言葉にした。

 ダニッシュは剣を振り上げると目を瞑った。

 自分の決意を確認し、剣を握る手に力をこめる。

 ――ダニッシュは剣を振り下ろした、その瞬間。


 ――お姉ちゃん、死んじゃ嫌だよっ!


 その叫びが聞こえ、ダニッシュはラミアの首の皮一枚を斬り、剣を止めた。

 声の在り処を探すように、ダニッシュは視線を動かした。

「リン……? 無事だったのかい!?」

 ダニッシュよりも先に、ラミアがその姿を見つけたようだった。

 人間が群がっている場所とは少し離れたところ、森林の一つの木に手をつき、息を荒げながらこちらを見上げているのがわかった。

「お姉ちゃん……お姉ちゃん!」

 リンが駆け出した。

 突然の異端者に、多くの人間が戸惑いの声を漏らしていた。

 誰だこの子供は、と言わんばかりの目でリンを見つめ、その中にはラミアの処刑を邪魔したことによる敵意も含まれていた。

 リンは人間達の前に一人立つと、深々と頭を下げ、

「お願いです、お姉ちゃんを殺さないでください! お姉ちゃんを許してあげてください!」

 と、人間達に懇願した。

「やめな、リンっ! そんなことをしたって意味はないんだよ!」

 ラミアが当然のように叫ぶ。

 そう。リンのやっていることは意味のないことなのだ。

 こんなことをしてもこの場は収まらない。ラミアの処刑は免れられない。

 それはダニッシュにもわかっていた。

「お願いします。お願いします……っ!」

 しかし、リンは懇願をやめなかった。それはまるで自分にはこんなことしかできない、こんなことでしか義姉を救えないと思っているかのようだった。

『なにをふざけたことを言ってんだ、このくそがきがぁ!』

『そんなことできるわけないだろうがっ!』

 人間の怒りがリンに向けられる。

 しまいには石などを投げつけるものまで現われた。

 その石がリンの額や腕、胸に次々と当たる。

「……なにをしてんだい、この人間どもぉぉおおお!!」

 ラミアが声を荒げ、人間たちに吼えた。

 そこには殺意しか混ざっておらず、もし縄で縛られていなかったのなら、下の人間達はっ一人残らずラミアに殺されていただろう。

 そんな状況でも、リンは毅然と地に足をつけ、

「どうか、どうかお姉ちゃんを許してください。――殺さないでください!」

 必死に頭を下げ続けていた。

「リン、早く……早く頭を上げて逃げな……」

 ラミアはもう叫んでも意味がないことに気づいたのか、とても悲しい声でそう願うように呟いた。

「ダニッシュ、早く私を殺しておくれ。そうすれば、リンも諦めがつく。さぁ、早く!」

 ラミアはダニッシュにそう願い出る。

 しかし、ダニッシュはその願いに返事をしなかった。

「静かに……みなさん静かにしてください!」

 その代わりに、ダニッシュが下の人間達をとめるように叫んだ。

「その子に危害を加えるのをやめてください! そんなことをしても何の意味もない」

 ダニッシュがそう言うと、次第に人間達も冷静になっていったのか、リンに石を投げるのをやめていった。

「お願いします。どうか、どうか……」

 リンは呪文のように懇願を繰り返す。そうしなければ自らが死んでしまうかのように。

 ダニッシュは静かに瞳を閉じた。

 思い返すのは自分の幼い頃の記憶。両親が魔族に殺されてしまったときのことだった。

「……あのときわたしはリンちゃんのように助けようとしなかった。ただ恐怖に振るえ、父や母が殺されていくのを見ているだけだった」

 いま、リンがしていること。それがいかに凄いことなのか、それはダニッシュにしか理解できないだろう。自らを危険に曝して、大切な人を助けようとすることがいかに凄いかなど、下にいる人間達にはわからないだろう。

