守りたいもの
静かな夜だとダニッシュは思った。
リンや村長は既にベッドの中でぐっすりと眠っている。ダニッシュはなんとなく、眠ることができず、村長宅の前で一人物思いに耽っていた。
「わたしは……」
ダニッシュが考えるのは、これから自分がどうすればいいのかということ。
「戦争なんてものには関わりたくない。でも、もしまたあのときのようなことになってしまったら……この村の人たちやわたしのようなものが生まれてしまうのではないか?」
それはダニッシュが望むことではなかった。だから、自分がこの戦争を終わらせる……?
「わたしは何を考えているんだ。そんなことできるわけないじゃないかっ!」
ダニッシュは地面に転がる石を軽く蹴飛ばした。その石ははころころと不規則に転がり、やがてどこか見えないところにいってしまった。
「こんなとき、レイノス君やアンナさんがいたならどうしていたんでしょう」
思えば、レイノス君とアンナさんに出会ってからは退屈していなかったな、と思い返すダニッシュ。
「はは、武闘大会ではわたしはあんまり出番はなかったですけど、なんだか楽しかったんですよねぇ……」
武闘大会で人間を虫けらと罵っていたレイノス。そのときは、レイノスが魔王だから仕方ないと思っていた。魔王だから。
「でもレイノス君は変わった――あのときわたしに謝ってくれたレイノス君は、もう人間を虫けらと呼んでいたレイノス君じゃない」
――すまなかったな、貴様の人生を振り回してしまって。
アンナと別れたあとに言ったレイノスの謝罪が、ダニッシュの心のなかには残っていた。それはレイノスにとって意識した言葉なのかはわからないが、その言葉がでるということは、レイノスは変わったのだとダニッシュは思っている。
「だからこそ、そんなレイノス君に見離されたことが、とっても響いたんですけど」
からからと一人で笑うダニッシュは、誰が見ても哀れむような姿だった。しかしそんなものを目にしているのは、空に浮かぶ月ぐらい。
「アンナさんはどうしているのかな……」
憎しみという感情に囚われてしまったアンナを気がかりに思っているのは、レイノスだけでなくダニッシュもだ。
「アンナさんって、本当に感情をコントロールするのが下手くそだったなぁ。魔王の仲間ってだけでラミアさんに牙を向けるし。かわいそうって思っただけで一人、ブルトンさんたちの前に出て行って差別を止めようとするし」
でもそこがなんだか、アンナさんらしいんですけどね。
しかし、だからこそダニッシュは、今のアンナが危ないと感じていた。感情をコントロールできないアンナが、信じていたレイノスに裏切られ、そして、憎しみを抱いたまま一人でいる。
「アンナさんは本当に一人なんですね、いま」
遠くを見つめるダニッシュは、誰の姿を目にしているのかはわからない。
「みんなバラバラになってしまいました。三人でもう一度、一緒に歩きたいですよっ……」
ダニッシュはさめざめと涙を流す。
こぼれる涙は、ぽつぽつと地面を濃く染め上げていき、その染みは次第に広がっていった。
そんなとき、
「――アンタ、なに一人で泣いてるんだい?」
姿を現したのはラミアだった。
「ラミアさん……?」
「あーあ、大のおっさんがなんて顔してるんだい。ほら、これで顔を拭きな」
そういってラミアは懐からハンカチを取り出し、ダニッシュに手渡す。
「ありがとう、ございます」
「礼より先に、その顔とっとと直しな。調子が狂うったらありゃしないよ」
ダニッシュはハンカチで自分の顔の涙を拭き取り、しっかりと折りたたんでラミアへと返す。
「……わたしを助けてくれたみたいで。ありがとうございました」
「ふん、本当は助けるつもりなんてなかったんだよ。だってあの魔物はわたしの部下なんだからね」
「ええっ! じゃあ、わたしを追いかけてきた魔物に命令していたのはラミアさんだったんですか?」
「そうだよ。でも追いついてみたらアンタが本当に情けない顔をしていてね。腹が立って粉々にしてやろうかとも思ったけど、アンタと約束したからしなかった」
「約束……?」
「もしかして忘れたんじゃないだろうね? アンタと次にあったときは敵だ、今度こそちゃんと決着をつけるって」
「ああ!」
ダニッシュは思い出したかのように、手を叩いた。そんな様子を見たラミアは、ダニッシュを睨みこういった。
「忘れていたならしかたない、今ここで殺してあげようじゃないか」
「ひぃ! ごめんなさいごめんなさい!」
