罪の記憶
暗い路地の裏を少年が走っていた。
「はぁはぁはぁ、早く、早く逃げなくちゃ、殺される殺されてしまう!」先ほどまでいた場所は既に魔物で埋め尽くされ、いままで一緒に過ごしてきた友達たちも先生も、商店街のおじさんおばさんたちも、みんなみんな殺されてしまった。
「――父さんと母さんも!!」
少年は走る。なにもかも失って、でも自分だけは失いたくなくて、ひたすら走る。
「もうすぐこの町から出られる! あの門さえくぐれば町の秘密の隠れ場に着く! そうすれば――」
そして、着いた先はなにもなかった。
いやなかったではなく、なくなっていた。
人の生命がことごとくむしりとられていた。
「お、お前は魔王……」
「ん? まだ人間が残っていたか。フフ、フハハハハハ! ――死ね、虫けらが」
「嫌だ、死にたくな――」
そこで少年は息絶えた。
「ぅぁあああ!! はぁはぁはぁ」
「どうだ? 今の記憶はお前が殺した人間の九千六百八番目の子供だ」
勇者と名乗っている青年が経過を話す。レイノスの精神は今にも消えおちそうになっている。
「お前は子供が希望と信じていた場所を踏みにじり、挙句少年の最後の言葉さえ聞かず殺した。気分はどうだ?」
「はぁはぁ、く、そ……!」
「そうだ、後悔しろ。お前がやってしまった行いを。……まぁ、後悔する暇などあまりないがな」
青年はちらりと後ろを見る。次の罪が待ち構えていた。
大きな身体をした男。どこはかとなくレイノスを哀れむ目をしている。その男を見た青年は不意を突かれたように顔を歪ませ、表情が一変した。
「あ、あんたは――じゃないか!」
「な、んだ……? 次はどんな罪な、んだ……」
「いいのか? あんたはレイノスを怨んでいるわけじゃないだろう!?」
青年は少し取り乱している。それが疲労しているレイノスが見ないでもわかった。
「どうして、どうしてアンタが……!」
青年は吐き捨てるように言った。
――いいのだ。これはある意味良い機会だ。今の事態を引き起こしてしまった、我を裁くな。そして、レイノスに償うために……この記憶は見せておかねばならん。
大男は至極まじめにそういった。そして、
――それに、貴様もレイノスを怨んでここにいるわけではあるまい? あの娘……アンナといったか、あれを守るためにやっているのだろう?
青年は何も喋らない。それを肯定と受け取っていいのか否定と受け取っていいのか、レイノスには判断がつかなかった。
「わかった。アンタが決めたならそれでいいんだろう」
青年は大男に道を譲った。すまんな、大男はそういってレイノスのもとへ歩いてくる。
手を伸ばしてレイノスの顔を愛おしそうに撫でる。大男の手から記憶が流れ込む。
また始まる、一つの罪が――
「連れてきたか、レイリア」
「――ラノス、本当にいいの……?」
デスパレス、祭壇の間。ここにいるのは今、偉大なる魔王ラノス、そしてその妻レイリア。
そして、幼いレイノスの三人であった。
「父上、母上どうしたの? もっと三人で僕は遊びたい!」
幼きレイノスが駄々をこねる。それもそのはず、レイノスは今日初めて母親に会い、普段中々会えない父親も一緒にいる。
愛情を求めるのは当然であった。
そんなレイノスを見て、母親であるレイリアはレイノスの小さな身体を抱きしめた。
「ごめん、ごめんねレイノス。こんな小さなあなたに、重い役目を背負わせてしまうわたし達を許して……」
「母上どうして泣いているの? 母上が泣くと僕まで泣きたくなる。だから笑ってよ母上……」
「ごめん、ごめんね」
「レイリア、時間がない。刻一刻と事態は進んでいる。もはや我一人では抑え切れんところまできている。……我もつらいが、レイノスには苦しんでもらうほか道はないのだ」
ラノスが祭壇の間中央、六角形の魔方陣の中央に立った。それを合図に、レイリアはレイノスの手をひき六角形の端へレイノスを立たせる。
「――わたしの合図があるまで、ここを動いてはいけません。そして、合図を出したらこれで――」
そういってレイリアは懐から光り輝く短剣を取り出した。宝石などの装飾は一切なく、ただ一つエルフのルーンが書かれていた。
「――これで、父上を……魔王ラノスの心臓を貫くのです」
「え、え、母上? なにを、なにを言っているの? 嫌だよそんなの! やっと三人になれたんだ! 家族一緒になれたんだよ! それなのに、なんで父上を殺さなきゃいけないんだよぉ!」
「――やるのだ、レイノス。それ以外にこの魔界と人間界を守る術はない」
「そんなことどうだっていい! 魔界とか人間界とかそんなことより! 僕のことを、僕達家族が一緒にいることのほうが大事でしょ!?」
泣き叫ぶレイノス。感情を吐き出すレイノス。
「また一緒にお風呂にだって入りたい! 三人で一緒に寝て、朝起きて三人でご飯食べて、どこかに三人ででかけたい! 父上に怒られたい! 怒られて母上に慰めてもらいたい! それで仲直りして、また三人で仲良く過ごすんだ! そんな日々がずっと続いていくんだ! そう思ってたんだ!」
子供の戯言かもしれない。でもそれは当たり前に子供がもつ思いで、それを否定することはレイリアも魔王であるラノスもできなかった。
だから、ラノスはレイノスとは対照に、感情を押し殺した。
「そんな日々は続かない。いや始まってすらいない。お前のその願いも叶わぬものだ。怨むならこのラノスを怨め! そして我を超えてみよ! さすれば、お前の望むような日々もいつか訪れるやもしれん」
