作戦
「うっ、う~ん! もう朝か~」
アンナはそういってベッドから身を起こすと、軽く伸びをしてふぅと一息ついた。部屋の窓から射し込む日の光がアンナを明るく照らし、アンナの目覚めをより強くしていく。
「気持ちのいい朝だな~。うん! こう起きるのが気持ちいいと、気分も良くなるね~」
ベッドから抜け出したアンナは乱れた髪を手で軽く整え、ぐちゃぐちゃになっている布団も綺麗に直した。アンナは結構几帳面なのだった。
ところで、今この部屋にいるのはアンナだけだった。レイノスとダニッシュは同じ部屋だが、アンナは女性ということで一人部屋をもらったのだ。
部屋の中は基本的なものしか置かれていない。ベッド、机、たんすといった物だけだ。
机の上にはアンナの荷物が置かれていた。荷物といっても、これまた簡単なものでばかりでお金の入った財布、傷を癒すための薬草、着替えの服などだった。それらの上に覆いかぶさるように置かれているもの……。
それもまたアンナの服であった。
その服はアンナがいつも着用している衣服で、それがなぜ机の上に置かれているのかというと、
アンナは今、服を着ていなかった。
いや、正確にいうと下着は身に着けている。上下お揃いのピンク色の下着を。
アンナはレイノス達と旅をしてきた今まで、一人で寝るということが少なかった。コーネリアでは怪我をしたレイノスの看病で寝ていないし、魔族と人間が共存しているあの村ではリンと共に寝ていた。
レイノスと出会う前のアンナは一人でいつも寝ていた。そのときはいつも服を着ないで、下着だけで寝ていたのだ。その習慣が今ここで出ているのだった。
「いや~久々にこの姿で寝たけど、やっぱり一番しっくりくる! できることなら毎回この姿で寝たいけど、レイノスとダニッシュさんがいるしな~。とうぶん無理か……」
残念そうにため息をつきながら、アンナは下着を着替えようと机の上にあった替えのものを手にする。そして今身に着けている下着を脱ごうと手をかけたとき――
「おい、アンナ! 俺の邪魔をした山神とやらを潰しにいく――っ!?」
部屋の扉が開け放たれた。
「えっ!?」
そこにいたのはレイノス。ドアノブを手に掴んだまま表情を固まらせていた。アンナはというと脱いだ下着を手に抱え、それで胸の辺りを隠しながらレイノスと同じように固まっていた。
見つめあい動かない二人。
部屋の中には沈黙。その沈黙を破ったのは、レイノスだった。
「え、えとえと、あのだな、これはわざとじゃないんだ! このタイミングを見計らってとかそういう意図は一切なかった! 本当に偶然、偶然なんだ! ……え~と、アンナ? アンナさ、ん?」
反応を見せないアンナの顔を恐る恐る見るレイノス。アンナは顔を俯かせ、微妙に肩を震わせていた。
そんなアンナの様子に身の危険を感じたのか、レイノスはゆっくりとドアノブを引いて、
「え~、じゃ俺は一回この部屋を出るな?」
そういって扉を閉めようとする。
「ちょっとまって? レイノス」
その行動を止めるようにアンナが至って冷静な声でレイノスを呼ぶ。びくっ! とレイノスは震え、閉めようとしたドアをまた少し開けアンナの様子を見るためドアの隙間から顔をだした。
「な、なんだ?」
右手をレイノスに突き出し人差し指でクイクイと、こっちにこいというようなしぐさをする。そのあいだも、アンナは左手で胸の辺りを押さえ顔は俯いたまま。そんな様子がレイノスの恐怖をまたいっそう高めた。そのためか、
「えー、そ、それはなんのしぐさだ?」
と、レイノスは恐怖からかそのしぐさの意味を理解しないようにしてとぼける。
「こっちにきて」
アンナはレイノスのそんなとぼけも許さないかのように一言、そういった。
観念したのか、レイノスはドアをキィィ、と開けて一歩一歩アンナに近づいていった。そしてレイノスがアンナの目の前までくると
「……かしかったじゃない」
「ん? な、なんだって?」
すぅー、と深く息を吸い込む音が部屋の中に聞こえた瞬間。
「はずかしかったじゃない! なんで謝ろうともせず部屋から出ていこうとするの!?」
そういって、レイノスの顔面にアンナの鉄拳が炸裂した。
その威力は絶大で、レイノスは空中を舞いながら壁に激突し意識を失ってしまったのだった。
時間は流れ、今は日が真上に昇っているちょうどお昼。カラッとした日差しに人々は、額から大量の汗を流している。
そんな天候の中、レイノス、アンナ、ダニッシュはゲルブ村の中央にある広場にいた。