 わかっていたのなら、リンに危害を加えることなどできるはずもないのだから。

 それはしかたのないことだった。戦争の勝利は目前なのだ。そんな些細なことに目を向けるものなどいないのが普通。

 ここでラミアを殺し、幼い子供を無視して、大きな勝利を掴むのが普通なのだから。

「……でも、わたしにはそれはできません」

 もしここで自分がラミアを殺せば、リンは心に一生の傷を負い、自分のように恐怖を抱くようになるかもしれない。

 もしくはリンは人間を恨み、アンナのように憎悪の塊に変わってしまうかもしれない。

「そんなの同じことの繰り返しじゃないですか……っ!」

 ダニッシュは気づいた。

 この世界は憎しみに溢れていて、それがなくなることがないように作られているのだと。

 どんなに取り繕ったって、争いは生まれてしまうのだと。

 争いを、憎しみを、終わらせることなんてできないのだと。

「でも、それを終わらせようとしているんですね、レイノス君は」

 レイノスの隣に立てるようになる。

 そのためには諦めちゃ駄目なんだとダニッシュは気づいたのだ。

 ラミアの生をラミアの喜びを、そして、人々の幸せを――自分の本当にやりたいと思っていることを。

 ダニッシュは、人間たちに問いかけた。

「……みなさんはこの戦争で何を考えましたか?」

「ダニッシュ……?」

 キエラが何を言い出すのか、と不思議そうに名前を呼ぶ。

「悲しい、空しい、なぜこんなことをしているのか……わたしはそんな風に思いました。どうして魔族と人間が争っているんだろう。その理由もわからないまま、ただ流されるままに戦っていました」

 下にいる人間達はざわついていた。いまさら何を言い出すのかとでも言うような目でダニッシュを見上げている。これまでダニッシュの命令で戦ってきたものたちにとって、このダニッシュの発言は、目の前にいる少女の言葉によって処刑をためらっているように見えるのかもしれない。

 しかし、実際そのとおりだった。

 ダニッシュは、リンの言葉によってラミアの処刑をためらうどころか、処刑を行わないことを決意していた。

 ラミアやリンを救うことを、いや、二人を普通の姉妹のように生きていかせようとしていたのだ。こんなところでそれを終わらせるわけにはいかないと、そう思っていたのだった。

「それはみなさんも一緒なんじゃないかと思います。ここに人間と魔族が争う理由を知っている人がいるのなら、教えてほしいくらいです。……でも、誰にもわからない。そんなこと誰にだってわかるはずがないんです」

 ダニッシュの言葉は止まらない。

「それは人間だけじゃない、魔族だって一緒だと思います。――現に魔族が人間全てを憎んでいるわけじゃない。それを、僕は知っています」

 ダニッシュは噛みしめるように言った。下の人間達はその表情を窺い知ることはできなかったが、周囲にいるものたちはそれを見ることができた。

 その表情は嘘を言っているようには見えず、周囲のものたちを、キエラを困惑させているようだった。

「わたしは――この戦争をする前から、ここにいるラミアさんを知っていました。その時間は少なかったですが……魔族としてではない、ラミアさん自身の顔を知ることができたと思っています。だから、わたしは今でもラミアさんを対等の、一人の人物として認めていますし、魔族だから殺さなければいけないなんて思っていません」

 下の人間達のざわめきもいつしか消えていた。

 ダニッシュの言葉に納得してそうなっているわけではない。ダニッシュの真剣さに、言葉を挟むのがいけないことのように思えていたのだ。

 ダニッシュもそれがわかり、安心しながら言葉をつなぐ。

「わたしたちはまだ知らないんじゃないでしょうか。魔族という種族を。それは魔族にもいえるのかもしれません。だから――もっとお互いに歩み寄ってもいいと、わたしは思います。……憎しみが邪魔をするかもしれません。わたしだって両親を、魔族に殺されました。でも――それは人間だけに言えることじゃない。人間だって魔族を、魔物を殺している」

 誰かが下で不満げに舌打ちをした。

 不満そうに、本当に不満そうに舌打ちをした人間は、ダニッシュに向かって声を荒げる。

『それならよ! 親友を殺された俺はこの憎しみをどこにぶつければいいんだよっ! 憎しみを押し殺してこの先、生きていけっていうのか!?』

 その男は、この戦争で親友を失った男だった。

 怒りの矛先を魔族にぶつけていたから、ダニッシュはよく覚えていた。殺された親友は確かアウドルといったか……。

「憎しみをどこにぶつけたらいいのか。それはわたしにはわかりません。でも――だからといってそれを魔族にぶつけていいことにはならない! そんなことが許されれば、憎しみの連鎖は止まらない。あなたと同じような悲しみを、また誰かに背負わせるつもりですか。そんな身勝手、許されていいんですかっ!」

