イマムネ
ミリネの家を訪ねてきたイマムネを見て、トラウマを思い出したダニッシュは二階のベッドで寝込んでいた。
「こいつ、精神面が弱すぎやしないか?」
ダニッシュの寝込む姿を見て、レイノスは蔑むような視線をダニッシュに浴びせる。アンナはそれを聞いて苦笑いをしながら、ダニッシュの額にタオルを乗せた。
「そんなふうに言っちゃダメだよレイノス。ダニッシュさんだって好きでこうなってるわけじゃないんだしさ」
「まぁ、いいがな……。ところで、お前はここになにをしにきたんだ? イマムネ」
「ええっとですね、ここではなんですから一階の居間に行きませんか?」
「そうですね。えっと、ダニッシュさんはどうします?」
ミリネがそういってダニッシュを一瞥し、周りにいるレイノスたちを見る。
「私がダニッシュさんを看病してるから、レイノスたちは一階に行っててよ」
「そうか、わかった」
アンナの一言を聞くと、レイノスは部屋の扉を開けて部屋を出て行く。それに続きミリネ、イマムネも部屋を出て階段を下りていった。
レイノスが居間に入ると、そこには先客がいた。
ダンだった。
ダンは部屋の中央にある長椅子に座りながら、一人なにかの書類の束を眺めていた。集中しているのか、レイノスが部屋の中に入っても気づいていない様子だった。続いて入ってきたミリネたちは、ダンの姿を見ると各々複雑な表情を浮かべていた。
「あ、あの、ダンさん……」
ミリネが声を発すると、ダンは一瞬ビクッ、と体を震わせ、ミリネの方を向いた。
「な、なんだミリネさんか。驚かさないでくだ――なんでお前がここにいる?」
優しい顔をミリネの方を見ていたダンだったが、イマムネの存在を確認すると表情は一変し厳しい顔になった。手に持っていた書類の一枚の紙をグシャ、と握りつぶし眉間に皺をよせ、射抜かんばかりに鋭くイマムネを見る。
「なにをしにここにきた。ここは……お前のいていい場所じゃない!」
声を荒げ、ダンは長椅子を蹴り飛ばさんかのような勢いで立ち上がった。そして、イマムネへと荒々しく向かい、胸倉に掴みかかった。
「出てけ……この家から、俺たち獣人のいる場所から出ていけー!」
そういって、イマムネの胸を突き飛ばすと、レイノスたちが下りてきた階段を上る。そして、ドアの閉まる音が強く響いた。
「だ、大丈夫ですか、イマムネさん」
「ええ、なんとか」
ミリネは倒れているイマムネに歩み寄り、体全体を使ってイマムネを立ち上がらせた。イマムネは咳き込みながら、ミリネの肩に掴まり呼吸を整えた。
「……やっぱり、あの人は僕を嫌ったままか。それも仕方ないことなのかもしれないけど」
イマムネは意味深な言葉を言いながら、よたよたとダンの座っていた長椅子へと腰掛ける。ミリネはイマムネを座らせると、飲み物を持ってくるといって、奥の方へと走っていった。
「なんだったんだ……?」
レイノスは一人、事態を飲み込めずにいた。
イマムネを見た途端、激昂したダン。その行動が理解できなかったのだ。
「驚かれましたか?」
イマムネはそんなレイノスの様子が分かったのか、そんなふうに言った。
「ダンさんがあんな行動をとってしまうのは、しかたないことなんです」
「ダンさん……ということは、イマムネとダンは知り合いなのか?」
「ええ、五ヶ月前に初めて会いました。一年前から僕がこの場所にたびたび来ていて、五ヶ月前にはダンさんが訪ねてきて……。その頃から、あまり良い印象はなかったみたいです。まぁ、この村の様子を見れば分かると思いますけど、南部の人間と北部の獣人は仲が悪いんです。そのせいでしょうね、ダンさんと僕が仲良くできないのは」
はは、と渇いた笑いを浮かべるイマムネ。レイノスはなにか思案しているのか、大仏のように難しい顔をしている。
「しかし、それだけであんなになるものか……? あの怒りは尋常ではなかったぞ」
「……それには、もう一つ理由があるんです。それは――」
「それは、イマムネさんがあのブルトンの息子だからです」
凛、と一声。冷たい水を流し込むように、ミリネはイマムネの言葉を遮り言った。その声は室内によく通り、しっかりとレイノスに聞こえていた。言葉を聞いたレイノスはミリネの言った内容に驚き、イマムネは悪いことが見つかった子供のように俯いていた。
