フェルメスとの戦い
対峙した二人は一瞬、互いに視線を交差させ行動にうつった。
レイノスは剣の柄を両手で握りしめ、刀身を自分の右にもってきてタメの体勢をとった。そして、自分の奥底に感じる魔力を刀の先端に集めると、それを解き放ちながら一閃、空気を真横に斬った。すると、先端の魔力は空気に絡みつくように具現化し、光の刃となりながら、フェルメスに向かっていく。その速度は常人では反応しきれないほどだ。
「なるほど、その剣は少々厄介な代物のようですね」
しかし、フェルメスは常人ではない。光の刃を右手で掴むと、それをいとも簡単に握りつぶした。光の刃は粒子状になって、空気中に溶け込んでいく。
「なっ!」
レイノスは目を見開き、フェルメスがしたことに唖然とするばかりだった。
「ではその剣、破壊させてもらいましょう」
そんなレイノスをフェルメスは待っていてはくれない。粒子が消え去るやいなや、フェルメスは魔法を詠唱する。そう、ダニッシュを操ったあの魔法、ブレインコントロールだった。
その対象は――。
「くっ、意識が」
レイノスだった。意識が闇の中に沈んでいき、手足の自由も利かなくなってくる。身体のありとあらゆる部分が自分とは切り離されていき、一つの命令に忠実に動くことしかできなくなっていく。
マジックソードを自らの手で壊せ、と。
「さぁ、壊しなさい! 自らの手で己の力を放棄しなさい。そうして、本当に力がなくなるとき、お前の本当の姿が垣間見えるだろう!」
フェルメスは高らかに笑いながら、レイノスを見た。自分の生き様を捜し求めるがゆえに汚れた、その瞳で。
「これは勝負がついたかもしれぬな」
「くそ、やはり人間のレイノス君ではフェルメスに勝つことはできないのか……」
「ん? 貴様はなにを勘違いしているんだ。勝負は――」
――レイノスの勝ちさ。あのブレインコントロールを打ち破ることさえできたならな。
「どうしてですか? 力では圧倒的にフェルメスのほうが上です。もしレイノス君があの魔法を破ったとしても、まだフェルメスは力を出し切ったじゃない。この場を見た限りじゃ、レイノス君が勝てる見込みは……」
「貴様が力とみなしているものは、他を傷つける暴力的なものだろう? この勝負は、そんな力の比べあいをしているわけではない。――この勝負は、自分の意志が強いほうが勝つ。なぜなら、フェルメスが求めているものがそれだからだ」
アリアとダニッシュがそんな話をしていることなど聞こえていない、いや聞くことができないレイノスは、いま必死に己の意識を犯してこようとする闇と戦っていた。
『くそ、この間にフェルメスに喉元をかっきられでもしたら終わりだ。さっき俺が言ったことが、俺にふりかかってくるかもしれない』
そんなことを心配するレイノスに、容赦なく襲ってくる闇。それは闇と戦うこととは違うことを考えるレイノスの意識を少しずつ、じっくりと支配していく。
『別のことを考える余裕もない……!」
その間、フェルメスはというと――。
高笑いをやめ静かに、そしてじっくりとレイノスの様子を観察していた。
「……まだ、おちぬのか。すぐにでもおちると思っていたのだが」
目を細めて、よりいっそうレイノスの意識を支配しようと力をこめるフェルメスは、自分の期待が膨れ上がっていることに気づいていなかった。自分の力に対抗しうる者になった少年の、成長に。
そのせいなのか、無意識にフェルメスは闇の支配を弱めてしまった。力をこめようとしたのにもかかわらず、なぜか弱めてしまったのだ。
その隙を、レイノスは見逃さなかった。一瞬の緩みの隙間に、レイノスは自分の奥底の魔力をありったけ流し込んだ。
魔力は光となって、黒き闇を明るく照らしていく。
その魔力は、闇を上回る光だった。
その瞬間、レイノスの中になにかが流れ込んできた。それはさまざまな記憶と想い。
そして――。
レイノスは自分の意識を支配下におき、フェルメスと再び視線を交わらせた。
「フフ、フハハハハハ! そうか、我の力を弾きかえすかっ! それは、その力はやはり……フフ、ならばその力で、我を殺してみよ! さすれば、貴様を魔王として再び認めようではないか!」
レイノスはフェルメスの言葉になにも答えず、ただフェルメスを見つめる。
「どうした! 貴様を魔王として認めてやろうというのだ。人格は認めたが、魔王としてはあのラノス様を認めなかったこの俺が! さぁ、決着をつけようではないか!」
レイノスは一言、フェルメスに言葉を放った。
「魔王など、しょせんは肩書きだ」
「……なに?」
「そして力など、本当に必要なときにしか要らないものだ」
レイノスは自分の力であるマジックソードを一瞥し――。
――それを自分のひざをつかって、真っ二つに折った。
「なっ!」
フェルメスは、その行動をみて信じられないといったような顔をする。
「フェルメス、貴様が剣を壊せというのなら、喜んで壊してやろう。だが、それは俺自身の手によるものでなければならないがな」
