夜空の下の決断
「山神様、か……」
虫の声が微かに聞こえる夜の大通り。欠けた黄色い月が妖しく光り、地面や建物、そしてレイノスを照らしていた。
大通りには今、人はいない。聞こえるのはやはり微かな虫の声のみ。
考え事をするのに適した環境、状況であった。
「俺はなにをしているんだ……?」
レイノスは悩んでいた。
そもそもの目的、エンジはもうこの世にいない。それならばさっさとこの村を出て、新たな船乗りを探せばいいはずなのだ。
しかし、いつのまにかレイノスはこの村の問題について考え、当事者に関わり、当初の目的から大きく外れたことをしようとしていた。
そもそも、ミリネたちに関わり問題に関わり、自分になんの得があるというのか。自分はこんなにもおせっかいなやつだっただろうか。
いや、ちがう、とレイノスは心の中で思う。
「……なら、今の俺はなんなんだ」
そこでわからなくなるのだった。
前のレイノスならば、自分に得のあることしかしなかっただろう。自分に不利益なこと、得のしないことはしなかっただろう。
なら、今のレイノスは?
ミリネの話を聞き、イマムネの話を聞き、この村の問題に深く関わろうとしている。この村の問題を解決したところで、エンジを殺した犯人を見つけたところで何になるというのか。エンジが生き返るとでもいうのか。
イマムネから『エンジを殺したのは山神様です』と言われ、あまりにも無茶苦茶な話を聞いて、急激に頭が冷えたレイノスは気づいた。
自分はなにをしてるんだ? と。
「俺は……自分がわからない」
レイノスは歩く。誰もいない大通りを、一人。
レイノスは悩む。自分がなにを、したいのか。
レイノスは、笑う。なぜこうなったのか、気づいたから。
「は、はは、はははははは! そうか、そうか、全部……全部あいつのせいだ。俺がこの村のことに関わっているのも、こうして自分が分からなくなるのも、全部、全部全部全部あいつのせいだ!」
レイノスは一つの結論を出した。
この村の問題に自分が関わっているのも、自分がこの村を離れないのも、、自分を見失っているのも、全部全部全部、
「……アンナの、せいだ!」
レイノスは一つの結論を出した。
仲間に、アンナにその悩みを、責任を押し付けるという結論を。
「そもそもアイツがあの時、広場でミリネを庇わなければ、人間たちに敵対しなければ! 俺はミリネに関わることもなかったし、エンジの死についてだって直接当事者から聞くこともなかった! そうすれば、俺は自分で自分を見失うようなことはしなかった! 全部……アンナのせいだ!」
吼える。レイノスは一人吼えた。
空の闇に向かって笑いながら、レイノスは歩く。両手を広げ、月を見るため上を向き歩く。
まるで、取り繕った魔王のように。力なきカラッポの魔王がそこにいた。
「っ! ぅあ!」
上を向いて歩いていたからか、レイノスは足元の段差に足を取られ転んだ。右手から地面に着地し、自分の身体で自分の右手を押しつぶすように。
レイノスが最初に自分に感じたのは、哀れみ。
なんて無様なのだろうと、レイノスは自分を卑下する。強がれば強がるほど、自分の弱さが曝け出されるような感じがしたからだった。
レイノスが次に感じたのは、痛み。
転べば痛むのは当然なのだが、レイノスは少しおかしいことに気づいた。
右手は痛い。まぁ、右手を押しつぶすように転んだのだから当たり前だが……
それ以上に、左手が痛かったのだ。
右手の痛みなど比べ物にならないほどの痛さ。左手が妙に熱く感じ、感覚がなかった。なにかに斬られたような痛み。しかし、左手には傷はまったくないどころか全然綺麗だった。そもそも地面についていないのだ。痛みがくるはずがなかった。
そこで、レイノスはふと思い出す。このようなことが前にもあったことを。
「あ、れは……この村に入る前の……そうだ、ブラックタイガーとの戦いのときも、なにもしていないのに身体に痛みが走った。くそ、これは……なんなんだ!」
レイノスはそのまま、痛みからか地面に横たわった。一人、夜空を見上げる。
星が綺麗だった。
「はぁ、っはぁ……」
痛みからか、それとも星を見たからなのか。先ほどの興奮状態から幾分か落ち着いたレイノスは、息を荒く吐きながらまた考えていた。
自分がこの村の問題に関わっているのは、別にアンナのせいではない。アンナがあの時、広場でミリネを庇おうが庇わなかろうが、いずれはエンジの死について知りミリネと関わっていただろうから。
それに、いま俺がここでこの村を出て行くといえばすむ話だ。でも、俺はそれをしない。
なぜだろうか。
それは……それは……
「ふはは、簡単だ。俺の目的を邪魔したやつが……許せないからだ」
自分の行動理由が見つかった。
レイノスは自分がこの村でやるべきことを見つけたのだ。
それはレイノスらしい答え。
自分に仇なす者、自分の邪魔をするものは徹底的に潰すという考え。行動理念。自分の行く道が邪魔されたという不快感からできる目的。
それは元魔王レイノスのままだった。なにも変わってなどいない。
レイノスはレイノスなのだった。
「さっそく明日から探し出す。俺の目的を邪魔したことを……後悔させてやる! ふふ、ふはは、ふはははははは!」
月明かりに照らされながらレイノスは歩く。誰もいない大通りを。
ミリネの家に向かって歩くレイノス。その顔は、どことなく頬が緩んでいた。
そんなレイノスを静かに射抜く目線が一つ。
それは建物の影に隠れ、ずっとレイノスを見ていた。
レイノスの様子を全て観察し、不敵に笑うそれは――
山神様と呼ばれている存在だった。
「なにも知らずに、哀れな。あの方の掌の上で転がされているとも知らずに……本当に哀れだ」
山神はまたも不敵に笑う。
その笑みは、どこまでも残酷に、どこまでもレイノスを嘲笑うかのように。
「あと三日もすれば、あの方はこの村に到着される。そうすれば、ふふ……この村も終わりだな」
辺りの建物を見ながら、辺りの建物の壁を触りながら、山神はつぶやく。
そして、月明かりとは対照的な建物の影の闇に、山神はその姿を消した。
いつまでも、虫は微かに鳴いている。
それぞれの思いは違うなか、欠けた月は静かに沈んでいく。星も沈み、しばらくすれば朝日が昇る。
こうして、レイノスと山神との戦いが始まろうとしていた。