第6話 私は悪役令嬢?
最期に覚えているのは、驚いたように立ち止まる鹿と、トラックの白い光。
キイィッ、と響く甲高いブレーキ音とガラスが割れる音が、どこか遠くに聞こえた。
◆
細かな彫刻が周りに施された大きな扉が左右に開かれると、中は別世界だった。
「わあ」
一歩足を踏み入れた大広間には、きらめくシャンデリアの下。色とりどりのドレスや燕尾服を着た人たちであふれている。
管楽器やバイオリンの演奏が控えめに流れる会場内は、きらびやかな雰囲気に包まれる。
「すごいですね、お父様!」
「この部屋は舞踏会や夜会でも使われるからね。特に豪華なんだ」
エスコートしてくれているお父様を興奮気味に見上げれば、優しく笑って答えてくれる。
「そうなのですね。舞踏会や夜会にも参加してみたいです」
「うーん……ティエラが、大人になったらね」
「はい!」
華やかな空間はまさに物語の一場面のようで、見るものすべてがキラキラと輝いている。
(今日、王宮に来られてよかった)
王宮から王子殿下の誕生日パーティーの招待状が届いたのは、ひと月以上前。
お父様はなかなか参加を許してくれなかったけれど、お母様と二人でがんばって説得した。
(せっかくこの世界に生まれてきたんだもん。どうせなら、お城とか、王子様とかも見たいよね)
マンガや小説、ゲームで見てきた世界が、今目の前に広がっている。
(あー、ほんと、この世界に生まれてきてよかった!)
気がついたらこの世界に転生していてびっくりしたけど、お父様もお母様もやさしいし、こんなお城にまで来れる。
異世界転生、ほんとサイコー。
「早く、王子殿下ともお会いしたいです」
うきうきしたテンションのまま言うと、お父様はなんとも言えない顔をしていた。
「……うん、まあ。そのうちにね……」
その後は、お父様の部下で副官のフラワード伯爵が声をかけてきて、しばらくお父様と二人で話していた。リフネくんの姿も探したけれど、今日は来ていないみたいだ。宰相さんやそのご子息もやってきて挨拶を交わす。
そうしているうちに、トランペットの高音が響き、室内に流れている音楽が切り替わる。
「そろそろ、王族の挨拶が始まるようだぞ」
フワラード伯爵の言葉に、お父様が顔をあげる。私も同じ方を見た。
(あの方々が、王族の人たちね)
大広間につながる螺旋階段の先。
白い手すりが大きく突き出したスペースに陛下と王子、王妃殿下が並んで立っている。
(わあ、すっごい。ゲームみたいに、美男美女だ)
金色の長い髪をゆるくまとめた陛下は、彫刻みたいに整った顔をしている。
白銀の糸できれいな模様が描かれた白いマントをはおった立ち姿は、威厳たっぷりだ。
隣にいる王妃様は、スタイルのいい美魔女だった。つややかな山吹色の髪は、きれいに編み込まれている。
陛下の瞳の色と合わせたレモン色のマーメイドドレスには、陛下のマントと同じように白銀の糸で模様が描かれている。
そして二人よりも一歩前。陛下と同じ金色の髪をした王子が進み出る。
「あの方は……」
その姿を見て、思わず声が出る。
王子はやわらかな雰囲気の美少年だ。
白銀の糸であざやかな刺繍がされた燕尾服に、真っ白なマントをつけている。
「ご紹介に預かりました、ベルモント・ヴォルケンシィです。本日は私のために、このような場を設けてくれたこと、感謝いたします」
白銀の瞳をやさしげに細めて、王子が微笑む。その姿に、なんとなく見覚えがあるような気がした。
それこそ、ずっと前から、彼のことを知っていたような……。
「あ」
その瞬間。頭の中に、パッとゲームのワンシーンが流れる。
緑あふれる学院の中庭。ベンチに座る二人の学生。
そのうちの一人、かがやく金の髪の男性が、白銀の瞳をやさしげに細めて笑う。
『君の前だけだよ。こうして、何者でもない僕でいられるのは』
画面の向こう。そう話しかけてくる男性が、螺旋階段の先で話している王子と重なる。
(そうよ。わたくしは、あの方を知ってる)
それは、遠い遠い昔。私がまだ、日本にいた頃にハマっていた乙女ゲーム。
そこに出ていた、攻略対象のキャラクター。
ベルモント・ヴォルケンシィ。
ゲームでも人気が高く、私も大好きだった推しキャラの一人だ。
(え、うそ。ほんとに? ほんとに、ベルモント王子? ベルモント王子って実在するの?)
てか、王子まじかっこいい。てゆーか、ベルモント王子の幼少期、かわいいんだけど!
