アンナの闇
「アンナさん、そろそろ交代しましょうか?」
「いや、大丈夫だから」
「そ、そうですか」
透き通った綺麗な満月が空に浮かんでいる夜。
あの決勝戦から六時間経った今、アンナ達三人は宿の部屋の中にいた。
部屋の中は暗く、ベッドの周りだけがライトで照らされている。
ベッドにはレイノスが寝ており、その周りを囲むようにして、アンナとダニッシュが椅子に座って看病していた。
「レイノス君、目覚めませんね」
「……そうだね」
アンナは唇を噛み締めながら、苦しそうに答える。
「大丈夫ですよ! レイノス君なら絶対目覚めますって!」
そんなアンナを見ていられなかったのか、ダニッシュがアンナを励ますように話しかける。
しかし、そんな励ましの言葉を、アンナは俯いたまま無視する。
ダニッシュも、そんなアンナの態度を見て、何も話さなくなった。
そして、部屋には沈黙が流れる。
そんな沈黙がしばらく続いた時、
「……う、うぁ……」
レイノスがベッドに横たわったまま、呻きだした。
「レイノス!?」
「レイノス君!?」
アンナとダニッシュの声が重なる。
「う……ん? ここは……」
そんなアンナとダニッシュの声を聞いて、レイノスは少し寝惚けた様に目覚めた。
「レイノス!! ……よかった~」
アンナは心底安心した様に、顔を綻ばせる。ダニッシュも、レイノスが目覚めた事とアンナの表情をみて微笑んでいた。
「お、俺は……なんでこんな所で寝ているんだ? ……そうか、俺は確かオーガに吹き飛ばされて、そのまま気絶してたのか……」
レイノスは自分で質問した事を自分で答えていた。そして、一人考えて、一人で納得した様子だった。
「レイノス。ゴメンね、本当にゴメンね……!!」
そんなレイノスを気にもせず、アンナは一心不乱にレイノスに頭を下げていた。
「な、なぜ、そんなに謝る?」
レイノスは思った疑問を、そのままアンナに投げかける。
「いいから、謝らせて……」
アンナはそう言って、また謝り出す。そのアンナの目には、涙が滲んでおり、口元は震え、今にも泣きだしそうな勢いであった。
レイノスは対応に困ったのか、話題を変えてダニッシュに問いかける。
「そ、そういえば、大会はどうなったんだ? ソージア達は?」
その問いかけに、ダニッシュは苦笑を浮かべながら口をひらく。
「まぁ、大会には優勝しました。オーガもなんとか倒せましたしね。……しかし、ソージア達には逃げられました。追う暇すらなかった……不甲斐ない限りです」
ダニッシュはそう言うと、悔しそうな顔をして俯いた。
「……そうか。……くそ!!」
レイノスも自分の不甲斐なさを感じたのか、拳を握り締め唸った。
沈黙がしばらく続いた。正確には、アンナはその間も、ずっとレイノスに謝り続けていた。
「そ、そうだ! レイノス君!! 優勝した副賞として船を貰いましたよ。賞金については僕が大会側に返金しました。闘技場を壊したのは半分僕達の責任ですからね」
沈黙を破る様にダニッシュが明るく話題を作る。
「そ、そうか。まぁ、船を手に入れたんだ!! 目的を達成したな!!」
レイノスもその沈黙を破る様に、明るく答えた。
しかし、それを遮る様に、今まで謝り続けていたアンナが口を挟んだ。
「ダニッシュさん……。少しの間、レイノスと二人きりにさせて……」
その言葉を言うアンナの表情は重く、その様子を見たダニッシュは、無言で頷くと部屋を静かに出ていくのであった。
扉が閉まる音が部屋に響き渡った。
場の空気は重苦しく、レイノスはその場の雰囲気を察知し、真剣な顔になってアンナを見つめた。
「……それで? 俺と二人きりになって、何をしたいんだ?」
レイノスがそう問うと、アンナはその重い表情をレイノスの方へ向けた。
「私の過去の事と、なんで私がレイノスについていったかを聞いて欲しいの」
アンナは何かが吹っ切れたようにレイノスに言った。そんなアンナに、レイノスは一つの疑問をぶつけた。
