デスパレス
暗い闇。
そんな表現が似合うような場所に、コツ、コツ、とリズムを崩すことなく音が響いている。
両側には燭台が一定間隔で並んでおり、ちらちらと火が灯っていた。淡く周りを照らしており、微かに先が見える。
先には――扉。
「いつ見ても、嫌なもんだね。この扉は」
コツ、コツ、という音は扉の前で消える。いや、立ち止まる。
「……不快だよ。本当に」
そう吐き捨てるのは、魔族と人間が共存する村でレイノス達が出会った――ラミアだった。
ラミアはこの暗い闇のような場所を一人歩いていたのだ。そして今、ある扉の前で立ち止まっている。
ラミアは忌々しいものでも見るかのように扉を一瞥し、そして、目を逸らした。
魔族の血が半分流れているラミアですら目を背ける、扉。
扉の表面に描かれているのは、魔族と人間。しかし、人間が描かれている場所は扉の本当に下、そして魔族は上。人間は地に、膝や頭をつけ上に描かれている魔族に平伏している。
魔族は、平伏す人間に対し嘲笑うように頭を踏み、残虐に口を歪ませていた。
その頂点。
魔族と人間を見下ろすように、一人座る少年。
レイノスだった。
顔の輪郭、髪型、体つき、どれもレイノスに一致しているのだ。しかし、表情はあまりにも冷淡で残酷だった。
まるで扉に描かれている出来事をなんとも思っていないかのように。
いや、なんとも思っていないのだろう。
少なくともラミアは、この扉を目にするたびにそう思っているのだった。
「この先に、アイツがいる。村にいたアイツとは正反対の……底なしの闇が」
ラミアの胸は、心臓は動くことを止めなかった。あまりにも早い拍動に、ラミア自身が驚いていた。
手が動かない。
目の前の扉を開くために手を動かそうとするが、
動かない。
「なにをしてんだい、アタシは」
何回も開けてきた扉じゃないか、と思うのだがラミアの手は動かなかった。
怖いのだった。
扉の先にいる闇が。
何回開けても慣れない、慣れたくない恐怖。出会いたくなかった、闇。
『そんなところでなにをしてるんだい』
ラミアの血液の流れが止まった。身体の底から冷えていく感じ。
目の前の扉がひとりでに開いた。
ラミアの視界がひろがり、先の空間を認識し始める。
天井は高く、床は石造りで冷えていた。ラミアの左には外が見えるように、四角く穴が空いている。右には壁画が並んでおり、様々な魔族の絵が描かれていた。そのなかにはレイノスの絵もあった。
そう、レイノスの絵が二つ。
「はやくはいっておいでよ、ラミア」
「……はい」
ラミアは恐怖を閉じ込める。そして、目の前の玉座に座っている一人の少年に向かって、膝をつけ礼をした。
「お呼びでしょうか、ソージア様」
玉座に座っていたのは、ソージアだった。レイノスと同じ顔、髪型、体つき、違うのはその冷淡で残酷な表情。
扉に描かれていたのはレイノスではなく、ソージアだったのだ。
そして、いま、ラミアがいるこの場所は、
デスパレス、魔王の間。
ソージアはいま、魔界を治める魔王なのだった。
「はは、急に呼び出してすまなかったね。少し話しがあってね。おっと、本題に入る前に――故郷は楽しかったかい?」
「は、はい。有意義な時間を過ごさせていただきました」
ラミアは膝をつけながら、答える。額から冷たい汗を流しながら。
「はは、それはよかった。ぼくもラミアに休暇を与えたかいがあったよ――ところで、そこでレイノス達に会わなかったかい?」
「!!」
自分の身体が強張るのをラミアは感じた。自然と息が荒くなる。もう、ラミアの血の気は無くなっていた。
「も、申し訳ありません! やはり、始末しておくべきでした!」
ラミアは、そんなことはできないと自分で分かっていた。気になる人がいる。ダニッシュがいる。その仲間であるレイノスやアンナを殺すことはできない、と。
しかし、なにかを喋らなければ、ソージアの機嫌を損ねるような言動・行動をとれば自分の大切なものが壊されることを、ラミアは知っていた。
ラミアの大切なもの……それは、家族だった。
村にいる家族、仲間、それを守るためにラミアはソージアに従っていた。自分のことなどはどうでもいい……なんていうのは綺麗事すぎるというのをラミアは分かっていたが、自分のことが大切なのは確かだった。
しかし、自分と自分の大切なもの、どちらを守りたいかと言われれば、ラミアの場合、大切なもののほうだ。
リンや村のみんなが壊されることを思うと、ラミアは震えが止まらない。そのラミアの心情につけこむソージアは、やはり冷淡で残酷だった。
「そんなことはしなくていいよ。いやいや、そんなことをラミアが勝手にしていたら、ぼくは君の大切な村人を殺さなければいけなかった。ラミアの両親が守り抜いた村のみんなをね。いやー、よかったよかった」
コイツはなにを考えているんだい?
