ゲルブ村の事情
ダニッシュとイマムネのキス事件から少し時間が経ち、日がもうそろそろ落ちようとしている時間帯。通りからは徐々に人が消え、そのかわり酒場や宿屋が活気づき夜のゲルブ村の顔が現れだした頃、レイノス達三人はこじんまりとした一軒の宿屋の前にいた。
宿の扉をレイノスが押し開くとすぐ目の前にはカウンターがあり、一人の年配の女性――女将が立っていた。
「いらっしゃい。よくきたね」
レイノス達の姿を確認すると、女将はほがらかに笑う。
「泊まれる部屋はあるか?」
「三人かい?」
そうだ、とレイノスが言うと、女将はちょいと待ってくれるかい? と答えながら手元にあった帳簿をパラパラと開き目を通すと、
「三人部屋は空いてないけど、一人部屋と二人部屋なら空いてるよ」
と帳簿を閉じながら言った。
「なら、それで頼む」
「わかったよ。一人部屋のほうはそこのお穣ちゃんでいいかい?」
「いいかアンナ?」
「私は全然大丈夫だよ」
アンナの了解を得た女将は、三人を案内するためにカウンターを出て、すぐ横にある階段を上っていく。その後をレイノス、アンナ、ダニッシュの順番でついていき階段を上り終えた四人は、直線の通路を先に進む。そして一番奥に来たところで、右側にある扉の鍵穴に鍵を差込み扉を開けた。
「ここがあんたたちの部屋だよ。さぁ、入んな」
そういって、女将はレイノスとダニッシュを部屋の中に押し込める。そして、レイノスに自分の持っていた鍵を渡した。
「はい。これがあんたたちの部屋の鍵だ。……絶対なくすんじゃないよ?」
最後の言葉を強調しながら、女将はレイノス達の部屋とは反対の方向を向く。そこにはもう一つ扉があり、さっきと同じ行為を女将は繰り返す。
そして、カチャ、と音がして、女将は扉を開ける。その部屋の中には一つ大きな窓がついており、そこからは表の通りが見える。他にはベッドと机が一つずつ置いてあり、最低限の寝泊りはできる造りになっていた。
「ここが穣ちゃんの部屋だよ。鍵は渡しておくから、穣ちゃんの連れにも言ったけど絶対なくすんじゃないよ? ……その鍵は山神様の加護があるんだからね」
「山神様……?」
聞きなれない言葉に、アンナは疑問を抱き、
「あの、山神様ってなんですか?」
と女将に質問した。その質問に対し、女将はそんなことも知らないのかい? と言って、アンナに山神様についての説明をしようとした。
「いいかい? 山神様っていうのは――」
『おーい! 広場で喧嘩が起きてるぞー! 相手はあの汚らわしい獣人族だー!』
その時。
女将の言葉を遮るように、通りから男性の大きな声が聞こえてきた。アンナと女将は部屋の窓から通りを覗き込むと、一人の男性が村の北の方に向かって走りながら、先ほどと同じ事を叫んでいた。
「ちっ、また獣人族かい。まったく……ろくな事をしない種族だね」
そう吐き捨てるように言う女将は、眉間に皺をよせ目を細める。その表情を見たアンナは、先ほどと今の女将の違いに戸惑っていた。
「あんたも広場まで見に行くかい? おもしろいものが見られるかもしれないよ」
「え、ええ」
困惑するアンナを連れて部屋を出た女将は、向かいの部屋にいたレイノスとダニッシュも呼んで宿を出た。そして、通りを北に進み、喧嘩が起きている広場へと四人は向かうのだった。
広場へ向かっている途中、ダニッシュは女将に色々と聞いていた。
「この村には獣人族が住んでいるんですか? この村に入ってから一回も姿を見ていないんですけど……」
そうである。
レイノス達がこのゲルブ村に入ってから、獣人族という種族に会っていないのだ。ダニッシュにキスをしたイマムネも女将も通りを歩く人も、全員が人間であった。
村に獣人族が住んでいるのならば、一度は姿を見ているはずだ、という事をダニッシュは言いたいのだった。
そのダニッシュの疑問に、女将はふっ、と鼻で笑い、
「当然だよ。ここ村の南部には獣人族は住んでいないんだからさ」
「獣人族が村の南部には住んでいない……?」
