両軍の攻防
海の潮風がダニッシュの頬を撫でる。
穏やかな波が、港に停泊している船を揺らしていた。
日はまだ昇っておらず、日の光が海面をキラキラと照らすことはまだなかった。
「五十一、五十二……これだけあれば、みなさんを乗せることができますね」
港に接岸されている船は、その形、大きさは様々だった。その多くは漁専用に作られた中型船だったが、レアダ号のような大型船もちらほらと確認することができる。
「最悪、乗り切れなかったときのことを考えると、門外に配置する人員を増やすことも視野に入れなければ……」
「――ダニッシュ、アンタこんなところにいたのかい」
ダニッシュの後ろにいたのはキエラだった。振り向いたダニッシュは、悪いことが見つかった子供のような、バツの悪そうな顔を浮かべ、苦笑いをした。
「しっかり寝なきゃだめじゃないか。今日が最後の踏ん張りどころなんだから。寝不足で失敗しました、なんて言い訳はきかないんだよ?」
「はは、すいません。最後の確認をしておきたかったもので」
「まぁ、その気持ちもわかるけどさ。休むときはしっかり休むんだよ?」
「はい、わかってます」
ダニッシュはそういって再び船のほうを向き、各船舶の点検を始めた。
「……ほんとにわかってんのかね」
キエラが呆れたように見つめているのを、ダニッシュは気づくことができない。それほどまでに最後の調整に集中しているのだった。
「……まぁ、いいさ。あたしはあたしのやるべきことをやるだけさ。――人間を裏切ることになるなんて、思ってもいなかったよ」
キエラは呟く。
しかしダニッシュは、その呟きに気づくことはできなかった――。
ラミアはテントの外に出て、目の前に広がる魔物の軍勢を眺め、そしてその先にあるコーネリアに目を向けていた。
魔族軍が押しているため、前線の魔族軍の部隊には、コーネリアを囲う壁が目と鼻の先にあるように見えるのだろう。
ラミアは指揮をとっていたため、現在は魔族軍の中心付近に位置していたが、今日の戦いではラミア自身がもう少し前に出て戦うつもりだった。
「……前線に出てくる大将はいない、そういったのは私だったね」
ラミアは今でも、自分が前線付近にいき、戦うことは愚かだと考えている。なぜなら、指揮を執る大将が殺されてしまっては、その戦いは負けとなってしまうからだ。
「でも、最後くらいは私が、アンタを見送ってやりたいじゃないか」
自分のために戦うと決意してくれた男のために。
自分を救うと言ってくれた男のために。
ラミアは自らの手で、ダニッシュを殺そうとしていた。
この戦いはすでに決着がついている。魔族が率いる軍の数は尋常ではなく、コーネリアを埋め尽くしてしまうほどだ。
人間の軍勢など一呑みにしてしまうだろう。
しかし、この二日間戦っているなかで、力押しをしなかったのはダニッシュに最低限の敬意を払うためだった。
自分の中の誇りにかけて、自分を救うと誓ってくれた男を、簡単に倒すことはどうしてもラミアにはできなかった。
だから、二日待ったのだ。
もう、いいだろう、叶わぬ期待を抱く時間は終わったのだ。
「アンタはよくやった。だから、せめて一瞬で終わらせてあげるよ。そして安らかに眠りな、ダニッシュ」
リンのこともある、この戦いをダニッシュに譲ることはできないが、せめて辱めのないようにはしよう。
そして勝利したあとは、アンタを村に埋葬して一生世話をしようじゃないか。
「――それが私の、アンタの誓いに応えるための役目だと思うからね」
太陽がその姿を現しはじめ、日の光がラミアの背を明るく照らす。
ラミアの顔は影になり、その表情を読み取ることはできない。
ただ、唇を噛みしめているように、誰かがいたのならば思っただろう。そして、その頬に流れる一筋の光を見てしまっただろう。
しかし、それを見るものはいない。ラミアの前にいる魔物と魔族はコーネリアを直視し、周りにいる魔族は決戦の直前でそのような余裕はなかった。
ラミアのこれまでの独り言を聞いているものもいなかった。
――ゆっくりと、ラミアの右手が上がり始める。それを確認したラミアの後方にいる魔族が、三発空に魔法を放ち、高い場所で弾けた。
それが掛け声の合図だった。
「全軍、とつげきぃぃいいっ!」
魔族軍が一斉に、その足を前に進めた。
「魔族たちが進軍を開始しましたっ!」
