苦しい戦況
「これがわたしの考えた作戦内容だ! これならば、我々と魔族の圧倒的な戦力差でも十分に勝てる見込みはあると、わたしは思う! だが一歩間違えば人間側が壊滅することは確かだろう。だからこれに賛同するものがいなければ、この作戦は決行しない」
広場の者達がざわつくのをダニッシュは感じた。ざわつきは次第にざわめきへと姿を変え、そしてそれは動揺へと移り変わっていく。
それも無理はない。なぜならダニッシュが宣言した作戦とは、言ってしまえば無謀なものだからだ。
最終的な詰めを誤れば、人間は拠点を失い立て直しが効かなくなってしまう。
そんな作戦をダニッシュは考えて立案したのだった。
「やはり、みんな賛同することは難しいですかね」
「そりゃそうだろうね。あたしだってできればこんなリスクのあることはしたくない。でも、戦争はリスクがあるのは当然だってことに気づいたのさ。まぁ、みんながそれに気づいてくれるかはわからないけど」
そういってキエラはダニッシュより一歩前に進み出た。
ここは門の上。
そこから人々を見下ろすように二人は立っていたのだ。
キエラは叫ぶ。
「みんな! あたしたちはもう正面から戦ったって魔族に勝つことはない! それはみんな頭の中じゃわかってんだろう? ならもう、あたしたちにはこれしかないのさ! みんなが動揺するってことは、それだけこの作戦に希望が見えたって、そういうことじゃないのかい? それなら賭けてみようじゃないか! あたしたちが信じた作戦を、そしてこの英雄ダニッシュを!」
静まりかえる広場の人々。そこにはもう動揺の波は感じ取ることができない。
代わりに、そこらからどよめきのようなものが発生し始める。
「――そうだ、俺達にはもうこれしかない!」
「――われらが英雄を信じてみようじゃないかー!」
「――絶対に成功させるんだ、この作戦を!」
もうそこには迷うものなどいなかった。人々はみんな英雄を、ダニッシュの立てた作戦を信じたのだ。
「……ありがとうございます。みんなの決心がついたようですね」
「なーに、ここに集まっている時点で、大体のやつは腹くくってきてる。それを後押ししてやるのがあたしやあんたの役割ってだけだよ」
「はは、そうですね」
ダニッシュは軽快に笑った。
そうだ、自分ひとりで戦うわけじゃない、みんなで戦ってみんなで勝つんだ。
そう思ったダニッシュは、少し肩の荷がおりたような心地がしていた。気の緩みなど許されることではないが、今だけは少し息を抜いてもいいのではないかと考えた――。
――そのとき。
「――魔物の軍勢、前進を始めた模様ーっ! 数え切れないほどの魔物がコーネリアに向け進んできていますっ!」
「……始まりましたか。――みなさん、即座に戦いの準備をし、平野中央にある川を死守してください! 既に先兵部隊は配置していますが、数が数です。みなさん、いそいでっ!」
おおー!! 人々は叫ぶと、各々動き出し、次々と東門からコーネリアの外へと駆けていく。そこには不安を表情にだすものや、意気揚々と走っていくもの様々いたが、みんながみんなダニッシュの作戦を信じていることは確かだった。
「……やっぱり人ってものは、なにかを信じればなにかを為せると思えるんだね」
「キエラさん?」
「いや、こんな作戦に付き合ってくれるなんて、お人よしな連中ばっかだって話さ。あたしもその内の一人だけどね」
「ありがたいですよ。だからこそ、必ずこの戦争をもっとも良い形で終わらせなければ」
「ふふ、そうしてもらわなくちゃ、こっちも困るよ。――作戦通りにいけば、こっちの最初の援軍を合流させるのが早くて三日だ。それまで、あの川を死守できるかどうかだね」
キエラはそういって、水が流れている川を眺めた。ダニッシュも倣うように眺めたその川は、最終作戦の第一段階の重要な鍵だった。
三日、川を守りきれれば、ひとまずは安心できる。なぜならそこからは一気に作戦の最終局面まで持っていけるからだ。
「わたしたちも出ましょう。守っている間も、魔物の数を減らせるに越したことはない」
「そうだね。――後一つ、あんたに情報を伝えたら、出るとしよう」
キエラは門の上から下りるためのはしごに手をかけようとするダニッシュの肩を掴み、自分のほうへと顔を向けさせる。
ダニッシュは、少し驚いたような顔をしてキエラを見つめたが、キエラは、緊張しなくていいと言ったふうに微笑んだ。
「落ち着きな。ただあんたに知っている情報は言っておかなきゃと思ってね。……このサウスリアという大陸の北にある小島――エルフの島から多くの船が大陸に向かってきているのが確認されたらしい。なにが起きているのかわからないが、エルフ達が大陸に向かってくるなんて出来事は明らかに異常だ。もしかしたらこの戦争になんらかの関与をしてくるんじゃないかと思ってね」
「エルフが……」