 それは自分に向けて放った言葉のように思えた。

 自分の決意が足りないのを言い訳に、リンに同じ宿命を背負わせる寸前だったダニッシュに向けて。

『……っ! そんなこと、俺の知ったことかよーーっ!』

 男は憎しみをぶつけるように、走り出した。

 進む先にいるのは……いまだに小さな声で義姉の懇願を続けるリンだった。

『死ね! いつまでも魔族の命乞いをしやがってぇぇええ!』

「リンっ!!」

 ラミアが立ち上がらんかという勢いで叫んだ。

 男は腰から剣を抜き、リンに向けて振り下ろす――。


「やめてくだされっ!」


 瞬間、男の剣が弾かれ、男の前にリンを庇うような形で立ちふさがるものたちが現われた。

「みんな……」

 ラミアがみんなといったものたち――それは魔族と人間が共存する村の者達だった。

「やめてくだされ。わたしたちの大事な娘達を、どうか傷つけないでくだされ……」

 村長が男に向けて頭を下げた。続くように他の村人達も頭を下げる。それどころか、膝と額を地面にこすりつけるようにおろす。

「な、なんだおまえらっ!」

「わたしたちはひっそりと、前回の戦争で傷ついたものたちが寄り添ってできた村の者でございます。それはそこの幼いリンも、そして上で今まさに処刑されようとしているラミアも含めてです」

 人間達は驚いたように村長たちを見ていた。

 それはそうだ。魔族と人間が揃いも揃って頭を下げていたのだから。

 ――攻撃を受けようとしていた人間と、殺されそうな魔族のために。

 どうかリンを許してやってください。幼き故、感情が先走ってしまいこのようなことになってしまったのです。どうか、その怒りの矛先を収めてくだされ」

 村長は頭をさげたまま、いった。ダニッシュも、村長の言葉を聞くためなのか話すことをやめていた。

「……そして、どうか上にいるラミアも許してやってはもらえませんか。もちろん、おかしなことを言っているのは重々承知の上でございます。この戦争の一端を率いたものを許せなど、到底叶わないものだとわかっております。――しかし、それでもわたしたちはそれを言いたいっ! あの子ばかりに負担を背負わせてしまったものの罪滅ぼしとして、ラミアを、わたしたちの村の家族を救いたいのですっ!」

 村長は顔を上げた。そして、他の村人たちも。

 その瞬間、人間達が一歩引いたのがわかった。

 その表情はダニッシュからはわからない。しかし、下の人間達の様子を見る限り、どのようなものなのかは容易に想像がついた。

「魔族の命がほしいのなら、喜んでこの老いぼれの命を差し上げましょう。足りないというのなら、他の魔族の命も差し上げます。それでも足りないというのなら、わたしたちの村の命を全て差し上げましょう。……わたしたち全員が、その覚悟をもってここにいることをわかってもらいたい! そのかわり、どうか、どうかこの幼いリンとラミアの命を助けてはくださらんか。――お願いいたしますっ!」

「っ……おじいちゃん」

 人間達はなにも言わなかった、いや言えなかった。自分の、ましてや自分以外の命を天秤にかけた想いをぶつけられることなど、そうないのだから。

 だから、次に言葉を発したのは、人間でもダニッシュでもラミアでもなかった。

「――わたしたちはあなたたちの気持ちがわかる。他の種と共存していく難しさ、それに伴う苦しみが。だから……私たちはあなたたちの言葉を受け入れます」

 人垣のなかから抜け出してきたのは、ゲルブ村の面々だった。

 そして人間達に対するように毅然と立つと、マニ村のものたちを守るように両手を広げた。

「私たちは以前まで、獣人と人間が憎しみを抱きあい、争っていた村のものたちです。どうして憎しみあっていたのかなんてわからない。小さな綻びからいつしかそうなっていたのでしょう。――でもわたしたちはいま、互いを認め一緒に村を作り直そうとしている。それは互いに憎しみあっていても悲劇しか生まないのだと気づいたからです。だから――あなたがたも決め付けないでください! 人間と魔族は共存できないと! 魔族だから、魔族を守るものだからという理由で、憎しみをぶつけないでください。そんなことをしてもいつかは気づきます――そんなこと意味がないってことに!」

