アンナの中の壁
不穏な空気が流れる室内。
誰一人として口を開く者はいない。いや、口を開けないが正しいのかもしれない。
ラミアとアンナ。
この二人の間には高く大きな壁があった。
アンナの復讐相手の仲間。
ただその一点だけである。
しかし、その一点がアンナにとって絶対譲れない一線。ひいてはいけない場所であった。
アンナにとっても反射的に作ってしまった壁。
ラミアもそんな壁の存在には気づいており、それがなぜ作られているのかも分かっていた。分かっていたからこそ、なにも言えずただ視線をアンナに向けることしかできなかったのだった。
「……私の前に現れたのは偶然ですか? それとも故意にですか? ……まぁ、そのまえになぜダニッシュさんと一緒にいたのかが分かりませんが」
さすような鋭い言葉。そしてダニッシュを睨みつけるアンナ。そんなアンナに対し、ダニッシュは気まずそうな顔をして視線をそらす。
ダニッシュの顔を横目でちらっ、と見たラミアはため息を一回吐きながらアンナに向き直った。
「私とこの男が一緒にいたのには事情があるんだよ。昨日の夜、私とこいつは殺しあってたんだけどね。運が悪いことに二人共洞窟に閉じ込められちまって。今日の朝まで抜け出せなかったのさ」
ラミアは昨日の出来事を説明するように話した。しかし、アンナは疑うような視線をラミアに向ける。
「なぜ今日の朝なんですか? あなたほどの力がある人なら昨日の夜のうちに抜け出せたでしょう。それに殺し合いをしていたのなら、どちらかが死んでいるはず。なのに二人共生きてる。これはどういうことですか?」
そこにはいたのはいつものアンナではなかった。完全な敵意と相手を簡単に信じることができないかのような言動。
まったく正反対。
そう、いつものアンナとはまるっきり正反対なのだった。
「そう噛みつかないでおくれよ。……昨日の夜に私は一時魔法を使えなくなった。今日の日が昇るまでね」
まさかラミア……おぬし昨日……! ラミアの言葉を聞いた長老は、驚いたように声をあげた。
「そう、おじいちゃん。私は昨日人間になったんだよ」
「「!!」」
ラミアの発言にレイノスとアンナが目を見開いた。
「あんたたちも知ってるだろう。ここが人間と魔族の共存する村だってさ」
「じゃあ、あなたはもしかして……」
「そうだよ、私は人間と魔族のハーフさ。……だから、私が昨日抜け出せなかった理由は分かっただろう? 私は今日の朝、魔族の姿に戻った。だから今日の朝に魔法を使って抜け出すことができたのさ。当然、このダニッシュを殺せなかったのは、殺す前に人間になっちまったからだよ」
わかったかい? とラミアは確認するようにアンナに言った。しぶしぶではあるが、アンナも納得したようだった。
しかしアンナは、ダニッシュとラミアが一緒にいた理由に納得したのであって、ラミアとの間にある壁はいまだに存在しているのであった。
「でも、でもあなたがあいつ……ソージアの仲間であることは変わりません……! あいつに味方する者は誰であろうと……許しませんから!!」
アンナは口を荒げながら両手を前に突き出した。その目には躊躇ない敵意とラミアにではない憎しみが宿っていた。そして、魔法の詠唱をしようとアンナが口を開こうとした、その瞬間――
「まっとくれ! ラミアは……ラミアは心の底からあやつ……ソージアの味方をしとるわけじゃない! ラミアはこの村を――」
「おじいちゃん!」
アンナを止めようと長老が口を開いた。しかし、長老の言葉をさえぎるように今度はラミアが声を荒げたのだ。
「おじいちゃん。その話はこいつらに言わなくていいよ。……関係のないことだからね」
「し、しかし……」
「いいんだよ、おじいちゃん」
笑顔でそう言うラミア。しかし、ラミアのその笑顔の中に少し悲しみがあったことには、室内にいる誰一人として気づかなかった。
詠唱を止められたアンナは、歯をくいしばりながら一人俯いていたのだった。
「……じゃ、そろそろ私は行くとしますかね」
「……もう行っちゃうの?」
「ごめんね、リン。また今度会おうね。次はもう少し長くリンといれるように、お姉ちゃんがんばるからさ」
「うん、わかった! 絶対だよ、お姉ちゃん!」
「絶対。約束するよ」
寂しそうな顔から一転、リンはぱぁー、と表情を明るくした。ラミアも満足そうにうんうん、とうなずく。