ダニッシュは、ふとそこにレイノスたちがいると思った。いや確実にいるだろう、と確信した。
だって、そこにレイノス君がいなければおかしいじゃないか。レイノス君はエルフの島に向かったのだから。
「しかし……」
エルフがわたしたち人間を助けてくれるという保証もない。もしかすると、レイノス君は殺されていたり、捕虜となっているのかもしれない。
安心してはいけない。なんだって謎に包まれた種族だ。なにを起こすかわかったものではない。
「わかりました、キエラさん。引き続き情報が入ったら教えてください。作戦に支障をきたす可能性があるかもしれませんので」
「わかったよ。それじゃ、いくとしようかね」
ダニッシュははしごを使って下へとおりた。そして向かう先は、平野の戦場。
戦いに赴くのだ。
「ふぅーっ……よし、行きましょう!」
ダニッシュはキエラを引きつれ、戦場へと足を踏みいれた。
「踏ん張れっ! まだ戦いは始まったばか――ぐわぁあ!」
「アウドル? ……アウドルーーっ! ……ふざけやがってっ! ぶっ殺してやる!」
戦いに臨んだ兵士がまた一人、その命を散らしていった。アウドルと呼ばれた男の顔は、その友の涙でゆっくりと覆われていく。
「うがぁああっ!」
また一人、人間が死んだ。
その者の名前をダニッシュは知らない。しかしその命が消えたことは、はっきりとわかった。
戦場には既に幾多の屍が転がっていた。それは魔物、人間双方の屍だった。
そんなことを考えている間も戦いは行われ、今もダニッシュに向けて大勢の魔物が攻撃の矛先を向けていた。
降り注ぐ魔法の雨。
それらをダニッシュは己の魔法で防ぎ、反撃に出る。それは生き残るため、この戦争に勝つため。
「己が身を焼く尽くす大蛇よ、我に仇為す者を食い千切れ、フレイムコブラ!」
ダニッシュの詠唱が終わるや否や、地中から這い出るように出現する紅き大蛇。しなやかなその体躯をうねらしながら、大蛇は次々と魔物を飲み込んでいく。
ダニッシュの周囲を取り囲んでいた魔物は、一瞬にしてその姿を地上から消していた。
また増える、屍。
戦いとは、戦争とはこういうものなのだ。屍が積み重なり、そして、それらに同情を抱く余地もなく、また、抱いたところで自分が再びその屍を積み上げるのだ。
己が屍とならないよう、必死に。
ダニッシュの眼前には、視界を覆いつくすほどの魔物の軍勢。気を抜けば、一気に飲み込まれてしまうだろう。今の大蛇にやられた魔物たちのように。
何かを考える余裕などない。
いまはただ生きること、ただそれだけだった。
「報告。前線で我が先鋒部隊と人間が衝突。……やや我が軍がおされている模様です」
「なんだって? 敵戦力は? どれほどが前線に出てきている」
「それが……情報で手に入れた軍勢ほとんどが前線に出てきております。コーネリアに残る戦力は少数。敵軍指導者ダニッシュですら、前線にて戦っている様子で――」
「――そんな馬鹿なことがありえるかいっ! どこにリーダーが前線に出る戦いがあるっていうんだ!」
「……まったくです。やけになったとしか思えません」
「ちっ、まぁいいよ。他に報告は」
「人間の援軍がこちらに向かってきております。その数およそ一万。妨害部隊を派遣していますが、撃破されるのも時間の問題かと。ここの軍から多くの魔物を送り込めば、倒すこともできますが、そうすればここの人間に多少おされるでしょう。いかがなさいますか」
ラミアは指で顎を撫で、しばし考える様子を見せる。
「……その軍の到着までどれほどだい?」
「五日ほどかと」
「五日……それほどの時間があれば、あらかたの人間を片付けることができる。援軍に兵を割くよりも、ここの軍に投入しておいたほうがよさそうだ」
「ではそう手はずしておきます」
「よろしく頼むよ。五日と言わず三日でケリをつける。……待っていろ、リン。すぐに助けてあげるからね」
ラミアが呟いたのを合図と捉えたのか、配下の魔族がテントの外に消えていった。
「――もう、私は期待しない。私の幸せは私で掴むよ。だから――ごめんね、ダニッシュ。アンタには死んでもらう」
ラミアは立ち上がる。座っていた椅子がキィ、と音を立てて揺れた。
「やれることはすべてやるよ。――マウス、マウスはいるかいっ!」
ラミアの声はテントの外にまで響き渡り、多くの魔族の耳に届く。しばらくすると外から駆けてくる足音が聞こえてきた。
「お呼びですか、ラミア様」
「例の件はどうなってる。上手くいきそうかい」
「はっ、既に交渉は済んでいます。二日後、こちらの合図で動き出す手はずに」
「そうかい……そいつらの役割が終わったら、すぐさま殺すんだよ。人間は皆殺し、とソージア様から仰せつかってる」
「了解しました」
マウスと呼ばれた魔族は頭を垂れ了解すると、さっきの魔族のように下がっていく。
「……なんて汚いんだ、私は」