 ゲルブ村の長、イマムネが人間に向けて言葉を放つ。

 それは自分が体験したからこそ真実味を帯びており、人を納得させる何かをもっていた。

 ダニッシュはそう感じ、やはり自分達三人がしていた旅は無駄ではなかったのだと、再度強く感じた。

 人間たちが言葉を失っているのがわかる。

 みんな心の奥底ではわかっているのだ、憎しみなんてものをもっていても空しいだけなのだと。

 でもそれを、様々なものが邪魔して素直になること許さないのだ。


 ――そろそろ、終わらせなければいけませんね。この戦いを。


「みなさんっ! この戦いには終わりが必要だ。それはわたしか、ここにいるラミアさんを殺すこと以外にはないでしょう! だから、この戦いに決着がついたとき、もう一度考えてほしい! 人間と魔族は本当に憎しみあわなければいけない存在なのか。そうしなければ、この戦争の決着の意味がなくなってしまう!」

 誰一人として、言葉を発しなかった。

 それは一人一人が、この出来事を簡単には終わらせないようにしているのだと、ダニッシュは信じていた。

「……わたしはラミアさんに敬意を払いたい! こんな大勢の前で死ぬ姿を晒させたくはない。だから……わたし一人にこの役目を任せてもらいたいのです! ひっそりと、静かにラミアさんを逝かせてあげたい! それだけ、それだけ許してもらえないでしょうか!」

 ダニッシュの最後の願いだった。

 これさえ叶えば、ダニッシュはラミアを救うことができると確信していた。

 そんなとき、ダニッシュの背後からキエラが姿を現した。

「それは、この魔族を逃がすための口実ではないんだろうね?」

「……ここに、誓います。もし、ラミアさんを殺したときにはその首をみなさんに見せましょう」

「そうかい……」

 キエラは顔を一瞬伏せると、下の者達にむかって叫んだ。

「みんな! 明日の朝、このラミアの首をダニッシュが必ずもってきてくれる! だから……この願いをゆるしてやろうじゃないか! この戦争を勝つことができたのも、ダニッシュのおかげさ! だから、この小さな願いを潰すことは私にはできない! どうだい?」

 人間達も、少し考える素振りをみせるが、明らかには否定はしなかった。

 それが、人間達の答えだった。

「いいそうだ。……よかったね、ダニッシュ。――アンタの願い叶いそうだよ」

「キエラさん、あなたは……」

「ほら、もういきな! もう日が暮れる。明日の朝までの時間は少ないよ?」

「……わかりました」

 ダニッシュは頷くと、ラミアの腕を引っ張り、立ち上がらせた。

「お姉ちゃんっ! 嫌だよ、死なないでぇぇ!」

 下にいる、マニ村のものたちは半ばわかりきったようにダニッシュたちを見上げていた。それは大人という年齢になっているから理解できたのかもしれない。ラミアが殺されてしまうということが。

 しかし、リンは違った。そんなこと納得できないというように、声を荒げ、村人の制止も聞かなかった。

「やだっ! やだよ……っ!」

 ダニッシュがその声を聞かせないように腕を引っ張ろうとすると、ラミアが抵抗した。

「ラミアさん……?」

「……ダニッシュ、ちょっといいかい。少しの時間だ、リンに言いたいことがある」

 そういって、ラミアは一人、壁の淵にたちリンを見下ろした。

 そして――。

「リン! 私はアンタのお姉ちゃんでいれてよかったよ! こんなにも私のために泣いてくれる家族がいて、私は本当に幸せだっ! もっとアンタと遊びたかった、話をしたかった、食事を共にしたかった、アンタの側で笑っていたかった! それをしてやれなくて、ほんとうにごめんね。でも――」


 ――私はリンを本当に愛していたよ――。


「……お姉ちゃん。おねえちゃぁぁあああん!」

 ラミアはぐっと、こらえるように唇を噛みながら、リンに背を向けた。

「さぁ、いこうか」

「……ええ、いきましょう」

 広いコーネリアに響き渡るのは、幼い少女の泣き声とそれを包むように流れる風の音だけだった。

 日はもう沈もうとしていた――。




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