第二話 ここは乙女ゲームの世界
「あー。またティエラが邪魔してきた」
リビングのソファーに寝転がってゲームをしていた娘の瑠花がため息まじりに零す。
「ティエラ?」
ローテーブルの横でアイロンがけをしていた手を止めて、一旦、アイロンを電源スタンドに戻す。
瑠花の手元のゲーム画面を覗き込んだ。
「うん、まあ、いわゆる悪役令嬢ってやつ? ベルモント王子の婚約者なんだけど」
瑠花が画面を見やすいように、こちらに向けてくる。
中央には、顎をつんと逸らして指を添えた、ブロンドのロングヘアーにラベンダー色の瞳の少女の立ち絵がある。
吊り目気味の目は、いかにも気が強そうだ。
「悪役令嬢?」
「そう。ヒロインのライバル的な立ち位置なんだけど、どのルートでもヒロインにちょっかいかけてくるの」
そう言うと瑠花はまた、ゲームを再開させながら言葉を続ける。
「言葉だけならまだいいんだけど、ティエラの場合、手も出るから。結構、ひどいこともしてくるんだー」
珍しく辟易としている瑠花の様子に、ローテーブルの上のスマートフォンを手に取る。
タイトルは分からないので、今聞いたキャラクター名でひとまず検索してみる。
「なるほど、これか」
たどり着いたゲームの紹介ページには、ティエラのキャラクター設定も書かれている。
『ティエラ・ソンブレージャ 15歳 168cm
ソンブレージャ侯爵家の一人娘。わがままで苛烈な性格。ベルモント王子の婚約者。
愛を知らずに育ったため、誰からも愛されるヒロインに嫉妬している。』
「まあ、ティエラって家庭環境もよくなかったみたいだし、かわいそうだとは思うけどさ」
「そうなのか?」
スマートフォンから顔を上げて瑠花を見る。
「うん。て言っても、はっきりと書かれていたわけじゃないんだけどねー」
「なるほど」
スマートフォンの画面に映る少女は、挑発するような視線で誰も寄せ付けない雰囲気を纏っている。
自分を守るためには、そうすることしかできなかったかのように。
「これは、ティエラっていうより……」
「ん? お父さん、何か言った?」
「いや……」
これは、ティエラというより、周りの大人たちも悪いのではないだろうか。
娘に、子供にそんな態度を取らせるなんて。
(僕だったら、絶対、娘にそんなことさせないのに)
そう考え出したら、無性に腹立たしくなってきた。
スマートフォンの画面を閉じると、テーブルの上に伏せて置く。
アイロンを手に取るとひたすらにシャツの皺を伸ばしていく。
(全く。親の顔が見てみたい)
娘とは一分、一秒でも長く一緒に過ごしたいし、寂しい想いもさせたくないものだ。
愛を知らない、とはなんとも悲しい。
(彼女を、ティエラを愛してくれた人は、本当にいなかったのだろうか……)
その後、娘に勧められるまま一度だけゲームをプレイしてみたけれど、彼女を救う手立ては見つからなかった。
◆◆◆
ふ、と目が覚めるとアイボリーの天井が視界に入る。
ただ、いつもは横で寝ているはずのジェニーの姿はない。
出産直後ということで、今は隣の部屋で眠っている。
(……久しぶりに、昔の夢を見たな)
そっとベッドの上で体を起こす。
覚醒し切らない頭で、ぼんやりと先程見た夢のことを考える。
(そうだ。僕は、ティエラのことを助けたかったんだ)
親に恵まれず、不遇な少女を救いたかった。
彼女の破滅の一端が『親』にあるというのなら、それがどうにもやるせなくて。
それは、僕の前世での後悔に、少なからず関係がある。
僕の前世は谷本慎二という日本人で、どこにでもいる普通のサラリーマンだった。
大学を卒業してからはシステムエンジニアとして中小企業に就職し、高校時代から付き合っていた彼女と結婚して、一人娘も授かった。ただ、妻は長く患っていた病気が悪化し、娘が六才になる前には亡くなってしまったけれど。
娘と二人になってからは、より一層、家族の時間を大切にした。
娘が、寂しい思いをしないように。
幸い、会社も部下も協力的で、前世では多くの時間を娘と過ごせたと思う。
それでも、それが十分だったかは分からない。
娘の瑠花は本当に出来た子で、不満を口にすることはなかった。
でもやっぱり、どこか無理をさせていたのではないかと思う時もある。
(何より、彼女の未来を奪ってしまったのは、僕だ)
あれは事故だったのかもしれないけれど、娘と過ごすはずだった未来も、娘が描くはずだった未来も、一瞬にして消えてしまった。
「……だから、今度こそ大事にするんだ」
娘には、不幸な未来など決して迎えさせない。
そこまで考えると、ふう、と息を吐き出す。妙に頭が冴えてきて、そのまま眠る気にもならない。
ベッドから降りると隣の部屋に続くドアを開ける。隙間から、ジェニーが眠る姿が見えた。
そのすぐ側のベビーベッドではティエラが静かに寝息を立てている。
(ジェニーが子育てに積極的なのは、元は日本のゲームだから、というのもあるのだろうか)
母もそうだったからあまり意識していなかったが、曲がりなりにも侯爵家という身分。
ジェニーがこうしてティエラと一緒の部屋で寝るのも珍しいことかもしれない。
そんなことを考えながら、二人を起こさないように慎重にドアを閉める。
ふと、カーテンが目に入り、窓に近付く。そっと開けば、夜明け前の空はまだ暗い。
ガラスに映り込むのは、ブロンドの髪にブルーの瞳をした、見慣れた自分の顔。
(親の顔、見られたな)
ふ、と小さく笑みが漏れる。
まさか自分がティエラの親に生まれ変わるとは。人生分からないものだ。
(ここは本当に、あのゲームの世界なのか?)
