ラミアの能力
「なんでなんだい……」
ダニッシュが魔王に意志を宣言し、コーネリアへと足を進めた夜。
ラミアは一人、魔族軍が眠るために一時的に建てられたテントにいた。椅子に腰掛け、自分の親指と人差し指をこすり合わせるその様子は、なにかイライラとしたものにみえる。
「逃げれば、いいじゃないか。アンタにそんな勇気も力もないだろう。かっこつける必要なんてどこにも……ないんだ」
そういったラミアは、自虐的な笑みを浮かべた。
「それは私も一緒か。こんな軍を率いる力なんてない。ただ特別な能力を持ってるだけの器の小さい女なんだ、私は」
ラミアは右手を見つめる。自分に備わった特殊な力を見据えるように。
「こんなものがなければ、今頃ソージアに目をつけられることなく村のみんなと過ごせていたかもしれないのに」
魔法を吸収し、跳ね返すことができる力。
それがラミアの所有している能力だった。
幼い頃から魔族とも人間とも馴染めなかったラミアは、迫害といってもいいほどの扱いをうけてきた。
最初は石を投げつけられた。その次は集団で殴られた。そしてとうとう、魔法を覚えた者達がその標的をラミアにしたのだ。
殺される、と思った。
その瞬間、ラミアは無意識のうちに右手を前に突き出していた。そして向けられた魔法が右手の中に吸い込まれていったのだ。
身体が熱く感じたラミアは、その熱を外に放出するように、魔法を繰り出した。それは吸い込んだ魔法だった。
魔法を向けてきた者たちは逃げていき、その場にはラミアしか残らなかった。
それからラミアに対する暴力的な扱いは数を減らしていったが、次第にラミアを見るものはいなくなり、ラミアに対してなにかをするものはいなくなった。
本当の孤独になったのだ。
ラミアを恐れ近づくものもいなければ、混血だからと興味を惹かれても近づくものもいない。
ラミアは存在しないかのように扱われた。
母と父だけが、ラミアに愛情を与え普通に会話した。
しかしラミアにとってはその普通が、特別に思えて仕方なかったことを、ラミア以外知るものはいない。
「……これがソージアのいう心のうちの闇ってやつなのかね」
ラミアは立ち上がる。
そして、テントを出て宙へと浮き上がった。
「魔物たちも宙を浮くことができれば、また違った戦い方ができるんだけどね」
ラミアはそう呟いて、ある場所へと向かった。
それはソージアが居を構えている、魔族の城デスパレスだった。
幾分かの時間を使い、降り立った入り口を抜けて中へと入っていくラミア。
いまこの城にソージア以外の者はいない。なぜなら、全ての魔族があの平野に集結しているからだ。
それはソージアが下した命令だった。
『デスパレスに残る魔族は全て、戦争に参加せよ』
これは戦争に全ての力を注ぐ、とも聞き取れるが、万が一魔族が敗れた場合、この城は無防備になるということだ。
多くの魔族が反対した。しかし、ソージアはその声を無視し、命令を強硬発動した。
もし、人間が平野の魔族軍を無視して、デスパレスに攻め込めば、もしかすれば魔王を倒せるチャンスになりうるのは確かだった。
「……無理か。あいつを倒すのは」
ラミアは魔王の玉座への扉の前に立っていた。
魔王の下に平伏すように描かれている人間。それらを踏みつけている魔王。
ラミアは、これがラミアの半分を踏みにじっていることを象徴しているように思えて仕方がない、と感じていた。
だから不愉快なのだ、この扉を目にすることは。
しかしラミアは入らなければいけない、玉座へと。
「失礼いたします。お呼びになりましたか、ソージア様」
ラミアはそういって玉座へと足を踏み入れる。
ラミアがここに来た理由はソージアに呼び出されたからだった。ソージアが平野から姿を消した後、仲間の魔族からソージアがラミアを呼び出している、ということが伝えられたのだ。
「来たかラミア。いやいや、お前に一つ伝えておきたいことがあってな」
