第五話 王宮でのパーティーと王子との謁見
「ああ、行きたくない、行きたくない」
エントランスホールをぐるぐると周りながら、ティエラがやって来るのを待つ。
「あなた、いい加減落ち着きなさい」
ジェニーは呆れたようにそう言うが、どうにもじっとしていられない。
今日はティエラと王宮で開催されるベルモンド王子殿下の誕生日パーティーに参加する。今年で七歳になるティエラの元に、招待状が届いたのだ。
自分としては気乗りがしないが、王宮や王子というワードに目を輝かせて、行きたいと願うティエラの前では頷くほかなかった。
「お父様、お待たせしました」
エントランスホールに続く大階段からドレス姿のティエラが下りてくる。
淡い藤色のドレスは、銀糸で細かな刺繍が施されている。光沢感のある生地と糸は、天井の明かりを受けて艶やかに煌めく。腰の辺りには大きなリボンが付いていて、幾重にも重なるシフォンのスカートは、ティエラが歩くたびにふわふわと揺れる。
サイドに流した緩く巻かれた髪には宝石が散らばり、今日のティエラは一段と輝いている。
(ああ、本当に王宮なんて行きたくない)
ティエラの手前、心の中で切に思う。
こんなティエラを見たら、誰だって惚れてしまうじゃないか。ましては王子の婚約者候補になってしまったら……。
今はまだ悪役令嬢など見る影もない。でも、ゲームと同じ立場になったら何か変わってしまうかもしれない。
それに、ティエラには婚約者なんてまだ早い。
「ティエラ、本当に行くのかい?」
いつも以上におめかしした姿を見られたのは嬉しいけれど、パーティーに参加するのは気が進まない。
「はい! せっかくですもの。お城や王子様を見てみたいです!」
そういえばティエラの部屋には、王子や姫が出てくるロマンス小説が多くあった。
出版社、著者名、作品名の順にきっちりと、あいうえお順で並べられているのを見たことがある。
まあ、この世界には、五十音なんてないはずだけれど。
(瑠花も、同じように本を並べていたな)
昔、借りた漫画を返すのに本棚に戻したら場所が違っていたらしく、怒られてしまったことを思い出す。
少しの懐かしさを感じながら、ティエラを見る。期待に胸を膨らませたティエラの笑顔は眩しい。
「あなた。いい加減観念して、行ってらっしゃい」
ぽん、とジェニーが肩に手を置く。そうは言っても、行きたくないものは行きたくない。
ああ、こんなに可愛いティエラを他の奴らに見せなくてはいけないなんて、本当に嫌だ。
「お父様、早く行きましょう!」
「ああ、そうだね……」
うきうきと嬉しそうなティエラに手を差し出されては、拒否するなんて選択肢はない。
ジェニーに見送られて、馬車に乗り込むと王宮に向かった。
「ふん。お前らも来ていたのか」
「サムじゃないか」
煌びやかなエントランスを抜けて辿り着いたパーティー会場には、正装姿のサムがいた。相変わらず不機嫌そうな顔をしている。
「お久しぶりです、フラワード伯爵。今日はリフネ卿はいらっしゃらないのですか?」
綺麗なカーテシーで挨拶をするティエラに、サムは眉根を寄せる。
「あいつはいない。この場には相応しくないからな」
いつもと同じように、サムはティエラへの態度も冷たい。笑顔を崩さないティエラには後でご褒美をあげるとして、サムの発言が少し気にかかった。
「何かあったのか?」
サムに押し付け……いや、任せる面倒な案件を頭の中でピックアップしながら、尋ねる。
二年前の属性判定式以後、彼の息子のリフネは時々うちに遊びに来ている。でも、変わった様子は見られなかった。ティエラを前に、緊張したような面持ちではあるけれど。
「貴様に話すことでもない」
「そう言われると、余計気になるじゃないか」
吐き捨てるような物言いに、少しムッとしながら返す。認めたくはないけれど、リフネは今ではティエラの友人(仮)だ。サムの言葉に、ティエラは不安そうにしている。
(今度、家に来た時に、それとなく聞いてみるか……)
ティエラの心配事は出来る限り排除したい。それがサムの息子というのが少し癪だけれど、ティエラの友人候補だ。仕方ない。
「おや。魔法庁の長官殿と副官殿で密談ですかな」
そこに、別の声が掛かってくる。
振り返れば、黄色い髪でひょろりとした体躯の正装姿の男性が立っている。丸眼鏡の奥の同色の瞳は、何か探るようにぎらりと光る。
「ただの世間話ですよ、宰相閣下」
笑顔で返すと、じっと目を覗き込んできた後、にこりと笑いかけてくる。
「おやおや、そうでしたか。相変わらず、魔法庁長官殿と副官殿は仲がよろしいようで」
「チッ。仲など良くないわ」
「あー、まあ、学院の初等部からの付き合いですからね」
舌打ちするサムに被せるように、曖昧に笑って答える。
「父様。こちらの方々が、魔法庁長官殿と副官殿ですか」
その時、宰相閣下の隣から利発そうな声が聞こえてくる。彼と良く似た面差しの、レモンイエローの髪に黄色い瞳の少年がぴしっと隣に付いてきていた。
「ああ。紹介がまだでしたね。こちらは、魔法庁長官のソンブレージャ侯爵とその副官のフワラード伯爵です。長官殿、副官殿。こちらは私の息子のファルコです」
「お初にお目にかかります。コープランド伯爵家が長男、ファルコと申します」
ファルコは目が合うと胸に手を当て軽く引いた足を交差させ、きちっとした礼を見せる。