ラミアは苦虫を潰したかのような顔をすると、視線を下げた。
「なにが、誇りある戦いをしたい、だ。反吐がでるよ」
仕方ない、と言い聞かせても、ラミアの中の心が自らの行いを恥じているのだ。それはどうしようもないことだった。
「――早く終わりたいよ、こんな……」
ラミアの呟きを聞き取った魔族はいなかった。
「ダニッシュ! 魔物の数が増えてきてるよ! このままじゃ、みんなやられちまう」
「くそ……やはり数の差を埋めるのは難しいか。――皆さん、徐々に後退してください! 相手を倒すことよりも生き残ることを考えて! ここはまだ力を出し切るところじゃない!」
人間達は次第に後ろへとその足を下げていく。ぬかるむ地面がそれらを阻むかのように、足に泥をまとわりつかせる。
「魔法を扱えるものは前線の者達を援護するために後ろへ! 前線のものたちも小さな魔物を相手にしてください。一撃で仕留められない魔物は魔法で一掃します!」
剣や斧を構えている者たちは多人数で一箇所に集まり、互いに互いの隙を埋めあって傷を負わないようにしている。ダニッシュのように強力な遠距離魔法を扱える者たちは、後方に下がって遠くの魔物を中心に数を減らそうとしていた。
「――もうそろそろ日が暮れる」
キエラが呟いた。それは、撤退の時間を示している。
「――撤退します! 前線の人たちは下がって! 後方部隊は魔法で撤退を援護してください! ただし、炎と水系統の魔法は使わないように!」
人間が撤退を始めた。
人間と魔物の違い、それは眠りだ。
魔族は人間と同じように眠りにつくが、魔物は基本的に眠ることが少ない。たとえ眠っていたとしても、本当はさほど魔物にとってそれは重要なことではないのだ。
だから、魔物とずっと戦うことになれば、長期戦でみれば必ず人間が負ける。
それをいかに解決するかが、第一の問題だった。
幸い、魔族は人間と同じように眠りにつかなければならない。それはダニッシュが魔族と人間の村で目の辺りにしていたことだった。
現に、ダニッシュは洞窟でラミアと一夜を過ごした。
そのときは人間になっていたからかもしれないが、確かに眠りについていた。そして後日、レイノスからも村長のいびきが、などと愚痴のようなものも聞かされていた。
「まぁ、魔族が眠りにつかなくても大丈夫なように手は打ってあるんですけどね」
前線部隊が後方部隊の援護もあってか、ダニッシュの横を通り過ぎていくのがわかった。それらが歩いてきた場所は黒く滲んでいた。
「さて、くるならきなさい。その足を止めてあげます」
すでに何人かの人間はコーネリアの近くへと撤退を完了させていた。
そのコーネリアの門の上に等間隔で何十人かの人間が並んでいた。
「いまだー! 人間が撤退し始めたぞ! 追い討ちをかけろ!」
「やはり」
ダニッシュは予想していた。人間が撤退し始めれば、必ず追い討ちをかけようとするものが魔族の中に存在すると。
もし、そんなものが存在しなかったとしても、それはそれで撤退を完了させることができるから、構わなかった。
ただ、ここでダニッシュは示しておきたかったのだ。人間も簡単に退きはしないということを。
一体の魔族が率いる魔物の部隊がダニッシュに向けて駆け出してくる。ダニッシュはそれらが所定の位置までくるのを見計らった。
そして――。
「……いまです!」
ダニッシュは右手を上にかざし、火の玉を空に放つ。それが合図だった。
「放てー!」
門の上の人間達が一斉に、ダニッシュの前の地面に炎の魔法を撃ち込んだ。
その炎は一瞬で燃え広がり、突撃してきた魔族の部隊を包み込む。
炎は魔族軍の前に立ちはだかる壁のように、横に広がっていった。
「ひとまずは成功ですね。いやはや、撤退の途中で油に引火しないか不安でしたよ」
ダニッシュはそういって、撤退を始めた。
撤退を宣言した瞬間、前線に油を持ったものたちをダニッシュは送り込んでいた。前線部隊が一箇所に集まったのも、油を持つ者を守るためでもあったのだ。
幸いにも、戦場には無数の屍が転がっていた。それらに油を撒いていけば、炎などすぐにでも広がっていく。
ダニッシュの一つ目の作戦だった。
「……あまり死者を冒涜したくなかった。しかし、これは仕方がないと割り切るしかない」
同情をする暇などない、とダニッシュは思っていた。それはなんとしてでも、この戦争に勝つために必要なことだった。
そのために、どんなにやりたくないことでもやらなければならない。
甘いことは言っていられないのだ。
そして、この戦いに勝てば――。
「ラミアさん……」
ダニッシュはコーネリアに向かう足を一度止め振り返り、炎の壁の先にいる彼女のことを思った。
「――必ず、終わらせてあげます」
ダニッシュは再び走りだす。
戦争の一日目は人間、魔族共にこれ以上手を出すことはなく、夜は更けていった――。