「ティエラ、大丈夫かい?」
突然のエンカウントに興奮しちゃった。
ほほに手を当てて、心の中できゃーきゃー言っていると、お父様が心配そうに顔をのぞいてくる。
「あ、いえ。なんでもございませんわ」
とっさに、すん、と言葉を返すけれど、うまくごまかせたかしら。
いけない、いけない。今はパーティーの最中だし、落ち着かないと。
「そうか。無理をしてはいけないよ?」
「はい、ありがとうございます」
王子の話が終わると、謁見の時間がはじまる。ああ、ついに目の前で王子様と会えるのね。
どきどきしながら、お父様に手を引かれて王子たちがいる螺旋階段の上に向かう。
途中、お父様に声をかけてきた騎士団長と、そのご子息と軽く挨拶を交わしあってから王子の元へ行く。
「ソンブレージャ侯爵家オルグでございます。この度はおめでとうございます」
お父様はきちっとした格式の高い礼で、王子に祝福の言葉をおくる。
さすが、お父様。ぴしっと決める姿はかっこいい。いつもは、でれた顔しか見せないけれど。
(そういえば、お父様の名前も聞いたことがあるのよね。お父様の名前、というか、家名、というか……)
王子を認識してから、あらためて聞いたお父様の名前がなぞに気になる。
なんだか、どこかで聞いた気がするのは気のせいだろうか。
「そちらは、貴公のご息女ですか?」
お父様の隣に控えていると、王子が声をかけてくる。
「あ、は、はい。えっと、ソンブレージャ侯爵家が長女、ティエラと申します。本日は、おめでとうございます」
急に話しかけられて、あわてて王子に返す。
かっこいい人と話すのって、どうにも前世から慣れない。緊張する。
(……て、ちょっと待って。ティエラ?)
なぜか今日にかぎって、聞きなれたはずの自分の名前が引っかかる。
混乱して固まる私に、王子はやさしく笑いかけてくれる。
「そんなに緊張なさらずとも大丈夫だよ。ティエラ嬢」
「えっと、ごちそうさまです。じゃなくて、えっと、あの、その、ありがとうございます」
わたわたと返しつつも、次々にやってくる疑問にキャパオーバーしそうだ。
(なんだっけ。私は、ぜったい、この名前も聞いたことがあるはず)
なんだろう。とても、大切なことだった気がするんだけど。
ひとまず型通りの挨拶を終わらせると、お父様は私を連れて早々に王子の元を去る。
その間も、ずっとぐるぐると記憶を探っていく。
(私は、思い出さないといけないのに)
なぜかわからないけれど、強くそう思った。
『あなたが悪いのですわ。人のものに、勝手に手をお出しになって』
瞬間。パッと頭の中に映像が流れた。
それこそ、さっきの王子の時と同じように。
学院内の広々とした、ろうかの途中。
ヒロインの前に立ちはだかる、ゆるく巻いたブロンドの長い髪に、ラベンダーの瞳の少女。
つり目ぎみの大きな目を、不快感たっぷりに細めて、画面越しに、にらみつけてくる。
(……そうよ、なんで今まで気がつかなかったの?)
王宮に来て王子に会って、テンアゲしていたテンションが一気に急降下する。
(『ティエラ』は、あのゲームに出てくる悪役令嬢と同じ名前じゃない)
「え、うそ。これってほんとのほんと? いや、でもまさか……」
混乱しながらも、必死にゲームの知識と、家庭教師から教わったこの国の地理歴史を思い出す。
(えっと、あのゲームの舞台は、ガーデニア王国の王立学院の高等部、だったはず)
この国の名前は……ガーデニア王国ね。私はまだ入学する年ではないけど、王立学院もあるわ。
お父様とお母様が出会った場所だって話してくれたもの。
そう思うと、ゲームとの共通点は、あるにはある。
(え、ここってほんとに、あの乙女ゲームの世界?)
だとしたら、とてもヤバい。だって、ティエラは……。
ああ、ダメだわ。一人で結論を出すには、ティエラの未来は重すぎる。
下を向いたまま、ふう、と深呼吸をする。でもなかなか心臓は落ち着いてくれない。
それでも、よし、と気合を入れて、お父様を見上げる。
「……お父様。王子殿下のお名前は、ベルモント王子、ですよね?」
「ああ、そうだね。ベルモント王子殿下だ」
さっきも聞いたけど、やっぱり王子は、あのゲームの王子と同じ名前だ。
もう、確定したようなものだけれど、それでも確かめずにはいられない。
「それに、わたくしの名前は、ティエラ・ソンブレージャで、間違いないですわよね?」
「ああ、そうだよ。本当にどうしたんだい、ティエラ?」
的をえない私の質問にも、お父様はしっかりとうなずいて答えてくれる。
私を見る目は本当に心配そうだ。でもそれに返す余裕もない。
(そんな……それじゃあ、やっぱり私は……)
ティエラ・ソンブレージャ。
ベルモント王子の婚約者で、なにかとヒロインの邪魔をしてくるライバルキャラ。
ゲームの中で、ティエラの末路はさんざんだった。
王子ルートでは処刑されて死に、騎士団長の息子ルートでは返り討ちにあって死に、宰相の息子ルートでは毒殺され、魔法庁長官の息子ルートでは魔法が暴発して死ぬ。
メインイベントのルート選択をしくじれば、邪神に取り憑かれて討伐されて死亡するエンドまである。
最悪のエンディングでなくても通常ルートさえ、国外追放、お家とりつぶし、家族バラバラ待ったなしの、悪役令嬢。明るい未来はひとつもない。
(よりによって、私、あの、ティエラに転生しちゃったの?)
気づいた事実に、ふらりと、足元がフラつく。よろめいた私をとっさにお父様が支えてくれた。
でも、とてもじゃないけど、まっすぐ立っていられない。
「ティエラ。体調が悪いようなら、とりあえず一旦、ここを出ようか」
「そ、そうですわね。申し訳ございません、お父様」
楽しみにしていたパーティーだったけど、今はなんだか、頭もズキズキする。
そのままお父様にエスコートしてもらって、会場を抜けて外に出る。
覚えているのは、そこまでだった。