「お前が俺についてきた理由とやらは、ぜひ聞きたい。俺に関係する事だからな。だが、なぜお前の過去の事まで聞かなければならない」
「レイノスについていった理由に関係しているから……」
アンナがそう言うと、レイノスは納得したように、
「話してみろ」
と言った。その言葉を合図に、アンナが自分の過去の事を話し始めた。
「私はね、一年前までは両親と一緒に、あの家で暮らしていたの」
「あの家とは、アンナが住んでいた家か?」
そうだよ、とアンナは答える。
「それでね、一年前はちょうど私の誕生日だったの。……お父さんとお母さんは、私の誕生日プレゼントを買いにいくために、私と一緒に町へ出かけたの。夜までずっと私はプレゼントを決めかねてた。そうしたらいつのまにか夜になってたんだ。……そうだね。あの日は今日みたいに月が綺麗だったな……」
アンナは何かを思い出すように、窓の外にある、鮮やかな色の満月を眺めた。
「……それで? プレゼントは決まったのか?」
「うん。決まったよ……。それが、この短剣」
そう言うと、アンナは胸元から短剣を取り出した。その短剣は、決勝戦の時にアンナがソージアに向かって振り回していた短剣だった。
その短剣は、無駄な装飾などは一切ついておらず、斬ることのみに特化されていた。
「私は、誕生日プレゼントをこの短剣に決めて、両親に買ってもらった。そして、私達三人は店を出た。……そしたら、町の門の所に魔物がいて、人を襲っていたの」
「魔物? その町の防衛能力はそんなに低かったのか?」
「いや違う。……人間に化けていたの。魔物が」
「……そういう事か。間抜けな人間はそれに襲われるまで気付かなかったと」
するとアンナは苦しそうに
「そういう事だね」
と、一言だけ呟いた。そして、話を戻してまた話しだした。
「その魔物を見た両親は、反対側の門へ逃げたの。必死でね。……でも……そこにはあいつがいたの……!!」
「……一応聞くが、あいつとはソージアの事だな?」
うん、と頭を縦に振るアンナ。
そうして話を再開する。その話しているアンナは、段々と語気が強くなっていく。
「あいつは待ち構えていたのよ……!! 逃げてくる人々をね!!」
アンナが興奮していくのを、レイノスは感じ取り、落ち着かせるように、肩を抑えた。
アンナは、少しずつ落ち着きを取り戻していった。
「はぁはぁ、ご、ごめん」
「あぁ」
アンナは息を荒く吐きながら、頭を下げる。
「……それでね、あいつは笑いながらこう言ったの」
そう言うと、アンナは言葉を一旦止めて、苦しそうな顔をしながら口を開いた。
「……楽しい宴の始まりだ、ってね」
「宴……」
「そう宴。そして、逃げる人々を殺しはじめた。それも素手でね。体中に人の血を浴び、それを楽しむようなあの顔!! ……あの姿は今思い出しても吐き気がする……。そんなあいつから、 私の両親は必死に私を守ってくれた。……そして、殺された。無惨にもね」
アンナの手の甲に、一つの雫が落ちる。アンナは泣いているのだった。
「……私の両親を殺した後、あいつは私にこう言った。『これから、お前は絶望するだろう。親を殺され、お前は独りだ。だから、お前は殺さぬ』ってね」
アンナは、唇を強く噛みながら、話していく。しかし、あえてレイノスは話を止めなかった。止めてはいけないと、レイノスは感じたのであった。
「そう言って、あいつは闇の中に消えた。こうして、私だけが生き残ったの」
そこでアンナは一回間をおいた。
「その後、私は深い絶望に襲われた。……何回も死のうと思った。でも、ここで死んだら、守ってくれた両親を裏切る気がしたから、死ななかった。……だから、私は復讐を決意して、旅に出たの。……でま結局あいつは見つからなかった」
そこで、アンナは深く溜め息をついた。
「だから、私は一度あの家に帰ってきたの。そして、少しの間、またあの家で暮らしていた。……最後に思い出を噛み締めたかったんだと思う」
「そうして暮らしていたら、この俺を見つけたと」
「そうだよ……」
