人間の最後の戦い
「後方の部隊には通達したかい?」
ダニッシュが去ったあと、ラミアは側近の魔族を呼び、自分の連絡が行き渡っているのかを確認した。側近のものはこくり、と頷きラミアの前から姿を消す。
ラミアにとって、後方の人間の援軍は予想していなかった。だから、作戦の開始が早まってしまったことは自分の失態だと感じていた。
そもそも、人間がこちら側に寝返るのはもう少しあとだった。
魔族が人間をコーネリアまで押しこみ、人間が門を閉じたところを中から終わらせるというものだった。
人間が人間を倒し、この戦争は終わるはずだったのだ。
しかし、予想に反して人間が食らいつき、魔族の進行が遅れた。援軍もきてしまっては仕方がない。人間の必死な抵抗の成果と言っていいだろう。
「でも、それももう終わりだよ」
ラミアは既に魔族全体にこう通達してある。
――人間が退却を始めたら、それを追撃し一気にコーネリアへとなだれこめ、と。
ここの人間を魔族が皆殺しにしても戦争の勝利とはならない。
コーネリアという人間の拠点をなきものにしなければ、人間の魔族への火は燃え続けてしまう。
人間のその火を、希望を吹き消さなければならないのだ。
「……それにはアンタの命も含まれてるんだよ」
ラミアはそっと呟く。
戦いは、まだ終わっていない。
「キエラさんっ……あなた、容赦なさすぎですよ!」
「甘いこと言ってるんじゃないよ! これは、最後の戦いなんだからねぇ!」
「っ……! そうですね、そうしましょう」
ダニッシュはぼそぼそと魔法の詠唱を始めると、辺り一面に白い霧が広がりだす。
「姑息だねぇ」
「いいんですよ、これで。今を凌げればいいんです」
ダニッシュの視界が白く覆われて、キエラの姿がじょじょに霞んでいく。
すぐにダニッシュは空に何発もの火の玉を放った。
それは合図。
この平野に流れていた川を、再び取り戻すための。
ゴゴゴゴゴッ!! と平野全体を包み込むような轟音が響き渡る。
「――退却、退却ーっ!」
人間達が、裏切った者の間をすりぬけるように退却を始める。
それを見逃すものもいれば、それを阻止しようと剣を振るう裏切り者もいた。
キエラは前者のようだった。
「――今だけは見逃してあげようかね」
「――今さえ見逃してもらえれば、なにも文句はないですよ」
すれ違いざま二人は言葉を交わす。
二人の顔には笑みが浮かんでいた。
「なんの音だい!」
ラミアが怒鳴るように叫ぶ。
「――報告っ! 平野中央付近の森から突然大量の水が流れ込んだ模様! 我が軍は二手に分断されました」
「水……? ――やられた、川をせき止められていたのかっ!」
ラミアが後ろを振り向くと、遠くからでも確認できる濁流のような水の流れが、そこにはあった。
中央の部隊は水に飲み込まれたいるようで、周囲のものたちも何が起きたのか理解していないのか、濁流から逃げるように前進してきている。
ラミアの前方の視界に残っていた、白い霧が晴れていく。そこには人間たちが退却を始めているのが見えた。
「――コーネリアに立てこもって人間側の混乱を収拾させるつもりかい」
こちらもいま、軍が二分され混乱している。このままこの場でじっとしていても混乱が広がるばかりだと、ラミアは考えた。
後方には人間の援軍がいるのだ。川で分断された後方の部隊が崩されてしまっては、態勢を立て直すことも厳しくなり魔族のほうが窮地に立たされる。
「もともと、今日で決着をつけるつもりだったんだ。追撃するなら、いまかい」
ラミアは側近に通達を頼んだ。
そして、前方の魔族軍に聞こえるよう高らかに叫ぶ。
「突撃、突撃ーーーーっ!!
「始まりましたね」
「ええ。――私たちも動き出さないと。私たちの村を救ってくれたダニッシュさんや、人間の人たちを助けるためにも!」
ここは魔族軍の後方――魔族が援軍と思っているところ。
その先頭に立っているのは、ミリネとイマムネ。
そしてゲルブ村の面々だった。
――実はまだ人間の援軍は到着していない。到着するのはあと二日ほど経った頃だろう。
ダニッシュがイマムネたちに頼んだこと。
それは平野中央に位置する川をせきとめ、加えて援軍のフリをしてくれ、というものだった。
戦闘はしなくてもいいからただ援軍のようにいてくれ、と。
「ダニッシュさんも考えますね。ここからでも魔族が混乱しているのがわかります」
「ダニッシュさんは動かなくても大丈夫だといいましたけど……それじゃ、ダニッシュさんに恩返しすることができない。レイノスさんやアンナさんにも顔向けできないです」
「父や母の理想は守られました。――次はダニッシュさんたちの理想を叶える番です!」
そうでしょう、みなさん!
