二人の距離
「これが私のもう一つの姿なんだよ」
洞窟の天井が崩れ、中に閉じ込められた二人。そんな中、人間の姿のラミアが、ダニッシュに向かって言い放った衝撃の言葉。
その言葉と同じくらいに、ダニッシュは目の前にあるその姿に言葉を失っていた。先程までのまがまがしい魔族特有の雰囲気とはうって変わり、流れる川のような青髪が印象的な穏やかな雰囲気を持った女性へと変身していたのだ。
その姿を、ダニッシュは惚けたようにじっと見つめる。いや、見つめる以外の行動がダニッシュの頭には思い浮かばなかったのであった。
「な、なに見てんのさ」
そんなダニッシュを見たラミアは、恥ずかしいのか顔を背け、ダニッシュとは反対側の壁によしかかる。
「あ、ああ、す、すいません」
咄嗟に頭を下げるダニッシュ。そんな姿を知ってか知らずか、ラミアは俯いたまま何も答えない。
洞窟という密閉空間の中に沈黙が流れる。
その間、ダニッシュはそわそわしながら、ラミアの姿を頭から足の先まで観察した。
特に変ではない……そんな事をダニッシュは最初に思った。魔族にとっては一大事ともいえる出来事なのだが、人間のダニッシュにとっては何のことはない。普通の女性としか映らないのだった。
むしろ、魔族の時に感じていた恐ろしさが無い分、ダニッシュにとっては安心できる姿なのかもしれない。
兎にも角にも、ラミアの人間の姿は違和感無く感じれるほど馴染んでいるのだった。
「……やっぱり変かい?」
視線を感じていたのか、ラミアは悲しそうな声を出しながら顔をあげる。その表情は、人間の姿をしているということに対しての悲しみと、その姿を敵である者に見られてしまったということの恥ずかしさが入り混じったものであった。
「べ、べつに変じゃないですよ! ……ただ、少し驚いてしまっただけです」
ダニッシュは、慌てたように手をふり、ラミアの言ったことを否定した。それはダニッシュの本心であり、逆にラミアの事を美しいとまで感じているのだった。
「嘘をついているわけじゃなさそうだね……。今までこの姿になるところを見て、変だと言わなかったのはあんたぐらいだよ……ダニッシュ」
そのとき、自分の胸の内に何かが込み上げてくるのを、ダニッシュは感じた。
なにか暖かい、満たされるような気持ちだ。
込み上げてきた理由をダニッシュは探したが、結局ダニッシュは見つけ出すことができなかった。
「どうしたんだい? 急に笑顔になって」
ラミアの一言でダニッシュは、初めて自分が笑顔だということを知った。そして、それをラミアに指摘され、顔が紅潮してきたダニッシュは、顔を隠すようにバッグを漁り始め、一つの袋を取り出した。
「た、食べますか……? 私が持ってきた食料ですけど……」
すると、ラミアはダニッシュを鋭く睨みつけた。そのあまりの鋭さに、ダニッシュはひぃ、と声を漏らし、額から冷や汗を流す。
「あんた、馬鹿かい? さっきまであんたを殺そうとしていた敵に、食料を与えようとするなんて」
「す、すいません」
「謝るんじゃないよ。……それよりもあんたには、先にやることがあるだろう?」
「やること……?」
本気で首を傾げるダニッシュを見てラミアは、はぁ、と息を吐いた。
「私を殺すことだよ」
「……!!」
ダニッシュは息を呑んだ。身を固まらせ、ラミアの方向を見る。
それほどまでに、淡々とラミアは言い放ったのだ。
「何を驚いてるんだい。私は今、魔法が使えない無力な人間になったんだよ? そしてさっきまで、私達は殺し合いをしていた……その殺し合いに私は負けたんだから、あんたが殺すのは当たり前じゃないか」
