人々の思い
『なんだー、この穢らわしい獣人族め! この広場に足を踏み入れるなー!』
『また山神様を冒涜しにきたのかー! 俺達はお前らの言っていることなんて聞く気はないぞ!』
レイノス達が広場に着くやいなや、人間達が獣人族達に罵詈雑言を浴びせるのが耳に入った。人間達の勢いは激しく、皆口々に汚い言葉を獣人族達に吐いている。先に広場に着いていた女将もそれに加わっていた。
「なんなんだ、これは……」
それを見ていたレイノスは、目の前の光景に口をあんぐりと開けながら、そう言葉を吐く。そして,汚い言葉を吐く人間達を一人一人目で追い、最後に獣人族達の方へと目を向ける。獣人族達は皆、好き勝手なことを言っている人間達を鋭く睨んでいるが、誰一人として口を開く者はいない。
「なぜ、あいつらはあんなにも黙り込んでいる? 俺ならばすぐにでも掴みかかって斬り捨てるんだがな」
「……レイノス君は少し自分を抑えたほうがいいと思いますよ」
レイノスの危ない発言に、ダニッシュがすばやくツッコミを入れる。ツッコミを入れられたレイノスはダニッシュを軽く睨むが、すぐに視線を広場に戻した。レイノスの視線が戻るのと同時に獣人族達の塊のなかから、頭に猫の耳が生えている一人の少女が出てくる。髪は短いブロンドで猫耳を少し隠していた。少女はブロンドの髪を揺らしながら歩き、広場の中央――人間と獣人族のちょうどあいだの位置に立つと、何かを言い出そうと口を開いた。しかしすぐに口を閉じ、地面を見て俯いてしまった。
「……あの子、震えてる」
広場に着いてから一言も喋っていなかったアンナが一言、そう言った。レイノスとダニッシュはアンナの言葉を聞いて、少女を注意深く見る。
すると、本当に小さく身体や口元が震えていた。
そして、頬には一筋の涙が流れ落ち、顔にはなんともいいきれない表情。悲しみなのか怒りなのか、それとも憎しみなのか。その全てともいえるような表情だったのだ。
『なんだよ、この穢れた獣人の娘! 言いたいことがあるなら早く言え! そしてさっさと消えろ!』
あきらかに場違いな言葉が少女に投げかけられる。
それは普通ならば誰もが言わない――少女の様子を見ていれば、言えない言葉である。
しかし、そんな言葉を発した人間を責めるどころか、周りの人間はそれに乗じて他にも様々な言葉を投げつけていた。
ぐずの獣人の娘め、言葉を喋ることもできないのか――俺達の前から……この世界から消えてしまえ!
「……っ!」
アンナが顔を真っ赤にし歯をくいしばって、一歩前に進もうとする。
その拳は硬く握られていた。
「やめろ、アンナ!」
「そうです、ここは我慢です! いま私たちが行ったところで何も解決しませんよ!」
「でも、でも……!!」
アンナの腕を掴み、アンナを止める二人。それに逆らうように、アンナは腕を振り回し前に進もうとする。それをまた二人は必死に止める。
「離してよっ、二人とも! もうわたし我慢できないの!」
「ダメですってば!」
アンナたちがそんな事をしていると、俯いていた獣人の少女は顔を上げて震えた声で一言。
「……わたしのお、父さんを殺し、たのは誰で、すか……?」
広場が静寂に包まれる。先ほどまでうるさかった人間達もアンナ達も、その一言で静かになった。そんな状況で、少女はもう一度言葉を繰り返す。
「わたしのお父さん――エンジを殺し、たのは誰ですか……?」
少女の声は小さいが辺りによく響き渡った。その広場にいた全員が、少女の言葉に耳を傾けている。獣人族達は少女を見つめながら黙りこくり、レイノス達も同じように少女を見つめ、唾をごくりと飲み込む。
そして、人間達は――
『……知らねーよ。勝手にお前の親父が死んだだけだろ? 俺達は関係ない』
『……そうだそうだ。それにお前の親父は死んで当然のやつだ。山神様を一番冒涜していたんだからな』
『……しかも真っ先に疑うのが俺達かよ。やっぱり、獣人族は馬鹿で穢らわしいな!!』
先ほどと同じような反応。
獣人の少女の言葉をまったく聞かず、人間達はまたも少女に汚い言葉を投げかけていた。しかも今回は言葉だけではなく、石ころやゴミなどの物も投げつけている。その数々は少女の頬を掠めて、無数の傷を少女に作っていた。