イマムネが、いやゲルブ村の長がそう言い放つと、ゲルブ村の大勢の獣人、人間が拳を、剣を掲げて呼応する。
イマムネとミリネは互いに視線を交わし、そして、一歩を踏み出した。
レイノスたちが救った理想が、今度はレイノスたちの理想を助けはじめた瞬間だった――。
「みなさん急いで、あらかじめ伝えておいた船に乗り込んでください! 人数がそろった船はすぐに出港して、準備を始めておいてください!」
コーネリア港付近、人間達でそこは溢れていた。
それは無理もない。なぜなら、戦争に参加していたほとんどが集まっているのだから。
「一番船、出航します!」
どこからか出航の掛け声が聞こえる。ダニッシュが声の方向を見ると、一隻の船が大海原へと進んでいくのがわかった。
続くように、二番船、三番船……と多くの船が出港していく。その光景は圧巻するほどにすさまじく、ダニッシュは一瞬息を呑んで見つめてしまっていた。
そんなとき。
「ダニッシュさん! 魔族たちがコーネリアに入ってきました! このままじゃ――全員が乗り込み終わる前に追いつかれてしまいます!」
一人の女性がダニッシュに連絡する。
「さすがラミアさん。白煙でもう少し時間を稼げると思ったのですが……迅速ですね」
ダニッシュは慌てる様子を見せず、こんなことは想定していたというような表情を浮かべる。慌てるでもなく、ただ感心していた。
「――わたしが残って少し時間を稼ぎます。他のみんなには出航をもう少し早めるよう伝えてください」
「しかし、それではダニッシュ様が」
「大丈夫です、時間を稼いだらすぐにでもなんとかして逃げますよ。心配しないで!」
「本当ですか……?」
「本当です! ――さぁ、あなたも急いで!」
ダニッシュはにこやかな表情を浮かべ、目の前の女性の背中を押してあげた。
これまで偽りの英雄として人の背中を押してきたダニッシュ。しかし、今回はそうではない。
自ら考え、自ら行動し、そして自らを危険にさらす。
それは魔物恐怖症のときのダニッシュではできないことだった。
「いま思えば、わたしは魔物が怖かったわけではないのかもしれないですね」
自分は怖さから逃げていたのだと、そう感じた。
両親が目の前で殺された残酷な出来事。それはダニッシュに恐怖に再び出会うのではないかという、恐怖を植えつけた。
魔物はそれの引き金にすぎなかったのだ。
「でも、怖さを恐れるなんて、そんなことは誰だって一緒なんです」
誰だって怖さを味わいたくない。恐怖したくはない。
そんななかの一人にすぎなかった自分を、特別だと勘違いして特段恐れてしまっていた。
それが特別ではないと気づいたとき、ダニッシュは受け入れられたのだ。恐怖というものを。
「ラミアさん、あなたが陥っているものは、こんな普通のわたしには到底解決できるものではないでしょう。だから、せめてあなたをここで終わらせます。そして――」
ダニッシュは言葉を飲み込み、魔物の軍勢の方向へと走り出した。
コーネリア東門付近。
キエラが魔族軍の最後尾がコーネリアに入るのを確認した。
――頃合いだねぇ。
キエラは呟くと、周りのものに視線を送る。
周囲のものはキエラの視線を確認すると、一斉に動き出した。
――裏切った人間達に鎖の魔法を放ち、次々と拘束していったのだ。
「なんだ、何をするんだ!」
拘束された男がわめく。縛られた両手両足をじたばたと動かし、魔法の鎖から抜け出そうとしていた。
「何をしてくれたんだ、ってこっちが言いたいよ。よくも――よくも人間を裏切ってくれたね」
キエラが男の顔に自らの顔を近づけ、脅すような凄みのある声音で言った。
「まぁ、そのおかげで作戦に一味加えることができるようになったんだけどねぇ」
キエラは男のあごを指先で持ち上げ、ニコっと微笑んだ。
その笑みは周囲の人間全ての背筋を凍らせるようなものだった。それほどまでにキエラは憤っているのだと感じることができる。
「門を閉めなぁっ! ここに残って逃げ出してきた魔物を仕留めるものたちは、しっかりこの裏切り者たちを見張っておくんだよ! それ以外は私につき、コーネリアへと入るよ!」
おうっ! という返事が返ってくると、キエラは駆け出した。
視界に写るのは門の先にいる無数の魔物。
キエラたちはその中へと飛び込んでいく。
キィィィッ! という音が後ろでし始めた。
コーネリアの門が閉まりだす。
「さぁ、わたしはここです! 殺せると思うなら片っ端からかかってきなさい!」
コーネリア中央部。
そこはコーネリア港へと続く道がある場所。その道を塞ぐようにダニッシュは一人立っていた。
目の前には、気を失いそうなほどおびただしい数の魔物がいる。
こんなもの、誰だって足が震える、逃げ出したくなる。
死の恐怖の前に恐れおののく。
「でも、レイノス君はそんな恐怖に打ち勝ったんだ」
アンナを助けるために行ったレイノスの行動は、本当に凄いものだったのだとダニッシュは実感していた。
「あの男を殺せっ! そうすれば我が魔族の勝利だ!」
どこからかそんな声が聞こえた。
魔物が瞬間、ダニッシュに襲い掛かる!
