第一話 娘は悪役令嬢
「旦那様もどうぞ抱いてあげてください」
産婆により、小さな赤子は妻のジェニーの腕から、自分の腕の中に移される。
自分と同じブロンドの髪、ジェニーと同じラベンダー色の目をした娘は、吊り目気味の大きな目で、真っ直ぐこちらを見つめてくる。その姿は愛らしい。
泣きたくなるのをぐっと堪えて、破顔する。
「よく頑張ったね。それにジェニーも。本当にありがとう。二人とも、愛しているよ」
分娩台の上で横になるジェニーにもそう言えば、弱々しくも微笑み返してくれる。
元々身体が弱く、ずっと病床についていたジェニーだったが、こうして無事に出産ができるまで回復して本当によかった。
腕の中の娘を見れば、にぱ、と笑いかけてくる。釣られて自分も笑顔になる。
「ああ、本当に君が産まれてきてくれて嬉しいよ。私たちの、可愛いティエラ」
(……ん? ティエラ?)
女の子が生まれたらそう名付けようと、ジェニーと二人で決めた名前を読んだ瞬間。
ふと、脳裏に過ぎるものがあった。
(ティエラ……そうだ。私は、この子を知っている)
それは、遠い遠い昔。自分がまだ、日本にいた頃に娘から教えてもらったゲーム。
そこに登場していた、キャラクター。
ティエラ・ソンブレージャ。
輝くブロンドの長い髪と、気の強そうな吊り目気味のラベンダー色の瞳が印象的な少女だった。
まだ赤ん坊ではあるものの、髪も目も記憶の中の面影に重なる。
何よりも、自分の名前は『オルグ・ソンブレージャ』。家名も同じだ。
「いや……そんな、まさか……」
じっと自分を見上げていたティエラがにこりと笑う。
ぎゅん、と心を掴まれるまま、緩みかけた口を引き締める。
前世の娘は、ティエラについて、なんと言っていただろうか。必死に記憶を辿る。
娘が夢中でプレイしていたのは、いわゆる乙女ゲームと称されるジャンルのゲームだ。
ティエラはその中でも、何かとヒロインの妨害をするキャラだった。
しかも口だけではなく手も出てくるタイプで、ひどい嫌がらせをしてくると、珍しく娘が辟易していたのを覚えている。
いや、でも、まさか。もう一度、腕の中のティエラに視線を落とす。
にぱっと笑う顔は愛らしい。それでも、重なる面影は拭えない。
いや、でも、まさか、と頭の中で疑問符が駆け巡る。
(まさか……ティエラは、悪役令嬢、なのか?)
◆◇◆
夜更けのうちに陣痛が始まったジェニーにより、夜明け前にも関わらず家の中はばたばたしていた。
「んー! んー!」
ベッド脇に設置された、簡易的な分娩台の上。額に脂汗を浮かべて、ジェニーが苦しそうな声を出す。
「ああ、ジェニー。大丈夫かい?」
その様子を見守るしかできないのが歯痒い。こんな時、男親というのは本当に無力だ。
「そっち! もっとしっかり押さえて!」
「奥様、大丈夫ですよ。ゆっくり、息を吸ってー、吐いてー」
分娩台に乗せられて、力むジェニーを産婆や乳母、侍女たちが囲む。そのすぐ側では、神官と医師も控えている。
「ジェニー……。ああ、何か私にも……」
「旦那様。そんなところに大きな図体で突っ立っていられては邪魔です! 部屋の隅に行くか、それでもなければ奥様の手でも握っていてあげてください!」
何もできず、おろおろと棒立ちしていると、侍女が声をかけてくる。
「あ、ああ。わかった」
その言葉に頷き、ジェニーの側に座り込む。そっと手を取ると、両手で握る。
「頑張れ、ジェニー。どうか、無事に」
必死に声をかければ、ジェニーは弱々しくも小さく頷き、微笑んでくれた。
その後もお産は続き、ようやく子供が産まれたのは、昼を過ぎてのことだった。
「奥様。無事にお産まれになりましたよ。可愛い女の子です」
産婆が産まれたばかりのティエラの身を清め、慎重にジェニーのお腹の上に下ろす。
「ふふ。あなたに会えて嬉しいわ。ね、あなたも」
優しくティエラを抱き抱えるジェニーが見上げてくる。
「ああ、君に会えて嬉しいよ」
鼻の奥がつん、となるのを堪えて、笑顔を向ける。
「旦那様もどうぞ抱いてあげてください」
産婆がジェニーの腕からティエラを抱き上げ移動させてくる。
小さくて温かな身体は、ずしりとしっかりした重さがある。
ああ、本当に……。
「よく頑張ったね。それにジェニーも。本当にありがとう。二人とも、愛しているよ」
「私も、愛しているわ。私にティエラを産ませてくれて、ありがとう」
弱々しくも木漏れ日のような微笑みに、どこか懐かしさが込み上げる。
ジェニーが長く患っていた病が完治してからしばらく経つ。それでも、ずっと病床にいたせいか、同年代の女性よりも体力はない。
だからこうして子供を産むことができて、本当によかった。
ティエラを見れば、にぱ、と笑いかけてくる。その顔に、自然と笑顔になる。
「ああ、本当に君が産まれてきてくれて嬉しいよ。私たちの、可愛いティエラ」
『あー、またティエラが邪魔してきた』
その瞬間。娘の声とともに、ふと脳裏を過った前世での記憶。
娘の姿と、携帯ゲーム機、その画面に映る少女の姿がぱっと浮かんでくる。
(ティエラ……そうだ。私はこの子を知っている)
ティエラ・ソンブレージャ。
長いブロンドの髪と、気の強そうなラベンダー色の瞳が印象的な少女。
当時、娘がやっていたゲームの中で、何かとヒロインの邪魔をしてくると話していた。
じっとこちらを見上げていたティエラが、にこ、と笑いかけてくる。その姿は愛らしく、可愛らしい。
それでも、重なる面影は拭えない。
(まさか……ティエラは、悪役令嬢、なのか?)