「おじいちゃんも、また今度」
「うぬ」
家族に別れの挨拶をすませたラミアは、玄関のドアへと向かう。だが、突然なにかを思い出したようにダニッシュのほうへと振り向いた。
「ダニッシュ。今回はお互い助け合ったけど、次会うときは敵同士だからね。……それまで死ぬんじゃないよ!」
「あ、は、はい。わかりました」
「もうちょいとマシな返事はできないもんかね。……まぁ、あんたらしいけど」
ふふ、と笑ったラミアは今度こそ玄関のドアから出て行き、姿を家の中から消した。
それを見たレイノスは、
「俺達もそろそろ、ここを出発するぞ」
と言って、荷物をまとめるため部屋へと戻っていく。
その間、アンナはずっと床を見つめるように俯いていた。
「では、元気での」
ここは村の北。裏山へと通じる道の入り口であった。
そんな場所で長老とリンに見送られるように、レイノス、アンナ、ダニッシュは立っていた。
「大丈夫ですか? アンナさん」
「う、うん、大丈夫だよ。落ち着いてきたから」
「そうですか……」
アンナはラミアが去ったあとから、ずっと落ち込んでいた。表情は暗く、足取りも重そうであった。それを見たダニッシュが、先ほどから心配して声をかけているのだが、あまり効果はないようだ。
「では、行くぞ」
レイノスは催促するように声をかけて、裏山へと通じる道へと歩き出す。ダニッシュも続くように足を動かし歩き出す。
そして、アンナがレイノスたちに遅れないように歩こうとしたとき。
「――お姉ちゃん!!」
リンがアンナを呼び止めた。
そしてアンナのもとへと駆けてくる。
「な、なに? リンちゃん」
「はい、これ!」
そういってリンが差し出してきたのは、一輪の黄色い花。
その花は見ているものを明るくさせるような雰囲気の裏に清楚な顔を持つ……そんなような花だった。
「これを、わたしに……?」
「うん。……なんだかアンナお姉ちゃん、お姉ちゃんに会ってから暗い顔してアンナお姉ちゃんじゃないみたいなんだもん。だから、明るくなってもらおうとこの花を探してきたんだよ」
「あ、ありがとう、リンちゃん。……ごめんね、リンちゃん。私のせいでお姉さんと全然話せなかったね」
すると、リンは満面の笑顔で、
「全然そんなこと気にしてないよ。お姉ちゃんと話せなかったのは残念だけど、また今度会うって約束したもん。……それより、アンナお姉ちゃんはお姉ちゃんと仲が悪いの?」
アンナは答えられなかった。仲が悪いという問題ではなく、アンナが一方的に拒絶しているからであった。
「リンは、二人共仲良くしてほしいな。そして、三人で追いかけっこするんだ。だから、アンナお姉ちゃんもまたこの村に来てね――」
「――だって、リンはアンナお姉ちゃんもお姉ちゃんもどっちも大好きだから!!」
アンナはリンがまぶしくて見ることができなかった。
人を憎まない純粋な心。
人を疑わないまっすぐな心。
子供特有の心なのかもしれなかった。
しかし、今のアンナにとっては凄くまぶしくて、そして凄くうらやましかった。
復讐を心に決めたアンナ。
そんなアンナがいつしか捨ててしまった心。
それが今、目の前にあるのだった。
「アンナお姉ちゃん……なんで泣いてるの?」
アンナはいつのまにか涙を流していた。
「どうしたの? 悲しいの? リンなにか悪いこと言っちゃったかな?」
「リンちゃんは悪くないよ。……悪いのは……誰なんだろう……」
誰が悪いのか。
そんな単純……いや、単純ではないのかもしれないが、今のアンナには答えが見つかりそうもなかった。
「でも、一つだけ……一つだけ聞いてもいいかな? リンちゃん」
「なに?」
「また、リンちゃんに会いに……この村に来ていいかな?」
「うん! もちろんだよ!」
「ふふ、よかった」
二人は互いの顔を見ながら、満面の笑みを浮かべた。
「じゃあ、そろそろ行くね。また……今度!」
「うん! アンナお姉ちゃん、また今度!」
こうして二人はしばしの別れを互いに告げた。
「早く来い、アンナ」
「こっちですよー。こっちこっちー」
アンナが走っていった先には、レイノスとダニッシュが待っていたのだった。
「今行くよー」
走りながらアンナは考えた。
答えはゆっくり見つけ出そう、私はひとりじゃないんだから!
こうして、村を出るアンナなのだった。