ゲルブ村
少女は左手にお盆を持ちながら木製のドアを右手でコンコン、とたたく。
「お父さん、はいるよ? 飲み物持ってきたから」
少女がそう尋ねるが、ドアの向こうからは返事が無い。少女はもう一度お父さん、と呼びかけるが返事が無いのは変わらなかった。
少女は首を傾げ不思議そうな顔をしながら、ドアのノブにそっと手をかける。
「……はいるね?」
そして、ノブを静かに右に回して、ドアをゆっくり開けた。
部屋の中は暗く電気はついていない。少女の足元には何かの部品や設計図などがちらばっており、足の踏み場はほとんど無かった。
「なんだろう? このにおい……お父さん、どこ?」
少女が言うように、部屋の中にはなんともいえない異臭が漂っていた。その異臭に少女は顔を歪め、右の人差し指と親指で鼻をつまんだ。
「ねでるのがな(寝てるのかな)?」
鼻をつまんでいるせいで、声はぼやぼやな感じの少女。お盆の上にある飲み物をこぼさないように、少女は床の空いているスペースにゆっくり置く。そして、空いた左手で壁にある電気のスイッチを押した。
「……!!」
その瞬間――
少女は目をみはった。
そして一歩一歩後ずさり、息を荒々しく吐く。
嘔吐感からか、少女はえづくように呻き、鼻をつまんでいた右手で今度は口を塞いだ。においなどを気にしていられないほど、少女にとって目の前の光景は衝撃的であった。
「きゃぁぁぁぁぁぁぁ!!」
少女は叫ぶ。
声を振り絞って叫ぶ。のどが潰れるんじゃないかと思うくらいに。
その叫びは部屋の中だけでなく家へ外へ、響き渡っていた。
少女の後ろからは、一つの大きな足音が聞こえてくる。その足音は少女の後ろで止まったかと思うと、部屋の中へはいってきた。
「ど、どうしたん――うっ!」
部屋の中に入ってきたのは男。この男もまた、目の前の光景を信じられないかのような表情で見ていた。
「ダ、ダンさん! お父さんが、お父さんが!」
少女はダンと呼んだ男の胸に顔をうずめ、しがみついた。ダンも少女に胸をかしながら呆然と立ち尽くしていた。
「エンジさん……どうして……」
ダンの口から漏れるエンジという言葉。
「どうして、エンジさんは死んでいるんだ……?」
そして、死という言葉。
そう、少女がお父さんと呼んでいた男の名はエンジ。
そのエンジが今、この部屋で無残にも頭から大量に血を流し、腹は突き破られて死んでいるのだった。
「くそ……くそ! 誰がこんな事をやったんだ!」
ダンはようやくエンジの死を頭で理解したのか、右のこぶしをぐっ、と握り締めた。
「犯人を絶対見つけてやる……!」
ダンの胸の中では、いつまでも少女が泣いているのだった。
「やっと着いたー、ゲルブ村に」
アンナはそういって、眼下に広がるゲルブ村を見ながら気持ちよさそうに伸びをする。
ここは少し高めの丘だった。
アンナの下にはゲルブ村の家々が立ち並んでおり、人々の歩く様が見て取れた。
「つ、疲れました。心身共にくたくたです」
アンナの背後からは、大きめの木の棒をつっかえにしながらダニッシュが歩いてきた。その表情はげっそりしており、アンナとはとても対照的だった。
「ふん、お前はどっかのじいさんか」
そのまたダニッシュの背後からは、毒舌をはきながら歩くレイノス。腕を組みながらダニッシュの横を通り過ぎ、アンナと同様にゲルブ村を見下ろした。
「これがゲルブ村。海に面しているから、船乗りが多く集まる村、か」
「私の体調は無視ですか?」
レイノスがゲルブ村を観察していると、後ろから弱々しい声が聞こえてきた。
もちろんダニッシュだ。
アンナはそんなダニッシュを見て苦笑い。レイノスに至っては無視だった。
「さ、早くこの丘を下りて、エンジとやらのところに行くとするか」
「む、無視しないでくださいよぉ!」
「……なんだ、ダニッシュ。こういうときのお前はめんどくさいから構いたくないんだよ」
本当に、めんどくさそうに、振り返るレイノス。
目の前にはよぼよぼのお爺さんのようなダニッシュが立っていた。
「こうなったのはレイノス君のせいじゃないですか! 野宿をするから見張りを立てる。ダニッシュお前がやれ、って!」
レイノス達はブラックタイガー戦のあと、日が暮れてきたため野宿することになったのだ。
アンナは反対したが、このまま進むと危険だということをダニッシュが言って納得させた。
しかし、その後が大変だった。主にダニッシュが。
寝ている間に魔物に襲われては困るから、見張りを立てることになった三人はレイノスの独断でダニッシュが見張りをすることになった。
もちろん魔物恐怖症のダニッシュにとって見張りなどできるわけがなかったが、レイノスは右腕の痛みを、アンナは女の子だからという理由から、必然的? にダニッシュに決まったのだ。
それからの一晩はダニッシュにとって生き地獄。
眠気と魔物に対しての恐怖。
この二つがダニッシュを襲った。
こうしてダニッシュは一睡もできず、恐怖から心にも大きな疲れを負ったのだった。
そんなダニッシュを見てレイノスは、満面の笑顔で、
「そんなこと知るか。さっさとゲルブ村に行くぞ」
と、言い放った。
「お、鬼だ。悪魔だ」
ダニッシュは泣きそうな目をしていた。
一人前のおじさんが、だ。
そんなダニッシュを見て、アンナは気の毒に思ったのか、
「だ、ダニッシュさん。ほら、早くゲルブ村に行けば、宿をとってすぐに寝ることができますよ。れ、レイノスもそれをわかって言ったんじゃないかな~?」
「そ、そうだったんですか」
泣きっ面から一転。
レイノスを輝いた目で見つめるダニッシュ。
そんなダニッシュに対し、レイノスは一言。
「まだ起きたばかりだぞ? これからダニッシュにはエンジについて色々と動き回ってもらう予定だ」
「し、死ぬ。過労で死にますよ、僕」
そんなやり取りをしながら、三人はゲルブ村に入っていく。
この村で起きている事件のことなど知らずに……。