「ラノス、あなた……」
「――本当に……? 父上を超えれば、また三人で過ごせる日々がくる?」
「ああ、だから――やれ」
「……わかった」
「レイノス……」
さぁ、始めるぞ。その一言でレイリアはレイノスから離れ、レイノスとは反対側の魔方陣の端へ立った。
「――迷える魂よ、今我の問いに答え我の力を奪い我の分身へと分け与えたまえ。聖なる種族の詠唱を聴き、今ここに現れろ!」
詠唱を唱えるレイリア。その瞳からは今もなお涙が零れ落ちていた。
「さぁ、こい! レイノスよ!!」
「うわぁぁぁぁぁ!!」
貫いた。短剣のルーンが光、黒くしかし純粋な魔力がレイノスに流れ込む。
「お前にはこの記憶はつらすぎる。壊れてしまうやもしれぬ。だからお前がこの記憶を必要とする時まで封じさせてもらう。……すまぬレイノスよ」
魔方陣が祭壇の間を光で埋め尽くし、一瞬でレイノスの元へその光が流れ弾けた。
レイノスは倒れ、気を失っている。ラノスも倒れ、二人をレイリアが支えている。
「成功したのか、レイリアよ……?」
「ええ、成功しました。――これでこの子は、つらく険しい道を歩むことになる」
「そうか。この子の言うような日々を過ごしてみたかったなぁ」
「ええ、わたしも、わたしも過ごしたかった!」
レイリアが流した涙が、ラノスの顔にぽつぽつと当たる。
「後は頼んだぞ。この子が、レイノスがいずれ我と同じ状況に陥ったとき、道を示してやってくれ……ごぼっ!」
「あなた!」
「頼んだぞ、我が愛しき聖女レイリアよ……」
そうしてラノスは静かに、この世界から旅立った。
「目が覚めたか、レイノス」
レイノスの視界に一番最初に映りこんできたのは、勇者の青年だった。
「僕はどうして……ぐ、があぁああああ!!」
「記憶がまだ混乱している。それほどレイノスにとって鮮烈なものだった、ということか」
レイノスは少しずつ記憶を取り戻していった。ラノスが与えたレイノスの、あの日の記憶。
母と父と過ごした、あの日のことを。
「……ふざけるな……」
「レイノス……?」
「ふざけるな、ちくしょぉぉおおおお!!」
叫ぶ。実態のない身体で、心だけで、心からの叫びを。
「いまさら、いまさら! なんでこんなものを、思い出さなきゃいけないだ! 俺は父上を超えるために、魔王として生きてきた! しかし、それすらも、その思いすらも父上と母上に与えられたものだというのか!」
勇者は何も口にしなかった。
ただ、魔王の、いや元魔王の本当の心の叫びを、聞いていた。
「くそくそくそ、くそがぁああ!」
「今までの俺の人生は、人生の目的は、他人から与えられたものだというのか!」
「……なら、俺のこれまでとは……俺とは一体なんだったんだ!」
感情の吐露はとまらない。レイノスはこの山神の試練で、初めて、心からの動揺を見せた。
それは、今までのレイノスに殺されたものたちの記憶が、レイノスの心の奥底には響いていなかったことを証明していた。
「やはり、肝心なところはあなたがもっていきますか。魔王よ」
勇者は呟く。そして、レイノスの瞳をしっかりと見据え、
「静まれ! か弱き人間よ!!」
「な、なに……!」
「貴様は、今、真に所有するものがなくなった! 有り余るほどあった力も、この世に存在するための身体も、そして、人が魔物がエルフが獣人が、生きるために不可欠な目的も!」
「違う……違う違う違う!」
「いいや、違わない! 貴様はもはや既に抜け殻だ。いや、殻すらない。貴様は本当になにもないのだ!」
「違う、違うんだ、俺にはあるんだ……なにかが、なにかがあるんだ!」
「……問おう。ならば、貴様にはなにがある」
レイノスは、言葉にしようとするが言葉にはできなかった。言葉にするための、言葉がなかった。
「今のお前には、なにもないのだ。これまでのお前はただこじつけの理由で生きる意味を探していたに過ぎない」
人間を虫けらと呼ぶのも、自分は魔王だと言い聞かせるのも、自分を強く見せたい幻想だ。
力を失ってからのお前の旅で、お前がやったことはほとんどが無駄だった。
自分の生きる意味を認識せぬ人生など無価値、それこそが今までのお前だ。
「俺は……俺は……」
「だが、失ったものだけではないはずだ。レイノスお前は」
「な、に……?」
「少なくとも今、お前は父の、母の意志を知った。想いを知った」
レイノスは、勇者の言葉を聞く。
「そして、一緒に旅をしている仲間もできたはずだ。……魔王時代のかりそめの仲間ではなく、本当の仲間がな」
レイノスは思い出す。自分が死んだとき、悲しんでくれた仲間の顔を。そして今も生きて、レイノスを想ってくれている仲間の心を。
「これからがお前の、レイノスとしての人生だ。これまでのしがらみなど、もうない。本当にお前がやりたいことをやればいい」
「これからが……俺の……人生?」
「ああ、そうだ。これからはお前が自分で探すんだ、生きる意味を」
失ったのなら、新しく探せばいいだけだ。
「俺の言いたいことはこれぐらいかな。あ、最後には俺の記憶はしっかり見てもらうがな」
勇者はこれまでの深刻な表情を捨て、からからと笑う。
「――ああ、見よう。お前の――記憶を」
最後にお前の名前を聞かせてくれ、レイノスは言った。
「俺の名前は、アッシュ。この世界の勇者で――アンナの兄だった男だ」