翌日
のどかな朝。今日も暖かい日が差し込むいい天気であった。
「……くそ」
不機嫌であった。
そう、レイノスは今とても不機嫌なのだった。
目の下には大きな隈ができており、眉間には皺が二本刻まれていた。
レイノスはベッドから体を起こすと、机の上のたたまれた衣服を手にとる。レイノスはいがいにも几帳面なのだ。
衣服を着用したレイノスは、この部屋にあるもう一つのベッドへと足を運び、そこで寝ている人物の掛け布団をはぎとった。
そして、そこにいる人物を激しく睨みつける。
「……おい、起きろじいさん。もう朝だぞ」
「うーん、もうちょいとだけ……」
レイノスが起こそうとしている人物とは、つまり長老であった。長老とレイノスは一晩を同じ部屋で過ごしたのだった。
「……起きろって言ってるだろ。さっさと起きろ」
いらいらしているレイノスは、長老の態度でますます顔をしかめる。しかし、そんなレイノスを知らない長老は、気の抜けた声でこう言った。
「う~ん、もう少しまっちょくれ。……今、最高に気持ちいいんじゃ、わし」
その時。
室内の温度が急激に下がった。それと同時に、長老も室内の異変に気づいたのか、目をぱちくりと開き目を覚ます。
「な、何事じゃ。いったい何が起きたん……」
長老は言葉を最後まで言えなかった。部屋の異変の原因に気づいてしまったのだ。
「おい、じじい。いい加減にしろよ。……『今、最高に気持ちいいんじゃ、わし』だと……? なかなかおもしろいこと言うじゃねーか」
レイノスであった。
室内の温度を急激に下げた原因はレイノスなのだった。
その顔には、ひきつった笑顔。しかし、顔は笑っているが目にはどす黒い炎が宿っている。そして、眉間の皺は、先ほどの二本から四本へと数を増やしていた。
「な、なんでレイノス君はそんなに怒っているんじゃ? わしはなにもしとらんぞ?」
レイノスの、目の中にある黒い炎が激しく燃え上がった。微かに肩も震えている。
「……じい……びき……うる……ねむ…………だよ」
「へ? なんじゃって? もう少し大きい声で喋ってくれるかのう」
長老がそういうと、レイノスは息をすぅー、っと深く吸って、
「じじいのいびきがうるさくて、俺は全然寝れなかったんだよ!」
室内どころか、村中に響き渡るのではないかというぐらいの声を張りあげた。そして、溜まった鬱憤を晴らすかのように、レイノスは早口で長老を問い詰める。
「なんでじじいのいびきはあんなにうるさいんだ? 俺の安眠を妨害して楽しいか? 楽しいのか? じじいのせいで俺は一睡もできなかったんだぞ! どうしてくれるんだ? ああ? きいてんのかじじい!」
レイノスの剣幕は恐ろしいくらいに激しかった。あまりの激しさに、長老はレイノスの顔から目をそらし、両手で耳を塞ぐ。それを見たレイノスは、怒りが頂点に達したのか、部屋に置いてあったマジックソードの柄を握った。そして、剣先を長老に向けて、一言。
「俺の安眠を妨害したじじいは死ね」
一歩、レイノスは斬りかかるために踏み込む。長老はその間、レイノスの恐怖から逃げるように壁に背中をついていた。
「わ、わしが悪かった。許してくれ」
「いまさら謝っても……遅い!」
長老の必死の謝罪も空しく、レイノスは長老に向かってジャンプした。
「ひ、ひいー」
その時、部屋のドアが勢いよく開かれた。
「朝からうるさいのよー!」
その瞬間、レイノスと長老は風の魔法で吹き飛ばされ、壁に激突。その衝撃で二人共に気絶してしまった。
ドアを開いたのはアンナ。そして風の魔法を発動したのもアンナなのだった。
「ほんと、うるさいんだから」
アンナは吐き捨てるように言うと、ドアを勢いよく閉めたのだった。