アンナは目に強い輝きを持って、レイノスを見た。レイノスもそれに答えるように、アンナを見つめた。
「正直、レイノスを見つけた時は、一瞬あいつかと思った。でも、よく見てみると、レイノスは人間だった。だから、家に運んだの。というか、体が勝手に動いてた」
「そして俺が目覚めた後は、俺の知っている通りか」
「そう。私はね、その時レイノスがあいつじゃないかって疑ってた。だから、無理矢理にでもついていこうとしたの。あいつだって分かったら、すぐに殺すつもりだった……」
そう言うアンナは、とても悲しく苦しそうな顔をしていた。
「でも、一緒にいるうちに違うって分かってきた。というか、もう家で話している時から、なんか違うなっていうのは感じてた」
「だから、俺にマジックソードを買ってくるなんて真似ができたんだな?」
「そうだよ。もう、あの時にはレイノスを信用してた。言っておくけど、私は人を見る目だけは確かだからね」
アンナは少しおちゃらけたように話す。その顔には、笑顔があった。
「……そうしていたら、ソージアが現れたと」
ソージアの名前が出たとたんに、アンナの笑顔は一瞬にして崩れ去り、また表情は重くなった。
「そう。……ごめんね。あの時は感情が抑えきれなかった……」
「別にいい。結果的には船が手に入った事だしな」
そこで、レイノスは間をおいた。そして、アンナを再度見つめ直して
「それで? お前はこの先どうするつもりだ?」
アンナはその言葉を聞くと、顔を下に向けて、呟く。
「あいつを探し出すよ。……レイノス達とは、ここで別れようと思う」
アンナは俯いたまま、そう話す。
「そうか。なら仕方ないな」
「ごめんね。色々迷惑かけて……」
アンナはそう言って、部屋を立ち去ろうとする。
「それじゃあ、レイノス……。色々と楽しかったよ。ダニッシュさんにも伝えておいて。……それじゃあね。ばいば――」
「誰が勝手に行っていいと言った?」
「……え?」
レイノスがアンナの言葉を遮り、そう言った。
「だってレイノス、『それじゃあ、仕方ない』って言ったじゃない」
すると、レイノスは軽く笑い、
「俺が仕方ないと言ったのは、復讐をしても仕方ないと言ったんだ。誰も勝手に別れていいなんて言っておらん」
レイノスの言った事に、アンナは口をあんぐりと空けている。
「で、でも、それじゃあ、レイノス達に迷惑がかかるよ? それでもいいの?」
「迷惑? 何故迷惑なんだ? 俺はソージアになめられた。だから、殺したい。お前は復讐するために、あいつを殺したい。利害が一致するじゃないか。……それに、お前の魔法は使える。俺の復讐にも役立ちそうだ。だから、お前は俺達と来るんだ。……お前に拒否権はない!!」
レイノスは最後の言葉を強く言いきった。その顔には、多少ながらも笑顔が浮かんでいた。そんなレイノスを見たアンナは、
「本当にいいの……?」
と、涙を目に浮かべていた。
「ああ、当たり前だ」
「……っ!! ありがと~!! レイノス~!!」
そう言って、アンナはレイノスに抱きついた。
「っ!? こ、こら、離せ!! や、やめろ~!!」
レイノスに抱きついた事で、アンナの豊満な胸は、レイノスの体に押し当てられて、様々な形に変形していた。
それを感じたレイノスの顔は炎のように赤くなり、いつもの冷静さはなくなっていた。
「お、おい!! い、いい加減離せよ!! そ、その……お前のあれが当たっているんだよ!!」
そう言いながら、二人ははしゃいでいた。
先程の空気は、既に部屋からは消え去っていた。そんな時に、ダニッシュが部屋に帰ってきた。
ダニッシュは、レイノスとアンナの行動を見て最初驚きの表情を浮かべていたが、すぐに笑顔に変わった。そして、
「おや、真剣な話をしていると思ったら、二人していちゃいちゃしていましたか。これは、失礼しました……」
ダニッシュはニヤニヤしながらそう言って、また部屋を出ていこうとする。
「お、おい待て!! ……この状態をなんとかしろー!!」
こうして、アンナはレイノス達とまた旅をする事になったのであった。