ゲルブ村に向けて(2)
時は少しさかのぼり、ダニッシュがウイングバードと戦っている頃。
レイノスとアンナはブラックタイガーとの戦闘に苦しんでいた。
「レ、レイノス。どうしよう。私の詠唱が間に合わないよ」
「こっちも手一杯だ」
アンナとレイノスは互いに背中を合わせながら、攻撃に備えるため息を整える。二人の額には無数の汗が流れ出しており、顔には疲労の色が浮かんでいた。
先ほどからの戦闘はブラックタイガーが主導権を握っている。
柔軟な足腰が可能とする予測のできない動き。左右にすばやく動いたかと思えば急に前に走り出してレイノス達を狙い、はたまた、レイノス達の周りを円を描くように走りながら距離を縮め、空を切るようにいきなりジャンプして襲いかかるなど、並みの魔物では考えられない動きをしてのけていた。
かろうじてかわしていくレイノス達だったが、アンナは魔法の詠唱に間に合わず、レイノスは動きに翻弄され思うような攻撃ができない状況に陥っていた。
「くっ! このままじゃ埒があかない。アンナ、俺がこいつらの相手をしとくから、お前はその間に詠唱を終わらせてこいつらを倒せ!」
「うん、わかった!」
アンナが了解したようにうなずくと、レイノスは額の汗を左手で拭いマジックソードをかまえた。それを見たブラックタイガーは先手必勝とばかりに、先ほどまでの動きを二体同時に繰り出す。一体は左右に、もう一体は円を描くように、だ。
「さぁ……こい!」
レイノスが構えを深くとると、ブラックタイガーは時間差で攻撃してくる。一体が一直線にレイノスに襲いかかると、もう一体は少し遅れてジャンプする。
この時間差によってレイノスの防御の態勢が崩れることを、ブラックタイガー達は理解していたのだった。
「ええい! ちょこまかと知恵を働かせるやつらだ!」
レイノスは声を荒げながら、直進してきた一体を剣で右横に払い飛ばす。そして、ジャンプしてきたもう一体の攻撃を防御しようと、剣を握った……
その瞬間――
「!?」
レイノスの右腕に激痛が走ったのだった。
その痛みは何かで切り裂かれたような切り傷のような痛みだと、レイノスは感じた。その痛みにレイノスは顔を歪め、とっさに右腕を確認する。
しかし、そこには血はおろか傷もできていなかった。
その一瞬……
その一瞬がレイノスにとって致命的だった。
ブラックタイガーへの防御が遅れたのだ。
「しまった……!」
レイノスがそのことに気づき剣を構えようとしたときには、もうブラックタイガーの爪は眼前へと迫っていた。
くそ、もうだめだ、とレイノスが心の中で諦めたとき。
「一筋の疾風の風!」
眼前に迫ってきていた爪はレイノスを切り裂く前に止まり、レイノスの足元の地面へと落ちる。ブラックタイガーは、胴体に大きな穴を開けながら白目を剥き出し息絶えていた。
アンナが詠唱を終わらせて魔法を唱え、レイノスを助けたのだった。
「なにしてるのレイノス! もう少しで死んじゃうところだったよ!?」
「う、うるさい。少し右腕が痛んだんだ」
レイノスはそう言うが、実際少しではなかった。右腕はじんじんと痛み、いまにでも叫びだしたいくらいだった。
顔に脂汗を浮かべながらも強がるレイノス。
その強がりがいつまで持つのか、レイノス自信も不安であった。
それぐらい痛みはひどいのだ。
なんで急に痛み出したんだ? 血も出てない傷もできていない。くそ、原因が分からない、と一人レイノスは痛みの原因を考えるが答えが見つからない。
「どうしたの、レイノス? どこか怪我した?」
心配するように声をかけるアンナに対し、レイノスは強がりをまだ続けようとする。
「だ、大丈夫だ。怪我もしてないし血もでてない。そんなことより、今はあいつに集中したほうがいいぞ」
そういうレイノスの視線の先には、レイノスに払い飛ばされたブラックタイガーがのろのろと起き上がっていた。
目は鋭くレイノス達を睨みつけていて、尖った犬歯をのぞかせながら一歩一歩レイノス達との距離を詰めてくる。しかし、その足取りはよろよろと不安定で、まっすぐ進めない様子だった。右によろけたかと思うと次は左によろけており、先ほどまでの俊敏な動きの面影はどこにもない。
「怪我……しちゃったみたいだね」
「ふん、そのようだな」
「……どうする?」
そう、レイノス達が言うように、起き上がったブラックタイガーの右前足と左後ろ足が変な方向にひしゃげていたのだ。
おそらくレイノスに払い飛ばされたときに骨が折れたのだろう。
その痛々しい姿を見たものは誰も戦闘はできない、と皆口をそろえて言うだろう。
そんな姿を見た一人として、アンナはブラックタイガーをどうするかをレイノスに聞いているのだった。
「ふ、そんなこと決まっているだろう」
口を欠けた月のような形にして、さも当たり前のように、
「殺す」
と一言いったのだった。
「……本当に殺しちゃうの? もう私達に害はないんだよ?」
「そんな事関係ない。俺に牙を向けたやつは全員殺す。それが俺のいつもの考えだ」
「そんな……」
アンナが悲しそうに怪我をしたブラックタイガーを見つめる。そして、ため息をつき、分かったよ、と言って魔法を唱えようとする。
「まあ、まてアンナ」
そんなアンナをレイノスは止めた。
「な、なにさ、レイノス」
「いつもだったら俺はそう考える。しかし、今は違う。……なんだろうな、痛みを伴っている者どうしだからか。こいつの気持ちがなんとなく分かる気がするんだよ。痛みを伴って何もできないまま殺されたら悔しいだろうなって、ふと思った」
「だから、殺さない?」
「そうだな、殺さない」
レイノスはそういうと、怪我をしたブラックタイガーのところへ歩いていき、
「情けだ。運がよかったな、お前」
一言いうと、レイノスは踵をかえした。ブラックタイガーはじっとレイノスを見つめると、静かに体を反転させ、レイノス達とは逆の方向。森の方へと、怪我をした足を引きずりながら消えていった。
「おーい、レイノスくーん、アンナさーん」
ブラックタイガーが森へ消えるやいなや、遠くからダニッシュが手を振りながらレイノス達を呼んでいた。
「あ。あいついなかったんだ」
「……ダニッシュさんには悪いけど、私も気づかなかったよ」
そういう二人は顔を見合わせ笑いあった。そんな二人を見ながら、ダニッシュは不思議そうに近づいてくる。
「ど、どうしたんですか? 二人して急に笑い出して」
「いやいや、なんでもない」
「そう、なんでもないですよ」
「??」
不思議そうなダニッシュを見た二人はまた笑い出す。
「な、なんなんですか~」
こうして、和やかな雰囲気でまたゲルブ村への道を歩いていく三人であった。