爪が、牙が、剣が、魔法がダニッシュに一斉に向けられる。
もう、ダニッシュには策などない。
この瞬間を生き残るためには、ただ自分の力を信じて耐え抜くしかない。
魔族の軍勢を一人で止めるなどという、無謀なことをしようとしているのだから仕方がないと、ダニッシュは無理やり割り切っていた。
「炎よ爆ぜろ!」
短い詠唱で近くにいる魔物を吹き飛ばし、
「地下より出でよ、アースゴーレム」
召喚呪文で盾となるゴーレムを作り出す。
ゴーレムが五体現われ、ダニッシュの周囲を守るように立つ。
魔物を大きな腕で吹き飛ばしていく。
「我らを取り巻く命の源よ、その存在を燃やし、我に仇為すものたちを炎の波となりて呑みこみ尽くせ!」
ダニッシュの周囲の空気がパチパチと音を鳴らし、瞬間、辺り一帯が燃え上がる! それらは大きくうねり、ダニッシュを守っていたゴーレム諸共呑み込んでいく。
ダニッシュは手を――休めない。
「想像せよ、古の生物を。おぞましきその姿、我の前に現し、全ての生物の命を刈り取れ!」
ここぞとばかりに詠唱をする。
「生まれ持つ六つの眼光を光らせ地獄より這い出るがいい、三つ頭の炎の獅子よ!」
空から竜がその頭を現し、次々と魔物を喰らっていく。一方で、地面から現われた三つの頭をもつ炎の獅子――ケルベロスは、その口から炎を吹き出し、敵を燃やし尽くしていた。
しかし、魔物の数は一向に減らない。それどころか、先ほどよりもダニッシュの前にいる数は増えているように見える。
「はぁはぁ、や、やはりキリがないですね。くそ、まだなんですか!」
ダニッシュがそう吐き捨てたとき――。
後方から無数の魔法が飛んでくる。
そして前方、いや前方だけではない、左右からも多くの魔法が魔族に放たれ始めていた。
そこはコーネリアを囲む門の上からだった。
――作戦は成功したのだ。
四方から放たれる無数の魔法に、魔族軍は次々とやられていくのがわかった。
まだ、魔法の雨は止まない。
これだけの魔法でやられていっても、魔族軍は壊滅しないのだ。
本当に凄まじい数を相手にしていたのだとダニッシュは思った。
目の前の魔物は次第に数を減らしていった。
もう、ダニッシュを襲う魔物、魔族はいない。
――人間は勝ったのだ。
魔法の雨が少しずつ止んでいく。人間たちもダニッシュと同じように勝利を確信したのだろう。もちろん、魔族がまた変な動きを見せれば、雨は降り出すのだろうが。
砂煙が舞う。
ダニッシュの視界はいったん、それでおおわれた。その砂煙の一点、黒い人影がこちらに近づいてくる。
「ダニッシュ! ダニッシュはいるのかい!」
砂煙が晴れると、そこにいたのはキエラだった。
そして――。
キエラとその周囲にいる人間に拘束されているラミアの姿もあった。
「ラミアさん……」
ラミアは顔を伏せていて、その表情を窺い知ることはできなかった。
「やったじゃないか! 私たちの、人間の勝利だよ! アンタの作戦のおかげだ」
「いえ、わたしだけではありません。みんなが頑張ってくれたからこそ勝てたんです」
「ふふっ、あんたらしいね、その謙遜のしかたも。アンタは――人間の英雄だ。謙遜なんてする必要はないんだよ」
「英雄――」
ダニッシュは呟いた。
実感は湧かないが、自分は英雄になったのだなあ、と淡白に思っていた。
心の底から英雄になれたことに対して、喜びが湧かないのは、自分は本当に英雄になりたかったわけではないからだとわかっていた。
そして、これから行われることに対しての悲しみからだとも。
「――私を処刑するんだろう? 早くしな」
ラミアが顔を伏せたまま、吐き捨てるように呟いた。
周囲の人間は、何を偉そうにほざくんだ、とラミアを罵る。
「わかって、いるんですね」
「当たり前じゃないか。どちらかがみんなの前で殺されなければ、この戦争に決着は付かない。こんな魔法の鎖で私を縛ったところでなんにもならないよ」
そういって、ラミアは縛られた両手をちらりと見た。
「わかりました」
ダニッシュは静かに首を縦に振る。
「処刑場はどうする? ここで殺しても、みんながわからないから駄目だろう?」
キエラがそう言うと、
「東門の上がいいんじゃないのかい? そこならコーネリアの外のやつらも内のやつらも見ることができる」
ラミアが自らそう提案する。それはある種の達観のようなものに満ちていた。
「そう、ですね」
ダニッシュは目を瞑り頷いた。
ダニッシュはその間に決意する。この戦いを始めた理由になったことをやり遂げるための。
目を開けると、ダニッシュはラミアを東門の上に連れて行くよう促した。ダニッシュも当然ついていく。
――魔族と人間の戦争は、こうして人間の勝利に終わった。