「ご丁寧にどうも。オルグ・ソンブレージャです。君のお父さんには、仕事でよくお世話になっているよ」
「……サム・フラワードだ」
挨拶を交わし合っていると、くい、と袖を引っ張られる。
「お父様。こちらの方は?」
下を向けば、ティエラが耳元でこそっと聞いてくる。そういえば、ティエラへの紹介がまだだった。
「おや。そういえば、私の自己紹介をまだしておりませんでしたな。私はラインベルト・コープランド。この国の宰相を務めております。よろしくお願いしますね、小さなレディ」
僕が紹介する前に、宰相閣下が前に進み出て、挨拶をする。
「ご挨拶ありがとうございます。コープランド伯爵。わたくしはソンブレージャ侯爵家が長女、ティエラと申します。ファルコ卿も、よろしくお願いいたしますわ」
ティエラも綺麗なカーテシーで挨拶を返し、にこりと微笑む。
息子にも声を掛けるのを忘れないその優しさは立派だけど、その笑顔は良くない。現にファルコはティエラの笑顔に見惚れてしまっている。
「そろそろ、王族の挨拶が始まるようだぞ」
さりげなくティエラを自分の後ろに隠していると、サムが話しかけてくる。
トランペットの甲高い音が大広間に響き渡る。螺旋階段を上がった先。二階にある少し張り出したスペースに陛下、王子、王妃が現れる。
他の貴族達と一緒になって、最上級の礼をする。
「皆、楽にしてくれ」
陛下の一声で、顔を上げる。陛下の金の髪が、シャンデリアの光を受けてきらきら光る。
「今日は息子の誕生日パーティーに参加してくれて、有り難く思う。私の言葉はこれくらいにして、あとは本日の主役に引き継ごう。息子のベルモントだ」
陛下の言葉にベルモント王子が一歩前に出ると丁寧な礼をする。
陛下譲りの金の髪が光を受けて煌めく。殿下は白銀の目を細めて優しげに微笑む。
「ご紹介に預かりました、ベルモント・ヴォルケンシィです。本日は私のために、このような場を設けてくれたこと、感謝いたします。まだまだ若輩者の私ですが、これからも皆様にご指導ご鞭撻いただき、より精進していきたく思っています」
「あの方は……」
王子の挨拶を拝聴していると、ふとティエラの声が聞こえてきた。
何か引っかかるものがあるのか、不思議そうな顔をしている。そうかと思えば、頬に手を当て赤くなり、忙しなく表情が変わる。
「ティエラ、どうかしたかい?」
「あ、いえ。何でもございませんわ」
動揺しているティエラの様子に首を傾げる。そのまま考え込むように下を向く。
王子の挨拶が終わると、謁見が始まる。公爵家から順番に拝謁し、侯爵家はその次だ。
サムたちと別れて謁見に向かう途中で会った、騎士団長とその息子と挨拶を交わし、王子の元に向かう。
「ソンブレージャ侯爵家オルグでございます。この度はおめでとうございます」
「魔法庁長官殿ですね。ありがとうございます。そちらは貴公のご息女ですか」
「あ、は、はい。えっと、ソンブレージャ侯爵家が長女、ティエラと申します。本日は、おめでとうございます」
ティエラは、珍しくしどろもどろで答える。カーテシーはいつも通り完璧だけど、細かな所作に乱れがある。
「そんなに緊張なさらずとも大丈夫だよ。ティエラ嬢」
「えっと、ごちそうさまです。じゃなくて、えっと、あの、その、ありがとうございます」
笑顔の王子にティエラは顔を赤くしたり白くしたりしながら、慌てて言葉を返す。
ティエラは先程までとは明らかに様子が違う。気もそぞろでずっとそわそわとしている。
ひとまず型通りの挨拶を済ませると、王子との謁見の場を去る。
「ティエラ、大丈夫かい?」
「え、うそ。これってほんとのほんとに? いや、でもまさか……」
ティエラは僕の言葉も聞こえないようで、俯いたまま何事かぶつぶつと呟いている。
しばらくしてから、意を決したようにティエラが顔を上げる。
「……お父様。王子殿下のお名前は、ベルモント王子、ですよね?」
「ああ、そうだね。ベルモント王子殿下だ」
「それに、わたくしの名前は、ティエラ・ソンブレージャで、間違いないですわよね?」
ティエラの問いかけの意図が分からない。挨拶のたびに何度も自分で口にしていたはずだから、確認する必要はないと思うのだけれど。
「ああ、そうだよ。本当にどうしたんだい、ティエラ?」
不思議に思いながらも、ティエラの質問にしっかりと頷く。
僕の答えに、ティエラはなぜか、絶望したような顔をした。ふらりと揺らいだ足元に、慌てて体を支える。
「ティエラ。体調が悪いようなら、とりあえず一旦、ここを出ようか」
「そ、そうですわね。申し訳ございません、お父様」
どうにか返事をしたティエラをエスコートして、大広間を出る。エントランスを抜けて外に出ると人の流れが落ち着いてくる。そこまでくると緊張の糸が切れたのか、右手にかかっていたティエラの力がふっと抜ける。
「ティエラ!」
腕を取り、どうにかその場に倒れるのは防ぐ。でも、ティエラは顔面蒼白で、意識を失っているようだ。
「大丈夫ですか!」
そこに入口を警護していた騎士が駆け寄ってくる。ティエラを横抱きに抱えると、ひとまず侯爵家の馬車の手配を頼む。
(こんなことになるくらいなら、今日のパーティーに連れてこなかったのに!)
倒れる前の様子が気に掛かる。何が、ティエラをあんな表情にさせたのだろう。
(とりあえず、もう二度と、ティエラを王宮なんかに連れてくるものか)
そう心に誓いながら、やってきた馬車に乗り込むと王宮を後にした。