三人は顔をフードで隠し、こそこそと辺りをうかがいながら南部の人間達が暮らす方向へ進んでいた。そして、ささっと建物の影に隠れると被っていたフードを脱ぎ、汗で濡れていた顔を拭った。
「……なぜこんな暑い中、フードなど被らなきゃいけねーんだ。目的を達成する前に死ぬぞ、暑さで」
途端に文句を言い出したのは、やはりレイノスだった。
不満げに顔を歪ませ、このフードの着用を考案したダニッシュを睨みつける。
「しょうがないじゃないですか。私たちは南部の人たちに敵対視されているんですから。正面から堂々と行ったとしても、村人から袋叩きにあって、それこそレイノス君の目的が果たせなくなりますよ?」
「うぬぅ、それはそうだが……」
レイノスの不満はダニッシュに軽く片付けられてしまった。レイノスが反論できないのは、ダニッシュの言っていることが正しいと分かるからだ。
しかたなく。本当にしかたなくレイノスはフードを被りなおした。
「……ごめんね。私のせいで」
一連のやりとりを眺め聞いていたアンナは、申し訳なさそうに声を出し、謝った。レイノスはそれに、鼻をふん! と鳴らして、
「謝っている暇があるなら、今回の作戦を成功させるようにしっかりやれ。――よし、行くぞ」
その合図で、アンナとダニッシュもフードを被り目的の場所に向かって足を進め始める。
そもそも今回のレイノス達の目的は、南部地区の人間側代表ブルトンの監視だった。
昨日の夜、イマムネが話した山神犯人説。
その内容は至って簡単だった。
ブルトンが山神にエンジの殺しを依頼した、ただそれだけ。
しかし、ただそれだけのことがレイノスにとっては難しかった。
存在しないもの、存在していないといわれていた空想の存在が、今レイノスの前に現れようとしている。生を受けるものにとって、姿が見えない相手程怖いものはないことをレイノスは知っていた。
それでもレイノスが動く理由は、これもまた簡単。
自分の邪魔をしたからだった。
レイノスにとって、見えない敵よりも怖いのは、自分を見失い考えを放棄すること。自分の信念を自分で曲げ、逃げることだ。
だからレイノスは逃げずに、山神と戦い自分を確立させることにしたのだった。
『僕の父、ブルトンは定期的に山神という存在と接触しています。……残念ですが、その姿までは掴めませんでした。でも父は必ず、山神と接触するときは昼ごろに家を出ます。僕は後を追いましたが、何回も見失ってしまいました。……なにかの魔法を使っているんでしょう』
だから、僕一人ではダメだと思い助けを借りにきたんです。
それが、イマムネがミリネの家を訪ねた理由だった。イマムネにとって、協力を頼める味方はもうミリネだけだったのだろう。そう、レイノスは思った。
とにもかくにも、レイノスはブルトンの監視兼追跡をしていた。アンナとダニッシュは、話を聞いてついてきたのだった。
「ほら、レイノス。もう少しで、ブルトンさんの屋敷に着くよ」
「あぁ、分かってる」
レイノス達は、イマムネから指示された路地裏を歩きながら、ようやくブルトンの屋敷がb見える建物の影まで到着した。
「あれがこのゲルブ村を半分支配している人の屋敷ですか……うん、大きいですね」
「なんとものんきなもんだな、ダニッシュ」
「いや、それぐらい大きいじゃないですか」
「まぁ、な」
ブルトンの屋敷は周りの家とは一線引かれていた。まず、敷地から違う。周りの家を一の大きさとした場合、ブルトンの屋敷は十ぐらいの大きさだった。そして、巨大な門構え。屋根は青いタイル張りで屋敷の壁はブロック造りになっており、頑丈そうだった。屋敷の庭は花で埋め尽くされており、その種類は数え切れない。
いかにも金持ちが住む家だった。
「ブルトンさんが出入りする場所は、屋敷の裏なんでしょ? 屋敷に見とれてないで、二人共早く行くよ!」
唯一、アンナだけが屋敷に目もくれず目的の場所へと急ぐ。
「あ、ああ、なんだかアンナ、お前やけにやる気だな」
レイノスはアンナのその行動に疑問を持ったのか、そんな事を口にする。
すると、アンナは、
「当たり前だよ! さっきレイノスが言ったとおりにやっているだけだよ! 『謝っている暇があるなら、今回の作戦を成功させるようにしかっりやれ』ってさ。だから、早く行こう!」
「そ、そうだったのか……なんか、すまん……」
「いいから早く!」
アンナのその様子を見て、少し自分の言動を反省するレイノスであった