始まりの村
もう日が沈もうかという頃、レイノスたちは森を抜け目的の村に着くことができた。
いや――村だった土地に。
「これは……」
ダニッシュは目の前の光景が信じられないといった様子で、口をだらしなく開かれ、目は大きく見開かれていた。
「本当にここが、あの村だった場所なんですよね? レイノス君が間違ったってことはないですよね?」
ダニッシュは確認するようにレイノスに顔を向ける。レイノスは一度ダニッシュのその視線に、自らの視線を合わせた。そして、ダニッシュの不安げな表情を読みとると、視線をダニッシュから外し、一歩二歩と足を前へ進めていく。
レイノスはしゃがみこみ、荒れ果てた地面の土を親指と人差し指でつまんだ。その土をこすり合わせると、振り返りダニッシュに言った。
「これが、俺のしたことなんだな」
村はなくなっていた。家だったと思われる木材は無造作に地面に転がり、人が使っていた井戸も半壊し、水のためてある穴がむき出しになっていた。もう人が住めるような状況ではなく、そして、人が住んでいるような形跡もなかった。なにも、なくなっていた。
「……進もう。俺はこの光景を目に焼き付けておかねばならない。記憶に、心に刻み付けなければ」
「レイノスさん……」
進めば進むほど、村の光景はひどくなっていった。
転がる骨。それは人間のものなのか、はたまた魔物のものなのか、区別はつかない。ただ一つ、その数はおびただしいほどだった。
しなびれた草、花が非難の目を向けるようにレイノスのほうに咲いている。それはまるで、この村で死んでいったものたちの魂が宿っているようだった。
レイノスはその骨、草、花一つ一つを手にとって、自分の昔を振り返る。
この村に来たときのこと。魔王時代の自分のやってきた行いのことを。
「すまない、本当に……」
「レイノスさん! 見てください、あそこに水晶のようなものが」
ダニッシュの声で、レイノスの思考がとぎれる。ダニッシュを見ると、ある一点を指差していた。そのほうを見た、レイノスは思い出した。
「あそこは――俺が倒れた場所だ。そしてあれは――」
レイノスは水晶を詳しく見るために、手に取っていた骨を地面に置き、歩き出した。なぜか高ぶる気持ちがレイノスの足を速める。
そして――。
「なぜこいつが、この中に」
「これは――フェルメスじゃないですか!」
水晶の中には、あの魔王ラノスの右腕で、ダニッシュにエルフの薬をわたし、そして魔王だったレイノスを裏切ったフェルメスが閉じ込められていた。
何かを悟ったように目は閉じられ口元は微笑んでおり、腕は組まれ、何かを受け入れたかのようだった。
「なんでフェルメスが水晶の中に閉じ込められているんだ?」
「――それはソージアがやったことだよ」
レイノスとダニッシュはとっさに声の聞こえてきた方向に振り返った。そこにいたのは金色の髪をたなびかせた女性だった。首から下はこげ茶色をしたマントで隠されていて、詳しい特徴はわからない。しかし、ただひとつ金色の髪を除いて認識できる特徴は――先の尖った耳だった。
レイノスはこの女性を見たことがあった。この――母の面影があるエルフの女性を。
「レ、レイノス君! こ、この人はエルフですよ!」
「わかってる」
「ほう、やはり聞こえていたのだな、あの時」
エルフはやはりというようにレイノスを見た。その目になぜか温かいものを感じたレイノスは少し戸惑う。そして、ふと思った。
この人が自分の母なのではないかと。自分の前から突然消えた、あの優しく温かい目をした母親なのではと。
「お前は、俺の母なのか?」
レイノスは、しまったと思い、なぜこんなことを聞いてしまったのかと後悔した。そして、同時になぜか頬が照るのがわかった。
「ええっ!?」
ダニッシュは驚き、
「ふふっ」
エルフの女性は口元に手をあてて、笑っていた。
「レイノスよ、私はお前の母ではない。まぁ、近しいものではあるが」
女性はまだおかしそうに口元を歪ませながら、レイノスの質問に答えた。
「近しいもの、とはなんだ」
「まぁ、それは今はいいだろう。それより、お前にはもっと大事なことが目の前にあるんじゃないのか?」
そういって女性は水晶に目を向けた。いや、中にいるフェルメスに。
「フェルメス……久しいな。そんな姿になってもやはり、貴様は凛々しく在り続けるのか」
女性は水晶に近づいていき、その表面を指でそっとなぞった。そして、女性は水晶から指を離し、小さな声でつぶやきはじめた。
「……の呪縛を……はなち、永遠の……ざめよ」
女性の身体から、かすかな光が流れ出した。それはなにものをも浄化するようなそんな清らかなものだった。
「――やっぱりダメみたいだね」
流れ出していた光はぴたりと止まり、もとの女性の雰囲気へと戻っていた。
「レイノス、これはやはりお前でないとダメなようだ」
「どういうことだ?」