「伝えておきたいこと、とは……?」
「お前の妹が姿を消したそうだ。いやいや、なんとも心配だな」
「なん、だって」
「今頃は魔物に食い殺されているやもしれん。想像すると胸が痛むなぁ」
「……きさまぁ、リンに何をしたっ……!」
「フフ、フハハハ! 貴様が何もしないからこうなったのではないか?」
「約束が、違うじゃないか! 私がお前に従えば、村のみんなにはなにもしないと、そう言ったじゃないか!」
「ああ、言った言った。確かに言ったなぁ」
「なら、どうして!」
「――魔王が下僕との約束を破って何が悪い」
「――ざけるなぁぁぁああ!!」
ラミアは瞬間、幾数もの魔法をソージアに放った。放ち、放ち、ソージアの身体が原形を留めないのではないかというほどの威力と数を放ったのだ。
デスパレス全体が揺れ、玉座の周囲の壁や天井は崩れていた。
それでもラミアは魔法を撃ち続けた。
それはラミアの怒りが底知れないものだったことを意味する。
ラミアは信じ続けたのだ、ソージアとの約束の先にある幸せを。
村の人々と過ごす、穏やかな日々を。
「はぁはぁ……」
「終わったのか、ラミアよ。なんとも単純な憎しみの力よ。そんなことでは、憎しみの塊である魔王を倒すことなど到底できぬな。お前もそう思うだろう――?」
「お前……?」
巻き上がった砂煙で、ラミアの視界は覆われていた。そのため、ソージアが話しかけた人物がわからなかった。
次第に晴れていく視界。そこで見えたのは、ぐちゃぐちゃに穴をあけられながらも不敵に笑うソージアと――。
「――そうだね。全然足りないよ、憎しみが。リンちゃんが殺されたかもしれないっていうのにこの程度じゃ、リンちゃんの姉を名乗る資格はないかも」
「アンタは――」
「フフ、ラミアよ、これが我の魔王を受け継ぐ次期魔王――アンナだ」
砂煙が完全に晴れた。瓦礫の奥から姿を現していたのは、ダニッシュやレイノスと旅をしていたアンナだった。
「見せてやれ、お前の憎しみを」
「命令しないで」
アンナは一言吐き捨てると、目を細めソージアを睨みつけた。
「睨まないでくれよ。――殺したくなる」
「――ふふ、私も」
異常だった。ラミアはそのやり取りをそう感じた。
「まぁいいよ。どうせ全部壊すんだし。ちょっとラミアで遊ぶよ」
「……っく! リンはっ……アンタのことを好いていたのに!」
「リンちゃんは生きてるよ? ソージアがあなたをからかっただけなのに」
「なんだって!?」
「安心してよ。リンちゃんを殺すときはあなたの前でちゃんと殺してあげるから。ふふ、あはっ!」
次の瞬間、ラミアは吹き飛ばされていた。アンナが魔法を放ったのだと気づくのに、じばらく時間を要するほどの速さの魔法だったのだ。
「がはっ! な、なんて魔法だっ……!」
「ほらほら、自慢の力を見せてよ! じゃないとあっけなく死んじゃうよぉ?」
ラミアは癪だと感じたが、しかし、アンナの言うようにしないと死ぬこともわかっていた。
だから、ラミアは右手を前に突き出す。
とラミアが認識した瞬間、右手の中にアンナの魔法が吸い込まれていた。
「ぐ、ぐあぁぁああ!」
身体の奥底が熱い。なんだこの力は、禍々しいにも程がある……っ。
「……へぇ、耐え切ったんだ。さすが魔族軍のリーダーに任命されただけはあるね」
「ふ、はは。あんたの力、そのまま返してやるよっ!」
ラミアの右手から、黒くどろっとした液状の物体が放たれる。
それは魔法と呼べるのかすら怪しい、形を為していないものだった。
「ああー、吸収はできたけど跳ね返すことはできなかったってわけだ」
黒い物体はアンナの足下にぼとりと落ちた。アンナはその黒い物体を踏みつける。
そのとき――。
「くっ、うあぁぁぁああ! こんな、ときに……っ!」
ラミアの身体が光りだす。
これはダニッシュとラミアがマニ村の洞窟で対峙したときに起きた現象、それとまったくおなじものだった。