ラミアの手に浮かぶ火の玉を目にし、恐れるダニッシュ。そんなダニッシュに、ラミアは溜息をついて、
「アンタ、本当に大丈夫なのかい? なにかあったんじゃないのか」
「……まぁ、色々とありましたよ。ゲルブ村の出来事から急激に色々とね」
「――ゲルブ村か。あの村での出来事を私は眺めているだけだったからね。ソージアと洞窟を飛び去った後、私は戦いの準備でデスパレスに戻ったし……レイノスとやらは死んでしまったことしかわからないよ」
「レイノス君は生き返りました。そして何か決意を固めた表情でわたしやアンナさんの前に現れましたよ」
そうしてダニッシュはすこしずつ自分の周りで起きたことを話していった。なぜ敵であるラミアに話しているのかダニッシュにはわからない。
しかし、なぜか話してしまう。それは自分と同じ戦争の被害者だからなのか。
「そうかい……だからアンタはこんなにも腑抜けになってしまったんだね」
「腑抜けって!」
ラミアは、はぁっとまたも溜息をついた。
自分の右手を左手でさすりながら、ダニッシュをじっと両目で見つめる。
その鳶色と黒色のオッドアイで。
「私はね、魔族と人間の間にできた子供だ。だから小さい頃、両親が死ぬまでは、魔族とも人間とも馴染めず一人でいることが多かった。――孤独だったんだよ」
「えっと……ラミアさん?」
「いいから聞きな。……でもそんな私にも初めて友達のようなものができた。いや妹かな? それがリンさ」
「リンさんは本当の妹じゃないんですか?」
「そうだよ。だからリンは普通の人間の姿をしているし、私みたいな特殊な能力があるわけでもない」
思えばリンを最初に見たとき耳が尖っていなかったし、目も普通だった。考えてみればラミアとは特徴が違いすぎたのだ。
「でも私はリンのことを本当の妹だと思っているし、リンも私のことを本当の姉だと思ってくれているだろう。この村のみんなのことも、本当の家族のように思っている。孤独だった、仲間はずれだった私を受け入れてくれたみんなのことを」
だからこそ、とラミアは区切った。
「アンタの今の気持ちもわかる。仲間がいなくなった怖さがわかるんだよ。わたしもリンや村のみんながいなくなったら、今のアンタみたいな情けない顔をすると思うよ」
「ラミアさん……」
「でもそれなら、アンタはやらなきゃいけない。仲間と一緒にまた歩きたいなら、自分のやらなきゃいけないことはわかるはずだ」
「わたしのやらなきゃいけないこと……? それはなんなんですか」
「それはアンタにしかわからない。私には私の、アンタにはアンタのやるべきことがある」
ラミアは揺るがぬ決意を秘めた瞳で言い放った。それは自分に言い聞かせているようにも、ダニッシュには思えた。
「……私は大切なものを守るために、人間を殺す。それがこの村のみんなのようなものを生むことになったとしても、私はこの村を見捨てることはできない」
「……どうして?」
「ソージアに、あの悪魔に私が従っているのはねぇ、この村を人質にとられているからさ! そうじゃなけりゃ、だれが好き好んで戦争なんか始めるもんか」
ダニッシュは納得した。村長が言っていた、自分たちではラミアを救えない、という言葉の意味を。
「私はね、もっと高潔な戦いがしたい。父と母のような、互いを認め合い、そして互いを尊重しあうような戦いが。だからこそ、魔族である父と人間である母が一緒になることができたんだ」
ラミアが戦いをするときは、しっかりと礼がつくされていたのはそのためだった。敵であっても、怪我をしたダニッシュを殺さなかったのはそのためだった。
そして、ダニッシュをしっかりとした一人の相手として、認めていたことも。
「ラミアさんは……凄いですね。しっかりと自分の守るべきものがわかってる。うらやましいですよ」
一緒だなんておこがましいと思った。十五年前の戦争の被害者でも、こんなに違うのか、と。
守るべきもの、為りたいものが見えているラミア。
自分を守り、なにかに為らされてきたダニッシュ。
こんなに正反対なのかと、ダニッシュは頭を強く殴られたかのような衝撃を受けたのだ。
「……まぁ、ゆっくりと考えな。私は明日一日はリンや村のみんなと過ごすんだ。もうそろそろ眠らなきゃね」
そういってラミアは立ち上がり、ダニッシュを一瞥してから家の中へと入っていった。
「考えてますよ。でも見当たらないんですよ、なにも……」
そうつぶやくダニッシュに、誰も返事はしなかった――。