それぞれの戦い~直前~
「これが俺の罪……いや、俺が殺した人間達か」
一瞬の、出来事だった。気がつくとレイノスの視界一面には、死の亡者――レイノスに殺された人間達がどろっと濁った目をレイノスに向けながら呻いていた。
これらの罪を、レイノスは殺さなければならない。そうエルフの女性が言っていた。
「罪を殺す……どういうことだ? もしや、また俺はこの人間達を殺さなければならんのか……?」
「それは違うさ」
レイノスの呟きを否定する声が、前方から聞こえてきた。
「そんな事をすればレイノス、お前はまた罪を重ねることになる。罪に罪を上塗りすることになる。罪を認め、罪を殺すということはそうじゃない」
「……お前は誰だ……?」
「そうだなぁ。お前が魔王なら、俺はさしずめ勇者ってところだな。あ、お前は今魔王じゃないんだったな」
喋っているのは、まだ若い青年。レイノスの視界に現れてから、絶えず笑みを浮かべている。
「俺が聞きたいのはそんなことじゃない! お前は、何者なんだ!」
レイノスの叫びも、青年は軽く流すように笑い、
「だから、俺は勇者だって。ま、お前に殺されちまった役立たずの勇者だけどな」
「やはり、俺はお前を殺したんだな……俺の記憶にはお前の顔はまったく残っていないが」
「そりゃそうだろ。だってあの頃のお前は、人間を殺すことが日常だったもんな。それこそ、朝昼晩食事をとるのと同じように」
レイノスは言葉に詰まった。そして、自分の先ほどの言葉が失言だったことにも気づいた。
「ほんと、一般的な物語では、勇者が魔王を倒して幸せな結末を迎えるのが常なのに……やっぱ現実は上手くいかないもんだってことが死んで身にしみたよ」
染みる身ももうないんだけどな、と一人笑う青年。そのあまりの爽快さに、レイノスは一歩後ずさってしまったぐらいだ。
「無駄話はここらへんで切り上げて、本題にはいるぞ? いいか?」
「あ、ああ」
「よし。じゃあ、さっきも言ったが、罪を認め、殺すってことはつまりここにいる人間達を殺すって事じゃない」
「どういうことなんだ?」
「まぁ焦るな焦るな。……ここにいる人間達は、お前に殺されて、非常に悔しい気持ちを抱いてる。ようするに無念って事だな」
「もっと長生きしたかった」
「最愛の人と人生を歩みたかった」
「平和に暮らしたかった」
青年はまじめな顔つきになる。
「……家族を、家族をずっと守っていたかった」
哀しい目をしていた。先ほどの爽快な笑いとは対照的な、深い哀しみ――無念な気持ちが現れていた。
「……お前はそんな気持ちを受け止めなければならない」
「死んだ人間の気持ちを背負わなければならない」
――できるか? お前に。
「……受け止めてみせるさ、絶対に」
レイノスの闘いが始まった。
ゲルブ村より少し離れた、木々に囲まれた広場には村から避難してきた住人が大勢集まっていた。そこはレイノス達が戦っていた洞窟から程近い位置にある。
ブルトンが去った後を追ってやってきたのがこの広場だった。アンナ達は村にまだ人が残っていないかを確認していただけだったので、具体的な避難場所などは知らなかった。
「誰かが、ここにみんなを集めてくださったんですね……」
ミリネが安心したようにつぶやく。
ミリネが言っているみんな、とは、獣人も含まれている。広場には怪我をしている者がたくさんいるが、その手当てをしているのは人間と獣人両方だった。もちろん怪我人も両方で、ぞの怪我人に対して分け隔てなくどちらも接している。
「獣人と人間はやはり……共存することができる」
「ええ、そうですね。僕も今そう感じてます。……母の考えは間違っていなかった」
目の前の光景に、ミリネもイマムネも感動していた。
突発的なことかもしれない。しかし、これがきっかけになれば……
二人はそう考え、口元の笑みを隠せなかった。
「わたしも嬉しいな……イマムネさん、ミリネちゃんよかったね!」
アンナもはしゃぐ。ダニッシュも言葉にはしないが嬉しそうに目元を緩ませる。
「しかし喜んでばかりもいられません。村にはまだ魔物もいますし、ソージアやラミアさんだって姿は見せませんがどこかにいるはずです。……こんな広い場所、しかも見晴らしのいい場所に大勢の人を集めて大丈夫でしょうか……。魔物に攻め込まれたら危険ですよ」
顔を引き締め、自らの心配を口にするダニッシュ。それに同意するようにアンナもうなずく。
「わたしも同じ意見。避難させたのはいいけど、ここだと少し危ないから、またどこかに移動したほうがいいと思――」
「それには及ばない」
アンナの言葉を遮り、否定したのはダン。エンジの弟子であり、イマムネに対して敵対心を抱いていた男だった。
「ここには私を含め、多くの獣人がいる。もし魔物が攻めてきても私達が打って出る。それにもし、君達のいうようにここから移動させたとして、その隙に襲われたらどうします? それなら、最初から固まっている人間達を守っているほうがまだいい」
「そ、それはそうですが……」
ダニッシュとアンナの意見は、ダンの意見によって潰された。
「わかってもらえたのなら、いいです」
そういって去っていくダン。
「……なんでしょう。なぜか、さっきのダンさんは冷たかった」
ミリネはぼそっと、口にする。
「なにか言った? ミリネさん」
「い、いえ、なんでもないです!」
心の中の不安をかき消すように首を横に振るミリネ。
「さ、さぁ私達も怪我人の手当てにいきましょう!」
そうしてミリネたちは駆け出していった。
「これが、お前の望んだ光景なのか、シュリア……」
広場の集まりとは少し離れた木陰に立ち、今は亡き妻の名を口にするのはブルトンだった。
「確かに、良いなぁ。みな怪我はしているが、どこか嬉しそうな顔をしている。……対立していたあの頃とは正反対の顔だ」
寂しそうに、しかし、どこか嬉しそうにブルトンは言葉を漏らす。
「シュリア……どうか、お前は見守っていてやってくれ。イマムネを……このゲルブ村の行く末を」
視線の先には実の息子、イマムネ。
「立派になったな、イマムネ。お前なら大丈夫だ。できることならお前と一緒に、シュリアの意志を継いで生きていきたかった」
――しかし、それはもう無理だ
ブルトンの顔が、変わる。表情の緩みは一切なく、瞳には黒く淀んだ輝きが宿っていた。腕は黒く変色し、足からは長い爪が生えている。
「シュリア、許してくれ。お前の望んだ光景を、壊してしまう私を。……いや、許さなくていい。こんな私は誰からも愛されず、一人朽ち果てていったほうがいい……」
それから、ブルトンは歩き出す。
一歩一歩、感情を捨て去るように。
既にブルトンは人ではなかった。
獣の咆哮、いや、魔物の咆哮が辺りに響き渡る――