「……そうです。僕はこの村の獣人たちと敵対している人間たちのリーダー――ブルトンの息子です」
「なっ……!」
衝撃の事実にレイノスは声を漏らした。そして、イマムネの正体をミリネが知っているということも。
「それが本当なら、なぜイマムネはここにいる!? この村の現状からいって、人間と獣人のあいだの溝は深いはずだ。敵対する相手のリーダーの息子とは普通関わらない。それなのになぜ!」
レイノスのなかで、なにかが噛み合わない。一年前から敵対している獣人の家に来ていたイマムネの行動。ミリネのイマムネに対しての態度。そして、イマムネの、実の父親を裏切ってまでこの場所に来た理由。
混乱していた。
レイノスの頭の中では情報がこんがらがり、幾重にも絡み合ってほどけない。そんなもやもやが残るのが嫌だったのか、レイノスはイマムネとミリネに一つ一つ聞いていくことにした。
「……聞きたいことが三つある。聞いてもいいか?」
「……どうぞ」
深呼吸。目を閉じ、落ち着いて頭の中を整理する。肩の力を抜いて、リラックスした状態に。
この一連の動作を行い、一呼吸置いてから、レイノスはイマムネとミリネに尋ねた。
「まず一つ目。なぜお前は一年前からこの家に来ていた? この村の人間と獣人の溝は昔からあったはずだ。それなのにお前はここに来ていた……その理由を教えて欲しい。二つ目。ミリネはなぜ、イマムネに対して普通に接することができる? 普通に考えれば、さっきのダンとまではいかずとも、避ける程度のことはするはずだ」
そして、三つ目。
レイノスはそういおうとしたが、息が続かず二つ目までの質問で一旦打ち切った。それを合図と考えたのか、イマムネはレイノスの質問に答えた。
「じゃあまず一つ目からいきますね。僕がこの場所に来ていた理由――簡単なことですよ。獣人と人間との溝を埋めたかったからです。そのために僕はこの場所――獣人のリーダーであるエンジさんのもとに一年前に来たんです。……いや、正確には二年前かな? 最初の一年は会ってもくれなかったですけどね」
ははは、と苦笑するイマムネ。それを見て、ミリネも申し訳なさそうにしながら軽く笑う。
「そして、二つ目のミリネさんの態度。これは、一つ目の質問の答えと似ていますが、僕の考えを分かってくれたからかな? 一年前から僕の考えを聞いてくれたエンジさんとミリネさんは、僕のことを理解してくれて一緒に悩んでくれました。僕の勘違いだったら恥ずかしいですが、僕とミリネさんとエンジさんは仲間です。とても大事な、ね。だから、僕に対しての態度も普通なんだと思います」
「イマムネさんの言うとおりです。私とイマムネさんは同じ考えを共有した仲間です」
そういってイマムネとミリネはお互いに笑いあった。その様子から、イマムネ、ミリネ、エンジは村の問題を無くしていこうとする仲間だったということが分かり、レイノスの頭に絡み合っていたものが少しほどけた。
そこで、レイノスはさらに息を整えた。先ほどと同じような一連の動作をやり、呼吸を整える。
「なら、最後に」
一瞬の沈黙。
「――お前が父親を裏切ってまでここに来た理由。エンジが死んで、さらに溝が深まっているなか、どうして今、お前はここに来た?」
イマムネは口を閉ざす。ミリネは横目でちら、と見ながら顔を床をみつめる。イマムネは顔を手で擦りながら、ふぅ、と息を吐いて――
「エンジさんを殺した犯人を教えるためです」
「「!!」」
核心をついた。
村で起きた事件の核心を。
その答えはレイノスもミリネも予想していなかったのか、驚愕の表情を浮かべる。ミリネの手足は微かに震えていた。
「……それをミリネさんに話そうとして、僕はここに来ました」
「……だれ? それは、いったいだれなの?」
震える手足のまま、ミリネはイマムネにしがみつくように訊いた。服の袖をつかみ、顔を近づけながら。
「それは、僕の父ブルトンです。いや、正確に言うと違うかな。正確には、この村の神――山神です」
「え?」
「エンジさんを殺したのは山神です。これは確実なことです」
イマムネの言う真実。
レイノスの頭の中にあった、ほどけそうだったものが、また複雑に絡み合った。いや、絡み合ったというより、はずれなくなった。
山神という現実には存在しないものが、犯人といわれたからだった。