ラミアは心の震えを止めることはできなかった。ソージアの機嫌をとろうと喋った言動が、逆にソージアの怒りの一端に触れてしまったことに。
ソージアがなにをしたいのか、ラミアはなにも分からないのだ。
「兄さん……レイノスのことについては、ぼくの指示通りに動いてくれ。――勝手なことはするな」
「は、はい」
低く深い声。ソージアの体つきからは想像もできない声。
「じゃ、本題に入ろうか。ラミアはゲルブ村を知っているかい?」
「ゲルブ村……ですか? 存じません」
「知らないか、まぁいい。そこは獣人と人間が対立している村でね、先日、獣人のリーダーが殺された。エンジっていうんだけど、そいつを殺したのはぼくの送り込んだやつなんだ」
ラミアは唇を噛み締める。
平然と人を殺せる神経、他人にそれをやらせる神経、ラミアはそこが理解できなかった。
「送り込んだそいつは、いまは山神と呼ばれながらも動いている。ぼくの計画のためにね」
「計画……?」
ラミアが疑問の表情を浮かべると、ソージアはからからと笑いながら、詳しい内容はまた今度話すよ、と言って、玉座から立ち上がった。
「ラミアには、ぼくと一緒にゲルブ村まで来て欲しいんだ」
ついてきてくれるよね?
ソージアはニッコリと笑いながらも有無を言わせない迫力でラミアにきく。当然、ラミアはソージアには逆らえない。
はい、と言うしかなかった。
「じゃあ、早速いこうか。あっと、もう一つやるべきことを忘れていたよ」
そういってソージアが右の手に持ったのは、一本の剣。シンプルなデザインで刺繍はなにもされていない、切れ味だけに特化された剣。
それをソージアは振りかざし、そして――
あろうことか、自分の左手に振り下ろした。
「な、なにを……!?」
「ああ、心配しなくていいよ。これは融合率を確かめるための行為だから」
「ゆ、融合率?」
ソージアの左手から流れる血が石造りの床にポタポタと落ちる。しかし、それも一時。みるみるうちにソージアの腕の傷は塞がり、血の流れも止まった。
何回見ても信じられない、とラミアは思う。
自分の思ったことを躊躇なくやることもそうだが、この再生力の強さ。ソージアの体についた傷はすぐに塞がってしまう。誰にもソージアを殺すことはできない。
心臓を剣で貫いたとしても、すぐに再生してしまうからだ。
どうすることもできない。
「では行こうか」
ラミアは思う。
ソージアが向かう先にはなにもないのだと。ついていっても闇なのだと。
それでもラミアはついていかなければならない。大切なものを守るために。
(ゲルブ村とかいう場所も終わりだね)
まだ見ぬゲルブ村を思いながら、ラミアはソージアについていくため、立ち上がり歩き出した。