ラミアは人間に入れ替わったのだ。
「これが混血の力の代償なんだね」
「ああ、そうだ。我も貴様も、そしてそこのラミアも、全ては混血ゆえに特殊な力を持つ。しかし、それには大きな代償を伴うのだ。例えるなら、そこのラミアのように人間になり力を失うといったような」
「代償――?」
「貴様、知らなかったのか? 自分の能力がなぜあるのか」
「知らないよ……これは魔族と人間のあいだに生まれた私の定めなんだと思っていた」
ラミアは困惑した。
確かにこの特別な能力は、魔族と人間のあいだに生まれたからなのかもしれないということは薄々勘付いてはいた。
しかし代償などというものは聞いたことがない。
「なぜ、異種同士がこんなにもいがみあっていると思う? ただ姿形が違うというだけで、なぜこんなにも争いが絶えないと思う?」
ソージアはラミアに問いかけた。
「わからんだろうなぁ。おそらくこれには答えなどない。そう世界が定めているという、ただそれだけだ。それが世界のルールとなっているのだよ」
「くだらない世界……」
アンナが溢すように呟いた。
下を向き本当に全てがくだらないとでもいうかのように、目の焦点はどこに合っているのかわからなかった。
「その世界のルールを犯し、生み出された存在には苦しみが背負わされる。それがいわば――代償だ」
ぐちゃぐちゃに穴があいていたソージアの身体が徐々に復元されていく。それはなにかの魔法だと思っていたが、今の話を聞いてラミアはそれが能力なのではないかと思い始めた。
「もしかして、アンタのそれは私と同じ能力によるものなのかい?」
ラミアは聞いた。
ソージアはそれに対し、可笑しそうに口を歪ませる。
「能力といえば能力によるものだが……我の身体には代償しか残されておらん。肝心な部分は全てあやつが持っていってしまった」
「そもそもお前が生まれたことが予想外なんでしょ?」
「ああ、そうだった。持っていったというのはおかしいな。我が置いていかれたのか」
「何を言っているんだい……?」
目の前で繰り広げられる話に、ラミアはもうついていくことができなかった。
ただとても重要なことをいっているということは理解できる。
これは、ソージアにとって大事な部分なのだということが。
「――まぁ代償の話はこのぐらいにするとしよう。ラミアよ、妹のリンを死なせたくなければ、迷わず人間と戦え。ダニッシュなどという男に惑わされるな。今日呼び出した理由はそれだ。我のふざけが予定していなかった事態を起こしてしまった」
ソージアはそういうと、崩壊していた玉座の瓦礫を魔法で持ち上げ始めると次々と修復し始めた。
これまでの時間を戻していくかのようにたんたんと、そして着実に修復されていく。
アンナもそれに合わせるように玉座の奥に消えていった。
ラミアが気づけば、そこは来たときと同じ、デスパレス玉座の様相をしていた。
「さぁ、いけ。もう我が動くことはない。思う存分、戦争をするがいい」
さもなければ、とでもいうようにソージアはにたぁ、と笑った。
「……承知しました。必ずや人間を倒してみせましょう。――約束が守られること願っております。さもなければあなたさまの野望が潰えると承知してください」
「ただの犬ではなくなったか。そちらのほうが我も信用できる」
ソージアはそういって、右手を前にだしラミアに魔法をかける。
「今の貴様は力がない。テントまで飛ばしてやる。そこでゆっくり休むがいい。そして、我の期待に応えられるように英気を養っておくがいい」
そしてラミアの視界からソージアが消え、再びテントの中の景色が写る。
いままでのことが全て夢だったのではないかと思ったラミアだったが、自分の人間という姿がそれを否定していた。
「――私はこのしがらみから抜け出すことはできなさそうだ。ダニッシュ、あんたはどうやって私を救ってくれるというんだい?」
呟きは空気に霧散し、空しく消えていった――。