レイノスは意味がわからないといったように、女性を見つめる。
「最初に言っただろう? これはソージアがしたことだと。――お前の分身がしたことだとね」
「だから……なんだ」
レイノスの頭の中はますます疑問が深まった。そんなとき、ダニッシュが一言。
「術者が一緒だと、そう言いたいのですか?」
「そこの男、賢いじゃないか」
女性は感心するようにダニッシュを見やった。ダニッシュに近づき、その瞳をじっと見つめ、
「良い男だね。私がもう少し若かったら、婿にとっていたかもしれないねぇ」
「ええっ! ちょ、こ、困りますよ……レイノス君、助けてくださいよぉ!」
「お、おい、俺に助けを求めるな!」
「あはははっ、冗談だよ」
女性はお腹を少し押さえながら笑っていた。レイノスとダニッシュはその様子をみて固まってしまっていた。
「でも、その男――ダニッシュといったかい? 見所があるよ、お前は。もう少し弱気なところを直したら完璧だ」
「え、はぁ、ありがとうございます」
「頑張りな。――で、話を戻すと、ダニッシュが言ったとおり、術者が一緒なわけさ。……魔法をかけた本人がその魔法を解けないというのはおかしな話だろう? だから、ソージアがかけたこの”氷結隔離”の魔法もレイノス、お前なら解けるという寸法さ」
「俺なら、解ける……?」
「そうお前なら解き放てる。この水晶の中に閉じ込められているフェルメスを、な」
ダニッシュは女性がしゃべっている間は沈黙を守るようだった。
「今ならこの水晶を破壊して、フェルメスをこの世から消し去ることもできる。お前を裏切ったこの男を、殺すことができる」
さぁ、どうする?
女性はレイノスを見据える。その心の奥底をはかるように。
レイノスは女性の視線を真っ向から受け止め、そして水晶へと向かう。そして、フェルメスの姿を下から上へと確認する。
「さらばだ……」
レイノスは右手をあげ、それを振り下ろす。女性とダニッシュはただ、成り行きを見守っていた。
そして、
――水晶が砕け散った。
宙に舞った水晶は、空気に溶けるように消えていき、その場には何も残らない。
ただ一つ――。
――久しぶりですね、元魔王、そして現英雄よ。
フェルメスを除いては。
「フン、ずいぶん冷静だな。俺に殺されても、文句はいえんというのに」
「フフ、今のあなたに殺されるほど、私は弱くありません」
「……言うじゃないか。今、ここできさまの喉元をかっきってやってもいいのだぞ」
両者の間に火花が散る。しかし、それはお互いを憎しみ合うものどうしの空気とはまた違った、お互いを認めあったものどうしのそれだった。
「フェルメス……久しいぞ。長いこと身動きが取れなかったみたいだな」
「あなたは……いや貴様は、エルフの異端者ではないか。――エルフの面汚しとまで言われた、かのアリア様がなぜこんなところに」
「フフ、レイノスと同じで芸がないが、貴様の喉元をかっきってもよいのだぞ? われならそのようなこと、造作もない」
女性――アリアはそういって、フェルメスの喉仏をなぞり、妖艶な笑みを浮かべた。底知れないその笑みの深さに、レイノスもダニッシュも、そしてフェルメスですら、一歩ひいて構えることしかできなかった。
「あなたには敵いませんね。その指をまず離してくださいよ、おちおち立っていることもできません」
「ああ、すまないね」
そして両者は離れる。その光景を見て、レイノスはアリアと呼ばれる女の得体の知れない力の一端を垣間見た気がした。
「フフ、それでは私はこの場から立ち去らせてもらいます。あなたがいるとやりづらいですしね」
そういって、フェルメスは頭を振って、レイノスたちに背を向けた。
「待て」
そのフェルメスをレイノスはとめた。
「……なんでしょう、レイノス様」
「その白々しい態度はやめろ。俺はきさまに言いたいことがあるんだ。それはフェルメス、きさまも同じだろう」
レイノスは一歩、フェルメスに近づく。
「……レイノス様におっしゃりたいことなど私にはございませんが」
「なら、それでもいい。俺はあるのだ。このまま黙ってお前を行かせることなどさせはしない」
レイノスはまた一歩、フェルメスに近づく。
「私が――いや、我がそれに従わなかったら?」
「――力づくでも、お前をとめる」
レイノスはまた一歩進み、そして、マジックソードをフェルメスの背中に向けた。
しんと、辺りは静まりかえる。そして徐々に聞こえてくる、地の底から這い出てくるような笑い。それはフェルメスのものだった。
瞬間――。
辺りに猛烈な風が吹きすさぶ。それはフェルメスを中心に流れ、辺りの木材や骨、草、花を巻き上げる。
「面白い! やれるものならやってみるがいい! 無力なただの人間がっ!」
フェルメスは一瞬で、レイノスの剣の範囲から抜け出すと、レイノスと対峙した。
二人のさまざまな思いをはらんだ戦いが始まる――。