「そう。ここゲルブ村はね、獣人と人間が対立する村なのさ。まぁ、村といっても街と言っていいぐらいの広さがあるんだけど。まぁ、敵対してるものどうし仲良く住めないだろう? だから村の中央の広場から北のには獣人族が、南には人間はという風に住み分けているのさ」
女将が言っているように、ゲルブ村は広かった。村とは言い難いほどに。どれくらいかというと、コーネリアを少し小さくしたぐらいだった。
そんな広さの村を二等分する程、人間と獣人は対立していることをレイノス達三人は理解したようだった。
「じゃ、じゃあ、なんでそんなにも獣人の人達と対立しているのですか?」
理解したからこそ生まれる新たな疑問。それにも、女将は簡単に答える。
「あいつらが山神様を冒涜したからさ」
「山神様……とはなんですか?」
アンナの先ほどの質問を、今度はダニッシュが口にする。アンナやレイノスもその言葉について聞きたい様子だった。
「山神様っていうのは、昔からこの土地に住んでいる神様のことだよ。姿はないけど、言葉は聞こえる。誰も見たことはないけど、確かにいる。わたし達の生活を守ってくれるありがたい神様なんだよ。この村に住んでいる人間なら誰もが崇めている」
すぅ、と息を吸う女将。吸った息を言葉と一緒に吐き出す。
「そんな山神様を、あいつらは侮辱したんだ。数年前にひょっこり現れた分際で、『山神はあなた方の思っているような存在ではありません。あれは、邪悪の塊です』なんて言い出したんだ。それからだよ、この村が二等分されるようになったのは。そしてずっと数年間冷戦状態が続いてた」
「続いてた……?」
「そう、続いてたんだよ。一昨日まではね」
女将は口元をニヤ、とさせからからと笑いながらこう言った。
「死んだんだよ。獣人族のリーダーだった男がね」
「死んだのか……?」
話を聞いていたレイノスが、口をはさむように確認する。
「死んだよ。これは確実な情報なんだ、心配しなくていいよ」
「別に心配してないんだが……」
「ふふ、そうかい」
楽しそうに軽く笑う女将。髪を掻き揚げて話を戻すようにまた口を開く。
「まぁ、そんなことがあって、今この村は大きく動いてる。獣人族はリーダーを失ったことで混乱し、わたし達人間と獣人族とのパワーバランスが崩れてるのさ」
いまにおもしろいことが起こるよ、と言葉をつげたした時の女将の顔を見たレイノス達は、背筋に寒気が走るのを感じた。
「と、ところで、そのリーダーってどんな人だったんだろう?」
寒気を抑えながら、アンナは不思議そうにつぶやく。レイノスやダニッシュも気になる様子だった。その様子を見た女将は、どんな人だったかって? と言って、アンナの質問に答えた。
「獣人族にろくなやつはいないけど、強いて言うなら、船乗りをしてたって聞いたことがあるね。確か名前は……」
額に手を当て、考えるようにうーん、と唸り、思い出せないなんてわたしも年かね、と言う女将。そして、思い出した! といって手を叩いた。
「エンジだよ、エンジ! いやー、あいつの名前を忘れるなんて、年をとるのは嫌だねぇ」
からからと笑う女将を他所に、レイノス達三人は動きを止めてその場で固まっていた。
「どうしたんだい? あんた達」
「え、エンジさんが……死んだ……?」
三人の中で最初に言葉を発したのはダニッシュだった
「死んじゃったの? エンジさん」
「……くそ、なんてことだ……!」
二番目にアンナ、最後にレイノスという順番だったが、三人とも信じられないというような顔をしていた。三人が歩くのをやめていたため、少し先に進んでいた女将がレイノス達三人に呼びかける。
「おーい! もう広場についたよー!」
その言葉に反応したレイノスは目の前の光景を見る。そこには、噴水を中心にできている人だかりがあり、その誰しもが人間だった。そして、その人だかりを少し越えた先。
そこには人間とは違う姿が大勢。
獣人たちであった。
「早くきなー!」
女将が再度レイノス達に呼びかける。
それにつられるように歩き出すレイノス達。
こうして、レイノス、アンナ、ダニッシュは広場に着いたのであった。