処刑直前
「はぁはぁ、っはぁ……!」
一人、森の中を駆ける少女がいた。
道なき道をひたすら掻き分けるように進み、なにかに追い立てられるかのような表情をしている少女――それはリンだった。
「死なないで、お姉ちゃん!!」
――貴様の義姉はもうじき死ぬ。人間の手で処刑されてな。
魔王が放ったその言葉は、リンの思考を一瞬停止させるまでに至った。
ダニッシュとラミアが村を離れてからすぐに、リンは魔族に連れ去られた。村のものに気づかれることはなかった。
なぜソージアがリンを連れ去ったのかはわからない。
デスパレスの一部屋に入れられたまま、何をされるわけでもなく閉じ込められていたのだから。
そうして、今日までその部屋でリンは過ごしていた。
不安に押しつぶされそうになっても、きっと義姉が助けてくれる。そう信じて、じっと耐えていた。
しかし――。
『魔族は負けた。これが何を意味するかわかるか?』
突然部屋に入ってきたソージアが伝えてきたことがそれだった。
魔族は敗北した。それは言い換えれば、義姉のラミアが負けたということだ。
少し幼いリンにもそのことは理解できた。
少しずつ、リンの心の中に言葉には表せない気持ちが広がっていった。
『ラミアはお前を助けるために、負けるわけにはいかないと俺に言った。その焦りがこの結果を生んだのだ』
『負けてほしかったの……?』
『そうだなぁ、そうなるか。そのために貴様をここに招いていたのだからな』
くっくっく、と愉快そうに笑うソージアを見て、リンは初めて不快という感情を抱いた。
『貴様は種だ。その種がいつか成長することを期待して、貴様にチャンスをやろう。――解放してやる。今から走れば、ラミアの処刑に間に合うかもしれんぞ?』
ソージアはそういって、部屋の扉を開けた。リンは部屋をすぐに飛び出すと、視界が真っ白になり、視界が晴れるとそこは見慣れた村だった。
村人がリンを見つけると、すぐさま多くの人だかりができた。
多くが心配の声を掛けてくれた。何日か姿を消していたのだから当然なのだが、今のリンにとってはそんな気遣いは必要なかった。
今の気持ちは一つ。
『お姉ちゃんが、死んじゃう……リンはお姉ちゃんを助けたいよっ!』
村人の間を這い出るようにリンは走り出した。
そうしてリンは今、森の中を汗を飛び散らせながら駆けている。
「今、いくね」
リンは噛みしめるように呟いた。
「まんまと、嵌められたんだね私は」
東の壁へと繋がる階段を上っていると、ラミアがぼそっと言葉を漏らした。
「作戦通りに事が進んだだけさ。こっちだって簡単に勝利を掴んだわけじゃない」
キエラが淡々と言葉にする。
「まず川を塞き止め、それに気づかせないよう初日にあんな前線まで出張ってきたわけだ。そして徐々に押されている振りをして魔族軍を前進させ、頃合いを見計らって私たちを分断し、背後の援軍で後方部隊を足止めさせておく。こちらに寝返った人間に紛れるようにわざと裏切り、コーネリアに入った魔族の退路を封鎖。コーネリアに逃げ込んだ人間は船で海上に出る。東、北、南の壁の上で待機していた人間も合図に合わせるように攻撃。いつの間にか我が軍は囲まれていたわけだ」
ラミアが右の口角をあげ、引きつるような笑みを見せた。
「最後に少数で、私を確保するところまでしっかりしているとあっちゃ、何かいえたもんじゃないね」
「ラミアさん……」
こうしている間も、ラミアは死への階段を上っているのだと思うと、ダニッシュは哀れに思えた。
魔族の軍のリーダーを任されたラミアも、こうなってしまってはただの敗軍の将と言わざるおえない。責任を取らなければいけないのだ。
「はは、やっぱり私には荷が重かったかね、魔族全体を率いるってのは」
自分を嘲るように溢すラミアの言葉は、全てが空しく響いていた。
「……もうすぐですよ、ラミアさん」
言葉通り、もうすぐ壁の上へと到着しようとしていた、
ダニッシュは一瞬踏みとどまりそうになるが、今までに固めてきた決意と覚悟で足を進ませた。
――辺りは歓喜の声に包まれていた。
海上に出ていた人間達も、船を下りて東門付近へと集結していた。
魔族はうな垂れており、もう戦う気力はないようだった。
『勝ったーっ! 俺達は魔族に打ち勝ったんだ!』
『早く、早くその女を殺してくれー!』
眼下に広がる人間の群れから、そんな声がダニッシュの耳に届いた。
そうだ、これが普通なんだ。わたしたちは勝ったんだから。
ラミアさんを知らない人たちがこう言ってしまうのも無理はないんだ。
「わたしだって、ラミアさんを知らなかったらこんなふうに……」
拳を握り締める力が強くなる。
しょせんはそんなものなのだ。こんなことに感情を含めるべきではない。
――ラミアさんを救うこと、それは一刻も早くその命を断つことなのだから。
「……くっ!」
ダニッシュは唇を血が滲むほど噛んだ。
「ラミアさんを所定の位置へ。皆さんに見えるようにお願いします」
ダニッシュが近くの兵に指示すると、ラミアの両腕を掴み、人間達に曝け出すように地面に座らせた。
ダニッシュは剣を受け取り、ラミアの側へと近づいていく。
足の進みが鈍っているのがわかる。
決意したのに、身体が言うことをきかないのだ。
そんなとき――。
「ダニッシュ、私をもう殺してしまうのかい?」
ラミアがダニッシュに話しかけた。
「え……?」
「私との約束を果たさないで殺すのかい、と聞いているんだよ。……私は嫌だね。アンタとはちゃんと決着をつけたい」
「きさまぁ、なにをわけのわからないことを言ってるんだ!」
ラミアを掴んでいる兵士が語気を強める。
瞬間――ラミアを拘束していた魔法の鎖が、ラミアの右手に吸い込まれた。
そして両腕を掴んでいた兵士を振りほどき、自らを拘束していた鎖で周りの兵士を拘束していった。
「なっ、なにをしてるんだい! いまさら無駄な抵抗を!」
キエラが鎖を避けて叫ぶ。そして反撃に出ようとすると、
「やめてください、キエラさん」
ダニッシュがそれを制止した。
「ダニッシュ……?」
「ふふ、アンタわかってるじゃないか。やっぱり、最高だよ」
ラミアが嬉しそうに笑みを浮かべる。
「いいです、ここであなたを倒し、本当に終わりにしてあげます。約束を果たしましょう――ラミアさん」
まっすぐと、ダニッシュはラミアを見つめた。
ラミアはその視線を受け止めると、一瞬下を向き、
「ありがとね……」
と小さく、本当に小さく呟いた。
ダニッシュにとってこれが、本当に最後の戦いになるだろうと感じていた。
英雄としてのダニッシュではない、人間としてのダニッシュの戦いだと。
同時に、地面を蹴った二人。
――互いの魔法が交差した瞬間、戦いの火蓋は切って落とされた。