「で、でも、本当なら殺されていたのは私のほうだ。でも、あなたが人間になってしまったから……人間にならなかったら、私が負けていた。だから、私はあなたを殺せません……」
「甘えるんじゃないよ!!」
ダニッシュが言い終えるやいなや、ラミアが怒鳴り声をあげた。
「あんた、そんな考えで今まで魔族と戦ってきたのかい!? 隙があれば殺す。敵であれば殺す。たとえ、それがどんな者であろうとね! 生きるか死ぬかの戦いなんだよ。……そんな考えじゃ、この先いつか絶対死ぬよ」
はぁはぁ、と息を荒くするラミア。
そんなラミアを見て、ダニッシュはおもむろに立ち上がり、一歩一歩ラミアへと近づいていく。そして、ラミアの前に立つと、懐から小剣を取り出した。
「そうだよ、それでいい……」
覚悟を決めたかのようにラミアは目を閉じる。その顔には何故か笑顔が浮かんでいた。
小剣の空気を切り裂く音が、洞窟内に響き渡る。
「な、なんで……」
ラミアが目を開くと、足元の地面には血の水溜りができていた。しかし、ラミアの体には一切傷はついていない。
「なんで、なんであんたの腹が切られてるのさ!!」
そう。
ダニッシュは……。
ラミアではなく、自分の右横腹を切ったのだった。
「は、はは、なんでですかね? 自分でもよく分かりません。ただ……」
「ただ……?」
そこで、ダニッシュは笑顔になると、
「あなたを殺したくなかっただけです。……私は特段良い人でもなければ、特段悪い人でもないと思ってます。人並みに欲もありますし、やりたいことだっていっぱいあります。……でも、自分の気持ちには正直に生きたいんです。……あなたを殺してしまったら、自分の気持ちに嘘をつくことになる。それは、私自身の今までの生き方を否定してしまう気がして……。あなたを傷つけるくらいなら、私自信がって思いまして……はは、私は何を言っているんでしょうね。……ぐふっ!!」
苦しそうにダニッシュは血を吐く。右横腹からは、大量に出血しており、かなり危険な状態だった。
「あんた、本当に甘いよ……甘すぎるよ!! そんなんじゃ、命がいくつあっても足りないよ!!」
「はは、そうかもしれませんね」
そう言いながら、ダニッシュは前屈みに倒れ、ラミアによしかかる状態になった。
「あんた、大丈夫かい!? ……くっ!!」
ラミアは歯をくいしばる。
「人間じゃなければ、治癒魔法が使えるのに!!」
一人そう叫ぶラミアは、己の力の無さを悔やんだ。しかし、すぐに冷静な顔つきに戻る。
「今、ここで嘆いていてもしかたない……何とかしなきゃね」
そういうと、ラミアはダニッシュを横たわらせて、ダニッシュのバッグの中を漁った。
「なにか……なにかないのかい!!」
すると、バッグの中に一枚の白いタオルを見つけた。そのタオル持って、ラミアは慌ててダニッシュのところに行く。
「よし。これで、まず出血を止めれるよ」
すぐさま、タオルを出血部分に巻きつけ出血を一時的に止めたラミアは、また、バッグの中を漁り始める。
「あ、あった。これをすりつぶせば……」
タオルの次に見つけたものは、緑色の薬草だった。薬草には、治癒効果があり、すりつぶしたものを飲むと、解毒効果なども期待できるのだった。
しかし、ラミアの見つけた薬草は、すりつぶしたものではなく原型のものであった。それに加え、ダニッシュのバッグの中には、すりつぶす道具などは何一つ入っていなかったのだ。
「これじゃ、ダニッシュに飲ませられないじゃないか」
ラミアがしばし悩んでいると、横たわっていたダニッシュが、痛みを堪えながらラミアに話しかけた。
「も、もう大丈夫ですよ。ラミアさん。あまり、気にしないで下さい。これは私が自分でやったことですから」