「あなた、どうしたの?」
「いや……」
ジェニーの言葉にも咄嗟に返せず、ティエラを見つめる。
ティエラは少し眠くなってきたのか、目をしぱしぱさせている。
その姿からは、この先悪役令嬢になるなど、想像もできない。
(この子が、悪役令嬢?)
どうにも信じられなくて、必死に古い記憶を手繰り寄せる。
ゲームの中で、ティエラはどうなっていただろうか。
ティエラが主に妨害してくるのは、王子ルートでのことだ。
でも、それ以外でも最終的には結局、同じ結末を辿っていたように思う。
(思い出せ。娘は……瑠花は、なんと言っていた?)
前世の娘の瑠花は、よく私に乙女ゲーム語りをしていた。
勧められるまま、一度だけプレイしたこともある。
確か、王子ルートのノーマルエンディングを迎えたはずだ。
「そうだ……」
その瞬間、ふ、と脳裏に蘇る。はっとして、ティエラを見る。
ティエラが辿る、エンディングは主に三つ。
最果ての地にある修道院送りになるか、自責の念に囚われて自殺するか、処刑されて死亡するか。
詳細は忘れてしまったが、そんなエンディングを迎えていた。
いずれにせよ、ソンブレージャ家はお家取り潰し、一家は離散する。
(そうだ、そういえば)
ティエラに関する記憶を辿っていたら、芋づる式に思い出す。
父親のオルグのことも、ティエラのエンディング画面に一行だけ書かれていた。
(確か、処刑されて死亡、だったか)
もちろん、ティエラも処刑されるだけのことはしていた。
ただ、一家離散だ、お家取り潰しだ、というのはオルグの罪によるところが大きかった、はず。
家族に冷遇されていたオルグは自分の権力や地位を守るために、犯罪行為や悪どいことにも手を染めていたらしい。
そんなことが、娘に見せてもらったファンブックに書かれていた、ような気がする。
(……冷遇?)
確かに、昔は家族仲がいいとは言えなかった。特に、祖父から相当嫌われていたように思う。
でも今ではそんなことはない。むしろ良好だ。
ジェニーの妊娠を伝えたら、まだ男の子か女の子か分からないうちに、祖父母から贈り物が届くくらいには。
それに正直、自分の悪事には心当たりはない。犯罪とか、怖いし……。
まあ、ひとまず自分のことは置いておこう。
(問題は、ティエラだ)
つまり、このままいけばティエラは最悪、死んでしまうのだろうか。
そうでなくても、一家離散なんてとんでもない。ジェニーやティエラと離れるなんて、耐えられない。
「うー。ぎゃあ。おぎゃあ!」
「おっと、ごめんよ。ティエラ」
ぐずり始めたティエラを産婆に渡す。
産婆はしばらく体を揺らし、ティエラを落ち着けると、ジェニーの隣にそっと下ろす。
「ずっと難しい顔をしていたけれど、どうしたの?」
ジェニーは横に戻ってきたティエラをそっと撫でると、真っ直ぐこちらを見上げてくる。
「……いや、なんでもないよ。目に入れたいくらい、可愛いなと思ってね」
「ふふっ。あなたなら、本当にやってしまいそうだわ」
「流石にそんなことはできないよ。……いや、でも、あの魔法式を少しいじれば……」
「やめてね」
ジェニーの隣で、ティエラは静かに寝息を立てている。
二人でその様子を見つめて、どちらともなく、ふ、と口元が緩む。
「ジェニー。本当にありがとう。二人のことは、絶対に守るよ」
「なあに? どうしたの、急に」
ジェニーとティエラの頭を撫でて誓いを立てれば、不思議そうにジェニーが見上げてくる。
「……じゃあ、私が、二人を守るわ」
優しく笑ったジェニーの言葉に、ぎゅっと胸が締め付けられる。
(そうだ。僕は、今度こそ、妻や娘との未来を手に入れるんだ)
そして、願わくば。
妻と二人で、娘の成長をずっと見守っていきたい。
前世では叶えられなかった願いを胸に、ジェニーとティエラとの未来を守る、その決意を固めた。