「……思ったよりも早いですね。――壁の上にいる第一陣は、魔法を放ってください! 足止めしたその隙に、第二陣は平野上に展開し、魔族軍に応戦します! 第三陣は壁の上の第一陣を狙ってくる魔法を相殺し、なおかつ第二陣の援護に努めてください! ……わたしもすぐにでますっ!」
「あたしもいくよ」
人間側の動きは迅速だった。
すぐに前線に第一陣が魔法を放ってその進行を遅らせ、その間に第二陣が平野に横に広がって、縦に隊列を組んでいる魔族を大きく囲う。
第三陣は後方に位置すると、飛んでくる魔法を魔法で弾き、第二陣の間を抜けてきた魔物を撃破していく。
これが今現在ダニッシュが繰り出せる最良の配置だった。
「くっ、突き抜けろ炎柱、ファイヤーポール!」
地面からいくつかの炎の柱が現れ、魔物を次々と燃やし尽くしていく。しかし、倒しても倒しても沸いてくる魔物たち。
それに加え、昨日、一昨日よりも苛烈な進軍に、人間たちは苦しめられていた。
「っ……! あちらも今日で決めてくるつもりですか!」
第二陣を抜ける魔物が徐々に増えてくる。それは第三陣の眼前に多くの魔物がきているということで、第三陣が抜かれれば後ろのコーネリアを守るものはいない。
それは人間側の敗北を意味していた。
「這い出ろ地獄の番犬、レイムケルベロスっ! 第二陣、あと少し頑張ってください! そうすれば――」
「フハハハ、死ね人間ども! 我がタリスが一人残らず消し去ってくれるわ」
魔族の一人がダニッシュの前に現れる。
言葉をしゃべる魔物、それが魔族と呼ばれるものたちだった。
理性のない魔物は魔物だが、理性のある魔物は魔族と呼ばれるのだ。なぜ言葉を喋ることができるのかはわからない。しかし、それが魔族と魔物の区別のされ方だった。
そして、目の前にいるのは言葉をしゃべる魔物、魔族だった。
「切り裂き癒えぬ傷を刻め、デスサイズ!」
タリスが魔法を唱える。すると、タリスの左右から二本の黒い鎌が出現し、ダニッシュに向けて放たれる。
「我を守護する盾となれ、フレイムシールド!」
ダニッシュの前に盾が出現し、黒き鎌が炎の盾にぶつかり弾かれた。黒き鎌は霧のように空気に溶けていき、その姿を消した。
「くそがぁ、人間風情がなめた真似を!」
「その人間風情にいま、あなたは殺されます。――迷いを断ち切る鎖よ、我が迷いを引き連れ、我に仇為す者を突き刺せ! スパイラルチェーン!」
ダニッシュの右手から白き鎖が無数に飛び出し、タリスを含む多くの魔物たちを串刺しにしていった。
もう、ダニッシュの身体は震えない。迷いは振り切り、己の目的を達するため戦うことができていた。
「まだですかっ……」
ダニッシュは焦る。
ダニッシュのいる第二陣のものたちは次々と倒れている。このままでは作戦の前に全滅してしまう恐れがでてきた。
「――危険ですが、少しやってみますか」
呟くと同時、ダニッシュは一人駆け出した。向かうは魔族の軍勢の中。魔法を唱えながら目の前の魔物を押しのけ、魔物に囲まれる位置に自分を置く。
周囲には魔物、そして浴びせられるダニッシュにとって致命傷になりかねない、攻撃の数々。それらを魔法で防ぎ、物理的な攻撃は紙一重でかわすダニッシュ。
そして一瞬の隙をが生まれたとき、ダニッシュは空中へとその身を躍らせた。
「――生を司る我らが神よ。悪しき魂を浄化するため、この場に降臨せよ――シャインアローボール!」
瞬間、空中に巨大な白い球が現れ、ダニッシュの周囲からは光の矢が魔物に向かって放たれた。光の矢は前線の魔物たちの身体の節々に突き刺さり、その動きを止める。
そして、ゆっくりと白い球が魔物たちに下りていく。
地面に下り立った瞬間、白い光が前線の魔物たちを包み込み、その姿を消滅させていった。
空中にいたダニッシュはその光に飛び込むように落ちていき、地面に身体を叩きつける。
「っ……はぁ、はぁはぁ! や、やっぱりこんな魔法は魔王ぐらいの魔力がないと満足に撃ち込めませんか」
そう、これはコーネリアの武闘大会でソージアがつかった魔法を、ダニッシュが人間用にアレンジしたものだった。その前の動きも、武闘大会でレイノスがバリュースの元兵士たちにやっていた動きだ。
それらを突然やってしまうダニッシュは、人間の中でもやはり頭三つほど飛びぬけている。それらがいままで魔物恐怖症によって抑えられていたのだった。