少女は自らを守るようにして頭を庇い、後ろにいた獣人族の何人かの男が少女を守るために広場の中央へとすぐさま出てくる。
しかし、人間達の攻撃の勢いは止まらないばかりか、ますます強くなっていき、獣人族の男達の身体にも傷を負わせていく。
「もう、我慢できないよ……!!」
レイノスとダニッシュがその光景に意識をとられているうちに、アンナは二人の腕を振り払って広場の中央へと駆け出した。
「みなさん、やめてください!!」
アンナは両手を横に広げながらそう叫び、獣人族達を守るようにして人間達と向かい合った。人間達は物を投げつけるのを徐々にやめ、アンナの方へと冷たい視線を向ける。少し物が当たったアンナは腕などに少し擦り傷ができ血を流していたが、そんなことは気にせず言葉を続けた。
「みなさん、なんでこんなことするんですか!? 獣人族のみなさんは同じ村に住む仲間じゃないですか! どうして、どうしてこんな酷いことができるのか、私にはわからないです!」
「……ははは、こいつらが仲間だって? 冗談もいい加減してくれよ、穣ちゃん。こいつらは仲間でもなんでもない、俺達の神様を……俺達自信を否定してる悪なんだ! そして、この村に住んでいる人間にとっては、山神様は絶対なんだよ!」
「はははは、よく言いました。あなたの言っていることはとても正しいですよ」
先頭にいた男がそうまくしたてていると、人間達の塊の中からコツコツという足音が聞こえ、少ししゃがれた声の小太りの男が現れてそう言った。人間達は皆、その小太りの男の姿を確認すると、地面に膝をついて小太りの男を崇めるように手を合わせた。そして、ブルトン様だ、ブルトン様が来てくださった、と声を揃えて言い始めた。
「しかし、こんなところでこんな大きな騒ぎを起こすのは感心しませんねぇ~。皆さん、もう少し考えて行動してくださいよ」
「す、すいません。皆、少々熱くなりすぎてしまいました」
「いえいえ、次から気をつけてくださいね?」
「は、はい!」
先頭の男が返事をすると、後ろにいた人達も揃って返事をした。それを見て、ブルトンと呼ばれていた男は微笑むのみ。そんな人間のリーダーのような男の優しそうな様子を見て、アンナは何を思ったのか、こんな事を言い始めた。
「あのー? ブルトンさん……ですか? 一つ頼みごとをしたいのですが……あなたを見込んで」
そんなアンナの言葉にははは、と笑いながら、いいですよ、と答えるブルトン。そんな返答に安堵したアンナは、ほっと胸をなでおろし、
「ありがとうございます、ブルトンさん。私が言いたいことは一つ。こんな醜い争いなんてやめて、両方が歩み寄ってくれないでしょうか? 山神様なんてものを気にしないで、両種族とも仲良く――」
「外部の人間に何が分かるんだね!!」
アンナの言葉を握りつぶすような怒号が、ブルトンの口から勢い良く発せられる。その怒号に、広場にいた全員――レイノスを除いた全員が肩をビクッ、と震わせて身を縮めた。
「山神様なんてもの……? 山神様を冒涜するな! 私たちにとっては信ずるべきもの、命より大切なものなのだ! このまえ来たばかりの様な旅人のお前がとやかく口を出すべきことじゃない!」
ブルトンは息を荒げながら、そのしゃがれた声を張り上げた。ブルトンの目には明らかな敵意の光が宿っており眉をひそめていた。アンナはブルトンのその様子を見て、一歩後
ずさり、あらためて周りをよく見た。すると、その敵意の目はブルトンだけでなく後ろにいる人間達にも宿っていた。もちろん女将の目にも。
「……分かったのならこの村から出て行ってください。この問題はこの村だけの問題。外部の人間には関係ない問題なのですから」
そういったブルトンは、後ろに振り返り人間達に帰るように指示を出していた。人間達は皆口々に、何かを叫んでから村の闇の中に一人一人消えていった。ブルトンは最後に広場を後にするとき、獣人族とレイノス達を睨み付けてから消えていった。
こうして、広場には獣人族達とレイノス達三人だけが残った。
「……おいアンナ、どうするつもりだ? こうなってしまった以上、もうあの宿には戻れないぞ」