「なにを言ってるんだい。もとはといえば、私のせいなんだ。……それにね、あんたがさっき言ったように、私も自分に嘘はつきたくないのさ。今、私はあんたを助けたいと思ってる。……なんでかは分からないけどね」
ラミアは強いまなざしでダニッシュを見る。そのまなざしを見たダニッシュは、笑顔になって、
「そうですか。なら、私は何も言いません。ラミアさんの好きにしてください」
「言われなくてもそうさせてもらうよ」
そういうと、ラミアはまた、薬草をすりつぶす方法を考え始める。その間、ダニッシュはずっとラミアの顔を見つめていた。
「はは、こうしてあらためて見ると、やっぱりラミアさんは綺麗ですね」
そんな事を、小声でダニッシュが言っていると、ラミアは何かを思いついたように顔を輝かせる。しかし、すぐさま顔を赤らめ、
「こ、これは、やっていいことなのかい。いや、でも私のせいで……」
などとつぶやいていた。その様子を不思議そうに見ていたダニッシュに、ラミアは恐る恐る近づき、顔をこれでもか、というほど赤らめて、
「か、勘違いしちゃだめだよ! これはあくまで、あんたの命を助けるためなんだからね!!」
「な、なにをするつも――――んんっ!!」
ダニッシュが何か言う前に、ラミアは薬草を口に含んで少し口を動かした後、ラミアは決心したような顔をし、ダニッシュに顔を近づけた。
そして――
ラミアの唇とダニッシュの唇が重なり合った。
「ん、んんっ」
ラミアは、口に含んですりつぶした薬草を、ダニッシュの口の中へと送り込んだ。
くちづけの時間は三秒にも満たなかったが、二人はその三秒間、相手の事以外何も考えてはいなかった。
それは二人にとって、どういう意味を持つのかは分からない。
ただ、その時間二人は幸せな気持ちであったことは確かだった。
「ん、ぷはぁ」
二人のくちびるが離れる。両者共に、顔は紅潮し互いの顔を見れないでいた。
「……ぷ、ははは、あはははは!」
そんな雰囲気を消すかのように、ラミアが突然笑い出した。その姿を見て、ダニッシュは少し怒ったような顔をする。
「な、なに笑ってるんですか! 私、人生で初めてのキスだったんですよ!!」
「いやー、ごめんごめん。なんで私こんなことしてるんだろう? って思ったら、可笑しくてさ。思わず笑っちゃったんだよ」
悪びれなく言うラミアに、ダニッシュも最初は怒った様子だったが、そのうちラミアにつられるように笑い出した。
そして、笑いながら、体を起こして壁に寄りかかる。
「ははは、それはそうと、傷はもう大丈夫なのかい?」
「ええ、まだ少し痛みますが、出血はもう止まりました」
「そうかい、よかったよ」
心底安心した様子のラミアは、疲れたのか、ダニッシュの横に座り、頭をダニッシュの肩に乗せた。その行動に、ダニッシュはびくっ、と体を震わせて緊張したが、ラミアの顔を見ると安心するのだった。
「……なんでだろうね。あんたは敵なのに、何故かあんたといると安心するよ」
「それは僕も感じてます。でも、本当になんでかはわかんないんですよ」
その言葉を聞いたラミアは、呆れたような表情になる。
「あんた、本気で言ってんのかい……?」
「……本気ですけど?」
「はぁ……まぁ、あんたらしいっちゃあんたらしいね……」
ラミアは、表情を呆れたものから疲れたものへと変えて、ため息を吐いた。
「……まぁ、今はそれでもいいよ。……いつか気づいてくれれば、ね」
「……?」
こうして二人は、洞窟の中で一晩一緒にすごした。その間、ダニッシュはラミアの言ったことをずっと考えていたのであった。
「そういえば、ここからどうやって抜け出すんですか?」
「……あんた、考えてなかったのかい?」
二人が洞窟を抜け出すのには、もう少し時間がかかるのだった。