進めぬ思い
ダニッシュはこれから始まる戦争をどうするかについて思い耽っていた。
逃げたいという気持ちが心の大半を占めるなかで、本当に逃げていいのかと思う気持ちも残っている。ダニッシュの弱さのなかに、まだかすかに強さと呼べようものがあったのだ。
両親が死んでからの自分の弱さを、自分を欺きながら生きてきたダニッシュを、救おうなどとしてくれるものは誰一人としていなかった。
仲間とよべるものなどいなかったのだ。
しかし、英雄と祭り上げられた自分をそんな風には見ないで接してくれたのが、レイノスやアンナ、そしてそれから旅で出会った人たちだった。
それはダニッシュにとって楽だった。
自分の弱さを隠すことなく生きてこれたのだから。
でもそんな人たちも、今は自分の周りにいない。強くなれ、とレイノスに言われたとき、ダニッシュはこう思ってしまったのだ。
――ああ、また強さを偽らなければならないのかと。
「嫌ですよぉ、レイノス君……強くなってると勘違いしていたわたしが、どうしていまさら」
窓から部屋にこぼれ落ちる光は月明かり。
すっかりと日は沈み、広場にうごめいていた多くの魔物もいまはその姿をどこかに消していた。
部屋の中には生活感のようなものは漂っていない。窓際にただ花が置かれているだけだった。
「わたしはまた英雄を演じなければいけないんですか。仮初めの英雄を!」
それは嫌だ、とダニッシュは思う反面、レイノスに言われたことを為すためにはその必要があるとも思っていた。
それに加え、このまま人間側に主導者がいなければ、また十五年前と同じ結果になるのではないかとも危惧していた。
なら、自分が主導者になるのか。
「無理だ……わたしにそんな力はないっ……」
もし主導者になったとしても、魔物の前に立つだけで震えが止まらなくなる自分だ、役にはたたない。たとえ恐怖症のことを隠していたとしても、いずれそんなものは明らかになってしまうだろう。
「誰か違う人間がやればいいんだ……そう、あの勇者と呼ばれた青年のような者が」
彼は勇者と呼ばれていたとき、どんな風に思っていたのだろうか。自分の担う責任に押しつぶされそうになっていたのだろうか、今の自分のように。
「はは、そんなわけないか。あんなに凄い力を持っていたなら」
――そんなことはないんだ、おっさん。
「誰ですか!?」
ダニッシュの脳に直接響いたその声は、どこかで聞いたことのあるものだった。
「どこに、どこにいるんだ」
しかし声はもう返事をしなかった。その代わりに外を駆ける足音がダニッシュの耳の中に入る。
窓から外を見ると、走り方が少し不自然な一体の魔物がいた。
「もしかしてあれが……? しかし言葉を話す魔物など見たことがない。それに今の声は、わたしを助けてくれたあの青年の……」
ダニッシュは気づけば部屋を出て外に飛び出していた。そして、あの魔物の走っていったあとを懸命に追う。
そしてついた先は、ラミアと対峙した洞窟の前だった。
「はぁはぁ、ど、どこにいった」
息を切らせながら、ダニッシュは周りを見渡す。しかし、魔物の姿は確認できず、そこにはダニッシュ一人が存在するのみだった。
「見失った……か」
そう思ったダニッシュは、身体からふっと力がぬけ地面にへたりこむ。
「そんなことはない、か」
さっきの言葉が彼の――勇者の言葉だったとしたら、彼も苦しんでいたのだなと思う。
苦しみの中身はわからないけれど、でも、確実に悩みもがいていたのだとダニッシュは感じた。
そんな風に考えていると、
「大丈夫? ダニッシュおじさん」
「おじさんっ!?」
振り向くと、そこにはラミアの妹のリンがぽつんと立っていた。
「いきなり家を飛び出したから、おじいちゃんもびっくりして……リンもびっくりしたけど、ダニッシュおじさんが心配だから追いかけてきちゃった」
「え、ああ、ごめんなさい。わたしのためにわざわざ……。魔物がいるかもしれないのに、リンちゃんは優しいんですね」
「ええ! そうかな? なんだかうれしいよ、ダニッシュおじさん!」
「おじさんって、なんか嫌です……」
「えー、じゃあおっさんでいい?」
「おじさんでお願いします……」
「あは、わかったよ!」
ダニッシュはそんなリンを見て、少し表情が和らぐ。子供とはなんて無邪気なんだろう、と思うダニッシュだった。
「さぁ、ここにいると魔物がくるから、お家に帰りましょうか」
「そうだね。でももう魔物さんたちこないと思うよ?」
「え、どうしてですか?」
「今夜からコーネリア近くの広い場所に移動するんだって。だからもうここには魔物さんはこないって、ラミアお姉ちゃんが言ってた!」
陣を移すということは、もうすぐにでも戦いが始まるということだ。必然的に、ダニッシュの考える時間も限られてくる。
くそ、そんなに戦争は目前に迫ってるっていうのか。
「……お姉ちゃんね、明日の朝に一回帰ってくるって。明後日にはまた戻っちゃうみたいだけど」
「ラミアさんが帰ってくる……」
「明日一日はずーっとお姉ちゃんと一緒にいるんだ! 久しぶりに会うんだもん、凄く楽しみ!」
「それはよかったですね! わたしは明日何をしようかなー」
リンの笑顔につられるようにダニッシュも笑顔になった。へたりこんでいる身体の姿勢を整えるように身体を動かす。
「でもね、リンはもうお姉ちゃんに行ってほしくない。ずっとこの村にいてほしい……ううん、お姉ちゃんが好きなように生きてほしい、かな? ダニッシュさんをここに運んできたときのお姉ちゃん、凄く疲れたような顔をしてたもん」
「ラミアさんが、ですか?」
「ねぇダニッシュおじさん。どうしてけんかする必要があるの? この前のラミアお姉ちゃんとアンナお姉ちゃんのときみたいに、悲しくなるだけじゃないの……?」
「それは……」
そのとおりだった。
なぜ争うのか、それは争っているものでもわかることではない。気がつけば人や魔族、獣人は互いに争ってきた。
子供だからわからなくていいんだよ、なんてことはいえない。大人だってわかることではないのだから。
「リンはね、お姉ちゃんが大好き。だからね、お姉ちゃんには笑顔でいてほしいし、ずっとずっと生きていてほしい。危険な戦争なんかに行ってほしくない――!」
「リンちゃん……」
ダニッシュにはリンが、幼い頃の自分に重なって見えた。強い両親は戦争に赴くのは仕方ないと思う一方で、戦争になんか行ってほしくないという気持ちを持っていた自分と。
なら、自分はどうすればいいのか。
「わからないですよ……」
「ダニッシュおじさん……」
うつむくダニッシュ。答えが出せていない男には、一人の少女の想いにさえ答えられずにいた。
「……帰ろうか、おじさん!」
「えっ?」
「そろそろお風呂にも入らなきゃいけないし、ご飯の時間でもあるしね!」
ほらっ、と差し出された少女の手を目の当たりにして、救われたと思った。情けないことだが、ダニッシュはこの一時はリンに助けられたのだ。
「ごめんなさい、リンちゃん。――帰りましょうか」
「うん!」
ダニッシュはリンのその手をとった。そしてリンにひかれながら、村長の家へと戻っていく。
戻りながらダニッシュは、いつかこの子の助けになれるようになろうと、心に思ったのだった――。