戦いの終わり
「レイ、ノス……?」
突然、その姿が目に映りこんできたときは、信じられなかった。いや、いまでも信じることはできないでいる。
金色の髪、人を馬鹿にしたような目、顔つき、口元、声。それは確かに、これまで自分が共に旅をしてきた仲間の姿だった。
理解すれば、一瞬だった。
対峙していた復讐の相手をかなぐりすてて、レイノスのもとへと駆け出した。
呼吸は乱れ、体中には今にも気絶しそうな痛みがはしる。でも、それでもアンナは走ることをやめなかった。
心臓の拍動がいつもより一拍早い。それはアンナの胸中をかき乱し、そして同時に、安心させる。
進む。諦めていた気持ちをまた、前に進ませる。
すでにアンナの中には復讐のこととは別の感情に、満たされていた。
それは人生の中で初めての、復讐に囚われていた少女が、やっと気づき手に入れたもの。
そう、それは恋心というもの。
アンナは失って気づいた。自分の中に埋もれていた感情を。
しかし、アンナはこのとき気づかない。その感情が。己を深く苦しめ、傷つけることを。
「レイノス……レイノスっ!」
だが、今はまだいいのかもしれない。そんな風に能天気に構えていてもいいのかもしれない。
アンナがレイノスの身体に飛び掛るように、抱きついた――。
「うおっ! いきなり飛び掛るな!」
アンナに抱きつかれたレイノスは、驚いたように声をあげ、しかし、口元には笑みが浮かんでいた。
今まで戦場と化していた、この場所で、なぜか場違いな明るい雰囲気がそこにだけ流れている。それを止めるものは、呆気にとられているのか、気を使っているのか、誰一人としていなかった。
――魔王、ただ一人以外は。
「……ふふっ。生き返ったのか、レイノス。ということは、あらかたの真実はすでに知ってしまったのかな?」
不適な笑みを浮かべ、レイノスを見つめるソージア。その目はレイノスを品定めするように伺い、そして目線をイマムネ、アンナと移し、ついに、レイノスが口にしたシュリアを殺した犯人――ダンに向かった。
「なんだ。魔王ソージア、お前もわたしが犯人だと言いたいのか?」
「問おう、貴様が殺したのか?」
ダンの問いかけを無視し、ソージアが問いかける。
「……俺が犯人だ、といったらお前らは信じるのか? そんな簡単に真実はわかるものなのか? それを俺は問いたい。答えてもらおう、魔王よ」
「ふふっ、減らず口を叩く獣よ。俺にはわかる、貴様のその飢えた目つき。ふふっ、フハハハ!」
魔王は笑い出した。冷め切った戦場で一人、笑う魔王は、まさに魔王そのものの姿といってぴったりだった。
「こうなってはもう隠す必要もないな……そうだ、俺が殺したよ。あの女も、獣人の恥であるエンジもな」
「どう、して……どうして、そんなことを!」
ミリネが叫ぶ。涙を目元に溜めながら、口をきゅっと結んで。
「どうして、だと? 貴様ら獣人は忘れたのか! なぜ山神というものが生まれたのか! あれは我ら獣人が、人間や魔族の血肉を食い、それらの感情が具現化して生まれた誇り高き存在であることを! 俺は許せなかった……その存在を忘れ、山神を否定し、人間と共存しようとするもの全てが! だから、殺したのさ。俺の理想を邪魔するものすべてをな」
「そんな……そんなことで。私のお父さんを……。返して……お父さんを返してよ!」
悲痛な叫びをあげるミリネは、もう涙を抑えることはできないようだった。
「そう、その弱き姿。醜い、醜すぎる……! この獣人の恥さらしめがっ!」
ダンは瞬間、獣人の強靭な脚力をもって地を蹴り、ミリネの懐へと迫った。
爪を伸ばし、ミリネの腹にめがけて、腕が伸ばされた。
爪が腹に刺さる寸前――レイノスがダンの爪を間一髪で受け止めた。
そのまま剣を振るい上げ、ダンの身体が宙に舞う。ダンは空中で回転し、受身の態勢をとって地面に着地した。
「もう、俺の目の前では誰も殺させはしない。父と母の理想を――俺の理想を貫くために」
「つい昨日、この村にやってきた部外者が……! ひっこんでいろぉぉお!」
ついにダンは標的をレイノスに切り替えた。
ダンはがレイノスをしとめるため動き出そうとした、そのとき――
ソージアが、ダンの首を跳ね飛ばした。
「とんだ茶番劇だ。見ていて、退屈すぎるわ」
一言、ソージアは吐き捨てた。
「レイノス……貴様も堕ちたものよ。死んで、得た経験が、父と母の理想だと……? 誰も殺させないだと? 今、目の前で一人、獣人が死んだぞ。もはやお前の理想は潰えたのだ」
「……何も言い返すことはできない。その言葉、その行動、全て昔の俺と一緒だ。そうであろう、我が弟、いや――」
――レイノス。我が分身よ。
「え……?」
アンナから声が漏れる。
「どういうこと……? こいつがレイノス……? 何を言っているの、レイノス」
「……すまなかった、アンナ。お前には何を言われてもしかたがない。あいつは――俺なんだ。いや、正確には魔王としての部分……純粋な魔族としての俺なんだよ」
アンナの瞳をまっすぐに見つめ、己が真実をレイノスは話した。
レイノスの顔つきには、もう迷いがなく、自分の道が定まっているようだった。
「ふふ……フハハハハっ! 自分が死ぬところを見て、ようやく気づいたか、我が兄――我が分身よ! 山神には感謝せねばなるまい。ふふ……ならば、もっともっと山神の糧となる罪を増やそうではないか! やれ、我が下部たちよ!」
号令とともにあたりにいた、魔物が一斉に動き出し、人間、獣人かまわず襲いかかりはじめた。
「また会おうぞ、分身よ! 我はデスパレスにて待っている。貴様の理想が俺を超えられるのかどうか……楽しみにしている」
そうしてソージアとラミアはこの場から消え去った。
辺りに残ったのは、魔物の咆哮と、獣人や人間の叫び、そして空しさと悲しみだけだった。
「これが……魔王の通った後に残るものか。いや、何も残ってなどいない。こんな、ものを、俺はずっと……」
レイノスはあらためて、自分のしてきたことを悔やんでいた。
こうして、ゲルブ村での事件は終息をむかえる。
残ったものなど何もない。
しかし、失って得たものはある。
そうレイノスは感じていた。ダニッシュの中でも、何かが少しずつ変わりはじめていた。
一人、アンナを除いては。
「……どういうことなの、レイノス。私わからない、もうなにもかもがわからないよ」
小さな叫びは誰にも聞こえてはいなかった――