「なんで朝から魔法なんて受けなくちゃなんねーんだよ」
レイノスの不機嫌はいまだに続いていた。その様子を見たリンと長老は苦笑い。
「朝早くからうるさくするレイノスが悪いんでしょ~」
アンナは手に持っている皿をテーブルに置きながら、口を尖らせる。
ここは居間。
これからレイノスたちは朝食を食べるのだ。
「だが、なにも魔法を使わなくてもいいだろ」
レイノスが不満げにつぶやく。
「……わしはいびきだけで、殺されかけたんじゃが」
きっ、と長老を睨みつけるレイノス。それを見たアンナは、
「……レイノスは朝ごはんなしね」
「すまなかった! 謝る! 謝るから、飯抜きはやめてくれー!」
「よろしい」
アンナはにこにこしながら、食事の準備を進める。リンも手伝うように、皿運びなどを始めた。
レイノスは昨日の風呂での一件から、アンナにたじたじなのである。
「いつか、絶対仕返ししてやる……」
レイノスは密かに自分の中に誓いを立てながら、食事ができるのを待っていた。
「まだかー?」
待ちきれなくなったのか、レイノスが催促する。
「もうできるよー。……ほら、できた!」
そういって、アンナは鍋を持ってキッチンから居間へとやってくる。そして鍋からスープをすくい、それぞれの皿へとよそう。
一皿目、二皿目、三皿目、四皿目、五皿目……。
「あれ?」
そこで、アンナが素っ頓狂な声をあげる。そして、皿の枚数を数え、周りにいる人数を数えた。
「どうしたんだ? アンナ」
「なんか、皿の枚数と私達の人数が合わないの。皿の枚数は合ってるはずなのに……」
不思議そうにまた、皿の枚数と人数を数え始めるアンナ。レイノスも不思議そうに首をかしげる。
「……おぬしら、本当に分からんのか? 誰が足りないのか」
長老は深くため息を吐き、あやつはかわいそうじゃのうと一言つぶやいた。
「ダニッシュ君がおらぬじゃろうが。ダニッシュ君が」
「「あっ!」」
二人の声が重なった瞬間、入り口のドアがキィー、と開かれる。そこに立っていたのはダニッシュその人だった。
「ダニッシュさん!」
「ダニッシュ!」
「はは、遅くなりました」
笑顔でそういうダニッシュは、右横腹を苦しそうにおさえている。それに気づいたアンナは、すぐさま駆け寄り、大丈夫ですか! といいながら治癒魔法を唱え始めた。
「ははは、ちょっと自分のせいで怪我しちゃいましてね。……アンナさんも気にしなくていいですよ」
「なに言ってんだい! その怪我はもとはといえば私のせいだよ!」
自分のせいで怪我をしたと言うダニッシュに対し、ダニッシュの背後から鋭い声が飛んできた。
「こ、この声は……」
声を聞いたアンナは、一歩後ずさり、その声の主が誰なのか頭をめぐらせる。
その間に、ダニッシュの横に立つように現れた女性。
ラミアだった。
「お前は……!」
ラミアの姿を確認したレイノスは、背中のマジックソードを抜い戦闘態勢に入った。
「ま、まってください! 今、ラミアさんは敵ではありません!」
慌てながら、レイノスを止めようとするダニッシュ。
「お姉ちゃん!!」
そんなダニッシュやレイノスを差し置いて一人、リンだけがラミアのもとへ走り出し抱きついた。
「お姉ちゃん、帰ってきてたんだね!」
「久しぶりだね、リン。元気でやってたかい?」
「うん、元気だったよ。昨日はアンナお姉ちゃんとも遊んだし」
「……そうかい。よかったね」
リンの口から出たアンナの名前。それを聞いたラミアは、アンナのほうへと目を向ける。
「やっぱり、リンちゃんのお姉さんはあなただったんですね」
そこには、敵意の目をラミアに向けたアンナがいたのだった。