倒れているダニッシュは、身体を起こすように手を地面につく。膝を立てて、立ち上がるために力を足にこめる。
そんなとき、
「やっぱりアンタは強いね――ダニッシュ」
顔をあげると、そこにいたのは――ラミアだった。
「は、はは、ラミアさんですか。まさか、こんなに早く再開するとは思いませんでしたよ」
「私は思ってたよ。早く会って、早くアンタを楽にしてやりたかった。すまないことをしたね、ダニッシュ」
「……は、なにをいってるんですかラミアさん。わたしはまだ死ぬ気はありませんよ? だってまだ、あなたを苦しみから解放してあげていないんですから。わたしが死ぬのは、それが終わったあとですよ」
「もう、いいんだよ。解放なんてする必要はないのさ。だって、私は今のままで満足しているんだから」
「それは嘘ですよ」
ダニッシュはラミアの言葉を斬り捨てるかのように即答した。それはダニッシュの中にある、確信のようなものが言わせたものだった。
「あなたは満足なんてしていない。不満だらけで、自分の生き方に疑問を抱いてる。わたしはわかっていますよ」
「……アンタに何がわかるって言うんだい! 少し一緒の時間を過ごしたぐらいで、いい気になってるんじゃないよ!」
ラミアは右手をダニッシュに向けた。
ダニッシュは瞬時にラミアの魔法をかわす俊敏さはなかった。このままでは、ラミアの魔法があたってしまう、そうダニッシュは感じた。
ラミアが魔法を唱えようとした、そのとき――。
「ラミア様っ! 我が軍の後方に、人間と獣人の軍勢が! 人間側の援軍だと思われます!」
「なんだって!? 援軍はあと二日経たないとこないんじゃなかったのかい!」
「し、しかし……」
「ええい、至急後方に伝えな! 絶対に陣を崩すな、と! 私も状況を確認するためにいったん下がる!」
ラミアは配下の魔族にそう伝えると、ダニッシュに視線を向けた。
「……アンタの仕業かい。やってくれたねぇ」
「はは、おかげで命拾いしましたよ」
ダニッシュは立ち上がり、ラミアに対抗するように笑った。
「――いいさ、ならこっちも確実にいく。進め、魔物たちよ!」
ラミアの号令で、進む魔物たち。
それはいままでと変わらない、魔族側の戦い方。しかし、ラミアはここでまた、右手を上に掲げた。そして、空中に魔法を放つ。
――己が種によって、種を絶やすがいい人間どもよ。
「まさか……っ!」
ダニッシュは慌ててラミアから距離をとり、後方を振り返った。
するとそこに広がっていた光景は――。
人間が人間を襲っているという、おぞましいものだったのだ。
「フハハハハ、前方から魔物の大群、後方にも敵がいるとなっちゃ為す術なしだねぇ」
「やってくれましたね、見事に援軍の効果を無くされましたよ」
ダニッシュは歯がゆいのか、唇を噛んだ。
そして、急いで人間側――第二陣のもとへと向かう。
「いくがいいさ。もう、人間は終わりだよ」
「まだ、終わってなんかいないです!」
ラミアの言葉が聞こえたのか、ダニッシュが叫ぶ。
そして、走り出したダニッシュはもう、ラミアのほうを振り向くことはなかった。
そこは地獄絵図だった。
人間が人間を斬りつけ、昨日まで共に戦っていたものどうしが刃を向けあっている。
まだ状況がつかめていないものもいれば、状況を理解し応戦しているものもいる。第一陣は人間を攻撃していいのか戸惑っている様子だった。
「キエラさんは……キエラさんはどこですか!」
ダニッシュはキエラを探した。
この混乱の中、探し出すのは容易ではないとおもったダニッシュは、しかし、ただ呼び続けるしかなかった。
そんなとき――。
「呼んだかい、ダニッシュ」
「キエラさんっ!」
後ろからきこえた声はキエラだった。
ダニッシュは振り返った瞬間――。
キエラの右手から、風の刃がダニッシュに向けて飛ばされた。
ダニッシュは視界にそれを確認するとどうじに、身体を横に逸らし、間一発それをかわした。
「キエラさん……あなた、いま本気で狙いましたね?」
「ふふっ……本気でやらなくちゃ意味がないだろう? だって――あたしは人間を裏切ったんだからさ!」
楽しそうにキエラは笑い、言い放った。
「キエラさん……」
「さぁ、始めようじゃないか! 本当の戦いってやつをさ!」
キエラの右手が再びダニッシュに向けられたのだった――。