もしそうだというのなら、あの時ゲームでは叶えられなかったけれど、彼女のことも助けられるのだろうか。
(まあ、娘に害が及ぶなら、僕はなんとしてでも排除するだけだ)
カーテンを閉めると、部屋の隅にある書斎机に向かう。
「ひとまず、今覚えているゲームのことを書き出してみるか」
椅子に座ると袖机から紙と羽根ペンを取り出す。
基本的には瑠花から話を聞いていただけだから、大した知識は持っていない。
それでも、じっとしていることもできなかった。
「ティエラの将来が、かかっているんだ」
紙を前に腕を組む。
相変わらず、ゲームのタイトルは一向に思い出せない。
でも確か、舞台になった場所があったはずだ。
「ガーデニア王国の王立学院高等部、だったか」
ガーデニア王国は、この国の名前だ。
三方向を山で囲まれ、もう一方に海が広がる地形は自然の要塞になっていて、建国以来大きな戦争も起きていない。
王国の中央にある王都の近くには、広大な敷地を持つ王立学院がある。
初等部から高等部まであり、この国の住民であれば多くの人が通っている。
紙の上部に、ガーデニア王国、王立学院、とメモをつける。
「王立学院か、懐かしいな」
羽根ペンを持ったまま、小さく笑う。
(ジェニーとも、この学院で出会ったんだ)
初等部の入学式。会った瞬間に、運命を感じた。
幼い笑顔には、どこか彼女の面影もあって。
この時ほど、この世界に転生させてくれた神に感謝したことはない。
(結局ジェニーは、中等部以降は通えなくなってしまったが……)
まあ、今はジェニーや自分の話は置いておこう。
「問題は、ティエラだ」
呟いて、両方のこめかみに手を添える。瑠花の話を必死に思い出す。
そうだ。確か、高等部の入学式でヒロインとベルモント王子が出会うことから物語が始まる、とか言っていた。
(ベルモント王子……一昨年にお産まれになった、あの王子か)
王立学院の下に王子の名前も書いておく。
「こうしてみると、いくつか、あのゲームとの重なりもあるか」
メモを見て、眉を寄せる。
思い出せることは少ないが、それでも今いる世界とこれだけの共通点がある。
(ということは、やはりティエラは……)
自分がティエラの親になったからには、ゲームであったような寂しい想いを娘にさせるつもりはない。それでも不安は残る。
「そういえば、ベルモント殿下は将来、ティエラの婚約者になるのか?」
瑠花もそう言っていたし、キャラクターの紹介ページにもそう書かれていた。
(それならば、殿下の婚約者にならなければ……。いや、駄目だ。どのルートでもヒロインにちょっかいをかけてきて、邪魔してくる、と言っていたな)
まだ産まれたばかりだし、ティエラが婚約だなんて考えられない。
いや、いつかは訪れる未来なのかもしれないけれど、今はまだ認めたくないし、認められない。
(よし。ティエラに婚約の話が来たら、全部断ろう)
もちろん、それが殿下であろうとも関係はない。
不意に書斎机に、ふ、と白い光が差し込んでくる。
顔を上げて窓を見れば、カーテンの隙間から、細く光が漏れている。
(まあ、いざとなれば、私がなんとかしてみせよう)
幸い、今の自分にはそれなりの地位も名誉もある。
普段は面倒でしかないが、ティエラを守る為なら、いくらでも利用しようじゃないか。
婚約なんて、断固拒否だ。
書きかけた、婚約、の文字に大きくバツを付ける。
メモを書いた紙の少し上の空間に、さっと指先で魔法陣を描く。
少し魔力を込めれば、きらきらとした白い粒子を溢して魔法陣がすっと紙に溶け込んでいく。
これで、自分以外がこの紙を見ても、ただの白紙にしか見えないだろう。
(何にせよ、ティエラの将来の憂いは取り除いておくに限る)
袖机の引き出しを開けると、紙と羽根ペンを仕舞い込んだ。