「……あっ」
「もしかして、いまのいままで分からなかったんですか? こうなることが」
「……わかってたよ? わかってたけどさ、なんか我慢できなかったんだよ」
「まぁ、お前はそういうやつだからな……。後先考えずに行動してしまう」
はぁ、とレイノスが溜息を吐いていると、あ、あのー、という少女の声が聞こえてきた。
「え? あ、な、なに?」
話しかけてきたのは、頭に猫の耳をつけた獣人族の少女――あの震えながら涙を流していた少女だった。
「あの、助けていただいてありがとうございました。あなたのお陰で私の仲間が傷つかないですみました」
「い、いや、私はなにもしてないよ。あなたを守ってあげることもできなかったし、他の獣人の人達も怪我させてしまったし……私はなにもできなかったよ……」
「そんな事ありません。あなたのお陰で私たちは安心できたんです。人間の方から守っていただいたのなんて初めてでした!」
頬に傷を負いながらも、少女は満面の笑みでアンナを見る。その目尻には涙が少し溜まっていた。
「そう言ってもらえると、私もなんだか気が楽になる。ありがとね」
「いえいえ!」
二人はそういって、あはは、と笑いあった。それが周りに移ったかのように次々と獣人族の何人かも笑いだす。そして、それはいつのまにか、広場にいる獣人族全員に。
「なんかほほえましいですね、こういうの」
ダニッシュも顔に笑みを浮かべながら、レイノスに話しかける。すると、レイノスは鼻をふん、と鳴らしながら顔を背け、
「そんなことより、俺達の宿をどうするかが先だ」
と、ツンツンしながら言った。その様子を見たダニッシュはまたも笑い出し、
「顔を隠さなくてもいいじゃないですか。……意地を張っちゃって」
「……ふ、ふん!」
レイノスは、またも顔を背けダニッシュに自分の顔を見せないようにする。その後ろではまたも、ダニッシュがふふふ、と笑う。
「さ、さぁ、さっさと宿探しに行くぞ」
ツンツンとそういうレイノスは、言葉とは反対に顔には笑みがあった。
ようするに、レイノスも皆と一緒に笑いたいのだが、元々の性格なのか、一緒に笑うことに対して抵抗が生まれているのだった。
「ははは、なら、早く宿を探しに行きましょうか」
ダニッシュもそんなレイノスを知ってか知らずか、笑いながらレイノスについていこうとする。
「あ、待ってよー!」
アンナも遅れまいと、レイノスの所へと走り出そうとする。そこで、獣人族の少女が、三人に向かって、待ってください、と制止の言葉をかける。
「あの、よかったら私の家にきませんか? 私たちのせいで宿がなくなってしまったみたいですし。本当に嫌でなければでいいんですけど……」
そんな言葉に、三人はお互いの顔を見合って、
「「「喜んで行かせていただきます!!」」」
声を合わせて返事をした。そんな様子を見て、またも獣人族のあいだで笑いが起きた。
「ははは、なら早速行きましょうか。ちゃんとしたお礼も私の家でしたいですし」
「世話になるな」
「いえいえ、気にせずに」
「こら、レイノス。ちゃんと自己紹介ぐらいしようよ。今日、お世話になるんだから」
そういって、アンナは少女の方を向いて、右手を自分の胸にあてた。そして、顔に少しの笑みを浮かべ、
「私はアンナ。あなたと同じくらいの歳かな? そして、こっちがレイノス。レイノスはちょっと性格が悪いところもあるけど、いい人だから安心して。で、こちらがダニッシュさんだよ」
私の説明はないんですか!? と、ダニッシュ。はは、と苦笑いを浮かべながら、少女も口を開く。
「私の名前はミリネっていいます。この村では、一応船乗りです。……まぁ、まだまだ未熟な見習い船乗りですけどね」
簡単な自己紹介を終えた四人は、ミリネの家へと歩き出す。それを見た他の獣人達も、次々と帰路へと足を運んだ。
こうして、レイノス達はミリネの家へと向かう。レイノスはそこで起こった出来事――エンジの死のことについて聞くために。アンナは何も考えずに。ダニッシュはこの村のことについて知るために。
それぞれ違う思いを持ちながら、歩く。
もう日はとっぷりと落ちていた。