「なぜだ……お前は、それを失えば、本当にただの人間に成り下がり、この私に殺されてしまうのだぞ」
レイノスはフェルメスのその言葉をきいて、軽く馬鹿にするように笑った。
「最初に言っただろう。俺はお前に話があると。別にお前と戦いたいわけではない。ただお前が話をきかないなら、力づくでとめるとはいったがな」
それに――。
孤独だった幼い俺に話しかけてくれた貴様と、戦いたくはない――。
「……覚えて、いるのか」
「いや、さっき意識を支配されそうになったとき、貴様の意識が紛れ込んできた。そしたらふと、思い出しただけさ」
フェルメスは居心地の悪そうな顔をした。そして、突然にレイノスに背を向ける。
「……なら、私の考えていたこともレイノス様に知られてしまったということか」
「ああ、流れ込んできたよ。お前の苦悩も、弱さも、全てな」
「そう、か。そんなことが知られてしまうとは一生の不覚です。……この胸の高鳴りも醒めてしまいました。もう、レイノス様と戦う意味も、ありません」
今度こそ、フェルメスは本気でこの場を去ろうとしていた。一歩一歩、確実にレイノスたちのもとから離れていく。
「待て。話があるといっているだろう」
「……こんな私にまだ、話があると?」
「ああ、あるさ。お前に伝えなければならない言葉がな」
そして、
俺と共にこい、そしてまた俺の補佐をしてくれ――。
フェルメスは最初、その言葉が信じられなかったのか、しばし硬直する様子を見せた。それはダニッシュも同様だった。しかしアリアは、レイノスがそれを言うことがわかっていたかのように、一人面白そうに微笑んでいるだけだった。
「本気で、言っているのですか。あなたを裏切った私を許し、また共にこい、と」
「本気だ。俺がこのような冗談を言うはずもない」
「……正気なのか! 私はお前を利用しようとしている! お前を使って、自分の生き様を定めようとしているのだぞ。お前もそれはわかっているのだろう!」
「それも承知の上だ。いや、それが決定打になったというべきか。お前が俺を使い、己の生き様を見つけようとしていることを俺はわかっている」
「なぜだ、それを知っていてなぜ!」
そんなことわかりきっている、といわんばかりの顔で――。
――それを教え導くのも、主君の役目だからだ。
「お主はもうフェルメスの主君ではないだろうに」
アリアがおかしそうに、茶々を入れてくる。
「うるさい。余計なことをいうな」
すまないすまない、とアリアはレイノスから視線を外した。どうにも、つかめない女だと感じるレイノスだった。
「そうだ。そいつが言うように、俺はもうお前の主君ではない。しかし、魔族界を治められるのはフェルメス、貴様だけだ。生き様を見つけてしまえば、貴様が魔族を束ねることなど容易だろう」
「しかし! それはあなたがやればいい! いや、あなたでなくてはだめだ!」
「俺はやるべきことがある。それは、魔王になってしまっては叶わないものだ。父がそうであったように」
「まさか、レイノス様あなたは……」
フェルメスの視線から逃げるように、レイノスは暗くなった夜空を見上げた。
そして、その暗闇を吹き飛ばすかのように笑い出した。
「俺とともにこい、フェルメス! 貴様の生き様、この俺様が見つけてやる! そして、貴様を、父や俺すらも超える魔王にさせてみせる!」
レイノスは顔を下ろすと、フェルメスに近づいていった。そして、手を差し出す。
「握手だ。俺とお前の、和解のな」
「許すというのか。利用されてもかまわないと、そういっているのか」
「そうだ。この手を取るも弾くも、貴様しだいだ」
フェルメスはしばし、沈黙した。
そして、レイノスの手に自分の手を近づけていき――。
レイノスの手を、弾いた。
「あなたの手はとらない! しかし、利用させてもらえるなら、思う存分利用させてもらうとしよう。そしていつかは――ラノス様やレイノス、この二人を超える魔王になってみせよう!」
「ふっ、素直ではないやつだ」
レイノスとフェルメスは互いに、笑いあった。それは最初にあった、互いに認め合った空気と似たような、しかし、それとは少し違った温かな空気だった。
「話はまとまったようだね」
アリアは面白そうに、そして、満足そうにレイノスたちに話しかけた。
「そういえば、貴様がいたのだったな。すっかり忘れていたわ」
「ほう、それはレイノスと邂逅できた喜びからか?」
「……気にくわん女だ、あいかわらず」
「許せ許せ、私も同様、気分が良いのだ」
アリアは言葉通り、先ほどから笑顔を絶やしていなかった。まるでこうなることがわかっていたかのように。
さて、とアリアが場の流れを変えた。
――これでやっと、エルフの島に行く準備が整ったね。
「……なに?」
「さぁ、レイノス。そしてダニッシュ、フェルメス。お主らはここで選択せよ」
――私と共にエルフの島にくるか、こないかを。
それは唐突な選択。アリア以外の三人にとって、予想できなかったものだった。
とうとう、エルフの島への道が開かれる――。